京都を発つ朝、九重は見るからに機嫌が悪かった。
朝食の席ではいつも通り八坂の隣に座っているし、英寿に話しかけられれば返事もする。けれど箸の動きは普段より遅く、時折ちらちらと英寿の方を見ては、目が合いそうになると味噌汁へ視線を落としていた。
原因は考えるまでもない。
今日で一誠たちの修学旅行は終わり、彼らは駒王町へ帰る。そして英寿も、しばらくその町を見てみるために一緒に京都を離れることになっていた。
もちろん、永遠の別れではない。英寿自身も京都にはまた来ると言っている。それでも、この数日ほとんど毎日のように一緒にいた相手がいなくなるという事実を、九重はまだ上手く飲み込めていないらしい。
そんな娘の様子を、八坂は朝から穏やかな笑みを浮かべて見守っていた。
「九重。お味噌汁が冷めてしまいますよ」
「分かっておる」
「先ほどからほとんど減っていませんが?」
「今から食べるところじゃ」
少しむっとした顔で椀を持ち上げた九重は、一口だけ味噌汁を飲むと、また英寿を見た。
今度は目が合った。
英寿は何も言わず、僅かに眉を上げる。
九重は数秒だけ耐えたものの、結局は自分から口を開いた。
「……本当に行くのか?」
「昨日も聞いただろ」
「昨日は昨日じゃ。今日は今日じゃろう」
理屈になっているようで、ほとんど感情だけの主張だった。
英寿は茶を一口飲んでから、九重へ視線を戻す。
「駒王町を見てくるだけだ。それに、戻ってくるって言っただろ」
「いつじゃ?」
「そこまでは決めてないな」
「では明日でもよいではないか」
隣で聞いていた一誠が思わず笑いそうになったが、リアスの視線を受けて慌てて口を閉じた。
八坂も娘を叱るつもりはないらしく、少し困ったように微笑んでいる。九重が英寿を気に入っていることは、誰の目にも明らかだった。母親を救ってくれた恩人というだけではない。あの夜から英寿は、九重にとって頼れば何でも代わりにしてくれる大人ではなく、自分自身が進むことを見守ってくれる特別な存在になっていた。
英寿も、それを分かっている。
だからこそ、必要以上に慰めようとはしなかった。
「九重」
「なんじゃ」
「昨日、強くなりたいって言ってたな」
九重の表情が僅かに変わる。
「言ったぞ。次に母上が危ない目に遭った時は、妾も戦えるようになりたい」
「なら、俺がいない間に少しは強くなっておけ。次に来た時、何も変わってなかったら格好悪いぞ」
九重はぽかんと英寿を見た。
別れを惜しむ言葉でもなければ、寂しさを慰めるための言葉でもない。次に会うことを最初から疑っていない言い方だった。
その意味が分かったのか、九重の顔から少しだけ不満が消える。
「……どれくらい強くなればよい?」
「それを俺に聞くのか?」
英寿が笑う。
九重は少し考えてから、自分で答えを出した。
「では、次に英寿が来た時に驚かせてやる」
「期待してる」
「妾は本気じゃぞ」
「俺も本気で言ってる」
九重はようやく納得したらしい。先ほどまで止まりがちだった箸を再び動かし始め、その様子を見た八坂も安心したように息をついた。
朝食を終え、一行が出発の準備を整える頃には、玄関先にも朝の光が差し込んでいた。
英寿自身の荷物はほとんどない。この世界へ来た時も身一つだったのだから当然だが、それでも八坂は最低限必要になりそうな物をいくつか用意してくれていた。
「本当に、何から何まで世話になったな」
「それはこちらの台詞です」
八坂はゆっくりと頭を下げた。
体調はかなり戻っているものの、まだ完全ではない。それでも、数日前に英雄派に操られ、妖力を暴走させていた頃の面影はもうなかった。
「あなたがいなければ、私は今こうして九重と話すことすら出来なかったでしょう。何度お礼を申し上げても足りません」
英寿は少しだけ困ったように笑った。
