願えば、きっと叶う。   作:吉野家

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赤いブースト

 

曹操との接触から一夜が明けても、京都の朝は拍子抜けするほど穏やかだった。

 

英雄派が再び姿を見せることもなく、八坂の体調も順調に回復している。彼女が奪われていた頃には屋敷の中を慌ただしく行き交っていた妖怪たちも、ようやく本来の仕事へ戻り始めていた。戦いによって傷ついた庭や建物も、英寿が創世の力で元へ戻した今となっては痕跡すら残っておらず、朝露を乗せた木々が風に揺れているだけだった。

 

朝食を終えた英寿は、その庭を望む縁側に腰を下ろして茶を飲んでいた。別世界へ迷い込み、その数日後には英雄派と呼ばれる集団から目を付けられているという状況にしては随分とのんびりしているが、本人に焦りはない。元の世界へ戻る方法が見つかったわけではないものの、焦って探せば見つかる類のものとも思えなかった。そもそも、強い願いを感じてこの世界へ来たのだ。ならば、ここへ来たことにも何か意味があるのだろうと、今のところはそれくらいに考えている。

 

そんな英寿の前を、先ほどから一誠が何度も行ったり来たりしていた。

 

廊下を通り過ぎては戻り、庭を見るふりをして立ち止まり、また歩き始める。二度や三度なら偶然で済ませられたかもしれないが、同じ場所を四度も往復すればさすがに不自然だった。五度目へ入ろうとしたところで、英寿は湯呑みを置いた。

 

「言いたいことがあるなら言えばいいだろ」

 

一誠の足がぴたりと止まる。「……バレてた?」と気まずそうに聞き返す一誠へ、英寿は呆れたような目を向けた。

 

「むしろ隠してたつもりだったのか?」

 

少し離れたところで朝茶を飲んでいた小猫が、そのやり取りを聞いて静かに視線を逸らした。どうやら彼女にも最初から分かっていたらしい。一誠は頭を掻きながら英寿の正面へ腰を下ろし、少しだけ迷ったあとで口を開いた。

 

「その……頼みがあるんだけどさ。俺と、一回戦ってくれないか?」

 

英寿の眉が僅かに上がり、近くにいたリアスも一誠へ顔を向けた。その視線を感じた一誠は、以前のように勢い任せで押し通そうとはせず、すぐに両手を軽く上げる。

 

「部長、別に喧嘩売ってるわけじゃないですよ。ちゃんと手合わせをお願いしたいだけです。英寿が嫌だって言うなら、無理にやらせる気もないですから」

 

リアスはすぐには答えず、一誠の顔を見た。そこにあるのは単なる好奇心だけではない。

 

昨日、一誠は曹操の聖槍を生身の英寿が最小限の動きだけで捌くところを目の前で見ている。神としての創世の力も使わず、仮面ライダーへの変身すらしないまま、ただ槍の軌道を読み、ほんの僅かに逸らして懐へ潜り込んだ。英寿本人は「戦いには慣れている」と簡単に済ませたが、一誠にとってはその方がむしろ衝撃だったらしい。

 

「昨日の英寿を見ててさ、俺、もっと強くならなきゃいけないって思ったんだ」

 

一誠は自分の右手へ目を落とした。「俺にはドライグの力がある。何度も助けてもらったし、これからだって頼ると思う。でも……力がデカけりゃそれでいいってわけじゃないんだろ? 曹操の槍を避けた時、英寿は何か凄い能力を使ったわけじゃなかった。それでもあいつの攻撃を読んで、簡単に懐まで入った。だから一回、自分で戦って確かめたいんだ。何が違うのか」

 

英寿は黙って一誠を見ていたが、やがて湯呑みに残っていた茶を飲み干した。

 

「強くなりたいのか?」

 

「ああ」

 

そこだけは、一誠も迷わなかった。

 

「いいぜ」

 

予想よりあっさりした返答に、一誠の顔が一気に明るくなった。「マジで?」と身を乗り出す彼へ、英寿は何でもないことのように頷く。

 

「俺もちょうど暇だったところだ」

 

「よっしゃ!」

 

思わず立ち上がったところでリアスと目が合い、一誠は一瞬だけ固まった。それから咳払いを一つし、少しだけ姿勢を正す。

 

「……よろしくお願いします」

 

「そこまで畏まらなくていいぞ」

 

「じゃあ最初からそう言ってくれよ!」

 

英寿が小さく笑う。そのやり取りを聞きつけたのか、いつの間にかアザゼルまで近くへ来ていた。顔つきはすでに、未知の技術を前にした研究者そのものだった。

 

「朝から面白そうなこと始めるじゃねぇか」

 

一誠は露骨に嫌そうな顔をする。「アザゼル先生、絶対見物する気ですよね」と聞くと、アザゼルは当然だと言わんばかりに頷いた。

 

「赤龍帝と異世界の仮面ライダーの模擬戦だぞ。研究者として見ない選択肢があるか?」

 

「後で英寿を質問攻めにするつもりだ……」

 

「それはそれ、これはこれだ」

 

その言葉を聞いた英寿が、アザゼルから僅かに距離を取った。

 

     ◆

 

手合わせの場所には、妖怪たちが訓練に使っている山中の広場が選ばれた。人里から十分に離れているうえ、周囲には八坂側の結界も張られているため、多少派手に力を使っても外へ被害が及ぶ心配はない。

