願えば、きっと叶う。   作:吉野家

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赤いブースト【改稿版】

 

 曹操との接触から一夜が明けても、京都の朝は拍子抜けするほど穏やかだった。

 

 英雄派が再び姿を見せることもなく、八坂の体調も順調に戻りつつある。数日前まで慌ただしく屋敷を行き交っていた妖怪たちも、それぞれ本来の役目へ戻り始めていた。

 

 朝食を終えた英寿は、庭を望む縁側へ腰を下ろして茶を飲んでいた。

 

 英雄派から目を付けられ、元の世界へ帰る方法はいまだ分からない。それでも、焦って答えを探すつもりはなかった。

 

 強い願いに導かれるようにこの世界へ来た。

 

 ならば、ここへ来ることになった理由も、帰るための道も、いずれ見えてくる。

 

 今はそれでいい。

 

 風に揺れる木々を眺めながら湯呑みを傾けていると、その視界の端を一誠が横切った。

 

 一度目なら気にしなかった。

 

 二度目も、まあ偶然で済む。

 

 三度目になると、さすがに英寿も目だけを向けた。

 

 一誠は庭へ出るでもなく、廊下を歩いてきては立ち止まり、何か言いたそうにこちらを見る。そして英寿と目が合いそうになると何事もなかったように歩き去る。

 

 四度目。

 

 今度は庭の植木を見るふりまで始めた。

 

 五度目へ入ろうとしたところで、英寿は湯呑みを置いた。

 

「言いたいことがあるなら言えばいいだろ」

 

 一誠の足がぴたりと止まった。

 

 ゆっくり振り返った顔には、見事なくらい「気づかれていたのか」と書いてある。

 

「……バレてた?」

 

「むしろ隠してたつもりだったのか?」

 

 少し離れた場所で茶を飲んでいた小猫が、何も言わず視線を逸らした。その反応だけで、一誠の不審な往復に気づいていたのが英寿だけではないことは分かった。

 

 一誠は諦めたように頭を掻くと、英寿の正面へ腰を下ろした。

 

 それでも、すぐには口を開かなかった。

 

 昨日までなら勢いのまま頼んでいたかもしれない。それをしないのは、少なくとも一度は自分の中で考えてからここへ来たということだろう。

 

 英寿は急かさず、残っていた茶へ手を伸ばした。

 

「その……頼みがあるんだけどさ」

 

 ようやく一誠が顔を上げる。

 

「俺と、一回戦ってくれないか」

 

 英寿の手が止まった。

 

 近くにいたリアスたちも、一斉に一誠へ視線を向ける。

 

 ただし、一誠自身は以前のように勢いだけで押し通そうとはしなかった。すぐに両手を軽く上げ、手合わせを頼みたいだけで、英寿が嫌なら無理にやらせるつもりはないと先に断る。

 

 その様子を見ていたリアスも、すぐには止めなかった。

 

 単純に、昨日の曹操との戦いを見て興奮しただけではない。

 

 それくらいは一誠の表情を見れば分かる。

 

「強くなりたいのか?」

 

 英寿が尋ねると、一誠は迷わず頷いた。

 

「ああ」

 

 昨日、一誠は生身の英寿が曹操の聖槍を捌くところを目の前で見ている。

 

 神としての力を使ったわけではない。

 

 仮面ライダーへ変身したわけでもない。

 

 曹操が攻撃を始める前から身体の動きを読み、完成するより早く軌道を外し、その懐へ入った。

 

 力の大きさではなかった。

 

 少なくとも、一誠にはそう見えた。

 

「俺にはドライグの力がある」

 

 一誠は自分の左腕へ視線を落とした。

 

 今は籠手の姿を見せていない。しかし、そこに宿る力がどれほど大きなものかは本人が一番よく知っている。

 

「何度も助けてもらってるし、これからだって頼ると思う。でも……強い力を持ってるだけじゃ、それで終わりなんだろ?」

 

 昨日の英寿と曹操を思い出しているのだろう。

 

 どれほど強い拳を振るえても、当たらなければ意味はない。

 

 相手より速く動けても、その一歩を読まれていれば先回りされる。

 

 一誠はそれを自分で確かめたかった。

 

 英寿はしばらく彼を見ると、湯呑みに残っていた茶を飲み干した。

 

「いいぜ」

 

「……マジで?」

 

「自分から頼んだのに驚くなよ」

 

 一誠の顔が一気に明るくなる。

 

 その瞬間には、さっきまで慎重に言葉を選んでいた姿が嘘のようだった。

 