「それなら九重にも言ってやってくれ。最後にあんたを呼び戻したのは、この子だ」
八坂の視線が娘へ向く。
九重は照れくさそうに顔を逸らした。
「もちろんです。もう何度も伝えましたよ」
「母上は少し言いすぎなのじゃ」
「足りないくらいです」
八坂が娘の頭へ手を置く。九重は文句を言いながらも、その手を振り払おうとはしなかった。
英寿はその様子を静かに見ていた。
九重が願っていたのは、何か特別なものではない。母親と一緒に食事をし、話をし、時には叱られる。そんな当たり前の日常だった。
それが今、目の前に戻っている。
ならば、自分がこの世界へ来た意味も少なくとも一つはあったのだろう。
屋敷を出ようとしたところで、九重がもう一度英寿の袖を掴んだ。
「英寿」
「ん?」
「戻ってくるのじゃぞ」
朝食の時ほど不安そうではなかったが、それでも念を押さずにはいられないらしい。
英寿は九重へ身体を向けた。
「会えるさ」
九重の目が少しだけ大きくなる。
あの日と同じ言葉だった。
母親をいつか失うことが怖いと口にした自分へ、英寿が返してくれた言葉。
九重はすぐに、その続きを思い出したように笑った。
「願い続ければ、じゃろ?」
「覚えてたか」
「妾を誰だと思っておる」
胸を張る九重の頭を、英寿は軽く撫でる。
「じゃあ、またな」
「うむ。またじゃ」
今度は九重も、しっかりと別れの言葉を返した。
◆
京都から駒王町へ戻る道中、一誠は何度も眠りかけていた。
昨日の英寿との手合わせによる疲労が、まだ完全には抜けていないらしい。アーシアの治療で傷や身体への負担そのものはかなり軽減されていたが、赤龍帝の力を何度も増幅しながら全力に近い状態で動き続けた疲れまでは、一晩眠った程度では消えなかった。
座席へ深く身体を預け、一誠が小さく欠伸をする。
「昨日やりすぎた……」
向かい側に座っていた小猫が、淡々とした声で返した。
「自業自得です」
「小猫ちゃん、もうちょっと優しくしてくれてもよくない?」
「アーシア先輩が十分優しいです」
そのアーシアは一誠の隣に座り、心配そうに彼の顔を覗き込んでいた。
「まだ痛いところはありませんか?」
「大丈夫、大丈夫。筋肉痛みたいなもんだから」
「本当に無理は駄目ですよ?」
「分かってるって」
そう答えながら再び欠伸をする一誠を見て、英寿は窓際の席で小さく笑った。
車窓の向こうでは、京都の景色が次第に遠ざかっていく。
この世界の日本は、英寿にとって見慣れているようで少しずつ違っていた。京都そのものは、自分の知る京都と大きく変わらない。街並みも交通機関も、人々の暮らしも、一見しただけなら同じ世界と言われても信じられるだろう。
違うのは、その裏側だった。
妖怪が京都を治め、悪魔が人間のすぐ隣で暮らし、天使や堕天使まで実在している。見た目の差は小さくても、世界の成り立ちはかなり違っている。
「何見てるんだ?」
一誠が眠そうな声で聞いてきた。
「景色」
「珍しいか?」
「似てるから面白い」
一誠は意味が分からないように眉を寄せた。
英寿は窓の外へ視線を戻したまま続ける。
「俺のいた世界にも京都はあるし、こういう電車だって走ってる。街の作りも大きくは変わらない。それなのに、こっちじゃ裏で妖怪や悪魔が普通に暮らしてる」
「普通って言っても、人間には隠してるけどな」
「だから面白いんだろ。表だけ見ればほとんど同じなのに、中身は全然違う」
一誠は少し考えたあと、ふと思いついたように英寿を見る。
「そういや、英寿の世界には悪魔とかいないのか?」
「悪魔って呼ばれる連中なら知ってる」
予想外だったのか、一誠の眠気が少し飛んだらしい。
「いるのかよ」
「ああ。ただ、お前たちとはかなり違うな。姿も性質も違うし、お前たちみたいに一つの種族として社会を作ってる連中じゃない」