 

リアスたちに加え、体調を取り戻しつつある八坂も少し離れた場所から見守ることになった。そして当然のように、九重もその中に混じっている。

 

広場の中央へ向かう英寿へ、九重が声を飛ばした。

 

「英寿!」

 

「なんだ?」

 

「一誠をあまり苛めるでないぞ」

 

準備をしていた一誠が思わず振り返った。「俺の心配じゃないの!?」と声を上げるが、九重は不思議そうな顔をするだけだった。

 

「英寿が怪我をするとは思えぬからな」

 

「俺だって結構強いんだけど!?」

 

「知っておる。だから多少は頑張れるじゃろう」

 

「多少って!」

 

九重なりには褒めているらしい。その様子を見た英寿は笑いながら広場の中央へ進み、一誠も気を取り直して正面へ立った。

 

二人の間には十数メートルほどの距離がある。英寿はまだ何も身につけていないまま、一誠へ尋ねた。

 

「どうする? 生身からでもいいけど」

 

一誠は少し考えた。昨日の英寿を考えれば、それも面白い。しかし今回、一誠には別の興味もあった。

 

「せっかくだから、仮面ライダーと戦わせてくれ」

 

英寿の目が僅かに細くなる。

 

「そうか」

 

腰へデザイアドライバーが現れた。

 

英寿が手にしたのは、八坂との戦いで使った巨大な白いバックルではない。白を基調とし、回転式拳銃の弾倉を思わせる意匠を持つ別のバックルだった。それを見たアザゼルの目が露骨に輝く。

 

「昨日とは違うやつだな」

 

「ああ」

 

英寿はバックルをドライバーへ装着した。

 

『SET』

 

機械音声が山中へ響く。

 

一誠も右腕へ力を込めた。赤い籠手を起点として力が全身へ広がり、人の身体を覆うにはあまりにも重厚な赤い龍の鎧が形成されていく。その姿を見た英寿は少しだけ楽しそうに口元を上げた。

 

「なかなか派手だな」

 

「そっちもだろ?」

 

「まだだ」

 

英寿は顔の横へ手を上げ、指を鳴らした。

 

「変身」

 

銃声を思わせる鋭い音が連続して響き、英寿の周囲へ走った光弾が空中に浮かぶ文字を次々と撃ち抜いていく。砕けた光はそのまま装甲へ姿を変え、黒い素体の上へ白と朱を基調とした装備が形成された。

 

『MAGNUM』

 

白狐を思わせる頭部の奥で、赤い複眼が光を宿す。

 

『READY FIGHT』

 

八坂を救った時の純白の姿とはまるで違った。より簡潔で、いかにも戦闘用らしい印象を持つ姿だ。さらに英寿の右手には、白と黒を基調とした銃が現れる。

 

「準備は?」

 

一誠も腰を落とした。

 

「ああ!」

 

二人の様子を確認したリアスが片手を上げ、それを振り下ろす。

 

「始め!」

 

合図と同時に、一誠が地面を蹴った。

 

『Boost!』

 

赤い籠手から響いた声とともに、一誠の内部で力が膨れ上がる。そのまま一気に距離を詰め、真正面から右拳を振り抜いた。

 

英寿が引き金を引いたのは、拳が間合いへ入る寸前だった。

 

放たれた一発が一誠の拳へ正面からぶつかる。装甲を壊すほどの威力ではないが、拳の軌道が僅かに上へ逸れた。その数センチだけで英寿には十分だった。一誠の拳は狐面のすぐ横を通り過ぎ、英寿は半歩だけ身体をずらしながら銃身を腕へ添え、突進の勢いごと外側へ流していく。

 

「真っ直ぐだな」

 

「悪いかよ!」

 

一誠はすぐに左拳を返したが、英寿は腰を落としてそれを潜った。頭上を拳が通過した直後、銃口が足元へ向けられ、地面を弾丸が抉る。反射的に一誠が足を浮かせたところへ英寿の掌が胸部へ触れ、そのまま一誠自身の前進力を利用して数歩後方へ押し戻した。

 

一誠はすぐに姿勢を立て直した。今度は同じように直進せず、左右へ軌道を振りながら距離を詰める。英寿の銃が何度も火を噴き、一誠は腕で受け、身体を捻りながら射線を避けていった。

 

しかし数発を凌いだところで、一誠は妙な違和感を覚えた。

 

右へ逃げようとすれば、そこへ次の弾丸が飛んでくる。左へ抜けようとすると、その先へ先回りするように着弾する。後ろへ距離を取ろうとした瞬間には、退路へ撃ち込まれる。

 

英寿は自分を狙っているだけではない。

 

自分が移動出来る場所そのものを、少しずつ削っている。

 

最後の一発を肩で受け流した瞬間、一誠は目を見開いた。いつの間にか英寿が目の前へ入り込んでいたからだ。

 

「射撃ってのは、当てるだけじゃない」

 

短銃の先端が一誠の胸部装甲へ軽く触れる。一誠が咄嗟に腕を振るった時には、英寿はもう間合いの外へ出ていた。そのまま三発の銃声が響き、肩、太腿、胸へそれぞれ弾丸が叩き込まれる。

 

致命傷を与える威力ではない。それでも、次の攻撃へ使おうとしていた部位を正確に撃たれたことで、一誠の動きが僅かに止まった。

 

