アランスミシー探偵事務所の事件簿   作:山門門山

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case10 泥棒は何処だ

第四話 車泥棒はどいつだ

 

「……車がねぇ」

 

 所長はガレージの前で、頭を押さえながら呟いた。

 

 何度見ても同じだった。

 

 いつもそこに停めてあるはずの愛車が、跡形もなく消えている。

 

「……」

 

 所長はしばらく無言でガレージを眺めていた。

 

 そして、事務所の中へ戻る。

 

「リリスもいねぇな」

 

 机の上を見る。

 

 書類はそのまま。

 

 椅子もいつもの位置。

 

 リリスの眼鏡拭きまで置いてある。

 

「……どうせ仕事だろ」

 

 特に心配する様子もなく、所長は鼻を鳴らした。

 

 リリスがいない。

 

 それ自体は珍しいことではない。

 

 女刑事と組んで勝手に捜査へ出ることもある。

 

 所長を起こそうとしたところで起きないことも知っている。

 

「まあ、あいつらで勝手にやってりゃいい」

 

 所長は大きく欠伸をした。

 

 そのまま壁の銃器棚へ目を向ける。

 

「……」

 

 いつもリリスが携帯している拳銃がない。

 

「拳銃も持っていったか」

 

 これも別に気にしなかった。

 

 仕事で使うなら持っていけばいい。

 

「必要なら使うだろ」

 

 所長は棚を閉めた。

 

 そして、もう一度ガレージを見る。

 

「……」

 

 車がない。

 

「……いや」

 

 所長の顔が険しくなる。

 

「これは話が違う」

 

 リリスがいない。

 

 仕事だろう。

 

 拳銃がない。

 

 仕事道具だ。

 

 だが――。

 

「なんで俺の車までねぇんだ?」

 

 所長は腕を組んだ。

 

 考える。

 

 しばらく考える。

 

 そして。

 

「……盗まれたな」

 

 結論が出た。

 

「間違いねぇ」

 

 所長は頷いた。

 

「リリスが捜査に出る」

 

 指を一本立てる。

 

「拳銃を持っていく」

 

 二本目。

 

「俺の車がなくなる」

 

 三本目。

 

「……車泥棒だ」

 

 所長は完全に納得した。

 

「リリスは関係ねえ」

 

 むしろ、捜査へ出ているリリスに車泥棒の責任を押しつける発想すらなかった。

 

「俺の車を盗んだ奴がいる」

 

 所長の顔が険しくなる。

 

「……許さねえ」

 

 車は所長にとって単なる移動手段ではない。

 

 自分で選び、金を払って手に入れたものだ。

 

 気に入った銃器と同じくらい、大事にしている。

 

「俺の車を盗むとはな……」

 

 所長はガレージの奥へ歩いていった。

 

 そこには、以前借金を買い取った貴族から手に入れた、もう一台の車がある。

 

「こいつを使うか」

 

 運転席へ乗り込む。

 

 その前に、倉庫から大型ライフルを持ち出した。

 

 さらに重機関銃。

 

 弾薬箱。

 

 予備弾倉。

 

 必要そうな軍用品。

 

 それらを車へ乱暴に放り込んでいく。

 

「待ってろよ」

 

 エンジンをかける。

 

「車泥棒」

 

 アクセルを踏み込む。

 

「俺の車を盗んだこと、後悔させてやる」

 

 車はガレージから飛び出していった。

 

     ◆

 

 しばらく走ったところで、所長は路面に黒い跡を見つけた。

 

「……オイルか?」

 

 車を止めて降りる。

 

 しゃがみ込み、指先で黒い液体に触れた。

 

「……」

 

 鼻を近づける。

 

「俺の車のだ」

 

 所長の顔に、怒りとも嬉しさともつかない笑みが浮かんだ。

 

「馬鹿だな」

 

 立ち上がる。

 

「オイル漏らしながら逃げやがった」

 

 再び車へ乗り込む。

 

 アクセルを踏み込んだ。

 

 百キロ。

 

 百二十。

 

 百四十。

 

 百五十。

 

 街灯が猛烈な勢いで後方へ流れていく。

 

「逃げられると思うなよ!」

 

 所長が怒鳴る。

 

「俺の車だぞ!」

 

 クラクションを鳴らしながら交差点を曲がる。

 

「誰が盗んだか知らねえが!」

 

 さらに速度を上げる。

 