英寿の頭に浮かんでいたのは、かつて出会った別の仮面ライダーたちと、その傍らにいた悪魔たちだった。
同じ言葉で呼ばれていても、目の前にいるリアスたちとは明らかに別物だ。
一誠は興味深そうに身を乗り出す。
「じゃあ、同じ『悪魔』って名前なだけか?」
「多分な。少なくとも、俺の知ってる悪魔とお前たちは別物だ」
「妖怪は?」
英寿は少し考えた。
「俺が知る限り、九重や八坂みたいに土地を治めて社会を作ってる妖怪は知らないな。人間じゃない連中なら他にもいるけど」
「英寿の世界も普通に変じゃね?」
「それは否定しない」
あっさり認められ、一誠が笑った。
少し離れた席では、リアスがそんな二人の会話を聞きながら、英寿の今後について考えていた。
京都では八坂の庇護下に置くことが出来た。しかし駒王町へ連れていくとなれば話は少し変わる。
英寿本人を危険人物だと思っているわけではない。むしろ、これまでの行動を見る限りでは信頼出来る人物だと考えている。
問題なのは、英寿という存在そのものがあまりにも規格外であることだった。
異なる世界から来た人間。
この世界の神器や魔術体系とは全く異なる変身装置。
そして、世界そのものを書き換える力を持つ神。
そんな存在が自分たちの管理する町へ来る以上、リアスだけの判断で全てを済ませるわけにはいかなかった。
小さく息を吐いたリアスへ、英寿が視線を向ける。
「どうした?」
「少し考え事をしていただけよ」
「俺のことか?」
リアスは僅かに目を細めた。
「どうして分かるの?」
「さっきから何度もこっち見てたからな」
やはり、こういうところはよく見ている。
リアスは隠しても仕方がないと判断し、素直に話すことにした。
「あなたを駒王町へ連れていくこと自体は問題ないわ。ただ、私たち以外にもあなたのことを説明しておかなければならない相手がいるの」
「偉い奴?」
「それもいるけれど、まずは同じ町を管理している相手ね」
英寿は少し考えた。
「悪魔か」
「ええ。駒王町は私だけの縄張りではないの。もう一人、ソーナ・シトリーという上級悪魔がいるわ」
「友達?」
「ライバルでもあるけれど、友人よ」
そこへ一誠が横から口を挟んだ。
「うちの学校の生徒会長だぞ」
英寿がそちらを見る。
「悪魔が?」
「部長だって学校の生徒だろ」
「そういえばそうだったな」
英寿は少し面白そうに笑った。
悪魔が人間の学校へ通い、生徒会長や部活動の部長として普通に生活している。京都で妖怪の姫に観光案内をされた時にも思ったが、この世界の超常存在は妙なところで人間社会へ溶け込んでいる。
「面白い世界だな」
英寿が何気なく漏らすと、リアスが苦笑した。
「あなたの世界の人に言われると複雑ね」
「俺の世界も大概だからな」
その意味を、一誠たちはまだ詳しく知らない。
英寿も今のところ、自分から説明するつもりはないようだった。
◆
駒王町へ着いた時には、午後を少し回っていた。
修学旅行帰りの荷物を抱えた一誠たちは一度それぞれの家へ戻ることになり、英寿だけはそのままリアスと朱乃に案内されて駒王学園へ向かった。
正門をくぐった英寿は、目の前に広がる校舎を見上げる。
「ここか」
「駒王学園よ。私たちが普段通っている学校」
リアスが答える。
「見た感じは普通だな」
「見た感じは、ね」
隣で朱乃が楽しそうに笑った。
三人が校内へ入ると、そこにあるのはどこにでもありそうな学校の風景だった。教室や廊下、掲示板に貼られた部活動の案内。ここだけを見て、悪魔が活動拠点として使っていると考える人間はいないだろう。
やがて三人は本校舎を離れ、少し古びた建物の前までやって来た。
「ここがオカルト研究部の部室よ」
「随分それっぽい場所使ってるんだな」
「そうかしら?」
「悪魔が集まってる場所としてはな」
リアスは少し苦笑しながら扉を開いた。
