《今行く》
英寿から届いた短い返信を確認した一誠は、スマートフォンを握ったまま玄関へ視線を戻した。
そこには相変わらず、黒髪の少女が立っている。
オーフィス。
禍の団――カオス・ブリゲードの頂点にいるとされる存在。
そして、一誠の内側にいるドライグが見間違えるはずがないと断言した《無限の龍神》。
名前なら以前から聞いていた。英雄派を含む数々の危険な集団が集まる巨大組織。その中心にいる存在であり、単純な力だけを見れば、この世界でも最上位に数えられる。
それほどの相手が、どうして兵藤家の玄関に立っているのか。
何度考えても答えは出ない。
「おっぱいドラゴン」
「だから、その呼び方はちょっと待ってくれ!」
反射的に一誠が声を上げる。
その隣では、リアスがオーフィスから視線を外さないまま状況を測っていた。背後にいるアーシアも明らかに戸惑っている。
オーフィス本人だけが、三人の緊張など気にもしていない。
「会いに来た」
「それは聞いたけど……なんで俺なんだ?」
「見たかった」
「俺を?」
「うん」
一誠は自分を指さした。
「何を?」
オーフィスの視線が、一誠の顔から左腕へ移った。
「ドライグ」
神器の奥で、赤龍帝が反応する。
『……オーフィスか』
一誠は思わず自分の左腕を見る。
先ほどドライグ自身から正体を聞いてはいたものの、改めて名前を呼び合うのを聞くと妙な感覚があった。
「知ってるのか?」
『知らんはずがない。無限の龍神オーフィスだ』
それは旧知の友人を語るような声音ではない。
ただ、互いに世界でも名の知れた龍である以上、その存在を知らない方がおかしいというだけなのだろう。
オーフィスもドライグへ親しげな様子を見せるわけではなかった。
一誠の左腕をじっと見つめる。
「ドライグ、変わった」
『俺が?』
「うん」
今度は一誠へ視線を戻した。
「おっぱいドラゴンも変わった」
「そこは一誠って呼んでくれない!?」
『今は諦めろ、相棒』
「お前まで受け入れるなよ!」
思わずいつもの調子で突っ込んでから、一誠は我に返った。
相手はオーフィスなのだ。
玄関先で漫才のようなことをしている場合ではない。
もっとも、オーフィス本人に戦う意思が見えないため、どうしても危機感の置き場がおかしくなる。
リアスは一誠よりずっと冷静だった。
「オーフィス。ここで話すつもりなら、中へ入りなさい。いつまでも玄関で話していたら一誠のご両親に不審がられるわ」
一誠が振り返る。
「入れるんですか!?」
「追い返せると思う?」
「……思いません」
「それに、今のところ敵意はないわ。なら刺激するより、まず目的を確認するべきよ」
反論できない。
その気になったオーフィスを扉一枚で止められるはずもなく、無理に帰らせようとして事態を悪化させる方が怖い。
リアスが一歩下がり、家の奥を示した。
「こちらへ」
「うん」
オーフィスは驚くほど素直に従った。
靴を脱ぎ、当たり前のように兵藤家へ上がる。
その姿を見ながら、一誠は小声で呟いた。
「……無限の龍神が普通にうちへ上がってきた」
『お前が住んでいる家だからな』
「そこを言ってるんじゃねぇよ……」
今や兵藤家は、一誠と両親だけが暮らす家ではない。
リアスやアーシアをはじめ、グレモリー眷属やその周辺の少女たちが生活の場としている。夕食前ともなれば家の中に何人もの人間がいることも珍しくなかった。
だからこそ、廊下を進んでいる途中で騒ぎを聞きつけた朱乃が姿を現し、その少し後ろからゼノヴィアも顔を出した。
階段からは小猫が下りてくる。
「どうかしました?」
朱乃はそこまで言って、リアスの後ろにいる少女を認めた。
微笑みが止まる。
ゼノヴィアも一瞬で空気を変えた。
「……オーフィス?」
小猫は何も言わない。
ただ、黒髪の少女を見つめている。
一誠が乾いた声で答えた。
「本人がそう名乗った。ドライグも間違いないって」
『間違いない』
その言葉を聞いても、オーフィスは特に反応を示さなかった。
