サイラオーグとの手合わせを終えてから、しばらく後。
英寿たちは闘技場を離れ、競技施設の一角に用意された応接室へ場所を移していた。
先ほどまで拳と銃声と爆音が飛び交っていた場所とは違い、室内は妙に静かだった。重厚な調度品に囲まれた空間の中央には長いテーブルが置かれ、その片側にサーゼクス、もう一方に英寿が腰を下ろしている。
アザゼルとリアスも同席していた。
一誠たちは治療を優先させられ、別室へ運ばれている。本人は最後まで「俺も聞きたい」と粘っていたらしいが、試合直後の身体である。リアスから却下されれば、さすがに大人しく医療班へ従うしかなかった。
英寿は目の前へ出された茶を一度見てから、正面のサーゼクスへ視線を戻した。
「それで?」
まだカップには手を付けていない。
「魔王として俺に聞きたいことって何だ?」
サーゼクスはすぐには質問を始めなかった。
闘技場で直接目にしたものを思い返すように、向かいに座る青年を静かに見ている。
八坂を救い、京都で破壊されたものを元へ戻し、つい先ほどはサイラオーグの傷と疲労だけを消し去った。
その一方で、当のサイラオーグから戦いを求められれば、創世の力を使わずデザイアドライバーを腰へ巻いた。最後まで神の奇跡に頼ることなく、一人の戦士として拳を交えた。
アザゼルから報告を受けてはいた。
しかし報告書の文章と、実際に本人を目の前にすることはやはり違う。
「まず確認しておきたいのは、君自身の目的だ」
サーゼクスが口を開いた。
「君がこの世界へ来た経緯については、アザゼルからある程度聞いている。ただ、これからこの世界で何をするつもりなのかは、まだ分からない」
「特に決めてないな」
あまりにもあっさりした返答だった。
リアスが僅かに目を瞬く。
サーゼクスも一拍だけ間を置いた。
「……決めていない?」
「ああ」
英寿は椅子の背へ軽く身体を預ける。
「そもそも、俺がこの世界に来ようと思って来たわけじゃない。気付いたら京都にいて、目の前に九重がいた」
それだけなら、事故のようなものだった。
ただ――そこで何も感じなかったわけではない。
「強い願いを感じた」
「九重殿の?」
「ああ。母親を助けたいって願いだ」
英寿はそこで一度言葉を切った。
「少なくとも、俺にはそう感じた」
断定はしない。
何故、別世界にいるはずの自分へ九重の願いが届いたのか。何故その結果として、この世界へ来ることになったのか。
そこまでは英寿にも分からない。
アザゼルが腕を組んだ。
「そこなんだよな。お前が自分の意思で次元を越えてきたってんなら、まだ経路を追う余地もある。だが本人にも分からないとなると、こっちも手掛かりが薄い」
「悪いな。俺にも説明できない」
「そこを謝られると余計に困るんだよ」
アザゼルは面倒そうに頭を掻いた。
ただし、その目から研究者としての興味が消えることはない。
むしろ今日、リボルブオンという理解不能な機構まで見せられてしまった。しばらく英寿に対する興味が尽きることはなさそうだった。
サーゼクスは話を戻した。
「つまり、君には冥界や悪魔に対する目的はない?」
「ないな」
即答だった。
「支配する意思も?」
英寿が僅かに口元を上げる。
「俺が?」
「立場上、確認しておかなければならないんだ」
「まあ、そうか」
そこについては素直に納得する。
英寿は少し姿勢を直した。
「ない。お前たちの世界を支配する気も、作り替える気もない」
その返答にリアスの表情が僅かに緩んだ。
しかしサーゼクスは、そこからもう一歩踏み込む。
「『作り替える気はない』という言い方をするということは――」
赤い瞳が静かに英寿を捉える。
「やろうと思えば、できるのかな?」
英寿は特に勿体ぶることもなかった。
「まあ、できるな」
部屋の空気が僅かに重くなった。
あまりにも平然と答えたからこそ、その言葉の意味が強く残る。
リアスは京都で創世の力を実際に見ている。それでも、本人の口から世界そのものを変えられると明言されれば、感じるものは違った。
国。
種族。
領土。
制度。
歴史。
冥界という社会を形作る全てが、もし本当に一人の意思で書き換えられるのなら、それは単純な戦闘力とは比較にならない問題になる。
サーゼクスが静かに続けた。
「例えば、誰かが君へ『悪魔の存在しない世界にしてほしい』と願ったとしても?」
リアスの表情が僅かに硬くなる。
英寿は少し考えた。
だが、それは答えに迷ったからではない。
「叶えないな」
「何故?」
「そいつ一人の願いのために、お前たち全員の生き方を消すことになるだろ」
声音は普段と変わらない。
しかし答えは明確だった。
「願いってのは、何でも叶えればいいってもんじゃない」
サーゼクスは黙って続きを待つ。
「誰かが幸せになりたいって願う。それ自体はいい。でも、そのために別の誰かの幸せを全部奪わなきゃいけないなら、俺がそれを叶える理由はないだろ」