内部には落ち着いた調度品が並び、学校の部室というより小さな応接室のように見える。英寿は中へ入るなり、室内を一度見回した。
「部室にしては豪華だな」
「よく言われますわ」
朱乃が茶の準備を始める間に、リアスは英寿へソファを勧めた。
「宿泊する場所については、こちらで手配するわ。少なくとも今夜は困らないようにしておくから」
「別にホテルでもいいけど」
リアスはそこで、ふと気づいたように英寿を見る。
「あなた、この世界のお金を持っているの?」
英寿が一瞬だけ黙った。
リアスの口元が僅かに上がる。
「ないのね」
「作ろうと思えば――」
言いかけたところで英寿は止まった。
リアスと朱乃の視線が揃って自分へ向けられている。
数秒の沈黙のあと、英寿は肩を竦めた。
「冗談だよ」
「今、絶対に作ろうとしたでしょう?」
「金まで世界を書き換えて作るのはさすがにな」
リアスは本気で少し安心したように息を吐いた。
英寿の創世の力がどこまで通用するのか、彼女たちにはまだ分からない。もし貨幣すら自由に生み出せるのなら、戦闘力とは全く別の意味で世界へ影響を与えられてしまう。
英寿はそんなリアスの反応を見て、楽しそうに笑った。
「心配しなくても、何でもかんでも力で済ませるつもりはない」
「昨日もそう言っていたわね」
「便利だからって使いすぎると面白くないだろ」
リアスには、まだその価値観を完全には理解出来ない。
世界を書き換えられるほどの力を持ちながら、自分から使い道を制限している。それが責任感なのか、仮面ライダーとしての拘りなのか、それとも英寿にとっては単純にその方が自然なのか。
考えていると、部室の扉が軽く叩かれた。
「どうぞ」
リアスの返事を待って扉が開く。
入ってきたのは眼鏡を掛けた黒髪の少女だった。その後ろには、同じく眼鏡を掛けた男子生徒が一人控えている。
リアスが立ち上がった。
「来たわね、ソーナ」
「ええ。あなたからあれだけの内容を聞かされて、後回しには出来ないもの」
落ち着いた声音だった。
ソーナ・シトリー。
駒王学園の生徒会長であり、この町をリアスと分けて管理している上級悪魔。
英寿を見つめる視線に露骨な敵意はない。しかし警戒していることを隠そうともしていなかった。
「初めまして。ソーナ・シトリーです」
英寿もソファから立ち上がった。
「浮世英寿。英寿でいい」
ソーナは僅かに目を細める。
「リアスから聞いています。異なる世界から来た仮面ライダー。そして現在は、神だと」
「随分簡潔にまとめたな」
「簡潔にしなければ、説明だけでかなり時間が掛かりますから」
その答えに英寿の口元が少し上がった。
「話が早そうだ」
ソーナは向かい側の席へ腰を下ろし、同行していた匙もその傍らへ立った。リアスも再び席につき、朱乃がそれぞれへ茶を配っていく。
ソーナは出された茶へすぐには手を伸ばさず、まず英寿を見た。
「最初に確認しておきたいのですが、あなたは駒王町で何をするつもりですか?」
「観光」
あまりにも迷いのない即答だった。
ソーナの表情が僅かに止まり、リアスが片手で額を押さえた。
「英寿」
「嘘は言ってないだろ」
「もう少し説明してあげて」
英寿は仕方がないというようにソファへ背を預けた。
「この世界へ来た理由は、まだ全部分かってない。京都へ来た時は強い願いを感じて、それを辿ったら九重がいた。八坂の件が終わった今も、元の世界へ戻る方法は見つかってない。だから、せっかくならこの世界を見て回ろうと思ってる。リアスが駒王町へ来ないかって言ったから来た。それだけだ」
ソーナは英寿の言葉を黙って聞いたあと、いくつか確認するように問いを重ねた。
「この町を支配する意図や、新たに勢力を作る意思は?」
「ない」
「悪魔社会そのものへ干渉する意思は?」
「今のところはないな」