その様子を見守っていたアーシアが目を見開く。

 

「英寿さん、一誠さんが動く場所まで分かっているみたいです……」

 

小猫も英寿から目を離さずに呟いた。

 

「一誠先輩が避けるところへ、先に撃っています」

 

「いや、それだけじゃねぇな」

 

アザゼルが二人の攻防を見つめながら訂正した。

 

「避ける場所を読んでるだけじゃない。英寿自身が一誠の逃げたい場所を作って、そこへ追い込んでる。視線や重心まで見て、次の動きを誘導してるんだ」

 

昨日、曹操の聖槍を捌いた時と根本は同じだった。英寿は相手が攻撃してから対応しているのではない。相手の身体が何をしようとしているのかを先に読み、その一歩先へ動いている。

 

「まだだ!」

 

一誠が吠える。

 

『Boost!』

 

二度目の声が響き、増幅された力が赤い鎧を震わせた。一誠は地面を強く踏み込み、先ほどより明らかに速い速度で射線へ飛び込んでいく。英寿が撃つ。今度は一誠も腕を交差させ、その弾丸を正面から受けながら強引に距離を詰めた。

 

「捕まえた!」

 

大きな腕が伸びる。

 

英寿はマグナムシューター40Xの機構を動かした。短かった銃身が一気に伸び、長銃へ変わる。しかし、その銃口が向いたのは一誠ではなく地面だった。

 

一発。

 

反動を利用して英寿の身体が後方へ跳ね上がり、一誠の腕が空を掴む。英寿は空中で姿勢を整えると、長銃を肩へ当て、ほとんど狙う時間も取らずに引き金を引いた。

 

一発目は右肩、二発目は膝、三発目は胸。すべてが一誠の次の行動を止める位置へ正確に撃ち込まれた。

 

「ぐっ……!」

 

一誠の身体が沈む。それでも倒れず、片手を地面へついたまま再び顔を上げた。

 

『Boost!』

 

三度目の増幅。

 

一誠はさらに力を高めて立ち上がる。

 

それを見届けた英寿は着地し、長銃を再び短い形へ戻した。

 

「いいな。そのしつこさは嫌いじゃない」

 

「褒め言葉として受け取っとく!」

 

一誠が再び駆ける。

 

今度は英寿も前へ出た。

 

銃撃と拳が交互に飛び交う。英寿は射撃だけへ頼らず、銃身を使って一誠の腕を逸らし、肩へ押し当てて身体の向きを変え、蹴りへ繋げようとした瞬間には銃撃で足を止める。一誠が力で押せば距離を取り、離れれば撃ち、追いかければ逆に懐へ潜り込む。

 

一誠にとって何より厄介なのは、自分が「次はこれをする」と決めた頃には、英寿がすでにそれを潰す位置へ動いていることだった。

 

それでも、一誠は少しずつ学んでいた。一度目に潰された動きを繰り返さず、銃口だけを見るのではなく英寿自身の肩や足の動きへ注意を向ける。やがて振り抜いた拳が、英寿の肩装甲を僅かに掠めた。

 

一誠自身が驚いて目を見開く。

 

英寿も、自分の肩へ一度視線を落とした。

 

「へえ」

 

一誠の顔に笑みが浮かぶ。

 

「やっと届いた!」

 

『Boost!』

 

また赤い籠手から力を増幅する声が響いた。

 

その時、英寿の視線が一誠の顔ではなく右腕へ向いた。何度も繰り返される『Boost!』という声と、赤い籠手を数秒見つめる。

 

「ブースト、か」

 

「え?」

 

英寿は軽く後ろへ跳び、一度距離を取った。一誠も追おうとしたが、英寿が片手を上げたため足を止める。

 

「ちょっと待て」

 

「なんだよ?」

 

英寿は腰のマグナムレイズバックルへ手を伸ばして外した。射撃用の装甲が光へほどけ、黒い素体へ戻っていく。

 

一誠は首を傾げた。

 

「もう終わりか?」

 

英寿は答えず、代わりに別のバックルを取り出した。

 

鮮烈な赤。

 

バイクのハンドルを思わせる意匠を持った大型のバックルだった。

 

それを見たアザゼルが身を乗り出す。

 

「まだ別のがあるのか」

 

英寿は赤いバックルをドライバーへ装着した。

 

『SET』

 

一誠は自分の右腕を見た。

 

赤い籠手。

 

それから、英寿の腰へ視線を戻す。

 

赤いバックル。

 

機構が開き、炎が噴き上がった。

 

『BOOST』

 

朱色の装甲が英寿の身体へ形成されていく。先ほどまで握っていた銃はなく、代わりに腕や脚へ機械の排気管を思わせる意匠が現れ、そこから熱を帯びた力が漏れ出していた。

 

『READY FIGHT』

 

一誠は数秒間、何も言えなかった。

 

その沈黙を埋めるように、右腕の籠手がもう一度声を上げた。

 

『Boost!』

 

一誠は右腕を見て、もう一度英寿を見る。

 

「そっちもブーストなのかよ!?」

 

英寿が僅かに笑った。

 

「奇遇だな」

 

「絶対今思いついて出しただろ!」

 

「せっかくだ」

 

英寿は拳を軽く握った。先ほどまでの射撃戦とは明らかに構えが違う。

 