リアスの目から、警戒の色が少し薄れた。
願いを叶える神。
その言葉だけを聞けば、願われたものを無条件に現実へする存在にも聞こえる。
だが実際には違う。
英寿自身が、叶える願いを選んでいる。
サーゼクスもそこへ行き着いたらしい。
「つまり、最終的には君自身が判断する」
「ああ」
「誰にでも平等に奇跡を与えるわけではない、と」
「そんなことしてたら、世界なんてすぐ滅茶苦茶になるだろ」
当然のように返され、サーゼクスが小さく笑った。
「確かに」
アザゼルも鼻で笑う。
「そこまで無節操な神だったら、とっくに俺も逃げる準備してる」
英寿が横を見る。
「その割には俺のドライバー見て楽しそうだったけどな」
「それとこれとは別だ」
「便利だな、その言葉」
「研究者には必要なんだよ」
リアスが呆れたように息を吐いた。
「総督……」
一瞬だけ室内の緊張が緩む。
サーゼクスも僅かに表情を和らげたが、すぐに本題へ戻った。
「もう一つ。英雄派について聞かせてほしい」
「曹操たちか」
「ああ」
京都で九重と八坂を狙い、今回の一件を引き起こした者たち。
英寿自身も曹操とは直接刃を交えている。
「君は今後も、彼らと戦うつもりなのかな?」
「向こう次第だな」
「というと?」
「俺から探し回って潰しに行くつもりはない」
英寿は淡々と答える。
「ただ、また誰かを巻き込んで同じことをするなら、その時は止める」
この世界には、この世界なりの事情がある。
悪魔。
天使。
堕天使。
神器を持つ人間。
英雄派。
禍の団。
英寿はまだ、その全てを知っているわけではない。
それなのに、知ったような顔でどこか一つの陣営へ肩入れする気はなかった。
「俺はお前たちの戦争をするために来たわけじゃないからな」
サーゼクスが頷く。
「こちらの戦力として動くつもりはない、と」
「ああ」
「その方がいいでしょうね」
リアスが口を挟んだ。
サーゼクスが妹へ顔を向ける。
「英寿をこちらの戦力として扱い始めれば、他の勢力からも同じように見られます。本人にその意思がないのなら、無理に悪魔側へ組み込む方が余計な問題を生むと思います」
「私もそう考えている」
サーゼクスも同意する。
ただでさえ、世界を書き換えられるという存在だ。
そんな英寿を『悪魔側の切り札』として扱えば、それだけで現在の均衡を大きく揺らしかねない。
アザゼルが背もたれへ身体を預ける。
「現状は、別世界から来た一個人として扱うのが一番無難だろうな」
英寿が少し笑う。
「神様だけどな」
「ややこしくなるから今そこ強調すんな」
「事実だろ?」
「事実だから困ってんだよ」
サーゼクスが小さく苦笑する。
「では、こちらから無理に協力を求めることはしない。ただし――」
今度は少しだけ表情を引き締めた。
「もし君が創世の力を大規模に使う必要が生じた場合、可能なら事前に知らせてもらいたい」
英寿はすぐには返事をしなかった。
「許可を取れってことか?」
「いや」
サーゼクスは即座に首を横へ振る。
「君に命令できる立場だとは思っていない。それに、緊急時なら事前に連絡する余裕がないこともあるだろう」
線引きは明確だった。
「ただ、世界そのものへ影響し得る力なら、こちらも何が起きたのか把握しておく必要がある。可能な範囲で構わない」
英寿は数秒だけ考えた。
「それならいいぜ」
あっさり了承する。
「必要なら連絡する」
「助かるよ」
これで、魔王として最低限確認しておくべき部分は大体済んだのだろう。
サーゼクスの姿勢が少しだけ緩んだ。
「それで、これからどうするつもりなんだい?」
「さっき言っただろ。まだ決めてない」
「元の世界へ帰る方法を探す?」
英寿は一瞬だけ窓の外へ目を向けた。
そこにあるのは、自分が生まれ育った場所とは全く違う世界だ。
悪魔がいて。
天使がいて。
堕天使もいる。
妖怪もいれば、神話の存在が現実に歩いている。
随分と奇妙な世界だった。
けれど、今のところ嫌いではない。
「急いではないな」
その答えにリアスが少し驚いた。
「いいの?」
「ああ」
英寿は平然としている。
「焦ったところで帰れるわけでもない。それに――」
窓の外へ向けていた視線を戻す。
「せっかく別の世界まで来たんだ。もう少し見て回るのも悪くないだろ」
リアスが少しだけ笑った。
「なら、しばらくは駒王町に?」
「今のところはな」
「それなら連絡役はリアスにお願いしてもいいかな」
サーゼクスが妹を見る。
「私?」
「ああ。既に英寿君とは行動を共にしている。新しく監視役のような者を付けるより、その方がいいだろう」
英寿がすぐに口を挟んだ。
「監視されるつもりはないぜ」
「だから付けないと言ったんだよ」
「ならいい」
「本当に遠慮がないわね……」
リアスが小さく息を吐く。
だが嫌がってはいなかった。