「よっしゃ!」

 

 勢いよく立ち上がったところでリアスと目が合い、一誠は一瞬だけ固まる。

 

 何か言われる前に姿勢を正した。

 

「……よろしくお願いします」

 

「そこまで畏まらなくていいぞ」

 

 英寿が笑いながら立ち上がる。

 

 そのやり取りをどこから聞きつけたのか、廊下の向こうからアザゼルまで顔を出した。

 

「朝から面白そうなこと始めるじゃねぇか」

 

 一誠の顔が露骨に曇った。

 

 何を期待しているのか、聞かなくても分かる顔だった。

 

 昨日までデザイアドライバーを調べていた研究者が、赤龍帝と未知の仮面ライダーの模擬戦を見逃すはずもない。

 

     ◆

 

 手合わせの場所には、妖怪たちが訓練に使っている山中の広場が選ばれた。

 

 人里からは十分に離れ、周囲には外への被害を抑えるための結界も張られている。多少派手に戦っても、京都の街を巻き込む心配はない。

 

 リアスたちに加え、回復途中の八坂も無理のない範囲で見守ることになった。九重も当然のように母親の傍に座り、広場へ出ていく英寿をじっと見ている。

 

「英寿」

 

「ん?」

 

「あまり一誠を苛めるでないぞ」

 

 準備をしていた一誠が勢いよく振り返った。

 

「俺の心配じゃないの!?」

 

 九重は不思議そうに首を傾げる。

 

「英寿が怪我をするとは思えぬからな」

 

「俺だって結構強いんだけど!?」

 

「知っておる」

 

 一誠の表情に一瞬だけ希望が戻る。

 

「だから多少は頑張れるじゃろう」

 

「多少って!?」

 

 九重なりには褒めているらしい。

 

 英寿は小さく笑いながら広場の中央へ進み、一誠も気を取り直してその正面へ立った。

 

 二人の距離は十数メートルほど。

 

 先に準備を始めたのは一誠だった。

 

 左腕へ赤い光が集まる。

 

 そこから現れた《赤龍帝の籠手》を起点として膨大な力が全身へ走り、やがて一誠の身体を重厚な赤い龍の鎧が覆っていった。

 

 翼が開き、尾が地面すれすれを揺れる。

 

 英寿はその変化を静かに見ていた。

 

「なかなか派手だな」

 

「そっちもだろ」

 

 あの夜に見せた純白の姿を思い出しているらしい。

 

 だが、英寿が取り出したものを見た瞬間、一誠だけでなく見守っていたアザゼルの目も変わった。

 

 白を基調とした大型のバックル。

 

 正面には、回転式拳銃の弾倉を思わせる意匠が刻まれている。

 

「あの夜のとは違うな」

 

 アザゼルが呟く。

 

 英寿は答えず、いつの間にか手にしていたデザイアドライバーを腰へ装着した。

 

 そして、マグナムレイズバックルをセットする。

 

『SET』

 

 機械音声が山中へ響いた。

 

 一誠の視線が腰のバックルへ固定される。

 

 英寿は正面の一誠を見たまま、短く告げた。

 

「変身!」

 

『MAGNUM』

 

『READY FIGHT』

 

 乾いた銃声を思わせる音が連続して響いた。

 

 英寿の周囲へ現れた光弾が宙を走り、浮かび上がった文字を次々と撃ち抜いていく。砕けた光が装甲へ姿を変え、黒い素体を基礎として白を中心とした射撃戦用の装備が形成された。

 

 白狐を思わせる仮面。

 

 その手には、銃型の拡張武装――マグナムシューター40Xが収まっている。

 

 あの夜、八坂の前へ立った純白の戦士とは明らかに違う。

 

 それでも。

 

 仮面の向こうにいるのが同じ浮世英寿であることだけは、妙にはっきり分かった。

 

「これが別の姿……」

 

 リアスが小さく呟いた。

 

 隣ではアザゼルが、戦いが始まってもいないうちから英寿の装備を食い入るように観察している。

 

 しかし英寿は、そちらへ説明するつもりなど最初からないらしい。

 

 一誠へ銃口を向けることもせず、軽く片手で銃を下げたまま立っている。

 

「準備は?」

 

「ああ!」

 

 一誠が腰を落とした。

 

 開始の合図を任されたリアスが二人を見比べ、片手を上げる。

 

 そして。

 

「始め!」

 

 腕が振り下ろされた瞬間、一誠が地面を蹴った。

 

『Boost!』

 

 左腕の籠手が声を上げる。

 