「どっちのブーストが上か、試してみるか?」

 

一誠の口元も大きく上がった。

 

「望むところだ!」

 

二人が同時に地面を蹴った。

 

一誠は速かった。何度も倍加を重ねた力を、そのまま前進へ叩き込んでいる。それでも次の瞬間、英寿の姿が視界から消えた。

 

「っ!?」

 

一誠が反射的に左腕を上げると、そこへ英寿の拳が叩き込まれた。衝突した瞬間、腕の排気口から熱と光が噴き出し、それまで十分に速かった拳が当たる直前にさらに加速する。

 

一誠の身体が横へ押し流されたが、すぐに踏ん張って右拳を返す。英寿が身をかわすと、一誠はそれを予測して途中で軌道を変え、肘へ繋げた。

 

今度こそ当たる。

 

そう思った瞬間、英寿の身体が空中で鋭く方向を変えた。腕から噴き出した力で僅かな空間を滑るように移動し、肘を空振りさせる。そのまま英寿の足が一誠の腹部へ触れ、脚部の排気口が火を噴いた。

 

触れた瞬間に蹴りが加速する。

 

「うおっ!」

 

一誠の身体が地面を滑っていった。

 

どうにか立ち上がりながら、一誠は英寿を睨む。

 

「なんだよ、それ!」

 

「ブースト」

 

「それは分かってる!」

 

見ていた九重が楽しそうに笑う。一方でアザゼルは笑わず、英寿の腕と脚へ興味深そうな視線を向けていた。

 

「単純に速くなるだけじゃねぇな。攻撃の途中でもう一段加速してる。しかも回避や姿勢制御にも使えるってことか」

 

英寿は何も答えず、そのまま再び一誠へ踏み込んだ。

 

一誠が拳を振るい、英寿が腕で受け流す。

 

『Boost!』

 

さらに出力が上がる。

 

今度の拳は、それまでより重かった。

 

「力なら……負けねぇ!」

 

一誠は真正面から押し込む。

 

英寿は正面から受けず、腕を添えて軌道を変えた。昨日、曹操の槍へ使った動きと同じだ。

 

しかし一誠も、一度見た動きへそのまま引っかからなかった。右拳を外された勢いのまま身体を回転させ、左拳へ繋げる。英寿が身を引けば膝を突き上げ、さらに翼を使って空中から蹴りを叩き込んだ。

 

英寿の腕が上がる。

 

鈍い衝撃が響き、足元の地面が僅かに沈んだ。

 

それでも英寿は蹴りの力を真正面から受け止めてはいなかった。衝突の瞬間に腕の排気口を横方向へ噴かし、自分の身体ごと蹴りの軌道から滑らせている。力を受け流しながら、一誠の懐へ潜り込む。

 

そこでようやく、一誠にも少しずつ分かり始めた。

 

ブーストフォームは確かに速い。拳も蹴りも重い。けれど本当に厄介なのは、単純な性能ではない。

 

英寿が加速する瞬間を選んでいる。

 

拳を振り始めた時ではなく、当たる直前。避け始める時ではなく、攻撃が届く寸前。体勢が崩れてからではなく、崩される直前。

 

必要な一瞬だけ、爆発的に出力を引き上げている。

 

「だったら……!」

 

一誠は一度距離を取った。

 

今度は追わない。

 

待つ。

 

英寿も、その変化へ気づいたらしい。僅かに笑うと、自分から踏み込んだ。

 

瞬間的な加速で間合いが消える。

 

それでも一誠は、直前まで動かなかった。

 

拳が届く寸前。

 

腕を伸ばす。

 

英寿の手首を掴んだ。

 

「今度こそ捕まえた!」

 

『Boost!』

 

さらに力が上がる。

 

握力が一気に増し、一誠は笑みを浮かべた。

 

「捕まえたら、もう逃がさねぇ!」

 

英寿は自分の掴まれた腕へ一度目を落とした。

 

「いい判断だ」

 

「だろ!」

 

「でも、掴んだ後のことも考えた方がいいな」

 

空いている腕の排気口から光が噴いた。

 

英寿の身体が回転する。

 

掴まれている腕を中心に、自分から一誠の外側へ回り込んだ。急に肩関節を捻られた一誠は思わず握力を緩め、その一瞬で英寿に腕を抜かれる。

 

「うおっ!?」

 

振り向いた時には、白狐の顔が目の前にあった。

 

一誠が拳を出す。

 

英寿も拳を出す。

 

真正面から拳がぶつかった。

 

衝撃が広場を走り、周囲の木々が大きく揺れる。

 

今度は英寿も、すぐには力を逃がさなかった。

 

一誠が歯を食いしばり、真正面から押し込む。倍加を重ねた出力では、一誠の方が徐々に優位へ立ち始めた。英寿の足が地面を削り、少しずつ後ろへ押されていく。

 

それを見た九重の表情が変わる。

 

「英寿……」

 

しかし英寿は焦らない。

 

「力は大したもんだ」

 

「だったら……!」

 

「でも、力比べに付き合う必要はないだろ?」

 

英寿の腕部から光が噴く。

 

加速した方向は前ではない。

 

下だった。

 

英寿が自分から姿勢を落としたことで、一誠は押していた力の行き先を突然失った。身体が前へ傾いた瞬間、英寿がその脇を抜けて背後へ回る。

 

