アランスミシー探偵事務所の事件簿   作:山門門山

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case95 祭

第九十六話 龍神と酒樽

 

 鬼嶺の祭りは、夜が深くなるほど賑わいを増していた。

 

 太鼓が鳴る。

 

 笛が響く。

 

 屋台からは肉を焼く音が聞こえ、香ばしい匂いが通りいっぱいに広がっている。

 

 普段なら静かな山間の国とは思えないほどの騒ぎだった。

 

 その祭りの中心から。

 

 少し離れた場所。

 

 提灯の明かりが届くか届かないかという場所に、龍神がいた。

 

 大きな岩に腰を下ろし。

 

 一人で酒を飲んでいる。

 

「……」

 

 祭りが嫌いなわけではない。

 

 人々が自分を恐れるだけではなく、感謝を伝えようとしていることも分かっている。

 

 信綱と朔夜の婚姻を祝うという話も、悪い気はしなかった。

 

 ただ。

 

「……騒がしい」

 

 龍神は小さく呟いた。

 

 太鼓。

 

 笛。

 

 笑い声。

 

 酒の匂い。

 

 料理の匂い。

 

 何もかもが騒々しい。

 

「少し離れていよう」

 

 そう思っていた。

 

 その時だった。

 

「……ん?」

 

 背後から声がする。

 

「なんでこんな離れたとこで飲んでんだ?」

 

「……」

 

 龍神が振り返る。

 

 そこには煙草を咥えた国綱が立っていた。

 

「国綱」

 

「おう」

 

「何をしに来た」

 

「祭りだぞ」

 

「知っている」

 

「だったらもっと真ん中で飲め」

 

「私は静かに飲みたい」

 

「祭りで静かに飲む奴があるか」

 

「ある」

 

「ねぇよ」

 

「ある」

 

「ねぇ」

 

「ある」

 

「じゃあ行くぞ」

 

「……は?」

 

 次の瞬間。

 

 国綱が龍神の身体へ腕を回した。

 

「ちょっ――」

 

 そのまま。

 

 ひょい。

 

「なっ……!」

 

 龍神の身体が持ち上がる。

 

「おい!」

 

「軽いな」

 

「降ろせ!」

 

「暴れるな」

 

「貴様、私を誰だと思っている!」

 

「龍神だろ」

 

「分かっているなら――」

 

「よいしょ」

 

 国綱は龍神を俵のように肩へ担いだ。

 

「な――!」

 

「行くぞ」

 

「降ろせぇ!」

 

 龍神の抗議を完全に無視し。

 

 国綱は祭りの中心へ向かって歩き出した。

 

 ズンズン。

 

 ズンズン。

 

 巨大なオーガが龍神を担いで歩いてくる。

 

 それだけでも異様な光景だった。

 

「……」

 

「……」

 

 祭りの人々が振り返る。

 

「龍神様……?」

 

「国綱が担いでるぞ……」

 

「何してんだ、あいつ……」

 

 誰も止めない。

 

 止められない。

 

 国綱はそのまま祭りの中心へ入り込む。

 

「おい、国綱!」

 

 龍神が叫ぶ。

 

「聞こえてる」

 

「降ろせ!」

 

「分かった」

 

「なら――」

 

「ここでいいな」

 

「え?」

 

 国綱は。

 

 龍神を。

 

 ぽーん。

 

「わっ――!」

 

 放り投げた。

 

 龍神の身体が宙を舞う。

 

 そして。

 

 ドスンッ!