「分かったわ。必要があれば私からお兄様へ連絡する」
「頼むよ」
これで、一応の形は整った。
英寿は冥界へ所属しない。
悪魔側の戦力にもならない。
その代わり、この世界に滞在する間の最低限の連絡経路だけは確保する。
必要以上に干渉せず、問題が起きた時だけ話を通す。
今の段階では、それが一番自然だった。
ひとまず政治的な話がまとまったところで、アザゼルが待っていましたと言わんばかりに身体を前へ出した。
「じゃあ、堅い話は終わったな?」
リアスが露骨に嫌な顔をした。
「総督……?」
「英寿。リボルブオンの話しようぜ」
「しない」
即答だった。
「なんでだよ!」
「長くなるだろ」
「当たり前だ! あんなもん見せられて短く終われるか!」
それまで落ち着いていた応接室に、アザゼルの声が響く。
「まず上下反転した時の身体構造がどうなってんのか。装甲だけが移動してるようには見えなかったぞ。それに変形途中で脚の銃を撃ってただろ? あの状態でも装備が使えるなら、変形中の制御は――」
「アザゼル」
サーゼクスが止めた。
「何だ?」
「一度に聞きすぎだよ」
「今聞かないでいつ聞くんだ」
「本人が話す気になった時でしょう」
リアスの正論に、アザゼルが黙る。
英寿はそんな男を見ながら、少しだけ面白そうに笑った。
「まあ、そのうちな」
「そのうちっていつだ」
「そのうちだ」
「曖昧すぎるだろ!」
アザゼルが頭を抱える。
しばらく唸っていたが、ふと何かを思い出したというより――最初から頭の片隅に置いていたことを口にするように、英寿へ視線を戻した。
「まあ、俺だけじゃないけどな」
「ん?」
「悪魔の方にも、お前の装備を見たら釘付けになる奴がいるぜ」
英寿が僅かに眉を上げる。
「へえ」
サーゼクスは誰のことを言っているのか、すぐに察した。
「アジュカだね」
「ああ」
アザゼルは当然のように頷く。
「デザイアドライバーなんて見せたら、あいつも食いつくだろうな。俺とはまた違う方向から根掘り葉掘り調べたがるはずだ」
英寿がアザゼルを見る。
「お前みたいなのがもう一人いるのか」
「俺と一緒にすんな」
「さっき試合中にリボルブオンをもう一回やれって言ってなかったか?」
「それとこれとは別だ」
「またそれか」
リアスが額へ手を当てる。
「総督がアジュカ様のことを面倒扱いする資格はないと思いますけれど」
「分野が違うんだよ、分野が」
サーゼクスも僅かに笑う。
英寿はまだアジュカという人物を知らない。
だが、アザゼルが自分と同じくらい興味を持つだろうと言う以上、少なくとも普通の悪魔ではないことだけは分かった。
「まあ、会うことがあればその時だな」
「その時は俺も呼べ」
「何でだよ」
「二人分の視点があった方が効率いいだろ!」
「俺に何の得があるんだ?」
「俺たちが喜ぶ」
「知らないな」
即座に切り捨てられ、アザゼルが不満そうな顔をする。
そのやり取りを見ながら、サーゼクスはようやく完全に肩の力を抜いた。
少なくとも現時点で、この青年を敵として扱う必要はない。
世界を変えられるという事実は変わらない。
神を名乗る存在であることも変わらない。
だが、今日実際に見て、話して分かったこともある。
浮世英寿という男は、その力だけで形作られているわけではない。
サーゼクスは静かに立ち上がった。
「今日はありがとう。こちらから確認したかったことは以上だ」
英寿も席を立つ。
「意外と普通だったな」
「何を想像していたんだい?」
「もっと『神を名乗る不審者を捕まえろ』みたいになるかと思ってた」
「それをするには、君は少し危険すぎるね」
冗談めかした言い方だった。
けれど半分ほどは本気だろう。
英寿もそれを察し、僅かに笑った。
「判断が早くて助かる」
「それに――」
サーゼクスはそこで一度、魔王としての表情を解いた。
「九重殿と八坂殿を助けてくれたことについては、一人の悪魔として礼を言わせてもらいたい」
先ほどまでとは違う。
政治でも警戒でもない。
英寿はその違いを理解した。
「あれは九重が願ったから叶えただけだ」
「それでもだ」
サーゼクスは穏やかに笑った。
「ありがとう、浮世英寿君」
英寿は少しだけ目を細める。
そして、いつもの調子で答えた。
「どういたしまして」
神と魔王。
それだけ聞けば、大仰な言葉が飛び交ってもおかしくない二人の最初の正式な対話は、思っていたよりも静かに終わった。
ただし。
「で、英寿。リボルブオンの内部構造だけでも――」
「まだ言ってるのか?」
「設計思想だけ! せめてそこだけ!」
「嫌だね」
「じゃあアジュカも連れてくる!」
「増やすな」
「二人なら説得できるかもしれないだろ!」
「何で人数が増えたら俺が折れるんだよ」
リアスが深々と息を吐く。
どうやらこの世界へ来た神が抱える問題よりも、しばらくは彼の装備へ食いつく研究者たちの方が厄介なのかもしれなかった。