一誠が押し返された、その瞬間だった。
「今です!」
声に応じるように、左右からゼノヴィアと小猫が踏み込む。
ゼノヴィアの剣がサイラオーグの右側を狙い、小猫は反対側から低く潜り込む。さらに頭上では朱乃の雷光が膨れ上がり、後方ではリアスが次の一手を見据えて魔力を集めていた。
正面には一誠。
逃げ道を潰すように、四方向から攻撃が重なる。
サイラオーグは退かなかった。
「おおおおおおっ!」
咆哮とともに、全身から凄まじい闘気が噴き上がった。
最初に届いたゼノヴィアの剣へ腕を差し込み、刃そのものを受けるのではなく手首側へ力を加えて軌道を逸らす。続く小猫の蹴りを肩で受け、その衝撃に身体を流しながら半歩移動することで、朱乃の雷撃の中心から外れた。
それでも完全には避けられない。
轟音とともに雷が落ち、サイラオーグの身体を白い閃光が呑み込んだ。
「入った!」
一誠が声を上げる。
だが、リアスはすぐに叫んだ。
「気を抜かないで!」
その声とほとんど同時に、雷撃の中心から大きな影が飛び出した。
サイラオーグだった。
服の各所は焦げ、肌にも確かな傷が刻まれている。それでも動きは鈍らない。むしろ攻撃を受けたことでさらに勢いを増したかのように、一直線に一誠へ迫ってくる。
今度は一誠も、その姿だけを見てはいなかった。
サイラオーグの肩。
踏み込んだ足。
腰の向き。
最初の拳を横へずれてかわす。
二発目は腕を添えて外へ流した。
三発目――そう思った瞬間、サイラオーグの動きが止まる。
「っ!」
フェイント。
一誠は反射的に下がろうとした。
そこへ本命の拳が飛ぶ。
防御が間に合ったのは、完全に読み切ったからではない。これまで何度も同じ男の拳を受け、身体が危険を覚え始めていたからだ。
両腕の上へ重い衝撃が落ちる。
「ぐっ……!」
靴底が地面を削った。
それでも一誠は倒れず、無理に押し返そうともしなかった。
横へ逃がす。
サイラオーグの身体が僅かに一誠の正面から外れる。
そこへゼノヴィアが入った。
「もらった!」
剣が迫る。
サイラオーグはすぐに一誠から意識を切り替え、身体を捻った。刃が胸元を浅く掠める。そのまま懐へ踏み込み、短い拳をゼノヴィアへ打ち込んだ。
剣の腹で防ぐ。
しかし威力までは殺し切れない。
ゼノヴィアの身体が後方へ弾かれた。
「ゼノヴィア!」
一誠がそちらへ目を向ける。
ほんの一瞬。
それで十分だった。
サイラオーグが間合いを詰める。
「仲間を見ることは大切だ」
低い声が聞こえた。
一誠が振り返る。
「だが、俺を前にして目を離すのは感心しないな!」
拳。
一誠は咄嗟に身体を沈めた。
頭上を拳が通る。
反撃する。
腹部を狙った右拳をサイラオーグが腕で受けた。
『Boost!』
力が一段上がる。
一誠は受け止められた拳を無理に押し込まず、すぐに引いた。相手が押し返してくる前に位置を変え、今度は左側へ回る。
サイラオーグの視線が追ってくる。
「それでいい!」
嬉しそうな声だった。
一誠は苦笑する。
「褒められてる気がしないんですけど!」
「なら、拳で確かめろ!」
「望むところです!」
再び二人がぶつかった。
◆
観戦席では、英寿が二人の攻防をじっと追っていた。
一誠が工夫する。
サイラオーグがそれへ対応する。
今度は一誠がその対応を見て動きを変える。
訓練とは違う。
相手も勝つために考えている。
一度上手くいった方法が、そのまま次も通じるとは限らない。
「やっぱり、いい相手だな」
英寿が呟いた。
アザゼルが横を見る。
「一誠にとってか?」
「それもあるけど」
英寿の視線はサイラオーグへ向いていた。
「一誠が何か変えれば、すぐそれを見て自分も変えてくる。力が強いだけなら、もっと単純な戦いになる」
サイラオーグは真正面から殴り合うことを好んでいる。
だが、何も考えず拳を振るっているわけではない。
相手が受け流そうとすれば軌道を変える。
連携を組めば、その起点を潰そうとする。
狙うべき相手が変われば、迷いなく標的を変える。
「強い身体を作っただけじゃないんだな」
英寿は僅かに笑った。
「その身体でどう戦うかまで、ちゃんと積み上げてる」
「そこまで見えるか」
「見てれば分かるよ」
英寿にとって、戦闘能力は単純な出力だけで測るものではない。
大きな力を持っていても、それを扱えなければ隙になる。
