願えば、きっと叶う。   作:吉野家

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駒王町に来た神様【改稿版】

 

 京都を発つ朝、九重は見るからに機嫌が悪かった。

 

 八坂の隣に座り、朝食もきちんと食べている。英寿に話しかけられれば返事もする。だが、箸の進みはいつもより遅く、時折ちらちらと英寿へ視線を向けては、目が合いそうになると慌てたように椀へ戻していた。

 

 理由は考えるまでもない。

 

 今日で一誠たちの修学旅行は終わる。

 

 リアスたちは駒王町へ帰り、英寿もひとまず彼女たちと共に京都を離れることになっていた。

 

 元の世界へ帰る方法が見つかったわけではない。

 

 九重の願いに導かれるようにこの世界へ現れ、八坂を巡る騒動に巻き込まれた。英雄派と呼ばれる集団と接触し、その首領である曹操とも二度顔を合わせている。

 

 それでも、自分がどうしてこの世界まで来たのか。その全てが分かったわけではなかった。

 

 だからといって、京都へ留まり続ければ答えが向こうからやって来るとも思えない。

 

 ならば、見て回ればいい。

 

 英寿にとってはそれくらいの話だった。

 

「九重。お味噌汁が冷めてしまいますよ」

 

 八坂が穏やかに声をかける。

 

「分かっておる」

 

 九重は少しむっとしながら椀を持ち上げ、一口だけ味噌汁をすすった。

 

 それから、また英寿を見る。

 

 今度は目が合った。

 

「……本当に行くのか?」

 

「ああ」

 

「……そうか」

 

 聞いたのはこれが初めてではない。

 

 昨日も似たようなことを確認された気がする。

 

 それでも英寿は、何度聞くんだと笑うことはしなかった。

 

「駒王町を見てくるだけだ。また来るって言っただろ」

 

「いつじゃ?」

 

「そこまでは決めてないな」

 

「では明日でもよいではないか」

 

「それじゃ駒王町に行った意味がないだろ」

 

 九重は露骨に頬を膨らませた。

 

 その様子を見て、一誠が笑いそうになる。隣のアーシアがすぐに肘で軽くつつき、一誠は慌てて口元を押さえた。

 

 小猫は何も言わず食事を続けている。

 

 朱乃は微笑ましそうに二人を眺め、ロスヴァイセも同じ卓で静かに箸を進めていた。

 

 英寿は茶を置く。

 

「九重」

 

「なんじゃ」

 

「昨日、強くなりたいって言ってたな」

 

 九重の表情が少し変わる。

 

 一誠と英寿の手合わせを見たあと、九重自身が口にした願いだった。

 

 また母親が危険な目に遭った時、今度は自分も守れるようになりたい。

 

「言ったぞ。次は妾も母上を守れるようになりたい」

 

「なら、俺がいない間に少しは強くなっておけ」

 

「む?」

 

「次に来た時、何も変わってなかったら格好悪いだろ?」

 

 九重はぽかんと英寿を見た。

 

 別れを惜しむための言葉ではない。

 

 寂しさを慰めるための言葉でもなかった。

 

 次に会うことを、最初から疑っていない。

 

「……どれくらい強くなればよい?」

 

「それを俺に聞くのか?」

 

 英寿が僅かに笑う。

 

 九重は口を閉じた。

 

 何を出来るようになりたいのか。そのために何をするのか。

 

 そこまで英寿が決めてしまえば、それは九重自身の願いではなくなる。

 

 しばらく考え込んだ末、九重は小さく頷いた。

 

「では、次に英寿が来た時に驚かせてやる」

 

「期待してる」

 

「妾は本気じゃぞ」

 

「俺も本気で言ってる」

 

 ようやく九重の箸がいつもの速さに戻った。

 

 八坂も安心したように表情を緩める。

 

 数日前まで、九重が必死に願っていたのはこんな光景だった。

 

 母親と同じ卓を囲み、食事をして、話をする。

 

 当たり前だったものが失われかけたからこそ、その当たり前を取り戻したいと願った。

 

 今はもう、それが目の前にある。

 

 英寿は静かに茶を飲み干した。

 

     ◆

 

 出発の準備を終える頃には、朝の光が屋敷の庭へ差し込んでいた。

 

 八坂の体調はかなり戻っている。

 

 妖力の流れも安定し、あの夜のような危うさはない。それでも完全に本調子というわけではなく、見送りは屋敷の玄関先までとなった。

 