「今のところ?」
そこへソーナが反応した。
英寿は特に慌てることなく続ける。
「誰かが俺の目の前で好き勝手やってても、何があっても全部無視するって約束は出来ないだろ」
リアスはその言葉を聞き、京都で曹操と対峙した時の英寿を思い出した。
敵になるかどうかは、お前たち次第。
英寿の基本的な立場は、あの時から変わっていない。
自分から争いを起こすつもりはない。けれど、目の前で誰かの願いを踏みにじるようなことが起これば、見て見ぬふりをするつもりもない。
ソーナも、その意味を理解したらしい。
「なるほど。少なくとも、自分から問題を起こすつもりはないと受け取ってよろしいですか?」
「ああ」
「それなら、私としてもあなたを排除する理由はありません」
傍らに立っていた匙が僅かに目を見開いた。
「会長、そんな簡単に決めていいんですか?」
「簡単に決めてはいません」
ソーナは匙へ一度視線を向けてから、再び英寿を見る。
「八坂様の一件については、すでに報告を受けています。少なくとも、京都で八坂様と九重様を救った人物であることは事実です。それに、敵対の意思がない相手へこちらから攻撃を仕掛ける方が、よほど危険でしょう」
「賢いな」
英寿が言うと、ソーナの眉が僅かに動いた。
「褒められたと受け取っておきます」
「褒めてるよ」
リアスは二人のやり取りを見ながら、思っていたより相性は悪くないのかもしれないと感じていた。英寿は相手の立場を必要以上に気にせず、ソーナは感情より理屈を優先する。互いに回りくどい腹の探り合いを好まない点では、意外と話が早い。
しかしソーナには、まだ確認しておきたいことがあった。
「リアスから、あなたが世界そのものへ干渉出来る力を持っていると聞きました」
部屋の空気が少しだけ変わった。
匙も表情を引き締める。
英寿は隠す様子もなく頷いた。
「ああ」
「どの程度まで可能なのですか?」
「それを説明するのは難しいな」
「では、出来ないことは?」
英寿は少しだけ考えた。
その様子を、ソーナは注意深く見ている。
やがて英寿は肩を竦めた。
「今ここで能力一覧を作るつもりはない」
「……そうですか」
「でも心配しなくていい。駒王町を気に入らなかったから町ごと作り直す、なんてことはしない」
リアスが僅かに笑う。
ソーナは数秒ほど英寿を見つめたあと、静かに息を吐いた。
「それを信じるしかなさそうですね」
「信用ないな」
「初対面ですから」
即答だった。
英寿は不快そうにするどころか、むしろ少し楽しそうに笑った。
「それはそうだな」
敵意がないことと、信用することは別だ。
初対面の相手を無条件に信用しないというソーナの態度は、ごく当たり前のものだった。英寿自身も、それを咎めるつもりなどない。
それからしばらくして話が一段落すると、ソーナもようやく茶へ手を伸ばした。
張り詰めていた空気が少しずつ薄れていく。
ちょうどその頃、一度荷物を自宅へ置きに戻っていた一誠たちも部室へ集まり始めた。
「ただいま戻りました!」
勢いよく扉を開けた一誠は、ソーナの姿を見つけると一瞬だけ足を止めた。
「会長もいたんですか」
「ええ。英寿さんについて話をしていました」
「俺たちが連れてきたっていうか、部長が――」
「一誠」
リアスが静かに名前を呼ぶ。
一誠はすぐに余計なことを言おうとしていた口を閉じた。
「はい」
その後ろからアーシア、小猫、ゼノヴィアも部室へ入ってくる。全員が揃うと、それまで比較的静かだった部室の空気も一気に賑やかになった。
英寿はソファに座りながら、その光景を眺めていた。
京都では妖怪たちの屋敷に世話になり、今度は悪魔たちが集まる学校の部室にいる。異世界へ来てまだそれほど時間が経っていないというのに、自分でも随分と変わった場所を巡っているものだと思う。
