もちろん。今回はそこだけ自然に修正して、所長がソファで寝落ち→リリスが肩を抱かれた状態からなんとか抜け出す→寝顔を見て少しだけ勇気を出す→温泉へ向かうという流れにするね。
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CASE104 避暑地の夜
部屋へ戻ると、窓の外にはすっかり夜の帳が下りていた。
昼間に見た海は、今では黒々とした闇の中に沈んでいる。
その代わり、海岸沿いに並ぶ建物や街灯、港に停泊する船の明かりが、まるで星空を地上へ降ろしたかのように輝いていた。
窓は少し開けられている。
そこから入ってくる海風は涼しく、部屋の中をゆっくりと通り抜けていく。
所長は窓際に立ち、しばらくその景色を眺めていた。
「……こりゃあいいな」
「ええ」
荷物を整理していたリリスも手を止め、窓の外を見る。
「昼間とは随分違って見えますね」
「だな」
所長は満足そうに笑った。
長い旅だった。
六日もかけてここまで来た。
途中では二泊し、長時間車を走らせた。
その苦労を思えば、この景色だけでも来た甲斐がある。
所長は部屋に用意されていた酒を手に取った。
「飲むか?」
リリスは少し意外そうな顔をした。
「珍しいですね」
「何が?」
「所長から誘うなんて」
「俺だってたまには静かに飲みたいんだよ」
「それは意外です」
「うるせぇな」
二人は窓際のソファへ並んで腰を下ろした。
グラスに酒を注ぐ。
「乾杯」
「乾杯」
軽くグラスを合わせる。
カラン、と氷の音が響いた。
二人はゆっくり酒を飲み始めた。
普段の事務所なら、所長が酒を飲んでいれば、やがて大声を出すか、何か適当なことを言い出す。
だが、今日は違った。
旅先という開放感もあるのだろう。
窓の外には美しい夜景。
部屋は涼しい。
食事も美味かった。
酒も美味い。
何より、仕事のことを考えなくていい。
所長は上機嫌だった。
「いやぁ……」
「はい?」
「旅行来たばかりだが、最高だな」
「そうですね」
「来てよかっただろ、リリス」
「ええ。来てよかったと思います」
「だろ?」
所長は嬉しそうに笑った。
「うまい飯」
指を一本立てる。
「うまい酒」
二本目。
「景色のいいホテル」
三本目。
「快適な気温」
四本目。
「さらには新しい異邦の友人までできた」
「……魔王陛下のことですか?」
「ああ」
所長は楽しそうに笑う。
「ここ着いて初日でこれは上等すぎるだろ」
「確かに、随分と濃い一日でしたね」
「だろ?」
リリスも小さく笑った。
「ただ……」
「ん?」
「魔王陛下へのあの接し方は、さすがにどうかと思います」
「そうか?」
「そうです」
「普通だっただろ」
「どこがですか」
リリスは呆れたように所長を見る。
「魔王陛下に向かって『休暇中だから依頼は受けない』」
「事実だろ」
「その後に『十秒あれば全員殺せる』」
「まあ、それも事実だな」
「…………」
リリスは頭を抱えた。
「そういうところですよ」
「何がだ?」
「胃が痛くなるんです」
「大丈夫だろ」
「大丈夫ではありません」
所長はケラケラ笑った。
「まあ、あの娘もいい勉強になっただろ」
「……それは否定しませんけど」
リリスも酒を飲む。
それからしばらく、二人は他愛のない話を続けた。
事務所のこと。
旅の途中で見た景色。
ホテルの食事。
明日の予定。
そんな話をしながら酒を飲んでいるうちに、時間はゆっくりと過ぎていった。
そして。
所長がふと、身体をリリスの方へ寄せた。
「……?」
リリスが振り向く。
次の瞬間。
大きな腕が、リリスの肩へ回った。
「所長?」
「ん?」
「どうしました?」
「いやぁ」
所長は上機嫌だった。
「こっちの方が楽だろ」
「……何がですか?」
「知らん」
「知らないんですか?」
「知らん」
所長は笑う。
リリスの顔が少し赤くなった。
肩に回された腕は、とても大きい。
普段から見慣れているはずなのに、こうして間近で感じると、その体格の差を改めて思い知らされる。
