第九十八話 帰還
祭りの翌朝。
鬼嶺国には、昨日までの騒がしさが嘘のような静けさが戻っていた。
道端には祭りの名残が残っている。
空になった酒樽。
積み重ねられた器。
片付け途中の屋台。
そして。
「……うぅ」
「頭痛ぇ……」
「水……」
「昨日、誰があんなに飲ませたんだ……」
「知らん……」
そこら中に転がる、二日酔いの国人たち。
国綱はそんな光景を横目に見ながら、大きく欠伸をした。
「じゃあ、帰るか」
「はい」
隣でリリスが荷物を確認する。
「忘れ物はありません」
「そうか」
「所長の方は?」
「俺もない」
「本当にですか?」
「ああ」
「……では行きましょう」
「おう」
二人は屋敷へ向かった。
*
最初に待っていたのは。
「おう、国綱」
宗綱だった。
ただし。
顔色が悪い。
目の下には濃い隈。
明らかに二日酔いだった。
「お前、まだ生きてたのか」
「誰のせいだと思ってる」
「知らん」
「昨日お前に無理やり飲まされたんだぞ」
「祭りだろ」
「その言葉で全部済ませるな!」
宗綱は頭を押さえた。
「もう酒は見たくない……」
「そうか」
国綱は宗綱を眺める。
そして。
「じゃあ、最後に一杯だ」
「……は?」
「餞別だ」
「いらん!」
国綱は近くに置いてあった酒瓶を手に取る。
「飲め」
「いや、待て!」
「せっかくだ」
「何がせっかくだ!」
宗綱が逃げようとする。
だが。
国綱の腕が伸びた。
「ほら」
「やめろ!」
「飲め!」
「昨日散々飲んだだろうが!」
「もう一杯くらい変わらん」
「変わる!」
国綱は宗綱の頭を押さえ。
無理やり酒を飲ませた。
「んぐっ――!」
「ほら!」
「げほっ!」
宗綱がむせる。
顔がさらに真っ赤になる。
「……貴様……」
「ん?」
「……覚えていろ……」
「じゃあな」
「待――」
宗綱の身体がぐらりと揺れる。
そのまま。
「……」
ドサッ。
倒れた。
国綱はそれを見下ろし。
「ザマァ見ろ」
満足そうに呟いた。
「所長」
リリスが呆れた顔で呼ぶ。
「何だ?」
「最後までそれですか」
「ああ」
「……本当に呆れます」
「最後だからな」
「その理屈もよく分かりません」
リリスは倒れた宗綱を一瞥する。
「あとで誰かに介抱してもらってくださいね」
「大丈夫だろ」
「所長基準の大丈夫は信用できません」
「そうか?」
「はい」
*
次に。
信綱と朔夜のところへ向かう。
二人は屋敷の前まで出てきていた。
「兄貴」
「おう」
信綱が頭を下げる。
「もう出発ですか」
「ああ」
「昨日の今日ですから、もう少し休んでいかれても」
「仕事がある」
国綱はそう答えた。
朔夜も隣で頭を下げる。
「国綱さん」
「ん?」
「色々と……ありがとうございました」
「別にいい」
「それでも」
朔夜は微笑んだ。
「ありがとうございました」
国綱は少しだけ照れたように煙草を吸う。
「元気でな」
「はい」
信綱が笑う。
「兄貴も」
「おう」
「また来てください」
「気が向いたらな」
リリスが二人へ頭を下げる。
「お二人とも、お幸せに」
「ありがとうございます」
信綱が朔夜を見る。
朔夜も嬉しそうに頷いた。
*
その後。
千代とも別れの挨拶を済ませた。
「国綱さん」
「おう」
「また来るんでしょう?」
「たぶんな」
「ちゃんと連絡してくださいね」
「分かってる」
「本当に?」
「たぶん」
「もう……」
千代は苦笑する。
そして。
「リリスさん」
「はい」
「この人のこと、お願いします」