そんな英寿の視線に気づいた一誠が声をかけた。
「何見てるんだ、英寿?」
「いや。京都じゃ妖怪の屋敷にいて、今度は悪魔の部室かと思ってな」
一誠も言われて初めて気づいたように、部室の中を見回した。
「そう考えると、すげぇ移動してるな」
「お前たちについてきた結果だけどな」
「それはそうだけど」
一誠は苦笑してから、ふと京都に残してきた少女を思い出したように口元を緩める。
「九重がここにいたら、英寿の隣をずっと陣取ってそうだな」
英寿もその姿を簡単に想像出来たらしく、僅かに笑った。
「ありそうだな」
そこへ小猫が静かに口を挟む。
「一誠先輩はまた弄られると思います」
「何で俺までセットなんだよ!」
一誠の声に、部室へ笑いが広がった。
ソーナはそんな様子を眺めながら、先ほどまで警戒していた異世界の神が、一誠たちの中ではすでに自然に会話へ混ざっていることに気づいていた。
力だけを見れば、間違いなく危険な存在だ。
世界そのものへ干渉出来るという話が事実なら、悪魔社会の常識で測れる相手ですらない。
けれど、人間性まで力と同じ基準で判断することは出来ない。少なくとも今の英寿からは、その力を誇示したり、この世界の者を見下したりするような態度は感じられなかった。
「会長?」
匙に呼ばれ、ソーナは思考から戻った。
「何でもありません」
そう答えて立ち上がる。
「ではリアス。英寿さんについて何か大きな変化があれば、私にも連絡をお願いします」
「もちろんよ」
ソーナは最後に英寿へ視線を向けた。
「それでは、英寿さん。改めて、駒王町へようこそ」
英寿は軽く笑った。
「どうも」
ソーナと匙が部室を出ていき、扉が閉まったところで、一誠が大きく息を吐いた。
「何か俺まで緊張した……」
「あなたは何も聞かれていないでしょう」
リアスが呆れたように言う。
「会長っているだけで何か緊張するんですよ!」
「本人には言うなよ」
英寿が笑うと、一誠は大きく頷いた。
「絶対言わねぇよ!」
そんなやり取りの中、朱乃が新しく茶を淹れ直していく。アーシアと小猫もいつもの場所へ座り、ゼノヴィアは英寿の向かい側へ腰を下ろした。
京都で過ごした数日間とは、また違う空気だった。
ここが、一誠たちの日常なのだろう。
英寿は受け取ったカップを手にしながら、改めて部室を見回した。神を祀る神殿でもなければ、特別な戦場でもない。学校の片隅にある一つの部室に過ぎない。
それでも、ここにいる者たちにとっては大切な場所なのだということくらいは、見ていれば分かった。
「それでさ」
一誠が英寿を見る。
「駒王町に来たのはいいけど、明日からどうするんだ?」
英寿は紅茶を一口飲んだ。
「まずは町を見る」
「また観光?」
「悪いか?」
「いや、悪くないけどさ」
一誠は少し考えると、にやりと笑った。
「じゃあ俺が案内してやるよ」
英寿の眉が僅かに上がる。
「お前が?」
「その言い方なんだよ」
「九重より詳しい案内が出来るのか?」
「ここ俺の地元だからな!?」
英寿は少しだけ考えるふりをしたあと、わざとらしく肩を竦めた。
「じゃあ期待しないでおく」
「期待しろよ!」
また部室に笑い声が広がった。
京都では九重が案内役を買って出て、今度は一誠が駒王町を案内すると言っている。英寿にとってはどちらも予定していたことではなかったが、知らない世界を歩くなら、それくらい行き当たりばったりでも悪くない。
自分がこの世界へ来た理由も、いつ元の世界へ戻れるのかも、英雄派が次にどう動くのかもまだ分からない。それでも、今すぐ全ての答えを出さなければならないわけではなかった。
少なくとも明日は、この町を歩く予定が出来た。
英寿が窓の外へ目を向けると、夕方の光が駒王学園の校舎を赤く染め始めていた。
京都とはまた違う場所で、英寿の新しい日々が静かに始まろうとしていた。