願えば、きっと叶う。   作:吉野家

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獅子王の剛皮

 

サイラオーグの周囲で膨れ上がった圧力は、それまで彼が纏っていた闘気とは明らかに違っていた。

 

一誠は反射的に腰を落とし、《赤龍帝の籠手》を構える。

 

来る。

 

そう思った。

 

だが、サイラオーグは動かなかった。

 

代わりに、戦場の奥から地面を踏みしめる重い音が聞こえてくる。

 

一誠が視線だけをそちらへ向けると、瓦礫の向こうから黄金の巨体が姿を現した。

 

獅子。

 

ただし、一誠が知る普通の獅子とは大きさからして違う。人間など簡単に見下ろせるほどの巨躯を持ち、黄金色の体毛の中央、額には紫色の宝玉が埋め込まれている。

 

それまで別の戦線にいたサイラオーグ眷属の一員が、戦場の中心へ戻ってきたのだ。

 

黄金の獅子はサイラオーグの隣まで来ると、その巨体を止めた。

 

一誠は獅子とサイラオーグを交互に見る。

 

「……まだいたんですか」

 

サイラオーグは答えなかった。

 

代わりに、獅子の方から低い声が響く。

 

「サイラオーグ様」

 

一誠の目が丸くなる。

 

「喋った!?」

 

緊張した戦場の中でも、思わず出た声だった。

 

黄金の獅子――レグルスは一誠の反応など気にも留めず、主だけを見る。

 

「お使いください」

 

サイラオーグの眉が僅かに動いた。

 

レグルスは続ける。

 

「俺を纏えば、さらに上へ行ける。あの赤龍帝と戦うのならば、今こそ――」

 

「必要ない」

 

答えは早かった。

 

一誠が意外そうにサイラオーグを見る。

 

これまでサイラオーグは、自分へ全力を見せろと言い続けていた。ならば、使えるものを使わないという選択は、その姿勢と少し噛み合わないようにも思える。

 

レグルスも同じことを感じているらしい。

 

「しかし、サイラオーグ様」

 

「これはレーティングゲームだ」

 

サイラオーグは静かに言った。

 

「おまえの力を纏うのは、魔界を守るためと決めている。俺自身が決めたことだ。それを試合だからという理由で曲げるつもりはない」

 

レグルスは口を閉ざした。

 

そこに迷いはない。

 

サイラオーグにとって、それは単なる戦力の温存ではなかった。

 

自分自身へ課した決まりなのだ。

 

一誠は黙って二人を見ていた。

 

サイラオーグがこちらへ顔を向ける。

 

「待たせたな、兵藤一誠」

 

拳を構えた。

 

「続けよう」

 

「……ちょっと待ってください」

 

一誠は動かなかった。

 

「何だ?」

 

「今の獅子、サイラオーグさんの力なんですよね?」

 

「正確には、俺の眷属であるレグルスの力だ」

 

後方から、リアスの声が補う。

 

「《獅子王の戦斧》――レグルス・ネメア。神滅具の一つよ」

 

「神滅具……」

 

一誠は自分の右腕を見る。

 

《赤龍帝の籠手》も同じ神滅具。

 

つまり、目の前にいる黄金の獅子は、ドライグと同じ領域へ数えられる存在ということになる。

 

知らなかったわけではない。

 

サイラオーグについて事前に聞いていた情報の中にも、その名はあった。

 

だが実際に目の前へ現れれば、理解の仕方が変わる。

 

一誠はもう一度サイラオーグを見る。

 

「それ、使ってください」

 

「一誠?」

 

リアスが声を上げる。

 

サイラオーグも僅かに目を細めた。

 

「何を言っている?」

 

「だって、それを使った方がサイラオーグさんは強いんでしょう?」

 

「ああ」

 

「だったら使ってください」

 

一誠は迷わなかった。

 

「ここまで来て、あとで『本当はもっと強かった』なんて聞きたくないです」

 

「これは手加減ではない。俺自身が決めた――」

 

「分かってます」

 

一誠は遮った。

 

サイラオーグを責めたいわけではない。

 

約束を軽く扱うつもりもなかった。

 

それでも、この男とは全力で戦いたかった。

 

最初は勝つためだけだった。

 

途中からは違った。

 

拳を交わすほど、この男がどれだけ強さへ真っ直ぐなのか分かってきた。

 

なら、中途半端なところで終わりたくない。

 

「サイラオーグさんが何のためにそれを使うって決めてるのか、俺には全部は分かりません。でも俺は、今のサイラオーグさんに勝った後で、本当はまだ先があったなんて思いたくないんです」

