うん。今回は資料も確認した。
特に、所長とリリスの両親が以前会った時の経緯、所長とリリスの関係、黒き血、魔族側から所長を狙っている者たち、所長が魔族軍司令官と以前から因縁を持っていることを踏まえて、今回の場面を続ける。所長と伯爵夫妻についても、資料上の過去の対面を超えて親しい関係にはしない。
では、今回も3000文字以上で。
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CASE103 王族と探偵
魔王と所長の談笑は、それからもしばらく続いた。
先ほどまで戦争の話をしていたとは思えないほど、二人の雰囲気は穏やかだった。
もちろん、話している内容そのものは穏やかとは言い難い。
魔族と人間。
かつて敵として殺し合った二人の国。
その戦争の最前線にいた者同士。
片方は魔族を率いる王。
もう片方は、人間側の軍人として戦い、敵国の捕虜を爆弾として利用して基地を攻略し、その後軍事裁判にかけられることになった男。
本来なら、同じ卓に座って酒を飲んでいること自体がおかしい。
だが、今の二人は笑っていた。
所長はグラスを傾けながら、ヴァルガスを眺める。
「いやぁ……」
そして、唐突にしみじみと呟いた。
「王族なんてのは、税金ばっか取ってきて気に食わねぇ連中だと思ってたが」
ヴァルガスが眉を上げる。
「ほう」
「考えが変わったなぁ」
「それは随分と評価が上がったものだ」
「いや、あんたは結構面白ぇわ」
所長はニヤニヤ笑う。
「魔王閣下なら、黒き血だけで依頼受けてやるよ」
リリスが隣で眉間を押さえた。
「所長……」
「なんだ?」
「依頼料を酒一本で受ける探偵がどこにいるんですか」
「ここにいる」
「胸を張らないでください」
ヴァルガスは堪えきれず吹き出した。
「ははははは!」
所長も笑う。
「どうだ? 安いだろ?」
「貴様に黒き血を飲ませ続けたら、依頼料より高くつきそうだ」
「ははははは!」
「そりゃねぇよ!」
二人はまた大笑いした。
その光景を見ていた魔王妃も、思わず口元を緩める。
司令官だけは笑えなかった。
むしろ、ますます胃が痛くなっていた。
――何故こうなった。
ほんの少し前まで、司令官は「所長に興味を持たれると面倒だ」と必死に誤魔化そうとしていた。
それがどうだ。
今では所長が魔王と酒を飲み、笑いながら依頼料の交渉までしている。
しかも、魔王はそれを楽しんでいる。
「陛下……」
司令官が小さく声をかける。
「何だ?」
「……本当に大丈夫でしょうか」
「何がだ?」
「この男と親しくなられるのは……」
「面白いではないか」
「…………」
司令官は何も言えなくなった。
魔王の娘は、そんな大人たちのやり取りをずっと眺めていた。
先ほどから退屈そうにしていた彼女だったが、どうやら所長の言葉に興味を持ったらしい。
王族として育った彼女にとって、人間の、それも一見すると粗野なオーガが、父親と対等なような態度で酒を飲み、笑っている光景は珍しかった。
ましてや。
「黒き血だけで依頼を受けてやる」
などと、魔王相手に冗談を言う人間など見たことがない。
彼女は所長をじっと見つめる。
そして、ふと口を開いた。
「ねえ」
所長が顔を向ける。
「ん?」
「あなた」
「俺?」
「そう」
娘は少し顎を上げる。
「依頼したら、なんでもしてくれるの?」
所長は一瞬だけ彼女を見る。
そして、あっさり答えた。
「休暇中だから断る」
「…………」
娘の表情が止まった。
リリスも一瞬、目を閉じた。
――言うと思いました。
魔王妃は少し驚いたように娘を見る。
司令官は頭を抱えた。
一方、所長は何事もなかったように酒を飲んでいる。
娘の眉がピクリと動いた。
「……私が誰だか分かっているの?」
「魔王の娘だろ?」
「そうよ」
「じゃあ余計に休暇中の俺に依頼すんな」
「…………」
娘の顔に、明らかに不満が浮かんだ。
これまで彼女が何かを頼めば、周囲の者はまず話を聞いた。
王族だからだ。
それが当然だった。
しかし、この男は違う。
「平民のくせに……」
娘が小さく呟いた。
その言葉は、所長にも届いた。
「ん?」
所長が娘を見る。
怒鳴るわけでもない。
銃を抜くわけでもない。
ただ、いつものヘラヘラした笑顔を浮かべていた。
「おじょーちゃん」
「…………」
「いいこと教えてやるよ」
所長は椅子に座ったまま、周囲を見回した。
魔王。
魔王妃。
その娘。
そして護衛として控える魔族軍司令官たち。
高級ホテルの一室。
王族を守るための護衛も揃っている。
普通の人間なら、そんな状況で王族を前にして口を慎む。
だが。
所長は違った。
「この位置だとよ」
所長はテーブルの周囲を指で軽く示した。
「お前さんらを殺すのなんぞ、十秒ありゃお釣りが来る」
空気が凍った。
司令官の顔色が変わる。
リリスも表情を引き締める。
伯爵夫妻も息を呑む。
