アランスミシー探偵事務所の事件簿   作:山門門山

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case96 ドキドキサマーバケーション

CASE96 ひとつの部屋

 

エレベーターを降りると、リリスの両親に案内されながら、二人は宿泊する部屋へ向かった。

 

「こちらです」

 

リリスの父親が鍵を開ける。

 

カチャリ。

 

扉が開いた瞬間――

 

「…………」

 

所長が黙った。

 

広い。

 

まず、それが第一印象だった。

 

部屋というより、ちょっとした邸宅の客室に近い。

 

大きなベッド。

 

広々とした居間。

 

海側には大きな窓が並び、そこからはリヴァリアの青い海と、斜面に広がる白い街並みが一望できる。

 

窓を開ければ、海からの乾いた風が部屋の中を気持ちよく通り抜けていく。

 

暑い。

 

だが、アストリアの事務所で感じていた、まとわりつくような暑さとはまるで違う。

 

「……こりゃすげぇな」

 

所長が思わず呟いた。

 

「気に入った?」

 

リリスの母親が嬉しそうに尋ねる。

 

「ああ」

 

所長は窓際まで歩いていく。

 

海を眺める。

 

風がアロハシャツを揺らす。

 

「最高じゃねぇか」

 

「それはよかった」

 

リリスも窓を開ける。

 

爽やかな風が室内へ流れ込んだ。

 

「本当にいい部屋ですね」

 

「せっかくの旅行だからな」

 

母親が笑う。

 

「ゆっくりしていきなさい」

 

「ありがとうございます」

 

所長も振り返った。

 

「いや、本当に助かります。こんな部屋、俺一人じゃ絶対泊まらねぇですよ」

 

「でしょうね」

 

リリスがさらりと言う。

 

「何だよ」

 

「宿泊費を見たら卒倒するでしょうから」

 

「……いくらだ?」

 

「聞かない方がいいと思います」

 

「そうか」

 

所長は素直に引き下がった。

 

しばらくして。

 

所長が部屋を見回す。

 

そして――

 

ふと、何かに気づいた。

 

「……あれ?」

 

「どうしました?」

 

「ベッド、一つしかねぇな」

 

「…………」

 

リリスも部屋を見る。

 

大きなベッドが一つ。

 

それ以外に寝具らしきものはない。

 

所長がゆっくり振り返った。

 

「なあ」

 

「はい?」

 

「これ……一部屋しか取れなかった?」

 

リリスの母親が「あら」と笑う。

 

「そうなのよ」

 

「…………」

 

「他の部屋も、他のホテルも全部満室でね」

 

「……マジか」

 

所長がベッドを見る。

 

そしてリリスを見る。

 

「…………」

 

リリスもベッドを見る。

 

「…………」

 

妙な沈黙が落ちる。

 

すると母親が、いたずらっぽく微笑んだ。

 

「でも」

 

「?」

 

「二人とも、一部屋で問題ないでしょう?」

 

「…………」

 

所長の顔が固まった。

 

「いや……」

 

「何か問題?」

 

「問題っていうか……」

 

所長は頭を掻く。

 

「未婚の男女が同じ部屋に泊まるのは、さすがにダメだろ」

 

リリスの母親が楽しそうに笑う。

 

「今さら?」

 

「今さらって何だよ」

 

「あなたたち、ずっと一緒に仕事しているじゃない」

 

「それとこれとは話が違う」

 

所長は真面目な顔で言った。

 

「俺はそういうところはちゃんとしたいんだよ」

 

「…………」

 

母親がリリスを見る。

 

リリスは何も言わない。

 

所長は旅行鞄を持ち上げた。

 

「俺は車で寝る」

 

「え?」

 

「部屋はリリスが使えばいい」

 

そう言って、所長が扉へ向かう。

 

「所長」

 

リリスが呼び止める。

 

「ん?」

 

「車で寝るつもりですか?」

 

「ああ」

 

「六日間運転してきたのに?」

 

「大丈夫だ」

 

「大丈夫ではありません」

 

「寝ればいいだけだろ」

 

「いけません」

 

リリスが所長の腕を掴む。

 

「いや、でも――」

 

「お疲れでしょう」

 

「まあ……」

 

「それなのに車で寝るなんて、私は許しません」

 

「いや、俺が車で寝るだけだぞ」

 

「駄目です」

 

リリスの手に力が入る。

 

「お、おい」

 

「駄目です」

 

「リリス?」

 

「部屋で寝てください」

 

「でもよ……」

 

「私は気にしません」

 

「…………」

 

「一部屋で問題ありません」

 

「…………」

 

所長は困ったようにリリスを見る。

 

リリスはいつもの無表情。

 

ただし――

 

所長の腕を掴んでいる手には、妙に力が入っていた。

 

「……お前、力強くねぇか?」

 

「気のせいです」

 

「いや、絶対強くなってる」

 

「所長が出ていこうとするからです」

 

「……」

 

所長はしばらく黙っていた。

 

そして、ため息をつく。

 

「……分かったよ」

 

「はい」

 

「ここで寝る」

 

「ありがとうございます」

 

リリスがようやく手を離す。

 

所長は再び部屋へ戻った。

 

「でも、ベッドはお前が使え」

 

「はい?」

 

「俺はソファで寝る」

 

「…………」

 

「それならいいだろ」

 

リリスは部屋のソファを見る。

 

かなり大きい。

 

所長の巨体でも、どうにか横になれそうではある。

 

「……分かりました」

 

「よし」

 

そのやり取りを見ていたリリスの母親は、なんとも嬉しそうな顔をしていた。

 

「ふふ」

 

「……お母様?」

 

「何でもないわ」

 

「顔が笑っています」

 

「気のせいよ」

 

そして父親はというと――

 

「…………」

 

少し寂しそうな顔をしていた。

 

娘を見る。

 

所長を見る。

 

また娘を見る。

 

「…………」

 

「お父様?」

 

「いや……」

 

父親は小さく息を吐いた。

 

「大きくなったなと思ってな」

 

「何ですか突然」

 

「いや……」

 

父親は少し遠い目をする。

 

「ついこの間まで、小さな娘だった気がするんだがな」

 

「…………」

 

「いつの間にか、こんな大男と一緒に旅行するようになって……」

 

所長が振り返る。

 

「?」

 

「……娘が取られてしまう」

 

「お父様」

 

リリスが呆れた顔をする。

 

「まだ取られてません」

 

「まだ?」

 

父親が反応する。

 

「そこではありません」

 

「そうか……」

 

父親は少しだけしょんぼりした。

 

母親はそんな夫を見て、くすくす笑う。

 

「あなた」

 

「何だ」

 

「諦めなさい」

 

「何をだ」

 

「娘はもう大人よ」

 

「…………」

 

父親は黙る。

 

その横で、所長は何も分かっていない顔で荷物を置いていた。

 

「しかし、すげぇ部屋だな」

 

「でしょう?」

 

母親が嬉しそうに答える。

 

「二人でゆっくり休みなさい」

 

「ありがとうございます」

 

「それじゃあ、私たちは部屋に戻るわね」

 

「はい」

 

両親が部屋を出ていく。

 

扉が閉まる。

 

静かになった部屋。

 

所長とリリス。

 

二人きり。

 

所長は窓の外を見る。

 

「……いい風だな」

 

「はい」

 

「来てよかったな」

 

「そうですね」

 

リリスは小さく笑った。

 

そして二人は、それぞれ荷物を解き始める。

 

長い旅の疲れを癒すために。

 

――ようやく始まった、二人の夏休みだった。

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