「英寿殿」

 

 八坂が静かに頭を下げる。

 

「改めて、お礼を申し上げます。あなたがいなければ、私は今こうして九重と話すことすら出来なかったでしょう」

 

「それなら九重にも言ってやってくれ。最後にあんたを呼び戻したのは、この子だ」

 

「もちろんです。もう何度も伝えましたよ」

 

「母上は少し言いすぎなのじゃ」

 

「足りないくらいです」

 

 八坂が娘の頭へ手を置いた。

 

 九重は文句を言いながらも、その手を振り払おうとはしない。

 

 英寿自身の荷物は多くなかった。

 

 この世界へ来た時には本当に身一つだったのだから当然だが、それでも八坂は最低限必要になりそうな日用品をいくつか用意してくれている。

 

「何から何まで世話になったな」

 

「それはこちらの台詞です」

 

 八坂はもう一度頭を下げた。

 

 一行が屋敷を離れようとしたところで、九重が英寿の袖を掴む。

 

「英寿」

 

「ん?」

 

「戻ってくるのじゃぞ」

 

 朝食の時ほど不安そうな顔ではなかった。

 

 それでも、最後にもう一度だけ確認しておきたいらしい。

 

 英寿は九重へ身体を向ける。

 

「会えるさ」

 

 九重の目が少し大きくなる。

 

 それから、以前に聞いた言葉を思い出したように笑った。

 

「願い続ければ、じゃろ?」

 

「覚えてたか」

 

「妾を誰だと思っておる」

 

 胸を張る九重の頭を、英寿は軽く撫でる。

 

「じゃあ、またな」

 

「うむ。またじゃ、英寿」

 

 一行は屋敷を離れた。

 

 少し歩いたところで英寿が一度だけ振り返る。

 

 九重はまだ玄関先から大きく手を振っていた。

 

 京都へ来た時には、帰る道さえ分からなかった。

 

 それが今では、戻ってくる場所が一つ出来ている。

 

 それも悪くない。

 

     ◆

 

 京都から駒王町へ戻る道中、一誠は何度も眠りかけていた。

 

 昨日の手合わせによる疲労が、まだ完全には抜けていない。

 

 アーシアの治療によって傷そのものはほとんど残っていないが、《赤龍帝の籠手》で何度も力を引き上げ、全力に近い状態で英寿を追い続けた疲れまで一晩で消えるわけではなかった。

 

「……昨日、やりすぎた」

 

 座席へ深く身体を預け、一誠が欠伸をする。

 

「一誠さん、本当に無理は駄目ですよ」

 

「分かってるって。筋肉痛みたいなもんだから」

 

「朝から三回目です」

 

 小猫の淡々とした指摘に、一誠が薄く目を開けた。

 

「小猫ちゃん、もうちょっと優しくしてくれてもよくない?」

 

「アーシア先輩が十分優しいです」

 

「それはそうだけど……」

 

 反論する元気も残っていないらしい。

 

 一誠は再び座席へ身体を預ける。

 

 そのまま目を閉じかけ――ふと、膝の上に置いていた左手へ視線を落とした。

 

 今は《赤龍帝の籠手》は出ていない。

 

 昨日の手合わせでも、その前の戦いでも、神器そのものはいつも通り動いていた。

 

 力を求めれば応える。

 

 《Boost》の音声も、昨日は何度も響いた。

 

「……そういや」

 

 一誠が小さく呟く。

 

 京都へ来てからの出来事を思い返す。

 

 八坂の暴走。

 

 英雄派との戦い。

 

 曹操。

 

 英寿との手合わせ。

 

 色々なことが続きすぎて、今まで気に留める余裕がなかった。

 

「……ドライグ?」

 

 胸の内で呼びかける。

 

 返事はない。

 

 一誠の眉が僅かに寄った。

 

 考えてみれば、京都へ来てから一度も、相棒本人の声を聞いていない。

 

 力は使えている。

 

 《赤龍帝の籠手》にも異常はない。

 

 繋がりが消えてしまったような感覚もなかった。

 

 ただ、ドライグだけが妙に静かだ。

 

「おい、ドライグ?」

 

 もう一度呼ぶ。

 

 やはり返事はなかった。

 

「……何やってんだ、あいつ」

 

 普段なら、その言い方をした時点で何か言い返してきそうなものだが、それすらない。

 

 一誠は少しだけ左手を見つめる。

 