部屋から出てきた三人を順番に見て、短く言う。
「人、多い」
「住んでる人が多いからな……」
一誠は自分で口にして、改めてこの家の特殊さに気づいた。
人間。
悪魔。
転生悪魔。
聖剣使い。
猫又。
そして今、そこへ無限の龍神まで加わろうとしている。
「こうやって並べると、とんでもない家だな……」
「今さらです」
小猫が淡々と返した。
「小猫ちゃんに今さらって言われた……」
そのまま一行が居間へ入ると、料理を運んでいた一誠の母親が振り返った。
「あら? また誰か来たの?」
一誠の背筋が固まる。
「母さん!」
「何よ、急に大きな声出して」
母親の視線がオーフィスへ向いた。
見知らぬ少女を見つけ、少しだけ目を丸くする。
しかし、リアスたちが一緒にいるため、一誠の知人なのだろうと判断したらしい。
「あら、可愛い子ね」
一誠は思わずオーフィスを見る。
禍の団の首領。
無限の龍神。
世界最上位の存在。
母親から見れば、ただの「可愛い子」だった。
「一誠のお友達?」
「おっぱいドラ――」
「オーフィスっていうんだ!」
一誠は全力で言葉を被せた。
危なかった。
この家で自分の異名について説明するという、別方向の致命傷を負うところだった。
リアスが横を向く。
肩が僅かに震えている。
「部長、今笑ったでしょ!?」
「笑っていないわ」
「絶対笑ってますよね!?」
母親は何のことか分からないという顔をしたが、深く追及しなかった。
代わりにオーフィスへ笑いかける。
「オーフィスちゃんね。夕飯は?」
オーフィスが首を傾げた。
「夕飯?」
「まだ食べてないなら一緒に食べていきなさい。今日は人数分より少し多く作ってるから」
しばらくオーフィスは母親を見つめた。
自分が誰なのか知らない。
警戒もしていない。
ただ家へ来た少女へ、当たり前のように食事を勧めている。
「食べる」
「はいはい。それじゃ、一人分追加ね」
母親はそのまま厨房へ戻っていった。
一誠はしばらく何も言えなかった。
「……食べるんだ」
「うん」
「いや、食べちゃ駄目とは言わないけど……」
リアスも額へ指を当てる。
「さすがにこれは予想していなかったわ」
「俺もです」
ゼノヴィアが真剣な顔でオーフィスを見る。
「龍神も人間の食事を取るのだな」
「ゼノヴィア。それ、本人の前で言う?」
「純粋な疑問だ」
「なおさら困る!」
オーフィスはまるで気にしていなかった。
テーブルへ置かれている小さな菓子を見つけ、一つ手に取る。
しばらく眺める。
口へ入れた。
何度か噛む。
「甘い」
「おいしいですか?」
アーシアが恐る恐る尋ねる。
オーフィスは一度頷いた。
「うん」
もう一つ取る。
それを見てアーシアの表情から少しだけ緊張が抜けた。
その横では小猫が自分の菓子の皿を見た。
オーフィスを見る。
皿を見る。
そして、静かに自分の側へ数センチ引き寄せた。
オーフィスの視線が皿を追う。
小猫もオーフィスを見る。
二人の視線がぶつかった。
一誠の頬が引きつる。
「小猫ちゃん?」
「私のです」
「相手、オーフィスだからね!?」
「知ってます」
「知っててそこは譲らないんだ!?」
オーフィスは数秒小猫を見た後、別の皿から菓子を一つ取った。
小猫も何事もなかったように自分の菓子を食べ始める。
争いは起きなかった。
「なんか今、すげぇ平和的に世界の危機を回避したような気がする……」
『大袈裟だ、相棒』
「お前はもうちょっと俺の気持ち分かってくれよ」
それでも。
笑いが混ざるような空気になったからといって、リアスたちが完全に警戒を解いたわけではない。
オーフィスが何もしていない。
だから何もしない。
ただそれだけだ。
リアスは少し離れたところでスマートフォンを操作していた。
一誠は小声で尋ねる。
「先生?」
「ええ。アザゼルには伝えたわ。今すぐこちらへ来る必要があるか確認しているところ」
「なんて?」
「まずは刺激せず、何を目的に来たのか聞いてくれ、と」
「ですよね……」
