ステッキを拾った。魔法少女になった(30代男性)。 作:稲荷竜
何かをしていると、ある日唐突に世界が変わることがある。
まあ、比喩表現だ。昨日までできなかったことがいきなりできるようになったり、昨日まで全然わからなかったことが急にわかるようになったり、そういうことが、長めに生きていると、わりとあることに気付く。
それはたぶん、本当に『唐突にわかるようになった』わけじゃなくって、自分の中で経験値みたいなものが溜まり続けて、ある日レベルアップする。その『ある日』に差し掛かったと、そういうことなんだろう。
でも成長は段階的ではなく唐突なジャンプアップ方式だ。
世界はある日、唐突に変わる。
つまり、今見えているこの光景も、『そういうこと』なのかもしれない。
というか……
『そういうこと』っていうことにして、どうにか理屈付けないと、やってられない。
「……うろついてますね、怪物。普通に」
魔法少女特有の脳内レーダーマップが唐突に灯ったかと思えば、異常な量の敵対勢力反応を示した。
こういうのにも誤作動あるのか? と思ったが一応確認したら……
町のそこらじゅうに、怪物がいる。
レーダーマップは正常だった。状況が正常じゃなかった。
その怪物たちが何をしているかと言えば、普通に歩いている。
普通の人たちも、普通に歩いている。
すぐそこを歩く怪物になんかまったく気づいていないように歩いたり談笑したり、『日常』を過ごしている。
怪物も怪物で、『日常』を過ごしている人たちには手は出さない、どころか興味もないふうに、普通に歩いていた。
「
家で世話してる神探し家出少女の間シフはやっぱり俺の隣にいて、俺の横で、昼の町内を見ていた。
変身前のセーラー服姿は、彼女が唯一持っている『外を歩ける服』のようだった。隣の学区の学生服、しかも横に中年おじさんという姿は悪目立ちをするのだけれど、今はそうも言っていられない。
彼女を世話すると決めたその日の夕方、この異常事態は起こっている。
マットレスどころか、パーテーションどころか、彼女の服を買いに行く暇さえ、ない。
「……見えます。……違う、ずっと、見えてた」
「……」
「そうだ、ずっと見えてた……! 思い返せば、ずっと、こうだった! ずっと、こんな……」
「落ち着いてください。深呼吸をして」
「……ごめんなさい、でも……あれ、本当に、ずっと、そこにいた……ずっとそこにいたのに、気づけなかった……? あんな
混乱している。気持ちはわかる。
でも、どれほどの事態でも冷静にならなければならない時というのはある。たとえば真横で女の子が、今にも崩れ落ちそうなほど混乱して、恐怖している時など。
あとまあ社畜人生が長かったので、理不尽慣れもしている。
どうしようもないことが起こって混乱しそうな時は、とにかく『理屈をつける』のが大事だ。
別につけた理屈が真実である必要はない。なんでも、自分の中で説明がつけば、わりと混乱は収まるものだ。
……実際、以前から気になっていたことはあったんだ。
廃工場で俺は『魔術工房』というものを初めて見た。
その時に、量産体制に圧倒された。
……だが、廃病院も、『魔術工房』だったらしいと、
まあ教えてもらったっていうか、『
あの量産体制の『魔術工房』が複数あったとして。
魔法少女たちが倒しているモンスターが、威力偵察とか、『脱走兵』の位置づけだとして……
それにしたって、少なすぎる。
たとえば全体の1%かそれに届かない数が、街に出没して魔法少女に倒されるものになるとしたって、あれだけの量産体制で、1%という数が、今まで魔法少女に倒された数ぽっちしかいないのは、明らかに、おかしい。
気になっていた。でも、放置していた。どうしようもない。調べようも、調査の依頼のしようも、対処のしようもない。だから、放置した。
どうにもならない問題について考える時間は、基本的には無駄だから。
でも、もし、もう少し深く掘り下げて、危機感を抱いて、何がなんでもという気概で、感じていた違和感に対処していたら……
……まあ、事態が今より良くはなっていないだろうな。
目が合った。
怪物がこちらを見た。ゴブリンあるいは餓鬼型の集団。十、二十、数えるのも面倒。この住宅街に住んでいる人よりも、多そうだ。
そいつらがこちらを見て、真っ黒な眼窩から、どろりとした暗闇をこぼした。
暗闇は涙のように頬を伝い、粘度のある液体特有の、糸を引きながら垂れて、粘度の限界まで垂れたら切れて落ちる、という動きをした。
落ちた暗闇が地面の上でうごめいている。
うぞうぞと、それ自体が一つの生物のようにうごめきながら……
……こちらを。
俺を、目指して、もがいているように、見えた。
不気味でおぞましい動作だけれど、俺にはそれが、助けを求めているように見えた。
次の瞬間、怪物どもが、こちらに向けて、一斉に駆け出してくる。
「鬼林さ──」
間さんの声がかけられるより早く俺が動いていたのは、猛烈な怒りによってだった。
でもそれは、俺の怒りではなかった。
肉体が鬼林のままなのに、俺の喉から出た声も、俺の声ではなかったし……
発せられた言葉は、俺の知っている変身の文言では、なかった。
「魔杖、詠唱」
少女の声が、俺の喉から出ていた。
変身の文言は、『魔杖、抜刀』だったはずだ。
だが、思えばおかしい。
抜刀すべきは聖剣だろう。
解錠すべきは七つ道具だろう。
掲揚すべきは聖印だろう。
詠唱すべきは魔杖だろう。
しかし、聖剣は解錠された。七つ道具は掲揚された。そして魔杖は抜刀された。
何かをずらされていた。
それが今、世界の真実の姿を目の当たりにして、戻った。
地面に落ちた暗闇が、歓喜を表すように舞う。
分かたれた飛沫たちが、大本の大海を前にして笑う。
この体はやつらの故郷であり母であるのだと理解する。
頭がおかしくなりそうだ。理屈をつけよう。説明をつけよう。物事が自分の理解の範疇にあるという錯覚で、俺は理性を保つことができる。
セミオートで動くはずの体は、フルオートになっていた。
フルオートで放たれた言葉は、
「
殺意よりレイヤーが三つぐらい高い感情を発していた。
そしてフルオートで敵に突っ込んでいった。
自我が完全に出て、そして完全に俺という矮小な存在のことについては忘れられている。
かくしてたぶん、最終決戦らしきものが始まった気配はあるんだが……
これがどういう位置づけの戦いなのかさえ、俺はなんにも、知らない。