 気にはなる。

 

 だが、力は使える。

 

 何かが切れた感覚もない。

 

「……まあ、少し様子見るか」

 

 一誠は左手から視線を外した。

 

 少し離れた席に座っていた英寿は、その様子を一度だけ横目で見ていた。

 

 何かを気にしていることには気づいた。

 

 だが、一誠自身が話す様子もない。

 

 わざわざ聞く必要もないだろう。

 

 英寿は窓の外へ視線を戻した。

 

 流れていく景色は、自分が知る日本とよく似ている。

 

 京都でも感じたことだ。

 

 街並みも、交通機関も、人々の暮らしも大きくは変わらない。

 

 違うのは、その裏側。

 

 妖怪が土地を治め、悪魔が人間社会のすぐ隣で暮らし、天使や堕天使まで実在している。

 

 表だけ見れば同じに見えるからこそ、違いが余計に面白かった。

 

「何見てるんだ?」

 

 いつの間にか目を覚ましていた一誠が、眠そうな声で尋ねる。

 

「景色」

 

「珍しいか?」

 

「似てるから面白い」

 

 一誠が首を傾げる。

 

「俺のいた世界にも京都はあるし、こういう電車だって走ってる。街の作りも大して変わらない。それなのに、こっちじゃ裏で妖怪や悪魔が普通に暮らしてる」

 

「普通って言っても、人間には隠してるけどな」

 

「それでも社会はあるんだろ?」

 

「ああ」

 

「なら十分違う」

 

 英寿は僅かに口元を上げた。

 

 少し離れたところでは、リアスがそんな二人を見ながら別のことを考えていた。

 

 京都では八坂の庇護下に置くことが出来た。

 

 しかし、これから英寿が滞在する駒王町は、リアス一人だけが管理している土地ではない。

 

「英寿」

 

「ん?」

 

「駒王町へ着いたら、一度学校へ来てもらえる?」

 

 英寿がそちらを見る。

 

「あなたのことはソーナにも伝えてあるわ」

 

「ソーナ?」

 

「ソーナ・シトリー。私と同じ上級悪魔で、駒王町を分けて管理している相手よ。学校では生徒会長をしているわ」

 

「悪魔が生徒会長か」

 

 英寿の口元が僅かに上がった。

 

「随分、人間社会に馴染んでるんだな」

 

「リアスだって部活動の部長をしていますけどね」

 

 近くに座っていたロスヴァイセが補足する。

 

「ああ。そういえばそうだったな」

 

「オカルト研究部よ」

 

「悪魔がオカルト研究部」

 

 英寿は一度その言葉を噛み締める。

 

「出来すぎだろ」

 

「私たちにとっては普通なのよ」

 

 リアスは少し呆れたように返したあと、声音を改めた。

 

「あと、あなたについて報告したのはソーナだけじゃないわ」

 

「へえ」

 

「お兄様たちにも報告は上がっている。アザゼルは最初から把握しているし、今回は英雄派が関わった事件だから、三大勢力の間でも必要な情報は共有されることになるわ」

 

 一誠の眠そうだった顔が少し持ち上がる。

 

「じゃあ、天使側にも英寿のことが伝わるのか?」

 

「ええ。少なくとも上層部には」

 

 リアスが頷く。

 

「英雄派は三大勢力だけの問題でもないもの。必要に応じて、友好的な神話勢力にも情報は回るでしょうね」

 

「北欧側にも、おそらく届くと思います」

 

 ロスヴァイセが続けた。

 

「アースガルズに?」

 

「ええ。どこまで詳しい内容になるかは分かりませんが、概要程度なら」

 

 英寿は窓の外へ目を向けたまま、特に困った様子も見せない。

 

「俺の知らないところで随分広まってるな」

 

「人気者だな、英寿」

 

 一誠が笑った。

 

 英寿はようやくそちらを向く。

 

「当然だろ」

 

「当然なのかよ」

 

「スター・オブ・ザ・スターズ・オブ・ザ・スターズだからな」

 

「まだそれ言うのかよ!」

 

 一誠の声が車内に響いた。

 

 近くの乗客がこちらを見る。

 

 アーシアが慌てて一誠の袖を引いた。

 

「一誠さん、声が大きいです」

 

「ご、ごめん!」

 

 一誠は慌てて声を落とし、今度は英寿へ顔を寄せる。

 

「ていうか長ぇんだよ、それ! なんなんだよスター・オブ・スターズ何とかって!」

 