 

 祭りの中心に着地した。

 

「…………」

 

 龍神がゆっくり立ち上がる。

 

 髪が乱れている。

 

 着物も少し崩れている。

 

 角の間から。

 

 怒りに満ちた視線が国綱へ向けられる。

 

「……貴様」

 

「おう」

 

「後で覚えていろ」

 

「祭りが終わる頃には忘れてるだろ」

 

「忘れるものか!」

 

 国綱は笑った。

 

 そして。

 

 祭りの中心を見回す。

 

「なんだ?」

 

「……?」

 

「盛り上がりが足りねぇぞ!」

 

「…………」

 

 一瞬。

 

 祭りが静かになった。

 

 国綱が大声を上げたからだ。

 

「祭りだろ!」

 

「……」

 

「もっと飲め!」

 

「おお!」

 

 誰かが叫ぶ。

 

「もっと騒げ!」

 

「おおお!」

 

「今日は龍神様もいるんだぞ!」

 

「おおおお!」

 

 太鼓が一段と激しくなる。

 

 笛が鳴る。

 

 人々の歓声が広がる。

 

 国綱は満足そうに笑った。

 

「そうだ!」

 

 近くに置かれていた酒樽へ歩いていく。

 

「酒を持ってこい!」

 

「もうあります!」

 

「足りねぇ!」

 

「まだ飲むんですか!?」

 

「祭りだぞ!」

 

 国綱は樽を一つ抱え上げた。

 

 そして。

 

「こうやって飲むんだよ!」

 

 樽の口へそのまま口をつける。

 

 ゴクッ。

 

 ゴクッ。

 

 ゴクッ。

 

「…………」

 

 周囲の人間が呆然とする。

 

「国綱……」

 

 龍神が呟く。

 

「お前は本当に馬鹿なのか?」

 

 国綱は樽から口を離す。

 

「うめぇ!」

 

「聞いているのか?」

 

「ああ」

 

「なら――」

 

「お前も飲め」

 

「……」

 

 龍神が嫌な予感を覚える。

 

「何を言っている?」

 

 国綱は。

 

 別の樽を指差した。

 

「こっちだ」

 

「いや、私は――」

 

「飲め」

 

「私は今まで――」

 

「祭りだぞ」

 

「……」

 

「飲め」

 

「断る」

 

「そうか」

 

 国綱は樽を抱える。

 

 そして龍神の前まで歩いた。

 

「なら、飲ませる」

 

「やめろ!」

 

 龍神が後ろへ下がる。

 

 だが。

 

 国綱の腕が伸びる。

 

「ほら」

 

「嫌だ!」

 

「うまいぞ」

 

「私は酒を飲みに来たのではない!」

 

「祭りなんだから飲め」

 

「理屈になっていない!」

 

 龍神が抵抗する。

 

 だが。

 

 オーガの腕力は圧倒的だった。

 

「ほら」

 

「んぐっ――!」

 

 樽が龍神の口元へ押し付けられる。

 

 龍神は慌てて顔を背けようとする。

 

 しかし。

 

「逃げるな」

 

「飲ませ方が乱暴すぎる!」

 

「酒ってのはこういうもんだ」

 

「違う!」

 

「飲め飲め」

 

「ん……!」

 

 龍神が仕方なく一口飲む。

 

 そして。

 

「……!」

 

 目を見開いた。

 

 喉を通った瞬間。

 

 強烈な熱が身体を駆け抜ける。

 

「……な、何だこれは」

 

「俺が持ってきた酒だ」

 

「……強い」

 

「六十パーセント近い」

 

「馬鹿か!」

 

「うめぇだろ?」

 

「強すぎる!」

 

「だからいいんだ」

 

「良くない!」

 

 国綱は笑いながら自分も一口飲む。

 

「どうだ?」

 

「……」

 

 龍神は口元を拭う。

 

「……悪くはない」

 

「だろ?」

 

「ただし」

 

「なんだ?」

 

「これは酒というより毒に近い」

 

「褒め言葉だな」

 

「違う!」

 

 周囲から笑い声が上がる。

 

 すると。

 

「龍神様!」

 

 一人の男が駆け寄ってきた。

 

「うちの酒も飲んでくだせぇ!」

 

「……何?」

 

 男が持ってきたのは、小さな徳利だった。

 

「山の湧き水で仕込んだ酒です!」

 

「いや、私は――」

 

「ぜひ!」

 

 龍神は困った顔をする。

 

 だが。

 