逆に、持っているものを徹底的に磨けば、数値以上の強さを引き出せる。
それをサイラオーグは目の前で証明していた。
アザゼルはそんな英寿を見て、少しだけ口元を上げる。
「試合前に感想を聞かせてくれって言われてたな」
「ああ」
「もう答えは決まったか?」
英寿は少し考えた。
「まだだな」
「随分厳しいじゃねぇか」
「最後まで見てくれって言われたからな」
そう答えて、英寿は再び画面へ視線を戻した。
◆
戦場では、少しずつ人数が減っていた。
双方ともに消耗が大きい。
誰かが倒れれば、その分だけ残った者へ負担が集中する。序盤には広く使えていた戦場も、今では戦いの中心がいくつかの場所へ絞られ始めていた。
そして、リアス眷属にも限界へ近づく者がいる。
ゼノヴィアが膝をついた。
「ゼノヴィア!」
一誠が叫ぶ。
彼女は剣を地面へ突き立て、立ち上がろうとした。
だが足が震える。
これまで受けたダメージが大きすぎた。
「来るな、一誠!」
それでも声だけは力強かった。
一誠の足が止まる。
「だが――」
「お前にはお前の相手がいる!」
ゼノヴィアの視線が一誠の背後へ向く。
一誠はすぐ振り返った。
サイラオーグがいる。
こちらを待っている。
その間にも、ゼノヴィアの退場が宣言された。
悔しさが胸へ込み上げる。
だが、一誠は駆け寄らなかった。
拳を握り直し、前を見る。
ゼノヴィアが作ってくれた時間を、自分から捨てるわけにはいかない。
「一誠!」
リアスの声が届く。
「右側を押さえて!」
「はい!」
一誠は迷わず走った。
接近してくる別の敵へ入り、拳を合わせる。
一撃目を外す。
二撃目を受ける。
相手の姿勢が崩れるのを待ち、そこへ増幅した拳を叩き込んだ。
『Boost!』
打撃が敵を押し返す。
一誠は追おうとして、足を止めた。
横から迫る圧力。
振り向く。
サイラオーグ。
拳が来る。
両腕を入れる。
轟音。
「ぐっ!」
身体が押される。
だが一誠は、押されながらも相手の足を見る。
次の踏み込み。
来る。
一誠は真正面から逃げた。
サイラオーグの拳が空を切る。
反対側から小猫が入った。
短い蹴りが脇腹へ向かう。
サイラオーグは腕で受ける。
一誠も続いた。
二人で挟む。
さらに上空から朱乃の雷。
後方からリアスの魔力弾。
再び連携が重なる。
だが、先ほどほどの密度はない。
ゼノヴィアが抜けた穴は大きい。
サイラオーグはその僅かな隙を見逃さなかった。
小猫と一誠の間へ強引に踏み込む。
「しまっ――」
拳が小猫へ向かう。
小猫は腕を交差して受ける。
その小さな身体が大きく浮いた。
「小猫ちゃん!」
一誠が飛び込み、空中で彼女を受け止める。
二人まとめて地面を滑った。
「大丈夫か?」
「……はい」
そう答えたものの、小猫の呼吸は荒い。
一誠は彼女を下ろしながらサイラオーグを見る。
向こうも傷だらけだ。
だが、その立ち姿には未だ力がある。
何度見ても異常なほど頑丈だった。
それでも一誠が感じるのは、理不尽さではない。
この身体は、生まれた時から完成していたものではない。
魔力に恵まれなかった男が、それでも強くなるために作り上げたものだ。
何年も。
何年も。
繰り返して。
今、自分が殴られるたびに感じている重さは、その積み重ねそのものだった。
一誠は右腕の《赤龍帝の籠手》を見る。
自分にはドライグがいる。
力を倍加してくれる。
サイラオーグと同じものを持っているわけではない。
なら、同じ戦い方をする必要もない。
「ドライグ」
一誠が小さく呼ぶ。
籠手の奥から相棒の声が返った。
一誠は拳を握る。
「もう一回行くぞ」
『Boost!』
力が増える。
それでも視線は右腕へ向かなかった。
正面のサイラオーグ。
その後ろの敵。
小猫と朱乃の位置。
リアスの声が届く場所。
全部を確認する。
そして、一誠は走った。
◆
リアスは、その一誠へ指示を飛ばしながら戦場全体を見ていた。
残っている戦力は少ない。
こちらも相手も、次の大きな崩れがそのまま勝敗へ繋がりかねない。
「朱乃、右から! 小猫は無理に前へ出ないで!」
「はい、リアス」
「了解です」
「一誠!」
「はい!」
「そのままサイラオーグを引きつけて!」
一誠は返事だけを残し、前へ出る。
そこに余計な言葉はなかった。
リアスも今はそれ以上を求めない。
一誠が自分を見ていることは分かる。