一誠が振り向こうとした時には、背中へ掌が触れていた。

 

「しまっ――」

 

脚部から熱が噴き出す。

 

英寿は強く押したわけではない。

 

しかし、すでに前へ崩れていた一誠の勢いへ加速が加わり、赤い鎧の身体が地面を勢いよく滑っていった。

 

途中で翼を広げ、どうにか転倒だけは防いだ一誠は、荒い息を吐きながら英寿を見る。

 

英寿はほとんど呼吸を乱していなかった。

 

「……化け物かよ」

 

一誠が思わず漏らす。

 

英寿が首を傾げた。

 

「神様だぞ?」

 

「そうだったよ!」

 

朱乃が口元を押さえて笑う。アーシアも一誠が無事だと分かって少し安堵したようだったが、視線は戦いから逸らさなかった。

 

「でも……一誠さん、最初より英寿さんの動きを見られるようになっています」

 

その言葉へ、小猫も頷いた。

 

「はい。マグナムの時はほとんど誘導されていました。でも今は一度、英寿さんの腕を掴みました」

 

リアスも同じことを感じていた。

 

まだ差は大きい。

 

それでも、手合わせが始まった頃の一誠とは戦い方が違う。相手を見るようになり、一度失敗した方法を繰り返さなくなった。ただ力を高めるのではなく、どうすればその力を相手へ届かせられるかを考え始めている。

 

「一誠」

 

リアスが声をかけた。

 

「まだ続けられる?」

 

一誠は荒い呼吸を整えながら、英寿を見た。

 

「もちろん!」

 

『Boost!』

 

また力が増す。

 

英寿はそれを見ながら、少し楽しそうに構えた。

 

「なら、もう一回来い」

 

一誠が踏み込む。

 

今度は直進しない。右へ軌道を振り、英寿が追った瞬間に急停止する。そのまま翼を広げて上空へ飛び、英寿の視線が上がったところへ急降下した。

 

拳が落ちてくる。

 

英寿は避けず、腕で受けた。

 

そこから一誠は蹴りへ繋げる。拳、肘、龍の尾、翼を使った方向転換。先ほどまでのように、一つの攻撃を止められたところで終わらない。

 

英寿も拳と蹴りで応じた。

 

一誠は力で押す。

 

英寿は技術で外す。

 

一誠は倍加を重ねる。

 

英寿は加速する瞬間を変える。

 

真正面からぶつかれば一誠が押し、読み合いになれば英寿が一歩先へ出る。それでも最初のような一方的な展開ではなくなっていた。

 

そして、一誠が大きく踏み込む。

 

右拳。

 

英寿が反応する。

 

だが、それはフェイントだった。

 

本命は左。

 

英寿の視線が一瞬だけそちらへ向く。

 

一誠はその反応すら読んでいた。

 

左拳を避けるため英寿が脚部を加速させ、横へ移動する。その瞬間、一誠は翼を大きく打ち、身体を強引に回転させた。

 

「読んでた!」

 

右脚が英寿の脇腹へ迫る。

 

英寿の腕が上がる。

 

鈍い衝撃音が響いた。

 

英寿の身体が、初めて数メートル後方へ滑る。

 

広場が一瞬だけ静かになった。

 

一誠自身も、信じられないような顔で英寿を見る。

 

「……当たった?」

 

英寿は止まると、蹴りを受けた腕を一度見下ろした。装甲の表面には、ごく浅い傷が残っている。

 

それから一誠へ顔を向けた。

 

「やるじゃないか」

 

その声には、冗談も皮肉もなかった。

 

純粋に今の一撃を評価している。

 

それが分かった瞬間、一誠の表情に達成感が広がった。荒い呼吸を繰り返しながらも、もう一度構えようとする。

 

その前に、リアスが声を上げた。

 

「そこまでよ、一誠」

 

「ええ!? 部長、今ちょっと掴めてきたところで……」

 

「だからこそよ」

 

リアスは首を横へ振った。

 

「今の感覚を覚えているうちに終わりなさい。疲労で動きが雑になってから続けても、せっかく掴んだものまで崩れるわ」

 

一誠はすぐには納得しなかったものの、しばらく英寿を見たあと、ようやく肩から力を抜いた。

 

赤龍帝の鎧が光へほどけて消えていく。

 

変身が解けた途端、それまで張り詰めていたものまで切れたらしく、一誠はその場へ腰を下ろした。

 

「……しんど」

 

英寿もデザイアドライバーへ手を伸ばし、ブーストフォームを解除した。額には少し汗が浮かんでいるものの、一誠ほど呼吸は乱れていない。

 

その差を見た一誠が露骨に顔をしかめる。

 

「俺だけボロボロじゃねぇか」

 

「お前の方が全力だったからな」

 

「英寿は全力じゃなかったのかよ」

 

言ってから、一誠は答えを聞く前に何となく察してしまった。

 

英寿は最初から、自分を倒すために戦っていたわけではない。

 

マグナムでは射撃で進路を制限しながら、一誠が考え始めるまで一方的に潰そうとはしなかった。ブーストへ切り替わってからも、真正面から力で押し返すのではなく、一誠がどう対応するかを見るように戦っていた。

 

最後の蹴りだって、本当に避けることだけを考えていたなら届かなかったかもしれない。

 

それでも。

 

自分で考えた攻撃が一度だけ届いた。

 