 内部で増幅された力が一気に身体へ巡り、その勢いをそのまま前進へ変える。

 

 初手は正面。

 

 迷わず距離を詰め、右拳を英寿へ叩き込む。

 

「真っ直ぐだな」

 

 英寿が引き金を引いた。

 

 一発。

 

 狙ったのは、一誠の身体ではなかった。

 

 放たれた弾丸が振り抜かれる拳へ正面からぶつかり、装甲を砕くことなく、その軌道だけをほんの僅かに上へ逸らす。

 

 たった数センチ。

 

 それで十分だった。

 

 一誠の拳が狐の仮面の横を抜ける。

 

 英寿は半歩だけ身体をずらしながら、一誠の腕へ銃身を添えた。

 

 押し返さない。

 

 突進の勢いをそのまま外へ逃がす。

 

 一誠の身体が英寿の横を流れたところへ、軽く掌が胸部装甲へ触れた。

 

 自分自身の勢いに押される形で、一誠が数歩前へよろめく。

 

「くそっ!」

 

 すぐに振り返った。

 

 今度は直進しない。

 

 左右へ何度も軌道を変えながら近づこうとする。

 

 だが、英寿の銃口は一誠本人を追い続けなかった。

 

 右へ踏み込もうとすれば、その一歩先へ弾丸が着弾する。

 

 左へ抜けようとすれば、土煙が先に上がる。

 

 距離を取り直そうとすれば、その退路へ銃弾が刺さった。

 

 一誠は何度も進路を変えるうちに、気づけば自分から英寿の望む場所へ動かされていた。

 

「……なんだ、これ」

 

 銃撃を腕で受けながら、一誠の眉が寄る。

 

 英寿は当てられる。

 

 それは間違いない。

 

 なのに、わざと身体から外した弾が多すぎる。

 

 疑問を抱いた瞬間、視線が銃口へ吸われた。

 

 その隙を英寿は逃さない。

 

 一誠が顔を上げた時には、白い狐面がもう目の前まで来ていた。

 

「近っ――」

 

 銃口が胸部装甲へ軽く触れる。

 

 三発。

 

 ほとんど間を置かず、肩、腿、胸へ弾丸が叩き込まれた。

 

 威力そのものは抑えられている。

 

 それでも、一発目で次に振るうはずだった腕を止められ、二発目で踏み込みを崩され、三発目で重心を後ろへ持っていかれた。

 

 一誠が攻撃へ移る前に、そのために必要な身体の動きを順番に潰されていく。

 

「一誠先輩が避ける場所へ、先に撃っています」

 

 見ていた小猫が呟く。

 

 だがアザゼルは、すぐに首を横へ振った。

 

「いや、それだけじゃねぇ」

 

 銃弾が地面へ刺さる。

 

 その位置を嫌って、一誠が右へ動く。

 

 そこへ次の弾丸。

 

 避けた先には英寿がいる。

 

「避ける場所を読んでるんじゃない。あいつ自身が、一誠の行きたい場所を作ってる」

 

 アザゼルの目が細くなる。

 

「銃口、視線、立ち位置。全部使って選択肢を削ってやがる」

 

 英寿は一誠が動いてから対応しているわけではない。

 

 一誠が何をしようとしているのかを身体の動きから読み、その一歩前へいる。

 

 昨日の曹操へ見せたものと、根にある技術は同じだった。

 

 相手より強いから受け止めるのではない。

 

 相手より速いから避けるのでもない。

 

 攻撃になる前から、次を見ている。

 

 一誠が大きく息を吐く。

 

『Boost!』

 

 二度目の声が響いた。

 

 力がさらに積み上がる。

 

 今度は銃撃を避けない。

 

 腕を交差して正面から受け、そのまま強引に突っ込んだ。

 

 弾丸が装甲へ弾かれ、火花を散らす。

 

「捕まえた!」

 

 大きな腕が伸びる。

 

 だが英寿は銃身を素早く展開した。

 

 マグナムシューター40Xが長銃へ切り替わり、その銃口が向いたのは一誠ではなく足元だった。

 

 発砲。

 

 地面が弾けた反動と同時に英寿の身体が後方へ跳ねる。

 

 一誠の手が空を掴んだ。

 

 英寿は空中で身体を捻ると、着地するより先に長銃を肩へ当てる。

 

 一発目が肩。

 

 二発目が膝。

 

 三発目が胸。

 

 狙う時間などほとんどなかったはずなのに、全てが一誠の次の動きを止める場所へ正確に撃ち込まれた。

 

 着地した英寿が銃身を短く戻す。

 