その目的については、一誠もまだ詳しく聞いていない。
オーフィスが自分とドライグを「見たかった」と言ったことだけだ。
リアスも同じところを気にしていたらしく、テーブルの反対側へ腰を下ろした。
「オーフィス」
黒い瞳がリアスへ向く。
「あなたは一誠とドライグを見るためだけに、ここへ来たの?」
「うん」
「誰かに言われて?」
「違う」
「英雄派から何か頼まれたわけでもない?」
「違う」
答えは簡潔だった。
本当にそれだけなのか。
リアスはしばらくオーフィスの顔を観察する。
だが、元々感情の変化が極端に乏しい相手だ。表情だけで嘘を見抜こうとしても意味はない。
オーフィスは再び一誠を見る。
「真紅」
「……あれか?」
「うん」
サイラオーグとの戦い。
最後の最後で至った《真紅の赫龍帝》。
「見たのか?」
「知った」
どこから情報を得たのかまでは分からない。
カオス・ブリゲードには英雄派をはじめ多くの勢力がいる。レーティングゲームの情報がオーフィスまで届いていても不思議ではなかった。
オーフィスは一誠ではなく、その内側へ呼びかける。
「ドライグ」
『何だ』
「お前、変わった」
ドライグはすぐに答えなかった。
一誠にも、何を意味しているのか分からない。
「強くなったってことか?」
オーフィスは首を横へ振った。
「違う」
「じゃあ何が?」
「ドライグが、ドライグでなくなっていく」
一誠の表情が変わる。
言葉だけなら不穏にも聞こえる。
だが、オーフィスに悪意があるわけではない。
ただ自分が感じたことを、そのまま口へしている。
『……なるほどな』
意外にも、ドライグは納得したような声を出した。
「分かるのか?」
『少しはな』
一誠にはそれでも意味が分からない。
ドライグはしばらく沈黙した後、続ける。
『俺は赤龍帝だ。それは変わらん。ただ、代々の宿主と共に戦ってきた頃と、今の俺がまったく同じだとも言えん』
「俺のせい?」
『“せい”ではない』
すぐに訂正された。
『お前と長く共にいる。その時間が俺へ何の影響も与えない方がおかしいだろう』
一誠は目を瞬いた。
自分がドライグから力をもらう。
教えてもらう。
支えられる。
それは何度もあった。
だが、自分の方もドライグへ何かを与えていると、改めて言われることは少ない。
オーフィスはそこへ興味を持ったらしい。
「だから見に来た」
一誠を指す。
「おっぱいドラゴン」
続いて左腕。
「ドライグ」
「……できれば片方だけでも名前で呼んでくれない?」
反応はなかった。
「駄目っぽい……」
アーシアが困ったように微笑む。
「でも、一誠さんとドライグさんに会いたくて来たんですね」
「うん」
敵意はない。
何かを奪う目的でもない。
単純な興味。
世界最上位の龍神の行動としてはあまりに自由すぎるが、本人にとっては十分な理由なのだろう。
その時だった。
インターホンが鳴った。
ほぼ同時に一誠のスマートフォンも震える。
画面を見る。
《着いた》
一誠は立ち上がった。
「英寿だ」
オーフィスが顔を向ける。
「英寿?」
「さっき連絡した奴」
「誰?」
どう説明するべきか。
一誠は一瞬迷った。
異世界から来た人間。
仮面ライダー。
創世の力を持つ神。
今日だけでもミカエルと顔を合わせ、昨日まではゲームセンターで普通に遊んでいた男。
一つの言葉だけではどうにもならない。
「……会えば分かる」
自分で言ってから、一誠は妙な気分になった。
最近、こういう説明を英寿自身がしている場面を何度か見た気がする。
一誠は玄関へ向かった。
扉を開ける。
そこには昼間と変わらない様子の英寿が立っていた。
「遅くなったな」
「いや、早いって。ていうか、本当にすぐ来たな」
「お前が呼んだんだろ?」
「そうなんだけどさ」
英寿は家の奥へ視線を向ける。
「それで、無限の龍神ってのは?」
「中にいる」
「そうか」
英寿は普通に靴を脱ぎ始めた。
一誠は思わずその横顔を見る。
「……英寿」
「何だ?」
「もっとなんかないの?」