だが、リリスは逃げなかった。
「……まあ」
「ん?」
「今日は疲れていますしね」
「だろ?」
「はい」
所長は満足そうに笑った。
二人はそのままソファに並んで座り続ける。
夜風が吹く。
酒を飲む。
静かな時間が流れる。
やがて。
「…………」
所長の返事が少なくなってきた。
「所長?」
「ん……」
「眠いんですか?」
「いや……」
明らかに眠そうだった。
所長の頭が少しずつ傾いていく。
そして。
「……」
ずしり。
リリスの肩へ、所長の頭が乗った。
「……所長?」
返事はない。
リリスは横を見る。
所長は眠っていた。
大きな身体をソファへ預け、リリスの肩を抱いたまま、静かな寝息を立てている。
「…………」
リリスはしばらく動けなかった。
「本当に寝てしまったんですか……」
当然、返事はない。
いつものようないびきもない。
驚くほど静かだった。
リリスは少しだけ笑った。
「……珍しいですね」
所長の寝顔を眺める。
仕事中の険しい顔とも違う。
酒を飲んで騒いでいる時とも違う。
今はただ、疲れ切って眠っているだけだった。
「……今日は、よほど疲れたんでしょうね」
リリスはそう呟いた。
しかし。
「……困りました」
問題が一つある。
温泉へ行こうと思っていたのだ。
せっかくの高級ホテル。
温泉まであるのだから、入らないのはもったいない。
だが、所長の腕が肩に回っている。
しかも、かなりしっかり抱き寄せられている。
「…………」
リリスは腕を見た。
そして所長を見る。
「……どうしましょう」
起こすのも可哀想だ。
しかし、このままでは自分も動けない。
少し考えた末。
リリスは慎重に身体を動かし始めた。
まず、自分の肩をほんの少しずつ下げる。
所長の腕がずれる。
「……」
起きない。
リリスはほっとする。
さらに少し身体を前へ滑らせる。
所長の腕が肩から背中へ移る。
「……あと少し」
小声で呟く。
だが。
所長の腕が無意識に、ぎゅっと締まった。
「……っ」
リリスが固まる。
「所長……」
それでも起きない。
「…………」
リリスはしばらく耐えた。
そして、もう一度ゆっくり身体をずらす。
今度こそ。
肩から所長の腕が抜けた。
「……!」
成功した。
リリスはゆっくり立ち上がる。
ソファの上では、所長が何事もなかったかのように眠り続けている。
「……ふう」
リリスは胸を撫で下ろした。
そして。
もう一度、所長を見る。
「……ふふ」
思わず笑ってしまう。
普段なら、こんなに無防備な姿を見ることはない。
リリスはソファの前にしゃがみ込んだ。
「所長」
もちろん返事はない。
「……今日は、本当に楽しかったですね」
眠っている所長の顔を眺める。
「私も……楽しかったです」
リリスは少し迷った。
それから。
そっと顔を近づける。
ほんの一瞬。
唇を重ねる。
「…………」
すぐに離れる。
リリスの顔が一気に熱くなった。
「……私は何をしているのでしょう」
自分でやったことなのに、恥ずかしくなってしまう。
眠っている所長は何も知らない。
相変わらず、静かな寝息を立てている。
リリスは両手で頬を押さえた。
「……暑い」
だが部屋は涼しい。
海風も心地いい。
それでも顔だけは熱かった。
「……温泉に行きましょう」
リリスは立ち上がった。
浴衣と必要なものを手に取る。
そして、部屋を出る前にもう一度だけ振り返る。
ソファで眠る所長。
大きな身体を丸めることもできず、少々窮屈そうに眠っている。
「……戻ってきたら、ちゃんとベッドへ移ってくださいね」
当然、返事はない。
リリスは小さく笑った。
「おやすみなさい、所長」
そう呟いて。
今度こそ、静かに部屋を出た。
夜のホテルには、温泉へ向かう宿泊客の足音が僅かに響いている。
リリスはまだ少し火照った頬を手で冷ましながら、温泉へ向かって歩いていった。
一方。
部屋に残された所長は――
「……んぐ……」
僅かに寝返りを打っただけで。
何も知らず、ソファの上で気持ちよさそうに眠り続けていた。