 目の前の男は、本当に嬉しそうだった。

 

 自分たちの酒を龍神に飲んでもらえる。

 

 それが嬉しいのだ。

 

「……」

 

 龍神は徳利を受け取った。

 

「では、一口だけ」

 

「ありがとうございます!」

 

 龍神が口をつける。

 

「……」

 

 先ほどの強烈な酒とは違う。

 

 柔らかな香り。

 

 すっきりとした後味。

 

「……これは」

 

「どうです?」

 

「悪くない」

 

「本当ですか!」

 

「ああ」

 

 男が満面の笑みを浮かべた。

 

「よかった!」

 

 その様子を見ていた別の男が。

 

「じゃあ俺のも!」

 

「俺の酒も!」

 

「龍神様、こっちは去年仕込んだやつです!」

 

「こっちは山葡萄を使ってます!」

 

「待て!」

 

 龍神が目を見開く。

 

「一度に持ってくるな!」

 

 だが。

 

 止まらない。

 

 次々に酒が集まってくる。

 

「これは鬼嶺でも有名な酒です!」

 

「こっちは甘口!」

 

「こっちは辛口!」

 

「こっちは焼酎だ!」

 

「……」

 

 龍神の顔が引きつる。

 

「私は酒飲み大会をするために来たわけではないぞ……」

 

 国綱が横から笑う。

 

「人気者だな」

 

「貴様のせいだ!」

 

「俺は最初の一杯しかやってねぇぞ」

 

「その一杯が強すぎるのだ!」

 

「そうか?」

 

「そうだ!」

 

 さらに。

 

「龍神様、これもどうぞ!」

 

 今度は料理だった。

 

「……料理?」

 

「山鳥の炙りです!」

 

「こっちは猪肉の煮込み!」

 

「山菜の天ぷらもあります!」

 

「団子もどうぞ!」

 

「うちの漬物も!」

 

「これは鬼嶺名物の味噌焼きです!」

 

 龍神の前へ。

 

 次々と料理が並んでいく。

 

「待て待て待て!」

 

 龍神が両手を上げる。

 

「私は一人だぞ!」

 

「せっかくのお祭りですから!」

 

「龍神様に食べてもらいたいんです!」

 

「いつもは供物として置いて終わりでしたけど!」

 

「今日は一緒に食べてほしいんです!」

 

「……」

 

 龍神は言葉を失った。

 

 今まで。

 

 人間たちは自分の前に食べ物を置き。

 

 頭を下げ。

 

 恐れるように去っていった。

 

 それが。

 

 今日は違う。

 

「これ、美味しいですよ」

 

「ぜひ食べてください」

 

「うちの婆さんが作ったんです」

 

「酒だけじゃ腹に悪いですから!」

 

 皆。

 

 笑っている。

 

 恐れている様子もない。

 

 ただ。

 

 自分たちの好きなものを。

 

 自分にも味わってほしい。

 

 それだけだった。

 

「……」

 

 龍神は。

 

 ゆっくり料理へ手を伸ばした。

 

「……いただこう」

 

「おお!」

 

「食べてくださった!」

 

「どうです?」

 

「……美味い」

 

「本当ですか!」

 

「ああ」

 

 龍神は山鳥をもう一口食べる。

 

「これはいい」

 

 次に煮込みを食べる。

 

「これも悪くない」

 

 山菜を食べる。

 

「……」

 

 少しずつ。

 

 表情が柔らかくなっていく。

 

 だが。

 

 その横では。

 

 国綱が酒を飲んでいた。

 

「ほら、龍神」

 

「……なんだ」

 

「これも飲め」

 

「まだ飲むのか?」

 

「祭りだぞ」

 

「……」

 

 龍神はため息をつく。

 

「少しだけだぞ」

 

「おう」

 

 国綱が酒を注ぐ。

 

 龍神が飲む。

 

 また別の人間が酒を持ってくる。

 

「龍神様、こっちも!」

 

「……」

 

 龍神が飲む。

 