 

一誠は拳を握った。

 

「俺も出せるものは全部出します」

 

その右腕に宿る存在へ、意識を向ける。

 

「だからサイラオーグさんも――俺と戦うなら、全部で来てください」

 

静寂が落ちた。

 

リアスは何も言わなかった。

 

無茶だとは思う。

 

ただでさえ、今のサイラオーグに一誠は苦戦している。

 

それよりさらに強い形態を要求するなど、勝つための判断だけを考えれば正しいとは言い難い。

 

それでも止めなかった。

 

これは一誠自身が選んだ戦いだった。

 

サイラオーグはしばらく一誠を見つめていた。

 

やがて、その口元がゆっくりと上がる。

 

「後悔するぞ」

 

「しませんよ」

 

「今の俺とは比べものにならん」

 

「それでもです」

 

「そうか」

 

短く答えたあと、サイラオーグは目を閉じた。

 

そして隣に立つ黄金の獅子へ手を伸ばした。

 

「レグルス」

 

「はい!」

 

獅子の声に歓喜が混じる。

 

「力を貸せ」

 

「もちろんです、サイラオーグ様!」

 

空気が震えた。

 

観戦席でアザゼルが大きく息を吐く。

 

「とうとう使わせやがったか」

 

英寿は黄金の獅子から目を離さなかった。

 

「アレが隠し玉?」

 

「正真正銘な」

 

アザゼルは腕を組む。

 

「神滅具《獅子王の戦斧》レグルス・ネメア。本来なら武器として扱われる力だが、あの獅子自身が独立して存在してる。その力をサイラオーグが纏う」

 

「なるほど」

 

英寿の声に、先ほどまでよりはっきりとした興味が宿る。

 

「ただでさえ強い奴が、さらに神滅具まで使うのか」

 

「だから厄介なんだよ」

 

「いいな」

 

アザゼルが横を見る。

 

英寿は笑っていた。

 

「ようやく全部見せてくれるんだろ?」

 

     ◆

 

サイラオーグの声が戦場へ響いた。

 

「我が獅子よ! ネメアの王よ! 獅子王と呼ばれた汝よ! 我が猛りに応じて、衣と化せ!」

 

レグルスの巨体から黄金の光が溢れ出す。

 

獅子の輪郭が崩れ、無数の光となってサイラオーグの周囲へ集まっていった。

 

一誠は腕で顔を庇いながら、その変化を見る。

 

黄金の光が脚を包む。

 

腰。

 

胸。

 

両腕。

 

そして頭部。

 

それまで生身だったサイラオーグの身体を、獅子を思わせる黄金の装甲が覆っていく。

 

重厚。

 

だが鈍重には見えない。

 

全身へ張り付く装甲の一つ一つが、肉体そのものと一体化しているようだった。

 

胸には獅子を思わせる意匠が浮かび、頭部を覆う装甲からは王の鬣のような黄金の形状が広がる。

 

サイラオーグとレグルスの声が重なる。

 

「「Balance Break!」」

 

光が弾けた。

 

黄金の獅子王が、戦場へ立つ。

 

《獅子王の剛皮》。

 

レグルス・レイ・レザー・レックス。

 

一誠は無意識に一歩下がっていた。

 

見た目が変わったからではない。

 

圧力そのものが違う。

 

先ほどまでのサイラオーグも十分に怪物じみた強さだった。

 

だが今は、鍛え抜かれた肉体の上へ、神滅具の力まで重なっている。

 

ドライグの声が、一誠の内側へ響いた。

 

警戒する声だった。

 

「分かってる」

 

一誠は答える。

 

「滅茶苦茶ヤバいんだろ?」

 

サイラオーグが一歩踏み出した。

 

ただそれだけで、一誠の身体が反応した。

 

速い。

 

来る。

 

理解した時には、すでに目の前だった。

 

「――っ!」

 

一誠は咄嗟に腕を上げる。

 

拳が防御へ入った。

 

轟音。

 

景色が消えた。

 

何が起きたのか理解するより早く、一誠の身体は地面を離れ、遥か後方まで吹き飛ばされていた。

 

何度も地面へ叩きつけられる。

 

ようやく止まった時、一誠は息をすることさえ忘れていた。

 

「一誠!」

 

リアスの声が聞こえる。

 

一誠は咳き込みながら上体を起こした。

 

両腕が痺れている。

 

防御したはずなのに、身体の奥まで衝撃が抜けていた。

 