「最後まで覚えてから文句言え」

 

「覚える気ねぇよ!」

 

 朱乃が口元を押さえて笑う。

 

 小猫も僅かに肩を揺らしていた。

 

「少なくとも、ご本人は名前が広まることを気にしていないようですね」

 

 ロスヴァイセが小さく息を吐く。

 

「有名になるのには慣れてるからな」

 

「そういう問題なのかしら……」

 

 リアスも苦笑した。

 

 先ほどまで少し硬くなっていた空気は、いつの間にか消えていた。

 

     ◆

 

 駒王町へ戻った頃には、午後を少し回っていた。

 

 一度それぞれ荷物を置くために別れ、夕方前には駒王学園へ集まることになった。

 

 英寿はリアスたちに案内され、初めてその校門をくぐる。

 

「ここか」

 

「駒王学園よ。私たちが普段通っている学校」

 

「見た感じは普通だな」

 

「見た感じは、ね」

 

 リアスが苦笑する。

 

 校内へ入っても、その印象は大きく変わらない。

 

 教室があり、廊下があり、掲示板には部活動の案内が並んでいる。すれ違う生徒たちも普通の学生にしか見えない。

 

 ここを悪魔が管理していると言われても、事情を知らない人間ならまず信じないだろう。

 

 本校舎を離れ、少し古びた建物の前まで来る。

 

「ここがオカルト研究部の部室よ」

 

「随分それっぽい場所を使ってるんだな」

 

 中へ入る。

 

 ソファやテーブル、落ち着いた調度品が並び、学校の部室というより小さな応接室に近かった。

 

「部室にしては豪華だな」

 

「よく言われますわ」

 

 朱乃が楽しそうに笑い、そのまま茶の準備を始めた。

 

 リアスは英寿へソファを勧める。

 

「それと、英寿が滞在する場所だけれど」

 

「決まったのか?」

 

「ええ。グレモリー家が駒王町に来客用として確保しているマンションがあるの。その一室を使ってもらうわ」

 

「ホテルじゃないのか」

 

「いつまでこの世界にいることになるか分からないでしょう?」

 

 リアスは用意していた鍵をテーブルの上へ置いた。

 

「学園からも駅からも、それほど遠くないわ。しばらく滞在するならホテルよりその方がいいと思って」

 

 英寿は鍵を手に取る。

 

「随分準備がいいな」

 

「あなたを京都から連れてきて、寝る場所もありませんでは済まないでしょう」

 

「それもそうか」

 

 英寿は鍵を軽く弄び、そのままポケットへ入れた。

 

「じゃあ、ありがたく使わせてもらう」

 

「もっと遠慮するかと思っていたわ」

 

「使っていいって言ってるものを断る理由もないだろ」

 

 英寿は何でもないことのように答えた。

 

「それに、何でも自分で作って済ませるのも面白くない」

 

 リアスが少しだけ目を細める。

 

「あなたなら本当に出来てしまうものね」

 

「だからやらない」

 

 必要なら使う。

 

 だが、出来ることと、何でもやることは違う。

 

 そんな話をしている途中、部室の奥から人の気配がした。

 

 英寿が視線を向ける。

 

 本棚の近くに、小柄な金髪の少年が立っていた。

 

 初めて見る顔だった。

 

 少年も英寿を見つけると、僅かに足を止める。

 

 少し緊張した様子はある。

 

 だが、その場から離れることはなかった。

 

「ああ、ちょうどよかったわ」

 

 リアスが少年へ声をかける。

 

「ギャスパー。紹介しておくわね」

 

「は、はい」

 

「英寿。私の眷属の一人、ギャスパー・ヴラディよ。京都には来ていなかったから、あなたとはこれが初対面ね」

 

 ギャスパーは英寿へ向き直り、小さく頭を下げた。

 

「初めまして。ギャスパー・ヴラディです」

 

「浮世英寿。英寿でいい」

 

「英寿さん……ですね。よろしくお願いします」

 

「ああ」

 

 英寿がそれ以上何も聞かなかったためか、ギャスパーの方が少し迷ったあとで口を開いた。

 

「京都で……八坂様を助けた方なんですよね?」

 

「そう聞いてるなら、多分俺だな」

 

「はい。一誠先輩からメッセージで教えてもらいました」

 

「一誠から?」

 

 英寿の眉が僅かに上がる。

 