一誠にとっては、それで十分だった。

 

そこへ九重が駆け寄ってくる。まず英寿の身体を上から下まで確認し、怪我がないと分かると満足そうに頷いた。

 

「赤い英寿も格好よかったぞ」

 

「それはどうも」

 

九重は次に、地面へ座り込んでいる一誠へ顔を向けた。

 

「一誠も最後はなかなかであった」

 

一誠は疲れた顔のまま眉を上げる。

 

「……それ、今日はちゃんと褒めてる?」

 

「褒めておるぞ。最後は英寿を動かしたではないか」

 

「ならいいや……」

 

もう突っ込む元気もないらしい。

 

その横へアーシアが膝をつき、両手へ回復の光を灯した。

 

「一誠さん、少し無理をしすぎです。手合わせなのですから、そこまで力を使わなくても……」

 

心配そうに言われ、一誠は苦笑した。

 

「でもさ、最後に一発だけ当てられたんだぜ」

 

「はい。ちゃんと見ていました」

 

アーシアの表情が少しだけ柔らかくなる。

 

「最初の時より、ずっと英寿さんの動きを見ていました。最後の攻撃も、とても良かったです」

 

その一言で、一誠の顔が分かりやすく緩んだ。

 

小猫はそんな彼を一度見てから、英寿へ視線を戻した。

 

「マグナムの時とブーストに変わった後で、戦い方が全然違いましたね」

 

「同じことしか出来ないなら、使い分ける意味がないだろ」

 

英寿は簡単に答えた。

 

小猫は少し考えたあと、一誠の右手へ視線を向ける。

 

「でも、ブーストに変わったのは一誠先輩の神器が『Boost』と言ってからでした」

 

その言葉で、一誠も自分の右手を見た。

 

「そういや英寿。あのブーストって、俺のブーストとは全然別物なんだよな」

 

「ああ。名前が同じだけだ」

 

一誠の力は、段階的に出力を積み上げていく。それに対して、英寿が使った赤いフォームは必要な瞬間へ爆発的な加速を叩き込むものだった。性質はまるで違う。

 

それでも英寿は少しだけ面白そうに一誠を見る。

 

「でも、お前の方も面白い力だな。使うたびに出力が上がってた」

 

一誠の表情が少し誇らしげになる。

 

「ドライグが力を貸してくれてるからな」

 

ただの能力ではない。

 

神器に宿る赤龍帝。

 

何度も言葉を交わし、共に戦ってきた存在。

 

一誠の口調を聞けば、それが単なる武器ではないことくらい英寿にも分かった。

 

「相棒ってわけか」

 

「ああ」

 

迷いのない返事だった。

 

英寿は僅かに目を細めた。

 

「なら、大事にしろよ」

 

一誠は一瞬だけ意外そうな顔をしたが、やがて右手を軽く握った。

 

「言われなくても」

 

その様子を見届けた英寿は広場の端へ歩き、木陰へ腰を下ろした。少し遅れてリアスも隣へやって来る。

 

二人はしばらく何も言わず、アーシアに回復してもらっている一誠を眺めていた。やがてリアスが静かに口を開く。

 

「あの子に付き合ってくれてありがとう」

 

「俺も楽しんだからな」

 

「それは見ていれば分かったわ」

 

リアスは小さく笑った。特に、一誠の神器から『Boost!』という声が響き、英寿が同じ名前を持つ赤いバックルを取り出してからは、英寿自身も明らかに戦いを楽しんでいた。

 

それでも、リアスが気になったのはそこだけではなかった。

 

「あなたなら、もっと簡単に終わらせられたでしょう?」

 

英寿がリアスを見る。

 

「何の話だ?」

 

「一誠との手合わせよ。最初から全部避けて、一度もまともに攻撃させずに終わらせることも出来たんじゃない?」

 

英寿は広場の中央へ視線を戻した。

 

少し離れた場所では、回復を受けながらも一誠がゼノヴィアへ最後の攻撃について説明している。どうやって英寿へ届いたのか、どこでフェイントを入れたのかを身振りで再現しようとして、そのたびにアーシアから「動かないでください」と止められていた。

 

「あいつは強くなりたいって言った」

 

英寿が静かに言う。

 

「だったら、何もさせずに終わらせても意味がないだろ」

 

リアスは英寿の横顔を見た。

 

「失敗させるために、少し余地を残していたの?」

 

「失敗しなきゃ分からないこともあるからな」

 

その答えを聞き、リアスは数日前の九重を思い出した。

 

八坂を救う時も、英寿は全てを自分一人で終わらせなかった。九重自身に最後まで願わせ、母親へ声を届けさせた。今日も形は違うが、一誠自身へ考えさせている。

 

どう攻めるのか。

 

どう追いつくのか。

 

どうすれば一度でも届くのか。

 

英寿は答えを与えるのではなく、本人が辿り着く余地を残している。

 

「……本当に、願いの神様なのね」

 

リアスが小さく笑うと、英寿は苦笑した。

 

「何でもそこに繋げるなよ」

 

「でも、間違ってはいないでしょう?」

 

英寿は答えなかった。ただ否定もしなかった。

 

やがて回復を終えた一誠がゆっくりと立ち上がった。まだ疲労は残っているようだが、それでも最初に向かった先は英寿だった。

 

「なあ、英寿。一個聞いていいか?」

 