「……嘘だろ」

 

顔を上げる。

 

遠くにいたはずのサイラオーグが、もう歩き始めている。

 

余裕を見せつけるためではない。

 

一誠が立った。

 

だから来る。

 

それだけだった。

 

一誠は歯を食いしばる。

 

「こっちも……出し惜しみしてられねぇな」

 

右腕を掲げる。

 

《赤龍帝の籠手》へ意識を集中させた。

 

自分には、自分の全力がある。

 

「ドライグ!」

 

呼びかけへ、相棒が応える。

 

赤い力が一誠の身体を包み始めた。

 

全身を覆う龍の装甲。

 

赤龍帝の鎧。

 

《禁手》――《赤龍帝の鎧》。

 

赤い光が収束し、装甲に包まれた一誠が再び戦場へ立つ。

 

サイラオーグは足を止めた。

 

黄金の仮面の奥から、一誠を正面に見る。

 

「それがおまえの鎧か」

 

「ここからですよ」

 

声は強がりだけではなかった。

 

怖い。

 

さっきの一撃だけで分かった。

 

今のサイラオーグは、これまでとは次元が違う。

 

それでも一誠は前へ出た。

 

「行きます!」

 

赤い翼を広げ、一気に加速する。

 

サイラオーグも踏み込んだ。

 

赤と金が戦場の中央で激突する。

 

拳同士がぶつかり、衝撃が周囲へ広がった。

 

一誠の装甲が軋む。

 

それでも今度は吹き飛ばされない。

 

『Boost!』

 

力を上げる。

 

もう一度。

 

『Boost!』

 

サイラオーグの拳を押し返そうとする。

 

だが黄金の腕は動かない。

 

「くっ……!」

 

「どうした、赤龍帝!」

 

サイラオーグが力を込める。

 

一誠の身体が押され始めた。

 

「こんなもんじゃないだろう!」

 

「当然!」

 

一誠は力比べを捨てた。

 

横へ逃がし、身体を回転させる。

 

蹴り。

 

サイラオーグの側頭部へ向かう。

 

黄金の腕が上がった。

 

片腕で受け止められる。

 

すぐに反撃。

 

拳が胸部装甲へ入った。

 

硬い衝撃音が響く。

 

一誠の身体が後方へ滑る。

 

装甲にはっきりと亀裂が入った。

 

「一発で……!」

 

驚いている暇はない。

 

二発目が来る。

 

一誠は飛ぶ。

 

かわす。

 

サイラオーグは空を飛ばない。

 

なら距離を――。

 

そこまで考えた時だった。

 

サイラオーグが地面を蹴った。

 

凄まじい跳躍。

 

一誠の高度まで一瞬で届く。

 

「マジかよ!」

 

拳が来る。

 

一誠は翼を使って横へ急加速した。

 

紙一重で避ける。

 

サイラオーグはそのまま落下していく。

 

一誠は反転した。

 

今なら上を取っている。

 

だが、攻撃へ移る直前に思い直す。

 

罠か。

 

いや。

 

着地する瞬間を狙う。

 

サイラオーグの足が地面へ触れる。

 

その瞬間、一誠は加速した。

 

上空から一気に距離を詰め、拳を叩き込む。

 

『Boost!』

 

さらに増幅。

 

拳が黄金の胸部へ直撃した。

 

地面が大きく陥没する。

 

「入った!」

 

手応えはある。

 

しかし。

 

サイラオーグの手が、一誠の腕を掴んだ。

 

「良い判断だ」

 

仮面の奥から声がする。

 

「だが、軽い!」

 

「な――」

 

身体が振り回された。

 

一誠はそのまま地面へ叩きつけられる。

 

衝撃で赤い装甲が軋んだ。

 

続けて拳が落ちる。

 

転がって避ける。

 

地面が砕けた。

 

一誠は立ち上がりながら距離を取った。

 

攻撃は当たる。

 

だが効き方が違う。

 

こちらは一撃受けるだけで装甲が壊れる。

 

向こうは増幅した拳を受けても、ほとんど体勢を崩さない。

 

「なら……!」

 

一誠の身体を覆う装甲が変化を始める。

 

より厚く。

 

より重く。

 

速度よりも、圧倒的な出力と防御を求める形へ。

 

《Illegal Move Triaina》。

 

その中でも、城塞のような力を持つ形態。

 

《Welsh Dragonic Rook》。

 

赤龍帝の鎧が一回り以上も重厚な姿へ変わる。

 

地面へ降り立っただけで、足元が僅かに沈んだ。

 