魔王妃の護衛たちの手が、僅かに武器へ向かった。
だが。
所長は笑っていた。
「それとも何か?」
そして、娘を見る。
「軍隊が付いてりゃ、何もされねぇと思ったのか?」
「…………」
娘の顔から、先ほどまでの傲慢さが少し消えた。
所長は怒っていない。
むしろ、子供をからかうような調子だった。
「王族だからって、俺に何でも言うこと聞かせられると思ったら大間違いだ」
「…………」
「俺は今、休暇中なんだよ」
所長はグラスを持ち上げる。
「仕事なら、休暇明けに依頼料持って事務所まで来い」
「…………」
「まあ、俺の事務所がどこにあるか知ってるかは知らんがな」
リリスが小さくため息をつく。
「所長」
「なんだ?」
「それ以上は……」
「分かってるよ」
所長は笑った。
「別に喧嘩売ってるわけじゃねぇ」
そして娘を見る。
「ただ、身分だけで人間を動かそうとすると、いつか痛い目見るぞって教えてやってるだけだ」
魔王は黙ってその様子を見ていた。
魔王妃も同じだった。
先ほどまで笑っていた空気は消えている。
しかし、二人とも怒ってはいない。
むしろ。
娘が初めて、自分の身分が通用しない相手と向き合っていることを見ていた。
娘は所長を睨む。
だが、先ほどまでのような言葉は出てこなかった。
所長はそれ以上何も言わない。
そしてグラスを置く。
「さて」
所長は立ち上がった。
巨大な身体がゆっくりと立ち上がる。
それだけで周囲の視線が集まった。
「俺はもう帰るわ」
リリスを見る。
「行くぞ」
「はい」
リリスはすぐに立ち上がった。
その時、所長は魔王を見る。
「いやぁ、今日は楽しかったわ」
「私もだ」
「また黒き血でも飲む時に会おうぜ」
「その時は自分の金で飲め」
「ケチだなぁ」
「お前にだけは言われたくない」
二人は笑った。
所長は魔王に向き直り、軽く頭を下げる。
「じゃあな、魔王閣下」
「うむ」
そして所長は魔王妃へ向き直った。
先ほどまでの粗野な態度とは、少しだけ違った。
所長は姿勢を正す。
巨大な身体を僅かに屈める。
「本日はありがとうございました」
「こちらこそ」
魔王妃が微笑む。
所長はその手を取り――
まるで古い騎士の礼儀作法を知っているかのように、手の甲へ軽く口づけた。
「それでは、失礼します」
魔王妃が少し驚いた顔をする。
娘も目を丸くした。
司令官は、
「……こいつ、そういうことはできるのか」
と心の中で呟いた。
リリスも少しだけ目を見開いている。
所長はそんな周囲を気にせず、懐から名刺を取り出した。
「何かあったら、まあ、ここへ」
魔王妃が名刺を受け取る。
そこには探偵事務所の名前と連絡先が書かれていた。
「依頼料は?」
魔王が笑いながら尋ねる。
所長は振り返る。
「黒き血でいいぞ」
「やはりそれか!」
「ははははは!」
魔王が豪快に笑う。
所長も笑う。
リリスは呆れた顔で二人を見る。
「……本当に酒の話ばかりですね」
「重要だろ?」
「重要ではありません」
「そうか?」
「そうです」
所長は肩をすくめる。
「じゃあな」
そう言って、リリスの肩を軽く叩く。
「戻るぞ」
「はい」
二人はそのまま部屋を出ていった。
扉が閉まる。
しばらく誰も何も言わなかった。
娘はまだ、所長が消えていった扉を見つめている。
「……お父様」
「なんだ?」
「平民なのに……」
ヴァルガスは娘を見る。
「何だ?」
「……あの人」
娘は少しだけ言葉に詰まった。
「本当に、私たちを殺せるの?」
魔王は少しだけ笑った。
「さあな」
「…………」
「だが」
ヴァルガスはグラスを傾ける。
「少なくとも、あの男は自分の言葉を冗談だけで言っていたわけではないだろう」
司令官が胃を押さえた。
「……陛下」
「何だ?」
「それを私の前で言わないでいただきたい」
「なぜだ?」
「胃が痛みます」
魔王妃が小さく笑った。
そして手元に残された名刺を見る。
そこには、簡素な文字で探偵事務所の名前が記されていた。
魔王妃はそれを眺めながら、少しだけ微笑む。
一方その頃。
廊下を歩く所長の隣で、リリスが口を開いた。
「所長」
「ん?」
「……先ほどの最後の礼儀は、随分と丁寧でしたね」
「ああ?」
「魔王妃殿下への挨拶です」
「あれか」
所長は少し考える。
「昔、そういうのを見たことがあるだけだ」
「そうですか」
「なんだ?」
「いえ」
リリスは前を向く。
「所長にも、そういう礼儀ができるのだなと思っただけです」
「俺を何だと思ってるんだ」
「粗野で粗暴で、金と酒と暴力が好きな探偵事務所の所長です」
「……だいたい合ってるな」
「でしょう?」
二人の足音が、静かなホテルの廊下へ響く。
所長は大きく伸びをした。
「さて、部屋戻ったら寝るか」
「まだ夕食の余韻が残っているでしょう」
「じゃあ酒だな」
「……飲み過ぎないでください」
「分かってるって」
そう言いながら。
所長はもう、次に飲む酒のことを考えていた。