「京都ですごい人に会ったって。あと、その……神様らしいって」

 

「あいつ、そんなこと送ってたのか」

 

「はい」

 

 ギャスパーが少しだけ笑う。

 

「もっと怖い人なのかなって思ってました」

 

「一誠は俺をどう説明したんだ?」

 

「あっ、怖い人だとは言ってないです! ただ、すごく強くて、白くて、神様で……」

 

「十分よく分からない説明だな」

 

 英寿が笑うと、ギャスパーも困ったように笑った。

 

 ちょうどその時、廊下から賑やかな声が近づいてくる。

 

「ただいま戻りました!」

 

 一誠が扉を開け、その後ろからアーシア、小猫、ゼノヴィアが続いて入ってきた。

 

 ギャスパーを見つける。

 

「ギャスパーも来てたのか」

 

「はい。一誠先輩」

 

「英寿とはもう会った?」

 

「さっき紹介してもらいました」

 

「そっか」

 

 それだけで会話は終わった。

 

 英寿は二人を眺める。

 

 京都で見かけなかっただけで、この少年も最初からリアスの眷属としてこの輪の中にいる一人なのだろう。

 

 ほどなくして部室が賑やかになり、その空気が少し落ち着いた頃。

 

 扉が二度、規則正しく叩かれた。

 

「どうぞ」

 

 リアスの返事を待って扉が開く。

 

 入ってきたのは眼鏡を掛けた黒髪の少女だった。

 

 その後ろには、京都でも見かけた匙元士郎が控えている。

 

「初めまして。ソーナ・シトリーです」

 

 落ち着いた声音だった。

 

 英寿を見る目に敵意はない。

 

 だが、何も警戒していないわけでもない。

 

 駒王学園の生徒会長。

 

 そして、リアスと共に駒王町を管理する上級悪魔。

 

「浮世英寿。英寿でいい」

 

「では、英寿さんと」

 

 ソーナは向かい側のソファへ腰を下ろした。

 

 朱乃が茶を置く。

 

「リアスから、京都での件については一通り聞いています」

 

 英寿は黙って続きを待った。

 

「異なる世界から来たこと。仮面ライダーという戦士へ変身すること。そして、あなた自身が神であると話していること。私たちの知る体系では説明出来ない力を持っていることも」

 

「随分聞いてるな」

 

「あなたがこれから滞在するのは、私も管理している町ですから」

 

「それもそうか」

 

 英寿はあっさり頷く。

 

 報告だけを見れば、警戒する理由はいくらでもあるのだろう。

 

 未知の変身装置。

 

 八坂の暴走を止めた戦闘力。

 

 そして、既存の神器や魔術とは明らかに異なる力。

 

 だが同時に、英寿が京都で何をしたかも報告には残っている。

 

 ソーナはそこで一度言葉を区切った。

 

「率直に申し上げます。あなたが駒王町へ滞在すること自体に、私は反対しません」

 

「話が早いな」

 

「八坂様と九重様を救った人物であることは事実です。未知だからという理由だけで、敵だと決めつけるつもりはありません」

 

「賢明だな」

 

「ただし、何も確認せず受け入れるわけにもいきません。ここは私にとっても守るべき場所ですから」

 

「当然だろ」

 

 英寿は不快そうな様子もなく答える。

 

「この町を支配する意思や、新しく勢力を作るつもりはありますか?」

 

「ないな」

 

「悪魔社会へ積極的に干渉する目的は?」

 

「特には」

 

 即答だった。

 

 ただ、そのあと英寿は僅かに視線を上げる。

 

「何が起きても全部無視するって約束までは出来ないけどな」

 

「……どういう意味でしょう」

 

「目の前で誰かが好き勝手やってたら、止めることはあるだろ」

 

 リアスにはその意味が分かっていた。

 

 曹操へ向けた態度と同じだ。

 

 自分から争いを起こすつもりはない。

 

 けれど、必要なら止める。

 

 ソーナも少し考えたあと、静かに頷いた。

 

「分かりました。それなら、私からお願いすることは一つだけです」

 

「なんだ?」

 

「町全体へ大きな影響を及ぼすような行動を取る場合は、可能な範囲で私かリアスへ知らせてください。緊急時に許可を求めろという意味ではありません」

 

 英寿は数秒だけ考える。

 

「いいぜ」

 

「ありがとうございます」

 

 そこでようやく、ソーナが茶へ手を伸ばした。

 

 能力を一つずつ聞き出そうとはしない。

 