サイラオーグが構える。

 

「力で来るか」

 

「これなら……!」

 

一誠は拳を握る。

 

先ほどまでとは比較にならない力が腕へ集まる。

 

英寿に教えられたことを忘れたわけではない。

 

力だけを見るな。

 

それは分かっている。

 

だが、だからといって必要な力まで使わない理由にはならない。

 

サイラオーグがこれほどの力を出しているなら、自分もそれへ届くための武器を使う。

 

その上で、見る。

 

「行きますよ!」

 

一誠が踏み込んだ。

 

重厚な鎧からは想像しにくい速度で距離を詰め、拳を振るう。

 

サイラオーグは避けなかった。

 

右手を開く。

 

受け止める。

 

一誠の拳が、その掌へ叩き込まれた。

 

衝撃波が走る。

 

地面が割れる。

 

それでもサイラオーグは立っていた。

 

一歩も下がらない。

 

一誠の表情が固まる。

 

「……嘘だろ」

 

黄金の指が、一誠の拳を握り込んだ。

 

「力は上がった」

 

サイラオーグが静かに言う。

 

「だが――」

 

もう片方の拳が引かれる。

 

一誠の背筋へ悪寒が走った。

 

「一誠、離れて!」

 

リアスの声。

 

一誠も動こうとする。

 

掴まれている。

 

抜けない。

 

次の瞬間、サイラオーグの拳が赤い装甲の胸部へ突き刺さった。

 

凄まじい破砕音が響く。

 

分厚くなったはずの装甲に亀裂が走った。

 

一瞬で広がる。

 

砕ける。

 

一誠の身体が大きく吹き飛んだ。

 

今度は受け身も取れなかった。

 

地面へ落ち、何度も転がる。

 

赤い装甲の破片が光となって散っていく。

 

「一誠!」

 

リアスが駆け出そうとする。

 

だが一誠は、倒れたまま片手を上げた。

 

来るな。

 

そう示した。

 

「……まだ……」

 

声が掠れる。

 

身体が動かない。

 

視界も揺れている。

 

それでも意識だけは手放さなかった。

 

サイラオーグは追撃しなかった。

 

一誠が立ち上がるかどうかを待っている。

 

一誠は地面へ手を突く。

 

腕が震える。

 

膝を立てる。

 

転びそうになる。

 

それでも、少しずつ身体を起こした。

 

観戦席でアザゼルが険しい表情になる。

 

「Rookまで正面から潰したか」

 

英寿は答えなかった。

 

黄金の鎧を纏ったサイラオーグ。

 

それを前に、壊れかけた赤い鎧で立ち上がろうとする一誠。

 

どちらからも目を離していない。

 

「……凄いな」

 

ようやく出た英寿の声は、素直なものだった。

 

アザゼルがサイラオーグを見る。

 

「だろ?」

 

「ああ」

 

英寿の目が少し細くなる。

 

「でも」

 

視線が一誠へ移る。

 

「まだ終わった顔してない」

 

一誠はようやく立ち上がった。

 

足は震えている。

 

鎧も大きく壊れている。

 

サイラオーグとの差を嫌というほど見せつけられた。

 

それでも拳を下ろさなかった。

 

「サイラオーグさん」

 

「何だ?」

 

「……やっぱり、使ってもらって良かったです」

 

サイラオーグが僅かに目を見開く。

 

一誠は血の混じった息を吐きながら笑った。

 

「こんなの隠されたまま終わってたら……絶対、後悔してました」

 

「そうか」

 

サイラオーグも笑った。

 

「ならば立て、兵藤一誠」

 

黄金の拳を構える。

 

「おまえが望んだ俺の全力は――まだ終わっていない!」

 

一誠も残された力を右腕へ集める。

 

今のままでは勝てない。

 

それは分かった。

 

もっと力が必要なのか。

 

違う何かが必要なのか。

 

答えはまだ見えない。

 

それでも、一誠は逃げずにサイラオーグを見た。

 

そしてその背後から、リアスの声が聞こえる。

 

「一誠」

 

ただ名前を呼ばれただけだった。

 

それなのに、奇妙なくらいはっきりと聞こえた。

 

一誠は振り返らない。

 

それでも、自分の後ろに彼女がいることは分かっている。

 

サイラオーグが待っている。

 

リアスがいる。

 

仲間たちもいる。

 

そして右腕には、ずっと一緒に戦ってきた相棒がいる。

 

まだ終われない。

 

赤龍帝はもう一度、拳を握った。

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