アランスミシー探偵事務所の事件簿   作:山門門山

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case105 甘い空気

もちろん。今回はそこだけ自然に修正して、所長がソファで寝落ち→リリスが肩を抱かれた状態からなんとか抜け出す→寝顔を見て少しだけ勇気を出す→温泉へ向かうという流れにするね。

 

 

CASE104 避暑地の夜

 

部屋へ戻ると、窓の外にはすっかり夜の帳が下りていた。

 

昼間に見た海は、今では黒々とした闇の中に沈んでいる。

 

その代わり、海岸沿いに並ぶ建物や街灯、港に停泊する船の明かりが、まるで星空を地上へ降ろしたかのように輝いていた。

 

窓は少し開けられている。

 

そこから入ってくる海風は涼しく、部屋の中をゆっくりと通り抜けていく。

 

所長は窓際に立ち、しばらくその景色を眺めていた。

 

「……こりゃあいいな」

 

「ええ」

 

荷物を整理していたリリスも手を止め、窓の外を見る。

 

「昼間とは随分違って見えますね」

 

「だな」

 

所長は満足そうに笑った。

 

長い旅だった。

 

六日もかけてここまで来た。

 

途中では二泊し、長時間車を走らせた。

 

その苦労を思えば、この景色だけでも来た甲斐がある。

 

所長は部屋に用意されていた酒を手に取った。

 

「飲むか?」

 

リリスは少し意外そうな顔をした。

 

「珍しいですね」

 

「何が?」

 

「所長から誘うなんて」

 

「俺だってたまには静かに飲みたいんだよ」

 

「それは意外です」

 

「うるせぇな」

 

二人は窓際のソファへ並んで腰を下ろした。

 

グラスに酒を注ぐ。

 

「乾杯」

 

「乾杯」

 

軽くグラスを合わせる。

 

カラン、と氷の音が響いた。

 

二人はゆっくり酒を飲み始めた。

 

普段の事務所なら、所長が酒を飲んでいれば、やがて大声を出すか、何か適当なことを言い出す。

 

だが、今日は違った。

 

旅先という開放感もあるのだろう。

 

窓の外には美しい夜景。

 

部屋は涼しい。

 

食事も美味かった。

 

酒も美味い。

 

何より、仕事のことを考えなくていい。

 

所長は上機嫌だった。

 

「いやぁ……」

 

「はい?」

 

「旅行来たばかりだが、最高だな」

 

「そうですね」

 

「来てよかっただろ、リリス」

 

「ええ。来てよかったと思います」

 

「だろ?」

 

所長は嬉しそうに笑った。

 

「うまい飯」

 

指を一本立てる。

 

「うまい酒」

 

二本目。

 

「景色のいいホテル」

 

三本目。

 

「快適な気温」

 

四本目。

 

「さらには新しい異邦の友人までできた」

 

「……魔王陛下のことですか?」

 

「ああ」

 

所長は楽しそうに笑う。

 

「ここ着いて初日でこれは上等すぎるだろ」

 

「確かに、随分と濃い一日でしたね」

 

「だろ?」

 

リリスも小さく笑った。

 

「ただ……」

 

「ん?」

 

「魔王陛下へのあの接し方は、さすがにどうかと思います」

 

「そうか?」

 

「そうです」

 

「普通だっただろ」

 

「どこがですか」

 

リリスは呆れたように所長を見る。

 

「魔王陛下に向かって『休暇中だから依頼は受けない』」

 

「事実だろ」

 

「その後に『十秒あれば全員殺せる』」

 

「まあ、それも事実だな」

 

「…………」

 

リリスは頭を抱えた。

 

「そういうところですよ」

 

「何がだ?」

 

「胃が痛くなるんです」

 

「大丈夫だろ」

 

「大丈夫ではありません」

 

所長はケラケラ笑った。

 

「まあ、あの娘もいい勉強になっただろ」

 

「……それは否定しませんけど」

 

リリスも酒を飲む。

 

それからしばらく、二人は他愛のない話を続けた。

 

事務所のこと。

 

旅の途中で見た景色。

 

ホテルの食事。

 

明日の予定。

 

そんな話をしながら酒を飲んでいるうちに、時間はゆっくりと過ぎていった。

 

そして。

 

所長がふと、身体をリリスの方へ寄せた。

 

「……?」

 

リリスが振り向く。

 

次の瞬間。

 

大きな腕が、リリスの肩へ回った。

 

「所長?」

 

「ん?」

 

「どうしました?」

 

「いやぁ」

 

所長は上機嫌だった。

 

「こっちの方が楽だろ」

 

「……何がですか?」

 

「知らん」

 

「知らないんですか?」

 

「知らん」

 

所長は笑う。

 

リリスの顔が少し赤くなった。

 

肩に回された腕は、とても大きい。

 

普段から見慣れているはずなのに、こうして間近で感じると、その体格の差を改めて思い知らされる。

 