「何が?」
「いや、“無限の龍神”だぞ?」
「聞いた」
「ドライグも警戒するぐらいヤバい相手なんだけど」
英寿は靴を揃えてから、一誠を見る。
「今、暴れてるのか?」
「いや」
「誰か傷つけたか?」
「それもない」
「なら会ってから考えればいいだろ」
あまりにも単純だった。
だが、英寿は何も考えていないわけではない。
一誠にはそれも分かってきていた。
必要のない時に構えないだけだ。
相手が何者であろうと、何もしていないうちから敵と決めつけることもしない。
一誠が小声で付け加える。
「一応言っとくけど、カオス・ブリゲードのトップだからな」
「ああ」
「英雄派もそこの一派」
そこで英寿の目が僅かに変わった。
「曹操たちのか」
「そう」
「なるほどな」
今度は少しだけ意味のある反応だった。
それでも、敵意を露わにすることはない。
「こいつ自身も英雄派と同じ考えなのか?」
「今のところ、そういう感じには見えない」
「ならやっぱり話せばいい」
英寿は廊下を進んだ。
一誠も後ろからついていく。
居間へ入る。
その瞬間。
オーフィスの手が止まった。
ちょうど新しい菓子へ伸ばしかけていた小さな手が、そのまま空中で止まる。
顔を上げる。
英寿を見る。
英寿も足を止めた。
二人の視線が重なった。
一誠は無意識に息を止めた。
リアスも。
朱乃も。
ゼノヴィアも。
アーシアも。
小猫も。
誰も口を挟まない。
無限の龍神。
別の世界から来た、創世の力を持つ男。
そんな二人が初めて向かい合ったのだから、何か途方もない現象でも起きるのではないかと、一誠は一瞬考えた。
だが。
何も起きなかった。
鐘は鳴らない。
空間も歪まない。
魔力も龍の力もぶつからない。
ただ、黒髪の少女と白い服の男が互いを見ている。
先に口を開いたのはオーフィスだった。
「お前、誰?」
一誠は少し肩透かしを食らった。
英寿はいつもの調子で答える。
「浮世英寿だ。英寿でいい」
オーフィスが短く繰り返した。
「英寿」
「ああ」
「何?」
今度は英寿が少しだけ眉を上げた。
「何って?」
「人間?」
英寿は一瞬考えた。
「元はな」
「悪魔?」
「違う」
「天使?」
「それも違う」
オーフィスは少し首を傾げた。
一誠は横から口を挟む。
「英寿は俺たちの世界の奴じゃないんだ」
オーフィスの視線が一誠へ向き、また英寿へ戻る。
「違う世界?」
「そうらしい」
「らしいじゃない。そうだ」
英寿が訂正した。
オーフィスは英寿をじっと見る。
興味を持ったことだけは、表情の乏しい彼女でも何となく分かった。
「お前、強い?」
「まあな」
「どれくらい?」
「さあな」
「分からない?」
「比べる相手によるだろ」
一誠が思わず笑いそうになる。
オーフィスの質問へまともに答えながらも、英寿は自分から「俺はこれだけ強い」と誇示するつもりがないらしい。
オーフィスはさらに尋ねる。
「何者?」
英寿は少しだけ口元を上げた。
「仮面ライダーだ」
「仮面ライダー?」
「そうだ」
オーフィスは知らない言葉を覚えるように繰り返した。
「仮面ライダー」
一誠がそこで突っ込む。
「いや、それだけじゃ説明足りないだろ!」
「何が?」
「神様の方!」
「ああ」
英寿は何でもないように言った。
「神様でもあるな」
オーフィスの視線がほんの僅かに鋭くなる。
警戒ではない。
興味。
「神?」
「ああ」
「何の神?」
昼間、ミカエルからも似た問いを受けた。
その時と同じように、英寿はほんの一拍だけ考えた。
そして答える。
「まあ、願いを叶える神様ってところだな」
オーフィスの動きが止まった。
「願い」
「ああ」
「叶える?」
「何でも無条件にってわけじゃないけどな」
英寿は空いていた椅子へ座る。
リアスが状況を見ながら、自分も席へ戻った。
オーフィスだけは、まだ英寿を見ている。
「我にも、願いある」
英寿の表情がほんの少し変わった。
一誠にも分かった。
強い相手だからではない。