「もちろんです」
リリスは即答した。
国綱が横から口を挟む。
「俺は子供じゃねぇぞ」
「知っています」
「なら――」
「ですが、放っておくと何をするか分かりませんから」
「……」
「その点は、千代さんも同意見でしょう?」
「ええ」
「おい」
三人が笑う。
国綱は面倒そうに煙草を吹かした。
「じゃあな」
「ええ」
「元気でね」
「ああ」
*
最後に。
龍神のところへ向かった。
祠の近く。
龍神は岩に腰を下ろしていた。
昨日の酒がまだ残っているらしく。
「……」
少しだけ頭を押さえている。
「よう」
「……国綱か」
「帰るぞ」
「そうか」
龍神は顔を上げる。
「もう帰るのか」
「ああ」
「そうか……」
少しだけ寂しそうだった。
だが。
国綱はそんなことには気づかない。
「お前も」
「何だ?」
「いいかげん、引きこもってねぇで外に出ろ」
「…………」
龍神の顔が固まる。
「引きこもり?」
「ああ」
「私は龍神だぞ」
「知ってる」
「この国の守護神だ」
「それも知ってる」
「それなのに引きこもりと言うのか?」
「実際、洞窟にずっといるだろ」
「……」
「たまには外へ出ろ」
「……」
龍神はしばらく黙り。
「貴様……」
額に青筋を浮かべる。
「本当に最後まで失礼だな」
「褒め言葉か?」
「違う!」
少し離れた場所で。
信綱が頭を抱える。
「兄貴……」
朔夜も困ったように笑う。
「最後くらい、普通に挨拶すればいいのに……」
リリスは眼鏡を押し上げる。
「所長ですから」
千代も苦笑する。
「国綱さんらしいわね」
龍神は大きくため息を吐いた。
「……まあいい」
「おう」
「また来るのか?」
「分からん」
「……」
「仕事があれば来る」
「そうか」
龍神は少しだけ笑った。
「その時は酒でも用意しておいてやる」
「おう」
国綱も笑う。
「じゃあな、引きこもり」
「二度と呼ぶな!」
その声を背中に受けながら。
国綱とリリスは鬼嶺国を後にした。
*
山道を抜ける。
鬼嶺国の景色が少しずつ遠ざかっていく。
リリスは車の助手席から、後ろを振り返った。
「……楽しかったですね、所長」
「そうか?」
「はい」
「俺は酒が美味かった」
「それも含めてです」
「そうか」
国綱は煙草を吸いながら運転する。
「また来るか」
「はい」
「……まあ」
国綱は少しだけ笑った。
「悪くなかったな」
「ええ」
それ以上。
二人は何も言わなかった。
ただ。
鬼嶺国を離れ。
人間の国へ戻っていった。
*
そして。
数日後。
荒事専門探偵事務所。
扉が開く。
「ただいま戻りました、所長」
リリスが中へ入る。
国綱も続いて入ってくる。
「……」
久しぶりの事務所。
机。
椅子。
書類。
そして。
いつもの空気。
国綱は大きく息を吐いた。
「やっぱりここだな」
「何がです?」
「落ち着く」
「そうですか」
リリスは荷物を置く。
「コーヒーを淹れます」
「ああ」
しばらくして。
香ばしい匂いが事務所に広がった。
リリスがカップを置く。
「どうぞ、所長」
「おう」
国綱はカップを手に取る。
一口。
「……」
目を閉じる。
「うめぇ」
「そうですか」
「ああ」
国綱は椅子へ深く腰を下ろした。
煙草を咥える。
いつもの事務所。
いつものコーヒー。
いつもの助手。
そして。
いつもの日常。
「……」
国綱は小さく笑った。
鬼嶺国での騒がしい日々も悪くなかった。
だが。
帰ってくる場所があるというのも。
案外。
悪くないものだった。