「射撃ってのは、当てるだけじゃない」

 

 一誠は片膝をついたまま顔を上げた。

 

 悔しそうではある。

 

 だが、最初のように何も考えず飛び込んでくる気配はもうなかった。

 

 英寿はそれを見て、仮面の奥で僅かに目を細める。

 

『Boost!』

 

 三度目。

 

 一誠が立ち上がる。

 

 それからの動きは、少しずつ変わった。

 

 銃口だけを見なくなった。

 

 英寿の肩を見る。

 

 足の向きも見る。

 

 自分が一度止められた動きは、そのまま繰り返さない。

 

 最初は遠かった距離が、僅かずつ縮まっていく。

 

 銃弾を一発受けても、次の一発が来る場所を考えて身体をずらす。

 

 右拳を止められれば左へ繋げる。

 

 踏み込みを潰されれば翼を使って軌道を変える。

 

 それでも英寿の方が一歩早い。

 

 一誠が「次はこれだ」と決めた時には、英寿はすでにそれを封じられる場所へ動いている。

 

 射撃だけではない。

 

 一誠が無理やり懐へ入れば、マグナムシューターの銃身を腕へ添えて拳を逸らし、肩を使って身体の向きを変える。近接戦へ持ち込んだはずなのに、気づけば一誠の方が姿勢を崩されている。

 

 それでも。

 

 振り抜かれた拳が、英寿の肩装甲を僅かに掠めた。

 

 ほんの一瞬。

 

 英寿の動きが止まった。

 

「……当たった」

 

 一誠自身が一番驚いていた。

 

 英寿は自分の肩を一度見てから、一誠へ顔を戻す。

 

「へえ」

 

 その声に皮肉はなかった。

 

「やるじゃないか」

 

 一誠の口元が上がる。

 

 最初は近づくことすら出来なかった。

 

 それが今は、僅かとはいえ届いた。

 

 英寿もその変化を見ていた。

 

 だからこそ。

 

 次の瞬間、一度距離を取った。

 

「ちょっと待て」

 

「え?」

 

 一誠が構えたまま止まる。

 

「もう終わりか?」

 

「まだだ」

 

 英寿はデザイアドライバーへ手を伸ばした。

 

 マグナムレイズバックルが外される。

 

 白い射撃装甲が光へほどけ、マグナムシューター40Xも姿を消した。

 

 残ったのは黒い素体。

 

 その英寿の手に、今度は鮮烈な赤のバックルが現れる。

 

 バイクのハンドルを思わせる機構を備えた、大型のレイズバックル。

 

 それを見たアザゼルが反射的に身を乗り出した。

 

「まだ別のがあるのか」

 

 英寿は答えない。

 

 その時だった。

 

『Boost!』

 

 一誠の左腕から、また力を増幅する声が響く。

 

 英寿の視線が一誠の顔から、左腕の籠手へ移った。

 

 そして手元の赤いバックルを見る。

 

「ブースト、か」

 

「なんだよ?」

 

「いや」

 

 英寿の口元が僅かに上がった。

 

「奇遇だな」

 

 赤いバックルをドライバーへセットする。

 

『SET』

 

 機構が開いた。

 

 炎が噴き上がる。

 

『BOOST』

 

『READY FIGHT!!』

 

 赤に寄った朱色の装甲が形成される。

 

 先ほどまでの射撃戦を思わせる白い装備とは、まるで性質が違っていた。

 

 銃はない。

 

 代わりに身体へ備わったのは、強大な出力を一気に叩き出すための機構。マフラーを思わせるパーツから熱が揺らぎ、立っているだけで先ほどまでとは別種の圧力が伝わってくる。

 

 一誠が自分の左腕を見た。

 

 それから、英寿を見る。

 

「そっちもブーストなのかよ!?」

 

「そうらしいな」

 

「絶対今ので思いついて出しただろ!」

 

 英寿は否定しなかった。

 

 代わりに、拳を軽く握る。

 

 それだけで、一誠にも分かった。

 

 マグナムの時とは構えが違う。

 

 今度は撃たない。

 

 正面から来る。

 

「せっかくだ」

 

 英寿が僅かに腰を落とす。

 

「どっちのブーストが上か、試してみるか?」

 

 一誠の疲労はすでに軽くない。

 

 それでも、顔には大きな笑みが浮かんだ。

 

「望むところだ!」

 

 二人が同時に地面を蹴った。

 

 先に一誠が拳を振るう。

 

 速い。

 

 何度も積み上げた倍加を、そのまま前進へ叩き込んでいる。

 