声を聞いていることも分かる。
ならば今は、王として彼へ道を示す。
それが自分の役目だった。
サイラオーグの拳が一誠へ向かう。
一誠がかわす。
完全には外せない。
肩を掠める。
それでも体勢を崩さない。
反撃。
サイラオーグが受ける。
その瞬間、一誠が横へ開いた。
「朱乃さん!」
雷が落ちる。
サイラオーグが回避する。
逃げた先には小猫。
蹴り。
受け止められる。
一誠が再び戻る。
完全な包囲ではない。
それでも、残った戦力で出来る限り相手を休ませない。
リアスは攻撃へ魔力を込めた。
まだ終わっていない。
◆
一誠とサイラオーグの拳が再び激突する。
最初の頃なら、そのまま一誠だけが押し返されていた。
今も力そのものではサイラオーグが上だ。
だが一誠も、同じ場所で無理に耐え続けない。
押される。
なら、その力を利用して一歩下がる。
相手が追う。
そこへ身体を回して別の角度から打つ。
拳がサイラオーグの肩へ入った。
「っ!」
僅かに巨体が揺れる。
サイラオーグが笑う。
「良い拳だ!」
「まだ!」
一誠は追う。
今度は蹴り。
サイラオーグが腕で受ける。
一誠は着地と同時に距離を取った。
追撃が来る。
一撃目。
かわす。
二撃目。
受ける。
三撃目。
またフェイント――。
一誠は動きかけた身体を止めた。
サイラオーグの眉が僅かに上がる。
「読んだか」
「同じの何回も食らいたくないんで!」
本命の拳が来る。
一誠も拳を出した。
真正面から衝突する。
衝撃が地面へ走る。
一誠が一歩下がる。
サイラオーグも僅かに足を引いた。
一誠の目が大きくなる。
ほんの僅か。
それでも初めて、真正面から相手を動かした。
一誠の口元に笑みが浮かぶ。
サイラオーグも同じだった。
「楽しいな、兵藤一誠!」
「俺もですよ!」
二人は同時に踏み込んだ。
拳。
拳。
今度は一方的な攻防ではない。
一誠の攻撃も届く。
サイラオーグの攻撃も入る。
一誠の頬が大きく跳ねる。
それでも身体を戻し、すぐに拳を返す。
サイラオーグの腹部へ入る。
重い手応え。
だが倒れない。
反撃の膝。
一誠は両腕を入れて防ぐ。
身体が浮く。
空中で捻り、なんとか足から着地した。
呼吸が苦しい。
腕も脚も重い。
それでも一誠は笑っていた。
サイラオーグも荒い呼吸の中で拳を構える。
「兵藤一誠」
「はい?」
「おまえは、何のために強くなる?」
突然の問いだった。
一誠は一瞬だけ目を瞬く。
それでも答えに迷うほど難しい質問ではない。
「守りたい奴がいるからです」
サイラオーグは黙って聞く。
一誠は戦場の仲間たちを一瞬だけ見る。
「俺、昔から強かったわけじゃないし、今でも一人じゃ出来ないことばっかりです。でも、だからって大切な奴が傷つくのを見てるだけなんて嫌なんですよ」
最後に視線がリアスへ向く。
すぐにサイラオーグへ戻した。
「だから強くなりたい。それだけです」
「そうか」
サイラオーグは静かに頷いた。
そして笑う。
「なら、その願いを俺に見せてみろ」
一誠の目が僅かに見開かれる。
「願い、ですか」
「強さを求めるなら、それを何に使うのかまで拳へ乗せろ!」
全身から闘気が噴き上がった。
一誠は思わず息を呑む。
まだある。
これだけ戦って。
これだけ傷を負って。
それでもサイラオーグの力は、底を見せていなかった。
観戦席でも、英寿の表情が僅かに変わる。
アザゼルが身を乗り出した。
「来るか」
「何が?」
英寿が尋ねる。
「見てりゃ分かる」
サイラオーグの周囲で、先ほどまでとは明らかに質の違う圧力が膨れ上がっていく。
英寿はその姿を見つめた。
驚きよりも、興味の方が強かった。
「まだ上があるのか」
口元に笑みが浮かぶ。
戦場では、一誠も《赤龍帝の籠手》を構え直した。
サイラオーグの力が増したからといって、退く理由にはならない。
むしろ逆だった。
ここまで来たなら、全部見たい。
全部受けて。
その上で勝ちたい。
サイラオーグが正面から一誠を見る。
「ここからは、さらに厳しくなるぞ」
一誠も笑った。
「今さらですよ」
「そうか!」
「ええ!」
互いの闘志が再びぶつかる。
その先に何が待っているのか、一誠にはまだ分からない。
だが、逃げるという選択肢だけは最初からなかった。
獅子と赤龍帝。
二人の戦いは、いよいよ最も激しい領域へ踏み込もうとしていた。