CASE95 魔族伯爵家の出迎え
ホテルへ向かう車の中。
所長は助手席から窓の外を眺めていた。
リヴァリア共和国の夜景が流れていく。
海沿いの街灯。
白い石造りの建物。
坂道に沿って並ぶ店。
そして、ところどころに見える高級ホテル。
「……で、どんなホテルなんだ?」
所長が尋ねる。
「両親が手配してくださったところです」
「普通のホテルか?」
「さあ」
「……まあ、寝られりゃどこでもいいか」
リリスは何も答えなかった。
その隣では、彼女の両親が苦笑している。
やがて車が大きな門をくぐった。
「……」
所長の顔が止まる。
目の前に現れたホテルは――
とてもではないが、所長が想像していた「普通のホテル」ではなかった。
白い石造りの巨大な建物。
正面には噴水。
玄関へ続く階段の両脇には整えられた庭園。
入口には制服姿の従業員が何人も立っている。
窓からは暖かな灯りが漏れ、海側には大きなテラスまで見える。
「…………」
所長はぽかんと口を開けた。
「……おい」
「はい?」
「ここか?」
「そうです」
「……」
所長はホテルを見上げる。
「俺、間違えて宮殿に来てねぇか?」
リリスが小さく笑う。
「ホテルです」
「……高そうだな」
「でしょうね」
「俺、こんなところ泊まっていいのか?」
「両親が手配してくださったんですから」
「……」
所長は少し気まずそうに頭を掻いた。
「……マジかよ」
その時だった。
ホテルの玄関から、二人の男女が歩いてきた。
魔族の男女。
上品な服装をした壮年の男性と、その隣に立つ女性。
リリスの両親だった。
「リリス!」
母親が嬉しそうに声を上げる。
「お母様」
リリスが歩み寄る。
母親は娘を抱きしめた。
「久しぶりね!」
「はい。お久しぶりです」
「元気そうでよかったわ」
「お父様も」
「うむ」
父親も穏やかに頷く。
「元気そうだな」
「おかげさまで」
二人はしばらく娘と話をしている。
最近の仕事。
旅のこと。
事務所のこと。
そして――所長のこと。
「それで?」
母親がリリスを見る。
「どうなの?」
「何がです?」
「所長さんとは」
「……」
リリスが少しだけ目を逸らした。
「いつも通りです」
「そう」
母親は意味ありげに笑った。
その様子を少し離れたところで見ていた所長。
「…………」
完全に忘れていた。
自分も挨拶しなければならない。
「あ」
所長がようやく我に返る。
「……お久しぶりです」
リリスの両親が振り返る。
所長は少し背筋を伸ばした。
「どうも」
父親が笑う。
「久しぶりだな、国綱君」
「はい」
母親も嬉しそうに頷く。
「元気そうね」
「ええ。まあ」
そして二人は顔を見合わせた。
「……色々聞いたよ」
父親が苦笑する。
「…………」
所長の表情が少し固まる。
「……何をです?」
「色々だよ」
母親も苦笑する。
「魔族の国で随分と派手にやったそうじゃない」
「……」
「リリスからも聞いたし」
「……そうですか」
所長は気まずそうに頭を掻いた。
父親が肩をすくめる。
「まあ、君らしいと言えば君らしいが」
「はぁ……」
「ただな」
父親が少しだけ真面目な顔になる。
「今度は、別れる時くらいちゃんと挨拶してくれ」
所長が目を逸らす。
「……」
リリスが横から言う。
「そうですよ」
「お前まで言うのか」
「当然です」
母親も笑う。
「心配したのよ」
「……悪かった」
所長は素直に頭を下げる。
「今度はちゃんとする」
父親が笑った。
「善処してくれ」
「おう。善処するよ」
所長も笑う。
それを見たリリスの両親は、少し安心したような顔をした。
「さて」
父親がホテルの入口を見る。
「部屋は用意してある」
「ありがとうございます」
「今日はゆっくり休むといい」
「助かります」
一行はホテルへ入っていく。
⸻
豪華なロビーを抜けながら、リリスの父親がふと思い出したように口を開いた。
「そうだ」
「はい?」
「このホテルには、現在、魔王陛下も滞在されている」
所長が振り返る。
「魔王?」
「うむ」
「ご親族の方々も一緒だ」
「へぇ」
所長はあまり気にした様子もない。
父親が続ける。
「だから、くれぐれも失礼のないようにな」
「分かってるって」
「本当に分かっているのか?」
「俺みたいな庶民に、いちいち関わって来ないでしょ」
所長は気楽に笑った。
「王様と庶民だぞ?」
「…………」
リリスの両親が黙る。
リリスも黙った。
三人の脳裏に、同じ光景が浮かぶ。
――魔族の国。
――所長。
――そして、これまでの数々の騒動。
「…………」
リリスの父親がゆっくりと娘を見る。
「……庶民?」
「……本人はそう思っているようです」
母親も苦笑する。
「そうね……」
所長は気にせず歩いている。
「しかし、魔王陛下が避暑か」
「はい」
「大変だな」
「……」
「護衛もいるんだろ?」
「ええ」
「じゃあ俺みたいなのに構ってる暇なんてねぇだろ」
「…………」
リリスの父親は何とも言えない顔になった。
「……まあ」
「?」
「そうだな」
「だろ?」
所長は満足そうに頷く。
その横でリリスが小さくため息をつく。
「所長」
「なんだ?」
「何も起こさないでくださいね」
「起こすわけねぇだろ」
「そう言う人ほど起こします」
「失礼だな」
「経験則です」
「…………」
所長は少し考えた。
「まあ、今回は休暇だからな」
「そうしてください」
一行はエレベーターへ向かう。
扉が開く。
全員が乗り込む。
そして扉が閉じる。
所長は大きく息を吐いた。
「……やっと寝られる」
リリスが横を見る。
「そうですね」
その向こうで、リリスの両親が顔を見合わせる。
二人とも、何となく分かっていた。
この男が「庶民だから大丈夫」と考えている時ほど――
何かが起きる。
そんな予感がしていた。