「見つけたらただじゃ済まさねえからな!」

 

     ◆

 

 一方その頃。

 

 埠頭の倉庫では、リリスと女刑事が追い詰められていた。

 

「……まずいですね」

 

 リリスが呟く。

 

「何がだ?」

 

 女刑事が荒い息を吐く。

 

「弾です」

 

 リリスが拳銃を確認する。

 

「残り数発です」

 

「……」

 

 女刑事も自分の拳銃を見る。

 

 こちらも似たようなものだった。

 

「応援は?」

 

「呼べません」

 

「無線は?」

 

「壊されています」

 

 女刑事が腰から無線機を取り出す。

 

 アンテナは折れ、内部から嫌な音がする。

 

「本当に壊れてるな……」

 

「倉庫へ侵入した際に撃たれたのでしょう」

 

「電話は?」

 

「私たちの車の中です」

 

「……」

 

 女刑事は頭を抱えた。

 

「つまり?」

 

「外へ出なければ連絡できません」

 

「外には敵がいる」

 

「はい」

 

「……詰んでないか?」

 

「かなり」

 

 リリスは淡々と答えた。

 

「ですが、証拠は確保しています」

 

 近くには金属ケースが置かれている。

 

 薬品。

 

 製造記録。

 

 帳簿。

 

 薬物の原料。

 

 そして――。

 

「薬を作っていたエルフたちも確保できそうだ」

 

 女刑事が呟く。

 

「ここまで来たんだ。なんとしても持って帰るぞ」

 

「ええ」

 

 外から怒鳴り声が聞こえた。

 

「まだ中にいるぞ!」

 

「逃がすな!」

 

 銃声。

 

 壁に弾丸が食い込む。

 

 二人が身を伏せる。

 

「……」

 

 女刑事が顔を上げる。

 

「応援、まだか?」

 

「来ません」

 

「分かってる……」

 

 無線は死んでいる。

 

 電話もない。

 

 逃げ道もない。

 

 銃弾も少ない。

 

「……誰か偶然来ないかな」

 

「可能性は低いでしょう」

 

「だよなぁ」

 

 その時だった。

 

 遠くから、エンジン音が聞こえた。

 

「……?」

 

 二人が顔を見合わせる。

 

 音は小さかった。

 

 だが、確実にこちらへ近づいている。

 

「車?」

 

「ええ」

 

「味方か?」

 

「分かりません」

 

 エンジン音が大きくなる。

 

 倉庫の外にいる男たちも気づいた。

 

「なんだ?」

 

「車が来るぞ!」

 

「誰だ?」

 

 リリスは拳銃を握り直した。

 

 女刑事も壁際へ身を寄せる。

 

「増援だったら終わりだぞ」

 

「その場合は――」

 

 リリスが言いかけた。

 

 次の瞬間。

 

 轟音。

 

 倉庫の大扉が吹き飛んだ。

 

「うわあっ!」

 

「何だ!?」

 

 一台の車が突っ込んできた。

 

 木箱をなぎ倒し、床を削りながら倉庫の中へ侵入する。

 

 車体が大きく跳ねる。

 

 エンジンが唸る。

 

 そして――。

 

 運転席の扉が開いた。

 

「車泥棒はどいつだぁぁぁっ!」

 

 巨大なオーガが飛び降りた。

 

 両手には大型銃器。

 

 顔は完全に怒りで染まっている。

 

「どいつだ!」

 

 男たちが固まった。

 

「何だこいつ――」

 

 所長が引き金を引く。

 

 倉庫内に轟音が響いた。

 

 銃弾が壁や木箱を撃ち抜き、男たちが慌てて散開する。

 

「車泥棒はどいつだ!」

 

 所長は怒鳴りながら、逃げる男たちへ銃を向ける。

 

「俺の車を盗んだ奴はどいつだ!」

 

「撃つな!」

 

「知らねえ!」

 

「俺じゃない!」

 

「だったら誰だ!」

 

 銃声。

 

 木箱が砕ける。

 

 男たちが悲鳴を上げながら物陰へ逃げ込む。

 

 所長は構わず進んでいく。

 

「お前か!」

 

「違う!」

 

「じゃあお前か!」

 

「知らねえ!」

 

「じゃあ誰だ!」

 

 倉庫の中は一瞬で大混乱になった。

 

 リリスと女刑事は、呆然とその光景を見ていた。

 

「……何だ、あれ」

 