 何が出来るのか試すようなことも言わない。

 

 最低限、駒王町を預かる者として確認すべきことだけを確認する。

 

 英寿にとっても、その方が話は早かった。

 

「会長。そんな簡単に決めていいんですか?」

 

 傍らに立っていた匙が、少し心配そうに尋ねる。

 

「簡単には決めていません」

 

 ソーナは匙へ視線を向けた。

 

「リアスから報告を受け、京都での行動も確認しています。そのうえで今、本人とも話しました」

 

「でも……」

 

「敵意のない相手へ、未知だからという理由だけでこちらから敵意を向ける方が問題でしょう」

 

 匙は少し考え、それ以上は言わなかった。

 

「やっぱり賢いな」

 

 英寿が何気なく言う。

 

 ソーナの眉が僅かに動く。

 

「褒められたと受け取っておきます」

 

「褒めてるよ」

 

 それだけのやり取りで、二人の間にあった硬い空気も少し薄れた。

 

 初対面としては、それで十分だった。

 

     ◆

 

 ソーナと匙が部室を出ていったあと、一誠が大きく息を吐いた。

 

「何か俺まで緊張した……」

 

「あなたは何も聞かれていなかったでしょう」

 

 リアスが呆れたように言う。

 

「会長っているだけで緊張するんですよ」

 

「本人には言うなよ」

 

 英寿が笑う。

 

「絶対言わねぇよ」

 

 ギャスパーが小さく笑った。

 

 朱乃が茶を淹れ直し、部室はすぐに普段の空気へ戻っていく。

 

 アーシアはまだ昨日の疲労が残る一誠を気にし、小猫はいつもの場所で菓子へ手を伸ばす。

 

 ゼノヴィアは今後の予定をリアスへ確認し、ロスヴァイセは京都から持ち帰った資料を整理していた。

 

 ギャスパーも本を抱えて自分の席へ戻っている。

 

 英寿はそんな光景を眺めながら、出された茶を口へ運んだ。

 

 京都では妖怪の屋敷。

 

 今度は、悪魔たちが集まる学校の部室。

 

 神殿でもなければ、特別な戦場でもない。

 

 ただの学校の一室だ。

 

 それでも、ここにいる者たちにとっては大切な場所なのだろう。

 

 ここが彼らの日常だ。

 

「それでさ、英寿」

 

 一誠が向かい側から声をかける。

 

「ん?」

 

「駒王町に来たのはいいけど、明日からどうするんだ?」

 

 英寿は窓の外へ一度目を向けた。

 

 自分がこの世界へ来た理由。

 

 帰る方法。

 

 英雄派が今後どう動くのか。

 

 分からないことはまだいくらでもある。

 

 だが、今すぐ全部の答えを出さなければならないわけでもない。

 

「まずは町を見る」

 

「また観光か?」

 

「悪いか?」

 

「いや、悪くないけどさ」

 

 一誠は少し考えたあと、急に自信ありげな顔になった。

 

「じゃあ俺が案内してやるよ」

 

 英寿の眉が僅かに上がる。

 

「お前が?」

 

「その反応なんだよ!」

 

 部室に笑い声が広がる。

 

 一誠は構わず続けた。

 

「ここ俺の地元だからな。京都みたいに観光地が山ほどあるわけじゃないけど、飯食うところとか、買い物するところとか、俺たちが普段使ってる場所なら任せろ」

 

「九重より詳しい案内が出来るのか?」

 

「出来るに決まってるだろ! 俺ここで育ったんだぞ!」

 

 英寿は少しだけ考えるふりをする。

 

 その時間が長くなるほど、一誠の顔から自信が消えていった。

 

「……なんだよ」

 

「いや」

 

 英寿はカップを置く。

 

「じゃあ、頼む」

 

「おう!」

 

 一誠の顔が一気に明るくなる。

 

「期待しないでおく」

 

「そこは期待しろよ!」

 

 また笑い声が上がった。

 

 英寿はその中で、窓の外へ目を向ける。

 

 夕方の光が駒王学園の校舎を赤く染め、その向こうに駒王町の街並みが広がっていた。

 

 明日は、一誠がこの町を案内するらしい。

 

 どんな場所を見せられるのか。

 

 少なくとも、京都とはまた違ったものが見られそうだった。

 

 帰る道は、まだない。

 

 けれど――。

 

 退屈することも、しばらくはなさそうだった。

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