だが、リリスは逃げなかった。

 

「……まあ」

 

「ん?」

 

「今日は疲れていますしね」

 

「だろ?」

 

「はい」

 

所長は満足そうに笑った。

 

二人はそのままソファに並んで座り続ける。

 

夜風が吹く。

 

酒を飲む。

 

静かな時間が流れる。

 

やがて。

 

「…………」

 

所長の返事が少なくなってきた。

 

「所長?」

 

「ん……」

 

「眠いんですか?」

 

「いや……」

 

明らかに眠そうだった。

 

所長の頭が少しずつ傾いていく。

 

そして。

 

「……」

 

ずしり。

 

リリスの肩へ、所長の頭が乗った。

 

「……所長?」

 

返事はない。

 

リリスは横を見る。

 

所長は眠っていた。

 

大きな身体をソファへ預け、リリスの肩を抱いたまま、静かな寝息を立てている。

 

「…………」

 

リリスはしばらく動けなかった。

 

「本当に寝てしまったんですか……」

 

当然、返事はない。

 

いつものようないびきもない。

 

驚くほど静かだった。

 

リリスは少しだけ笑った。

 

「……珍しいですね」

 

所長の寝顔を眺める。

 

仕事中の険しい顔とも違う。

 

酒を飲んで騒いでいる時とも違う。

 

今はただ、疲れ切って眠っているだけだった。

 

「……今日は、よほど疲れたんでしょうね」

 

リリスはそう呟いた。

 

しかし。

 

「……困りました」

 

問題が一つある。

 

温泉へ行こうと思っていたのだ。

 

せっかくの高級ホテル。

 

温泉まであるのだから、入らないのはもったいない。

 

だが、所長の腕が肩に回っている。

 

しかも、かなりしっかり抱き寄せられている。

 

「…………」

 

リリスは腕を見た。

 

そして所長を見る。

 

「……どうしましょう」

 

起こすのも可哀想だ。

 

しかし、このままでは自分も動けない。

 

少し考えた末。

 

リリスは慎重に身体を動かし始めた。

 

まず、自分の肩をほんの少しずつ下げる。

 

所長の腕がずれる。

 

「……」

 

起きない。

 

リリスはほっとする。

 

さらに少し身体を前へ滑らせる。

 

所長の腕が肩から背中へ移る。

 

「……あと少し」

 

小声で呟く。

 

だが。

 

所長の腕が無意識に、ぎゅっと締まった。

 

「……っ」

 

リリスが固まる。

 

「所長……」

 

それでも起きない。

 

「…………」

 

リリスはしばらく耐えた。

 

そして、もう一度ゆっくり身体をずらす。

 

今度こそ。

 

肩から所長の腕が抜けた。

 

「……!」

 

成功した。

 

リリスはゆっくり立ち上がる。

 

ソファの上では、所長が何事もなかったかのように眠り続けている。

 

「……ふう」

 

リリスは胸を撫で下ろした。

 

そして。

 

もう一度、所長を見る。

 

「……ふふ」

 

思わず笑ってしまう。

 

普段なら、こんなに無防備な姿を見ることはない。

 

リリスはソファの前にしゃがみ込んだ。

 

「所長」

 

もちろん返事はない。

 

「……今日は、本当に楽しかったですね」

 

眠っている所長の顔を眺める。

 

「私も……楽しかったです」

 

リリスは少し迷った。

 

それから。

 

そっと顔を近づける。

 

ほんの一瞬。

 

唇を重ねる。

 

「…………」

 

すぐに離れる。

 

リリスの顔が一気に熱くなった。

 

「……私は何をしているのでしょう」

 

自分でやったことなのに、恥ずかしくなってしまう。

 

眠っている所長は何も知らない。

 

相変わらず、静かな寝息を立てている。

 

リリスは両手で頬を押さえた。

 

「……暑い」

 

だが部屋は涼しい。

 

海風も心地いい。

 

それでも顔だけは熱かった。

 

「……温泉に行きましょう」

 

リリスは立ち上がった。

 

浴衣と必要なものを手に取る。

 

そして、部屋を出る前にもう一度だけ振り返る。

 

ソファで眠る所長。

 

大きな身体を丸めることもできず、少々窮屈そうに眠っている。

 

「……戻ってきたら、ちゃんとベッドへ移ってくださいね」

 

当然、返事はない。

 

リリスは小さく笑った。

 

「おやすみなさい、所長」

 

そう呟いて。

 

今度こそ、静かに部屋を出た。

 

夜のホテルには、温泉へ向かう宿泊客の足音が僅かに響いている。

 

リリスはまだ少し火照った頬を手で冷ましながら、温泉へ向かって歩いていった。

 

一方。

 

部屋に残された所長は――

 

「……んぐ……」

 

僅かに寝返りを打っただけで。

 

何も知らず、ソファの上で気持ちよさそうに眠り続けていた。

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