「願い」という言葉が出たからだ。
九重の時と同じように、誰かが自分の口で願いを語ろうとしている。
ただし英寿は、すぐに「叶えてやる」とは言わなかった。
「聞かせてみろよ」
オーフィスは迷わない。
「静寂」
「静寂?」
「うん」
短すぎる答えに、英寿は続きを待った。
オーフィスは少しだけ視線を落とす。
「我、次元の狭間で生まれた」
リアスたちは黙って聞いている。
英寿は次元の狭間という場所自体を知らない。
だから何も決めつけず、ただ話を聞いた。
「そこ、静か」
オーフィスの言葉は途切れ途切れだった。
「何もない。ずっと静かだった」
それが寂しいのではない。
彼女にとっては、その静けさこそが当然であり、望ましいものだった。
「でも、グレートレッドがいる」
「グレートレッド?」
英寿が一誠を見る。
一誠は小声で説明する。
「真なる赤龍神帝。次元の狭間にいる、もう一体のとんでもない龍神らしい」
「なるほどな」
英寿はオーフィスへ視線を戻した。
「そいつがいるから帰れないのか?」
「うん」
オーフィスは頷く。
「グレートレッド、どかす」
そして。
「静寂、取り戻す」
それが彼女の願いだった。
カオス・ブリゲード。
英雄派。
様々な勢力を巻き込み、世界中で危険視される巨大組織。
その頂点にいる存在が求めているもの。
世界征服でもない。
富でもない。
他者からの崇拝でもない。
ただ、自分が生まれた場所へ戻りたい。
静かだった場所を取り戻したい。
英寿はしばらくオーフィスを見ていた。
「それがお前の願いか」
「うん」
「そうか」
オーフィスはすぐに尋ねた。
「叶える?」
一誠たちの視線が英寿へ集まった。
願いを叶える神。
その本人へ、無限の龍神が願いを口にした。
英寿なら、それを叶えられるのか。
そもそも創世の力でグレートレッドの存在へ干渉できるのか。
一誠には分からない。
英寿は数秒考えた後、あっさり答えた。
「今は叶えないな」
オーフィスの表情は変わらない。
「なぜ?」
「俺はグレートレッドって奴を知らない」
当然の理由だった。
英寿は続ける。
「お前が静かな場所へ帰りたいのは分かった。でも、そのために会ったこともない奴をどうにかするって約束はできないだろ」
「強くても?」
「強い弱いの話じゃない」
英寿は即答した。
「願いを叶えるためなら、誰かの願いを踏みにじってもいいってわけじゃないからな」
リアスが英寿を見る。
昼間、ミカエルと話していた時にも聞いた。
英寿は願いを聞く。
だが、願われれば何でも叶えるわけではない。
その願いが何を生み、誰へ影響するのか。
最終的に叶えるかどうかを決めるのは英寿自身だ。
オーフィスはしばらく何も言わなかった。
「我の願い、駄目?」
「駄目とは言ってない」
英寿は少しだけ笑う。
「聞いたって言ってるんだ」
「聞いた」
「ああ」
「覚える?」
「忘れないさ」
オーフィスは英寿を見つめる。
その言葉を理解するように、少しだけ間が空いた。
「なら、いい」
「随分あっさりしてるな」
「願い、聞いた」
それで十分だという。
英寿は小さく笑った。
一誠はそのやり取りを見ながら、何とも言えない気分になっていた。
オーフィス。
無限の龍神。
禍の団のトップ。
肩書きだけを並べれば、自分たちから最も遠いところにいる存在の一人だ。
しかし今は。
母親から勧められた菓子を食べ、自分とドライグに興味を持って家へやって来て、英寿へ自分の願いを伝えただけの少女に見える。
もちろん、それだけで危険ではないと判断することはできない。
だが。
少なくとも、肩書きだけを見ていた時とは違うものが見え始めていた。
「英寿」
一誠が呼ぶ。
「何だ?」
「お前、相手がオーフィスでも全然態度変わらねぇな」
「だから俺は今初めて会ったんだぞ」
「それでも普通、世界最上位の龍神だとか言われたらもうちょっとあるだろ」
英寿は少し考えた。
「今のところ、菓子食って願いを話しただけじゃないか」
「そうだけど!」