 だが拳が届く直前。

 

 英寿の姿が一誠の視界から消えた。

 

「っ!?」

 

 完全に見失ったわけではない。

 

 加速の瞬間が遅いのだ。

 

 動き出しではない。

 

 一誠の拳が当たる、その直前だけ爆発的に出力が跳ね上がる。

 

 英寿が半歩外へ流れながら拳を返す。

 

 一誠は反射的に左腕を上げた。

 

 そこへ拳がぶつかる。

 

 接触した、その瞬間。

 

 ブーストの機構が唸った。

 

 通常の打撃を受け止めたつもりだった一誠の身体が、その腕ごと横へ弾き飛ばされる。

 

「うおっ!」

 

 足を滑らせながらも踏み止まる。

 

 一誠はすぐさま右拳を返した。

 

 英寿が身をかわす。

 

 そこまでは予想通り。

 

 一誠は拳の軌道を途中で変え、肘へ繋げる。

 

 今度こそ当たる。

 

 そう思った瞬間、英寿の身体が空中で横へ滑った。

 

 拳や脚の出力を増すためだけではない。

 

 ブーストの推力を身体の姿勢変更そのものへ使っている。

 

 肘が空を切った直後、英寿の足が一誠の腹部装甲へ触れた。

 

 まだ蹴っていない。

 

 触れただけ。

 

 次の瞬間、出力が跳ね上がった。

 

 爆発的な加速が蹴りへ乗り、一誠の身体が地面を滑っていく。

 

「なんだよ、それ……!」

 

 どうにか体勢を立て直した一誠が、思わず漏らす。

 

「ブースト」

 

「それは分かってる!」

 

 九重が楽しそうに笑った。

 

 アザゼルは笑っていない。

 

 その目は英寿の身体へ向けられたまま、加速が起きるタイミングを追っている。

 

「単純に速くなるんじゃねぇな」

 

 英寿が一誠の拳を外す。

 

 追撃の瞬間だけ、一気に加速。

 

 拳が受け止められそうになると、今度は横方向へ推力を逃がして身体ごと防御の外へ滑らせる。

 

「攻撃が当たる瞬間、避ける瞬間、姿勢を崩される直前……必要なところだけ出力を跳ね上げてやがる」

 

 ブーストフォームそのものの性能は高い。

 

 だが、厄介なのはそこではない。

 

 いつ加速するか。

 

 どの方向へ使うか。

 

 英寿がその一瞬を選んでいる。

 

 一誠もそれに気づき始めた。

 

『Boost!』

 

 さらに力が積み上がる。

 

 今度は追わなかった。

 

 距離を取ったまま、英寿を待つ。

 

 英寿の顔が僅かに上がる。

 

 さっきまでなら、自分から飛び込んできていた。

 

 それをやめた。

 

 一誠は拳を構え、英寿が来るのを待っている。

 

「なるほどな」

 

 英寿は自分から踏み込んだ。

 

 一瞬で距離が消える。

 

 一誠は動かない。

 

 英寿の拳が届く寸前まで待つ。

 

 そして。

 

「ここだ!」

 

 一誠の腕が伸びた。

 

 拳ではない。

 

 英寿の手首を掴む。

 

 加速する前ではなく、加速して間合いへ入ってきた瞬間を狙った。

 

「捕まえた!」

 

『Boost!』

 

 握力が一気に増す。

 

「捕まえたら、もう逃がさねぇ!」

 

 英寿は掴まれた腕へ目を落とした。

 

「いい判断だ」

 

 一誠の顔が明るくなる。

 

 だが。

 

「でも、掴んだ後のことも考えた方がいいな」

 

 空いている腕側の機構が唸った。

 

 英寿の身体が自分から一誠の外側へ回り込む。

 

 掴んだ相手に逃げられまいと力を入れていた一誠の肩が、逆に大きく捻られる。

 

「うおっ!?」

 

 反射的に握力が緩んだ。

 

 英寿はその一瞬で腕を抜く。

 

 ただし、一誠ももう最初の一誠ではない。

 

 英寿が離れるより早く身体を回し、そのまま拳を正面へ叩き込んだ。

 

 英寿も拳を出す。

 

 真正面。

 

 二つの拳がぶつかった。

 

 重い衝突音が山へ響き、足元の地面が僅かに沈む。

 

 純粋な力なら、一誠の方が上がり続ける。

 

 倍加を重ねた赤龍帝の力が、少しずつ英寿を押し始める。

 

 一歩。

 

 英寿の足が後ろへずれた。

 