 女刑事が呟く。

 

 リリスは眼鏡を押し上げた。

 

「所長です」

 

「いや、それは分かる」

 

 所長は銃を撃ちながら怒鳴っている。

 

「俺の車を盗んだ奴はどいつだ!」

 

「知らねえ!」

 

「ふざけんな!」

 

 さらに銃声。

 

「車を盗んでおいて知らねえだと!?」

 

 女刑事がリリスを見る。

 

「……お前の所長、何か勘違いしてないか?」

 

「しているでしょうね」

 

「止めなくていいのか?」

 

「何をです?」

 

「……全部だよ!」

 

 リリスは少し考えた。

 

「ですが、結果的に助かっているので」

 

「そういう問題か!?」

 

 所長は倉庫の奥まで進んでいく。

 

「どこだ!」

 

 敵は散り散りになっている。

 

「車泥棒はどこだ!」

 

 しかし、誰一人として所長が追っている犯人ではない。

 

 そもそも、この場にいる者の中に車を盗んだ人間がいるとは限らない。

 

 所長はそれを知らない。

 

 ただ、路面に残されたオイル跡を追ってここまで来ただけだった。

 

「……」

 

 やがて、所長はリリスを見つけた。

 

「おう」

 

「所長」

 

「何してんだ?」

 

「捜査です」

 

「そうか」

 

 所長は頷いた。

 

「応援は?」

 

「呼べません」

 

「そうか」

 

「無線を壊されました」

 

「なるほどな」

 

 所長はあっさり納得した。

 

 そして大型ライフルを肩に担ぐ。

 

「まあ、頑張れ」

 

「……」

 

 女刑事が目を見開く。

 

「いや、そこは手伝えよ!」

 

「俺は別件だ」

 

「別件?」

 

「車泥棒だ」

 

 所長は真顔だった。

 

「俺の車を盗んだ奴を追ってきた」

 

 女刑事は絶句した。

 

 リリスはため息を吐く。

 

「なるほど」

 

「何がだ?」

 

「いえ」

 

 リリスは倉庫の奥を見る。

 

「どうやら所長は、私たちが埠頭へ来ていることすら知らなかったようですね」

 

「当たり前だ」

 

 所長は答える。

 

「お前らは近場で捜査してると思ってた」

 

「……そうですか」

 

「拳銃持ってったのも仕事だろ?」

 

「はい」

 

「それはいい」

 

 所長は頷いた。

 

「だが車は別だ」

 

 その顔が再び険しくなる。

 

「俺の車を勝手に持っていった奴は許さねえ」

 

 女刑事が呆れた声を漏らした。

 

「お前……事件の方はどうでもいいのか?」

 

「お前らが調べてるんだろ」

 

「そうだけど!」

 

「なら任せる」

 

 所長は堂々と言った。

 

「俺は車を取り戻す」

 

 そして再び倉庫内を見回す。

 

「……で」

 

 大型ライフルを構える。

 

「車泥棒はどいつだ?」

 

 誰も答えない。

 

 所長は眉をひそめる。

 

「……」

 

 静寂。

 

「誰も知らねえのか?」

 

 男たちは怯えたまま首を横に振る。

 

「……まあいい」

 

 所長は鼻を鳴らした。

 

「なら、吐くまで聞けばいい」

 

 リリスは眼鏡を押し上げた。

 

「所長」

 

「なんだ?」

 

「その前に、証拠を運ぶのを手伝ってください」

 

「……」

 

 所長は金属ケースを見る。

 

「重いか?」

 

「それなりに」

 

「分かった」

 

 所長は大型ライフルを肩に担いだまま、ケースを片手で持ち上げた。

 

「これでいいか?」

 

「はい」

 

 女刑事は呆れながら呟く。

 

「……なんだかんだで役には立つんだよな」

 

 リリスが答える。

 

「ええ」

 

 所長はケースを持ったまま、倉庫の外へ歩き出す。

 

 そして最後に振り返った。

 

「車泥棒が見つかったら教えろ」

 

「何で私たちが?」

 

「俺の車だからだ」

 

「……はいはい」

 

 リリスは小さくため息をついた。

 

 こうして、所長は事件の核心をほとんど知らないまま、偶然にも捜査現場へ乱入した。

 

 そして本人が最後まで追いかけていたのは――。

 

 麻薬組織でも、エルフの密造組織でもない。

 

 ただの車泥棒だった。

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