「ならそれでいいだろ」
リアスが苦笑する。
「英寿らしいと言えば、英寿らしいわね」
「そもそも強い奴ならサイラオーグだって強かっただろ」
「比較するところが急に身近になった!」
その時、オーフィスが一誠を見る。
「サイラオーグ」
「知ってんの?」
「真紅と戦った」
「情報は普通に入ってるんだな……」
オーフィスは頷いた。
それから英寿へ視線を向ける。
「英寿も戦った」
「俺も?」
「サイラオーグと」
英寿が僅かに笑った。
「そこまで知ってるのか」
「うん」
「じゃあ、俺が仮面ライダーなのは知らなかったのに、戦ったことだけは知ってたんだな」
「名前、知らなかった」
「なるほど」
オーフィスの情報収集がどういう仕組みなのか、ますます分からない。
一誠は考えるのを諦めた。
そこへ、リアスのスマートフォンが震えた。
画面を確認する。
「アザゼル先生からだわ」
「何て?」
「こちらへ向かっているそうよ。ただ、急いでどうこうする必要はないから、そのまま話していてくれ、と」
一誠は少し安心した。
アザゼルなら、オーフィスについて自分たちより遥かに詳しい。
「じゃあ先生が来るまで――」
言いかけたところで、一誠の母親が顔を出した。
「夕飯できたわよ」
一誠の口が止まる。
母親は居間を見回す。
「あら、英寿君も来てたの?」
「お邪魔してます」
英寿が自然に返す。
「夕飯まだでしょう? せっかくだから食べていきなさい」
一誠が英寿を見る。
「お前まで増えるの!?」
「何だ、食うなって?」
「そうじゃないけど!」
オーフィスが英寿を見る。
「食べる?」
「せっかくだからな」
「我も食べる」
「知ってるよ!」
一誠はとうとう額へ手を当てた。
世界最上位の龍神。
異世界から来た創世の神。
そして悪魔の眷属たち。
今から全員で夕食を食べるらしい。
『相棒』
ドライグが静かに声をかける。
「何だよ」
『お前の家は随分と賑やかになったな』
一誠はテーブルを見渡した。
確かに。
「……今さらだけどな」
そう返した。
⸻
食事が始まってしばらく経つと、オーフィスがこの家にいる異常さは、妙な形で日常へ溶け込み始めていた。
オーフィスは箸の使い方をじっと見ていたが、アーシアに教えられるとすぐに真似した。
「こうです」
「こう?」
「はい。上手です」
「うん」
アーシアが嬉しそうに笑う。
ゼノヴィアは普通に食事を進めながら、時折オーフィスへ視線を向けている。
朱乃も警戒はしているが、母親の前で露骨にそれを出すことはない。
小猫は自分の食事を守ることに集中していた。
英寿は英寿で、まるで数日前から普通にこの家で食事をしているかのような態度で座っている。
一誠は箸を止めた。
「……なんで俺だけこんなに気疲れしてんだ?」
リアスが隣から答える。
「あなたの家だからじゃない?」
「もっと助けてくださいよ!」
「十分助けているわ」
「精神的に!」
オーフィスが一誠を見る。
「疲れた?」
「主にお前のせいだよ!」
「我、何もしてない」
「それが一番困るんだよ!」
英寿が横から笑った。
「確かに何もしてないな」
「英寿はオーフィス側につくな!」
「どっち側でもない」
一誠が何か言い返そうとした時、父親が楽しそうに笑った。
「一誠は本当に賑やかな友達が増えたなあ」
一誠は答えられなかった。
目の前にいるのが友達かどうかからして判断に困る。
だが。
オーフィスは父親の言葉を聞き、少しだけ首を傾げていた。
「友達」
その言葉を小さく繰り返す。
一誠はそれに気づいた。
「……まあ、今のところ敵じゃないならそれでいいけどさ」
オーフィスが一誠を見る。
「敵じゃない」
「お、おう」
「おっぱいドラゴン、見る」
「その名前だけ何とかしてくれればもっと仲良くできそうなんだけどな!」
『無理だろうな』
「ドライグ、笑ってんだろ!」
『気のせいだ』
一誠はため息をつく。
だが、先ほど玄関でオーフィスの名を聞いた瞬間と比べれば、身体の緊張はかなり薄れていた。