「これは?」

 

「地酒です!」

 

「……」

 

 飲む。

 

「こっちは?」

 

「濁り酒です!」

 

「……」

 

 飲む。

 

「龍神様、料理も!」

 

「……」

 

 食べる。

 

「こっちも!」

 

「……」

 

 食べる。

 

「もう一杯!」

 

「……」

 

 飲む。

 

「もう一品!」

 

「……」

 

 食べる。

 

 そうして。

 

 時間が経つにつれて。

 

「……」

 

 龍神の顔が赤くなっていった。

 

「……」

 

 目が少し虚ろになる。

 

「龍神様?」

 

「……大丈夫だ」

 

「本当ですか?」

 

「大丈夫だ……」

 

 ふら。

 

 身体が揺れる。

 

「……」

 

 龍神は近くの柱へ手をついた。

 

「少し……酒が……」

 

 国綱が覗き込む。

 

「お前、酔ってんのか?」

 

「……誰のせいだ」

 

「俺だけじゃねぇだろ」

 

「貴様が始めたんだ」

 

「まあな」

 

 国綱は笑う。

 

 龍神はゆっくり座り込んだ。

 

「……」

 

 完全にグロッキーだった。

 

「龍神様、大丈夫ですか?」

 

「……大丈夫ではない」

 

 声にも力がない。

 

「少し休まれた方が……」

 

「そうする……」

 

 龍神は両手で額を押さえた。

 

「頭が……回る……」

 

「酒が回ってるんだろ」

 

「分かっている……」

 

 国綱は楽しそうに笑う。

 

「まだ飲めるか?」

 

「飲めるわけがないだろう!」

 

「元気じゃねぇか」

 

「誰のせいだ!」

 

 周囲から笑い声が上がる。

 

 だが。

 

 その笑い声には。

 

 もう恐れはなかった。

 

 ただ。

 

 祭りを楽しむ人々の笑いだった。

 

     *

 

 少し離れたところ。

 

 信綱がその様子を見ていた。

 

「……兄貴」

 

「はい?」

 

 朔夜が振り向く。

 

「龍神様、大丈夫だろうか」

 

「かなり飲まされていますね」

 

「兄貴も止めないのか……」

 

「止めても聞かないでしょう」

 

「それもそうか」

 

 信綱はため息をついた。

 

 だが。

 

 龍神の周りに集まる人々を見る。

 

 酒を持ってきた者。

 

 料理を持ってきた者。

 

 笑いながら話しかける者。

 

「……」

 

 信綱は少しだけ笑った。

 

「でも」

 

「はい?」

 

「悪くないな」

 

 朔夜も頷く。

 

「ええ」

 

「昔は」

 

 信綱は静かに言った。

 

「龍神様へ供物を捧げる時は、皆が緊張していた」

 

「そうですね」

 

「今は」

 

 龍神が酔いつぶれかけながら、人々の料理を食べている。

 

「……笑ってる」

 

 信綱が笑った。

 

「こんな祭りになるとは思わなかった」

 

「私もです」

 

 朔夜も微笑む。

 

 そして。

 

 祭りの中心では。

 

「龍神」

 

「……なんだ」

 

「もう一杯」

 

「断る」

 

「そうか」

 

 国綱は樽を持ち上げる。

 

「じゃあ少しだけ」

 

「だから断ると言っている!」

 

「ははは!」

 

「笑うな!」

 

 太鼓が鳴る。

 

 笛が響く。

 

 人々が笑う。

 

 料理が運ばれる。

 

 酒が回る。

 

 龍神は完全に酔い潰れかけている。

 

 それでも。

 

 誰もが楽しそうだった。

 

 そして龍神も。

 

「……」

 

 酔った頭で。

 

 ほんの少しだけ思っていた。

 

 ――こういうのも。

 

 悪くないのかもしれない。

 

 そんなことを。

 

 誰にも聞こえないほど小さな声で。

 

「……来年も、やってもいいかもしれんな」

 

 呟いた。

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