「質問次第だな」

 

「それ毎回言うよな」

 

一誠は苦笑したが、すぐに真面目な表情へ戻った。

 

「英寿って、神様なんだろ?」

 

「ああ」

 

「世界だって変えられるんだよな」

 

英寿が短く頷く。

 

一誠は少しだけ迷ったあと、以前から引っかかっていた疑問を口にした。

 

「じゃあ……なんでまだ仮面ライダーとして戦うんだ?」

 

その問いに、周囲の空気が少しだけ静かになった。

 

神。

 

仮面ライダー。

 

この世界へ来てから何度も聞いた二つの言葉だったが、その二つを同時に並べて考えた者はまだいなかった。

 

世界そのものを変えられるのなら、わざわざ変身する必要があるのか。

 

神として圧倒的な力を持つのなら、銃を持ち、拳を振るい、敵と同じ場所に立って戦う意味は何なのか。

 

英寿は少しだけ考えたあと、僅かに笑った。

 

「神様になったら、仮面ライダーを辞めなきゃいけないのか?」

 

一誠が目を瞬かせる。

 

「いや、そういう意味じゃないけど……」

 

「なら問題ないだろ」

 

あまりにも簡単な返答だった。

 

しかし英寿は、それだけで話を終わらせなかった。

 

自分の右手へ一度目を落とす。先ほどまで銃を握り、一誠と拳を交えていた手だ。

 

「俺は神様になる前から仮面ライダーだった。願いを叶える力を持ったからって、それまでやってきたことが消えるわけじゃない」

 

一誠は黙って聞いている。

 

「力があるから戦うんじゃない。戦う理由があるから、使える力を使う。それだけだ」

 

神だから戦うのではない。

 

最強だから戦うのでもない。

 

世界を変えられる力も、デザイアドライバーも、レイズバックルも、英寿にとっては自分が進むために使える力の一つに過ぎない。

 

一誠はしばらくその言葉を考えていたが、やがてもう一つの疑問を口にした。

 

「じゃあ、仮面ライダーって結局なんなんだ?」

 

英寿はすぐには答えなかった。

 

以前にも聞かれた問いだった。その時は、自分の世界にはそう呼ばれる戦士がいるとだけ答えた。

 

けれど、今日一誠と実際に戦った後なら、もう少しくらい自分なりの答えを話してもいいと思った。

 

「人によるな」

 

「人による?」

 

「ああ。叶えたい願いのために戦う奴もいる。誰かを守るために戦う奴もいる。自分のために戦う奴だっている」

 

同じ仮面ライダーという名前を持っていても、何を願い、何のために戦うかは一人一人違う。それを正義や善悪という一つの言葉だけで括れるものでもない。

 

「でも、俺にとっては、自分が信じた願いを諦めないために戦う奴だ」

 

一誠の表情が僅かに変わった。

 

「それが、仮面ライダー?」

 

「少なくとも、俺はそう思ってる」

 

全ての仮面ライダーを、自分一人の答えで決めるつもりはないのだろう。英寿はそれ以上説明しなかった。

 

けれど、一誠には十分だった。

 

今日、自分が戦った相手が、どうして世界を書き換える力を持ちながら、わざわざ同じ地面に立って拳や銃で戦うのか。

 

少しだけ分かった気がした。

 

そんな二人のやり取りを聞いていた九重が、しばらく考えた末に英寿を見上げた。

 

「では英寿は、神様で仮面ライダーなのじゃな」

 

「ああ」

 

「どちらが偉い?」

 

英寿が一瞬だけ黙り、一誠が先に吹き出した。

 

「そこ比べるの!?」

 

「気になるではないか」

 

九重は何がおかしいのか分からないらしく、不満そうに一誠を見る。英寿も少し困ったように眉を上げた。

 

「比べるものじゃないだろ」

 

「そうなのか?」

 

「そういうことにしておけ」

 

九重は完全には納得していない顔だった。

 

その横でアザゼルが面白そうに笑う。

 

「でもお前、神様やってる時より仮面ライダーやってる時の方が楽しそうだぞ」

 

英寿がそちらを見る。

 

「そう見えるか?」

 

「少なくとも今日はな。途中からかなり楽しんでただろ」

 

英寿はすぐには答えなかった。

 

一誠が何度倒されても向かってきたこと。力を増幅する声が響くたびに少しずつ戦い方を変えてきたこと。そして最後には、自分へ一撃を届かせたことを思い返す。

 

「そうかもな」

 

短く返した英寿の表情は、どこか楽しそうだった。

 

一誠はその横顔を見ながら、自分の右手をゆっくりと握った。アーシアの回復を受けたとはいえ、身体にはまだ重い疲労が残っている。それでも嫌な疲れではない。

 

手合わせの最初、自分は英寿の射撃に完全に誘導され、近づくことすらまともに許されなかった。ブーストへ変わってからも、増幅した力を真正面からぶつければ崩され、捕まえたと思えばその力まで利用された。どれだけ出力を上げても、それだけでは届かなかった。

 

けれど最後には、自分で英寿の動きを見て、考え、自分で組み立てた攻撃を一度だけ届かせることが出来た。

 

「もっと強くなりてぇな」

 

無意識に漏れた言葉へ、英寿が視線を向けた。

 

「願うだけじゃ強くならないぞ」

 

「分かってるよ」

 