何も知らずに安心しているわけではない。
危険な存在であることは理解している。
ただ、それだけがオーフィスの全てではないと分かり始めた。
その時。
オーフィスが英寿へ顔を向けた。
「英寿」
「ん?」
「願い、忘れない?」
「さっき言っただろ」
英寿は箸を置く。
「忘れない」
オーフィスは数秒英寿を見た。
「そう」
そして、また食事へ戻った。
たったそれだけのやり取り。
しかしリアスは、そこへ僅かな変化を感じていた。
オーフィスが英寿を信用したわけではない。
英寿がオーフィスの願いを叶えると約束したわけでもない。
ただ。
願いを聞いた。
忘れないと答えた。
それだけのことが、オーフィスにとっては思った以上に意味を持ったのかもしれない。
⸻
夕食が終わる頃、アザゼルが兵藤家へ到着した。
一誠が玄関を開けると、いつもの気楽な雰囲気より少しだけ真面目な顔をしている。
「よう。まだ家あるな」
「どういう確認だよ!」
「オーフィスが来たって聞けば一応な」
「縁起でもない!」
アザゼルは家へ上がりながら、一誠へ尋ねた。
「何かされたか?」
「何も。俺とドライグを見に来たらしい」
「それだけか?」
「あと英寿に願い話してた」
アザゼルの足が止まった。
「……願い?」
「次元の狭間に帰って、静寂を取り戻したいって」
アザゼルは数秒黙った。
それから英寿がいる居間の方を見る。
「で、あいつは?」
「今は叶えないって」
「理由は?」
「グレートレッドのこと知らないから、知らない奴をいきなりどかす約束はできないって」
アザゼルの口元が僅かに上がる。
「そう言ったか」
「なんだよ」
「いや。あいつらしいと思っただけだ」
二人が居間へ戻ると、オーフィスはまだそこにいた。
アザゼルを見る。
「アザゼル」
「よう、オーフィス」
オーフィスはそれ以上何も言わない。
アザゼルも、さっきまでのドライグのように旧友へ会ったかのような態度は取らなかった。
互いの存在を知っている。
それだけだ。
アザゼルはリアスから改めて経緯を聞き、一誠とドライグへ興味を持って自発的に来たらしいことを確認した。
「英雄派から何か言われたか?」
「ない」
「カオス・ブリゲードで何か変わったことは?」
「知らない」
アザゼルが眉を寄せる。
「知らない、か」
一誠にはその返事が妙に聞こえた。
自分の組織の話なのに知らない。
だがアザゼルは、それを特別不思議がる様子もなかった。
「まあ、こいつに組織運営を聞いても仕方ねぇか」
「どういうこと?」
一誠が尋ねる。
アザゼルは腕を組む。
「カオス・ブリゲードってのは、オーフィスが細かく命令して全部動かしてる組織じゃねぇ。それぞれの連中がそれぞれの目的で集まってる。オーフィスはその力と名前を中心に置かれてるようなもんだ」
一誠はオーフィスを見る。
「じゃあ、トップなのに自分の組織が何してるか全部知らないの?」
「うん」
「即答!」
英寿が興味深そうにオーフィスを見る。
「随分自由な組織だな」
「自由なんてもんじゃねぇよ」
アザゼルはため息をついた。
「だから面倒なんだ」
リアスが慎重に尋ねる。
「先生。オーフィスをどうします?」
「それなんだよな」
アザゼルが頭を掻く。
「本人は?」
一誠が嫌な予感を覚える。
「オーフィス?」
「何」
「これからどうするんだ?」
「ここにいる」
一誠の予感は当たった。
「……ここって?」
オーフィスは床を指した。
「ここ」
「うち!?」
「うん」
「なんで!?」
「おっぱいドラゴン、見る」
「まだ見るの!?」
「ドライグも」
『俺まで含めるな』
珍しくドライグまで嫌そうな声を出した。
一誠は頭を抱える。
「いや待って、待って待って! 禍の団のトップが普通に兵藤家に泊まるってどういう状況!?」
アザゼルが顎へ手を当てる。
「……でも、勝手にどっか行かれるよりマシか」
「先生!?」
「俺たちの目が届く場所にいるんだぞ? しかも本人に敵意はねぇ。無理に追い出してどこ行ったか分からなくなるより安全だ」