「力なら……負けねぇ!」

 

 一誠がさらに押す。

 

「大したもんだ」

 

 英寿はその力をしばらく受けていた。

 

 だが。

 

「だからって、力比べに付き合う必要はないだろ?」

 

「え――」

 

 英寿が自分から姿勢を落とした。

 

 押し込んでいた一誠の拳から、突然抵抗が消える。

 

 行き先を失った力に引っ張られ、身体が前へ傾く。

 

 英寿はその脇を抜けた。

 

 一誠が振り返るより早く、背中へ掌が触れる。

 

 ブーストの出力が前ではなく後方へ放たれた。

 

「しまっ――」

 

 一誠自身が前へ押し込もうとしていた力。

 

 そこへ英寿の加速が重なる。

 

 赤い鎧が広場の上を勢いよく滑っていった。

 

 途中で翼を広げ、どうにか転倒だけは防ぐ。

 

 振り返った一誠は荒い息を吐いていた。

 

 対する英寿の呼吸はほとんど乱れていない。

 

「……ほんと強ぇな」

 

 悔しそうではある。

 

 それでも、もう「どうして勝てない」とは言わなかった。

 

 見る場所が変わっている。

 

 どうすれば届くか。

 

 何をすれば先を取れるか。

 

 その目で考えている。

 

 英寿は拳を下ろさない。

 

「まだ続けるか?」

 

 一誠は呼吸を整え、もう一度構えた。

 

「もちろん!」

 

 そこからの攻防は、最初とは明らかに違った。

 

 一誠は直進しない。

 

 右へ走り、英寿が追うと急停止。

 

 翼で上へ逃れ、視線を誘ってから急降下する。

 

 拳を止められても攻撃を終わらせない。

 

 肘へ繋ぎ、尾を振るい、翼を使って身体の向きを変える。

 

 英寿もそれに合わせて加速のタイミングを変えていった。

 

 一誠が力で押す。

 

 英寿が外す。

 

 一誠が先を読む。

 

 英寿はさらにその一手先へ動く。

 

 差はまだ大きい。

 

 それでも、一方的ではなくなっていた。

 

 上空へ逃れた一誠が、右拳を構えたまま急降下する。

 

 英寿が反応。

 

 一誠の右拳へ意識が向く。

 

 だが本命はそこではない。

 

 拳を寸前で引き、一誠が身体を強引に回転させた。

 

 左拳。

 

 英寿が加速して横へ逃れる。

 

 一誠はそれを待っていた。

 

 さらに翼を打ち、回転の勢いを殺さないまま右脚を振り抜く。

 

 ブーストの加速先へ。

 

 英寿の腕が上がる。

 

 鈍い衝撃音が響いた。

 

 白狐の戦士の身体が、初めて数メートル後ろへ滑る。

 

 広場が静かになった。

 

 一誠自身も、信じられないように英寿を見ている。

 

「……当たった」

 

 英寿は止まると、蹴りを受けた腕を一度確認した。

 

 装甲の表面には、ごく浅い痕が残っている。

 

 それから一誠へ顔を向けた。

 

「やるじゃないか」

 

 冗談でも、慰めでもない。

 

 純粋な評価だった。

 

 一誠の顔に達成感が広がる。

 

 そのままもう一度構えようとしたところで、リアスの声が飛んだ。

 

「そこまでよ、一誠」

 

「ええ!? 部長、今ちょっと掴めてきたところで――」

 

「だからこそよ」

 

 リアスは首を横へ振った。

 

 今、一誠は自分なりに一つの感覚を掴んでいる。

 

 疲労で身体が動かなくなり、考えより先に雑な攻撃を繰り返すようになってから続ければ、その感覚まで崩しかねない。

 

 一誠はまだ不満そうだった。

 

 それでも、少し考えた後には構えを解いた。

 

 赤い鎧が光へほどける。

 

 変身が解けた瞬間、それまで張り詰めていたものまで切れたらしく、その場へ腰を下ろした。

 

「……しんど」

 

 アーシアがすぐに駆け寄り、回復の光を灯す。

 

 英寿もブーストフォームを解除した。

 

 額には僅かに汗が浮いているものの、一誠とは疲労の度合いがまるで違う。

 

「俺だけボロボロじゃねぇか……」

 

「お前の方が最初から全力だったからな」

 

 一誠は何か言い返そうとして、結局やめた。

 

 戦った本人が一番分かっている。

 

 英寿が一誠を倒すためだけに戦っていなかったことくらい。

 