一誠はすぐに答えた。

 

以前なら、その言い方に少しくらい反発していたかもしれない。けれど今は、英寿が何を言いたいのか分かる。

 

強くなりたいなら、そのために自分で動かなければならない。

 

今日一日で急に別人のように強くなることはない。

 

それでも、何が足りないのかが分かったなら、次から変えることは出来る。

 

「だから鍛えるんだろ。次は今日よりちゃんと食らいつく」

 

疲れ切っているはずなのに、一誠の目はもう次を見ていた。

 

英寿はその表情をしばらく眺めてから、満足したように頷いた。

 

「いい答えだ」

 

リアスもそのやり取りを聞きながら、静かに表情を緩めた。

 

一誠には強大な力がある。赤龍帝の籠手は、使い方次第で途方もない出力へ届く可能性を持っている。だからこそ、単純に力を増やすだけでは足りない。いつ使うのか、どこへ向けるのか、何のために使うのかを持ち主自身が覚えなければならない。

 

英寿はそれを言葉だけで説明しなかった。

 

マグナムでは射撃で一誠の動きを制限し、考えなしに飛び込めば簡単に誘導されることを実感させた。ブーストでは真正面から力比べに付き合わず、どれだけ大きな力でも使い方を誤れば簡単に空回りすることを見せた。

 

そして最後には、一誠が自分で考えた攻撃が届いた。

 

全てを封じて勝つだけなら簡単だったのかもしれない。しかし、それでは一誠自身が何も持ち帰れない。

 

英寿は九重へした時と同じように、今回も本人が自分で辿り着く余地を残していた。

 

その時、九重が英寿の袖を軽く引いた。

 

「英寿」

 

「ん?」

 

九重は少し離れたところにいる一誠へ目を向けたまま尋ねた。

 

「一誠は、強くなったのか?」

 

英寿は少し考えてから答える。

 

「今日一日で急に強くなったってわけじゃない」

 

九重が首を傾げる。

 

「では、意味はなかったのか?」

 

「逆だよ。今日、自分に足りないものが一つ分かった。それだけでも十分だ」

 

九重はその言葉をしばらく考え、やがて小さく頷いた。

 

「では、妾も同じか?」

 

「何が?」

 

「もっと強くなりたいと思っておる。次に母上が危ない目に遭ったら、妾も戦えるようになりたい」

 

その声には、数日前とは違う強さがあった。

 

八坂が暴走した時。

 

九重は自分には何も出来ないと思いながら、それでも母親を取り戻したいと願い続けた。

 

今は違う。

 

次はもっと出来るようになりたいと、自分から願っている。

 

英寿は九重の頭へ軽く手を置いた。

 

「なら、焦るな」

 

「何故じゃ?」

 

「強くなりたいからって、今すぐ何でも出来るようになるわけじゃない。一誠だってそうだろ」

 

九重は少し離れた場所を見る。

 

ちょうど一誠がまた身体を動かそうとして、アーシアに「まだ駄目です」と座らされているところだった。

 

「……あれでもか?」

 

「一応な」

 

「一応って聞こえたぞ!」

 

遠くから一誠の声が飛んできた。

 

英寿が笑い、九重もつられて笑う。

 

少し前まで、この京都では八坂が奪われ、九重が泣き、一誠たちも英雄派を前に追い詰められていた。その同じ場所で、今は一誠がもっと強くなりたいと願い、九重が次は母親を守れるようになりたいと願っている。

 

英寿にとって、それは嫌いではない種類の願いだった。

 

一誠が自分の右手を見る。

 

今は赤い籠手は現れていない。

 

英寿の腰にも、赤いブーストレイズバックルはもうない。

 

同じ「ブースト」という名を持っていても、二つの力の性質はまるで違う。一誠の力は段階的に出力を積み上げていき、英寿のブーストは必要な一瞬へ爆発的な加速を叩き込む。

 

それでも、使い手がもっと先へ進もうとした時、その意思へ力で応えるという一点だけは少し似ているのかもしれない。

 

英寿はそんなことを考えながら立ち上がった。

 

「さて、そろそろ戻るか」

 

一誠が地面へ座ったまま顔を上げる。

 

「ちょっと待って。俺まだ歩けない」

 

「じゃあ置いてくか」

 

「酷くない!?」

 

「冗談だよ」

 

英寿が笑うと、アーシアも困ったように微笑んだ。ゼノヴィアは本当に一誠を担いで帰るべきか考え始めたらしく、一誠はそれだけは絶対にやめてくれと必死になっている。

 

リアスも朱乃も小猫も、そのやり取りを見ながら表情を緩めていた。戦うために使った山だったが、帰る頃には誰も戦いの緊張を引きずってはいなかった。

 

英寿は九重と並んで歩き始め、その少し後ろを一誠たちが続く。

 

今日の手合わせに、はっきりした勝敗は必要なかった。

 

一誠は自分に足りないものを一つ知り、次にどうすればいいのかを考え始めた。英寿もまた、力が足りないと知りながら、それでも前へ進もうとする赤龍帝を少し面白く思っていた。

 

この世界には、まだ自分の知らない願いがいくつもある。

 

そう考えると、もう少しここに付き合ってみるのも悪くない。

 

英寿は山道を下りながら、先を歩く九重と、後ろで騒いでいる一誠たちの声を聞いていた。

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