「理屈は分かるけど!」
リアスもすぐには否定しなかった。
「確かに……」
「部長まで!?」
「一誠。私たちもここに住んでいるのよ。あなた一人に任せるわけではないわ」
「そういう問題かなぁ!?」
アーシアがオーフィスを見る。
「オーフィスさん、お泊まりするんですか?」
「うん」
「でしたら、お部屋を用意しないといけませんね」
「アーシアまで完全に受け入れ始めてる!」
ゼノヴィアも頷く。
「空いている部屋ならある」
「ゼノヴィア!?」
小猫は菓子を食べながら短く言った。
「お菓子を勝手に食べなければいいです」
「基準そこなの!?」
オーフィスが小猫を見る。
「食べない」
「ならいいです」
「交渉成立した!?」
一誠は完全に取り残された。
英寿はその様子を眺めながら笑っている。
「良かったな。一誠」
「何が!?」
「家族が増えたぞ」
「増やすな!」
「我、家族?」
オーフィスが一誠を見る。
「そこだけ拾うなぁ!」
一誠の叫びが兵藤家へ響いた。
アザゼルまで笑い始める。
一誠としては笑い事ではない。
だが。
オーフィス本人は、一誠の反応を見ても怒らなかった。
ただ小さく首を傾げた後、再び英寿へ視線を移す。
「英寿も、ここいる?」
「俺は住んでないぞ」
「帰る?」
「ああ」
「そう」
オーフィスの返事がほんの少しだけ短く聞こえた。
英寿はそれに気づいたのか、立ち上がりながら言う。
「また会うだろ」
オーフィスが顔を上げる。
「会う?」
「お前、ここにいるんだろ?」
「うん」
「ならな」
一誠は二人を交互に見る。
無限の龍神と願いを叶える神。
今日初めて会ったばかり。
片方は願いを話した。
片方はそれを叶えるとは約束しなかった。
それでも。
オーフィスは英寿へ自分の願いを預けた。
少なくとも、忘れないと言った言葉を覚えている。
英寿が玄関へ向かおうとした時。
背後からオーフィスの声が届いた。
「英寿」
英寿が振り返る。
「何だ?」
オーフィスは少しだけ考えた。
「我の願い」
「ああ」
「忘れないで」
英寿は口元を上げた。
「分かってる」
それだけ答え、今度こそ歩き出した。
鐘は鳴らない。
世界も変わらない。
何一つ願いが叶ったわけではない。
けれど。
一つの願いが、確かに英寿へ届いた。
静寂を求める無限の龍神。
その願いを聞いた、異世界の仮面ライダー。
一誠はまだ知らない。
この出会いがこれから何を変えるのか。
オーフィス自身も知らないだろう。
ただ。
レーティングゲームを終え、中級悪魔への昇格試験という新しい目標が見え始めたその裏側で。
カオス・ブリゲードの中心にいる存在が、自ら兵藤家へ足を踏み入れた。
世界はまだ穏やかに見える。
夕食も終わった。
明日になれば学校がある。
一誠には勉強しなければならない昇格試験の資料も山ほど残っている。
だからこそ。
今夜だけを見れば、これはただ一人、妙な同居人が増えただけの出来事なのかもしれない。
「……っていうか」
一誠はそこで重大なことを思い出した。
机の上。
まだ数ページしか進んでいない大量の資料。
「俺、試験勉強の途中だった!」
『ようやく思い出したか、相棒』
「もう今日は色々ありすぎだろ!」
ドライグの呆れた声が返る。
そして、その横から。
「勉強?」
オーフィスが顔を覗かせた。
一誠は嫌な予感を覚えながら答える。
「……そう。中級悪魔になるための試験」
「難しい?」
「めちゃくちゃ難しい」
「我、見る」
「それまで見るの!?」
「おっぱいドラゴン、勉強する」
一誠は天井を見上げた。
「……頼むから集中させてくれ」
『諦めろ、相棒』
「だからお前まで諦めんなって!」
また一つ、一誠の叫びが兵藤家へ響いた。
その声を聞きながら、オーフィスはほんの僅かに首を傾げる。
静寂を求める龍神が選んだ滞在先としては、兵藤家はおそらく世界でもかなり騒がしい部類に入る。
けれど。
オーフィスは帰ろうとはしなかった。