 マグナムでは、射撃で進路を削りながら、一誠自身に自分が誘導されていることを気づかせた。

 

 ブーストへ変わってからも、真正面から力で押し返すのではなく、一誠の力がどこへ向いているのかを見て外し続けた。

 

 全部を封じることも出来ただろう。

 

 最初から追いつく余地を残さず、一方的に終わらせることも出来たのかもしれない。

 

 だが、それでは一誠が手合わせを頼んだ意味がない。

 

 英寿は答えを口で説明する代わりに、実際に何度も失敗させた。

 

 どうすれば届くのか。

 

 何を見ればいいのか。

 

 力をどこで使うのか。

 

 その答えを、自分で探せる余地だけを残した。

 

「でもさ」

 

 回復を受けながら、一誠が顔を上げた。

 

「最後は一発当てたからな」

 

 アーシアが困ったように眉を下げる。

 

「一誠さん、まだ動かないでください」

 

「動いてないって」

 

「今、立とうとしました」

 

「……はい」

 

 すぐに座り直す。

 

 それを見ていた九重が満足そうに頷いた。

 

「一誠も最後はなかなかであったぞ」

 

「今日はちゃんと褒めてる?」

 

「失礼な奴じゃな」

 

 九重はそれ以上一誠へ絡まず、今度は英寿のところへ駆け寄った。

 

 先ほど蹴りが当たった腕を見て、傷がないことを確認する。

 

「赤い英寿も格好よかったぞ」

 

「そうか?」

 

「うむ。ただ、白いのとは随分違うのじゃな」

 

「使い道が違うからな」

 

 少し離れた場所では、アザゼルも同じことを考えていたらしい。

 

 マグナム。

 

 ブースト。

 

 同じデザイアドライバーを使用しながら、戦い方はまるで異なる。

 

 片方は射撃によって戦場そのものを組み立てる。

 

 もう片方は、極端な出力と加速を必要な瞬間へ叩き込む。

 

 それ以上の仕組みについて、アザゼルは口にしなかった。

 

 今見せられたものだけでも十分すぎるほど興味深い。

 

 英寿が自分から説明しない以上、まずは観察した事実から考えるしかない。

 

「そういや英寿」

 

 一誠が左手を見ながら声を上げた。

 

「そのブースト、俺の《Boost》とは全然違うんだよな?」

 

「ああ。名前が同じだけだ」

 

 一誠の《Boost》は、段階的に力を倍加させていく。

 

 英寿のブーストフォームは、元から高い出力を持ちながら、その力を必要な瞬間へ爆発的に集中させる。

 

 性質はまるで違う。

 

「でも、お前の方も面白い力だな」

 

 英寿が一誠の左腕へ視線を向ける。

 

「使うたびに出力が上がってた」

 

 一誠の表情が少しだけ誇らしげになった。

 

「ドライグが力を貸してくれてるからな」

 

 単なる武器について語っている顔ではない。

 

 英寿にもそれくらいは分かった。

 

 何度も言葉を交わし、同じ戦いを潜り抜けてきた相手なのだろう。

 

「相棒ってわけか」

 

「ああ」

 

 返事に迷いはなかった。

 

「なら、大事にしろよ」

 

 一誠は一瞬だけ意外そうな顔をしたが、すぐに左手を握った。

 

「言われなくても」

 

 英寿はそれ以上何も言わなかった。

 

 広場の端へ歩き、木陰へ腰を下ろす。

 

 少し遅れてリアスもやって来た。

 

 一誠たちから少し離れたところで、彼女はしばらく何も言わず英寿の横顔を見ていた。

 

 英寿は気づいている。

 

 それでも先に聞こうとはしない。

 

「……ありがとう」

 

 やがてリアスが口を開いた。

 

「あの子に付き合ってくれて」

 

「俺も楽しんだからな」

 

 事実だった。

 

 特に途中からは、一誠の動きが目に見えて変わっていた。

 

 最初は力に任せて前へ出るだけだった男が、失敗するたびに少しずつ考え始めた。

 

 それを見るのは悪くなかった。

 

「あなたなら、もっと簡単に終わらせられたでしょう?」

 

 英寿がリアスを見る。

 

 少し離れた場所では、一誠が最後の攻撃を木場やゼノヴィアへ説明している。自分がどうフェイントを入れたのか身振りまで付けようとして、そのたびにアーシアから動くなと止められていた。

 

「最初から全部避けて、一度もまともに攻撃させず終わらせることも出来たんじゃない?」

 

「あいつは強くなりたいって言ったんだ」

 

 英寿は広場の方へ視線を戻した。

 

「だったら、何もさせずに終わらせても意味がないだろ」

 

 リアスはその言葉を聞き、少しだけ表情を緩めた。

 

 英寿が一誠へ何か特別な力を与えたわけではない。

 

 答えを教え込んだわけでもない。

 

 ただ失敗出来る場所を用意して、自分で考えさせた。

 

「失敗しなきゃ分からないこともあるからな」

 

「そうね」

 

 今度は、それ以上聞かなかった。

 

 しばらくすると、一誠も回復を終えて立ち上がった。

 

 まだ身体は重そうだが、その顔にあるのは疲労だけではない。

 

「もっと強くなりてぇな」

 

 無意識に漏れたらしい。

 

 英寿がそちらを見る。

 

「願うだけじゃ強くならないぞ」

 

 以前なら、一誠も何か言い返したかもしれない。

 

 だが今日は、自分がどれほど力を持っていても、その使い方一つで簡単に空回りするところを散々体験したばかりだ。

 

「分かってるよ」

 

 すぐに返した。

 

「だから鍛えるんだろ。次は今日よりちゃんと食らいつく」

 

 英寿は一誠の顔をしばらく見ていた。

 

 疲れ切っている。

 

 それでも、目はもう次を見ている。

 

「いい答えだ」

 

 それだけ返す。

 

 すると今度は、傍にいた九重が英寿の袖を引いた。

 

「英寿」

 

「ん?」

 

「一誠は、強くなったのか?」

 

 九重の視線の先では、一誠がまた身体を動かそうとしてアーシアに座らされている。

 

 英寿は少し考えた。

 

「今日一日で急に強くなったわけじゃない」

 

「では、意味はなかったのか?」

 

「逆だな」

 

 九重が首を傾げる。

 

「自分に足りないものが一つ分かった。それだけでも十分だ」

 

 強くなることは、願った瞬間に終わるものではない。

 

 今日出来なかったことが、明日出来るようになるとは限らない。

 

 それでも、自分に足りないものが分かれば、次に何をすればいいかは考えられる。

 

 九重はしばらく黙って一誠を見ていた。

 

 やがて、自分の小さな手へ視線を落とす。

 

「……妾も同じか?」

 

 英寿は九重を見る。

 

「もっと強くなりたいと思っておる」

 

 声は小さい。

 

 けれど、迷ってはいなかった。

 

「次に母上が危ない目に遭ったら、妾も何か出来るようになりたい」

 

 数日前。

 

 八坂を前にした九重は、自分には何も出来ないと思いながら、それでも母親に帰ってきてほしいと願い続けた。

 

 今は、さらにその先を見始めている。

 

 英寿は九重の頭へ軽く手を置いた。

 

「なら、焦るな」

 

「何故じゃ?」

 

「強くなりたいって思ったからって、明日から何でも出来るわけじゃない。一誠だってそうだろ」

 

 二人の視線が一誠へ向く。

 

 ちょうどアーシアから三度目の「動かないでください」を受けているところだった。

 

「……あれでもか?」

 

「一応な」

 

「一応って聞こえたぞ!」

 

 離れているはずの一誠から抗議が飛んできた。

 

 英寿の口元が上がる。

 

「聞こえてるなら元気そうだな。そろそろ戻るか」

 

「ちょっと待って! 俺まだまともに歩けない!」

 

「じゃあ置いてくか」

 

「それだけはやめて!」

 

 ゼノヴィアが一誠を担いで帰るべきか真剣に考え始め、一誠がさらに慌てる。アーシアは困ったように笑い、リアスたちも張り詰めていた表情を崩していった。

 

 英寿は九重と並んで歩き始める。

 

 少し前まで、同じ京都で八坂が奪われ、九重が泣き、一誠たちも英雄派との戦いに追い詰められていた。

 

 その同じ場所で今は、一誠がもっと強くなりたいと願い、九重も次は母親の力になりたいと願っている。

 

 どちらも、英寿が代わりに叶えてやる類の願いではない。

 

 自分で積み重ねて、自分で辿り着くものだ。

 

 だからこそ。

 

 その途中で少しくらい手を貸すのは、悪くない。

 

 山道を下りながら、一誠の左腕にはもう赤い籠手はなく、英寿の腰にもデザイアドライバーは見当たらない。

 

 同じ《ブースト》という名を持ちながら、二つの力はまるで違っていた。

 

 それでも。

 

 使い手がもっと先へ進もうとした時、その意思へ力で応える。

 

 その一点だけは、少し似ているのかもしれない。

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