アランスミシー探偵事務所の事件簿   作:山門門山

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case111 王女と一緒

CASE108 王女殿下、旅行へ

 

翌朝。

 

ホテルの朝食会場は、朝から多くの宿泊客で賑わっていた。

 

大きな窓から差し込む陽光。

 

海から吹き抜ける涼しい風。

 

白を基調とした広々とした食堂には、焼きたてのパンや新鮮な果物、魚料理、肉料理などが並んでいる。

 

高級ホテルらしく品数も多い。

 

そして、その一角。

 

所長とリリスは、二人で朝食を取っていた。

 

「……うまいな」

 

所長は大きな皿に盛られた料理を次々と口へ運んでいた。

 

オーガの巨体に合わせて用意された料理は、一般的な人間向けの朝食とは明らかに量が違う。

 

肉も多い。

 

パンも多い。

 

卵料理も大皿で出されている。

 

しかも、それぞれの味付けは上品だった。

 

所長は豪快に食べながらも、昨日とは違って酒を飲んではいない。

 

「昨日の夕食もそうでしたが、ここは本当にオーガ向けの料理まで用意しているのですね」

 

リリスも自分の朝食を取りながら言った。

 

「客層が広いんだろ」

 

「王族も利用するホテルですからね」

 

「それにしたって気が利いてる」

 

所長はパンを一つ丸ごと口へ放り込んだ。

 

「この量なら文句ねぇな」

 

「朝からそんなに食べて、昼食は大丈夫ですか?」

 

「大丈夫だ」

 

「昨日も同じことを言っていましたね」

 

「昨日は酒も飲んでたからな」

 

「今日は?」

 

「昼も食う」

 

「……そうですか」

 

リリスは苦笑した。

 

そんな二人のところへ。

 

少し離れた場所から、人の気配が近づいてきた。

 

リリスが何気なくそちらを見る。

 

そして。

 

「あ」

 

小さく声を漏らした。

 

そこにいたのは、昨日の夜に会った一行だった。

 

魔王。

 

魔王妃。

 

そして、その娘。

 

その後ろには護衛として軍司令官たちが続いている。

 

ヴァルガス・グラディウス。

 

エレノア・グラディウス。

 

そして一人娘、リゼット・グラディウス。

 

魔王一家が朝食会場へ入ってきたのだ。

 

リリスが姿勢を正す。

 

「所長」

 

「ん?」

 

「昨日の方々です」

 

「ああ」

 

所長も顔を上げた。

 

ヴァルガスと目が合う。

 

一瞬。

 

互いに何も言わなかった。

 

そしてヴァルガスが。

 

気さくに片手を上げた。

 

まるで昨日、一緒に酒を飲んだ知人にでもするような仕草だった。

 

所長も。

 

「おう」

 

と片手を上げ返した。

 

周囲の護衛たちの何人かが、一瞬だけ固まる。

 

昨日の夜のことを知っている者たちからすれば、なんとも緊張感のない光景だった。

 

魔王陛下と、指名手配経験まである人間側の元兵士。

 

それが朝食会場で、友人同士のように手を上げ合っている。

 

「おはよう、所長殿」

 

ヴァルガスが近づいてくる。

 

「おう。おはようさん」

 

所長は手に持っていたフォークを置いた。

 

「朝飯か?」

 

「そうだな。そちらも早いな」

 

「珍しくな」

 

所長は笑う。

 

「俺、普段はこんな早く起きねぇんだが、ここの気候が気に入ってな」

 

「それは何よりだ」

 

ヴァルガスも笑った。

 

エレノアとリゼットも続いて近づいてくる。

 

その後ろには護衛の者たち。

 

そして、昨日から所長の姿を見るたびに胃を痛めている魔族軍司令官もいた。

 

所長は彼を見ると。

 

「おう、司令官」

 

「……おはようございます」

 

司令官は何とか平静を装って頭を下げる。

 

昨日の夜よりは、いくらか顔色がいい。

 

だが所長と目が合うと、やはり少しだけ表情が固くなった。

 

「昨日は飯食ってたな」

 

「……はい」

 

「今日はちゃんと食えよ」

 

「は?」

 

「朝飯だよ。腹減ってんだろ」

 

「……はあ」

 

司令官は何とも言えない顔になった。

 

リリスはそのやり取りを見ながら、少しだけ苦笑する。

 

ヴァルガスが所長の向かい側へ視線を向けた。

 

「それで、昨日の依頼の件だが」

 

「ああ」

 

所長はパンを千切りながら答える。

 

「受けることにした」

 

「そうか」

 

ヴァルガスは満足そうに頷いた。

 

「助かる」

 

「まあ、リリスがそこまで言うからな」

 

所長は横を見る。

 

リリスは何も言わず、軽く頭を下げた。

 

エレノアが嬉しそうに微笑む。

 

「ありがとうございます、所長様」

 

「気にすんな」

 

所長は手を振る。

 

「ただの旅行だろ?」

 

「ええ。ただ……」

 

エレノアが少し申し訳なさそうな表情をする。

 

「本当に娘をお願いしてもよろしいのでしょうか?」

 

「任せろ」

 

所長は即答した。

 

「俺がいる限り、何かあればぶっ飛ばす」

 

「…………」

 

周囲の空気が一瞬止まった。

 

リリスが眉間を押さえる。

 

「所長」

 

「なんだ」

 

「言い方をもう少し穏やかにしてください」

 

「穏やかだろ」

 

「全く穏やかではありません」

 

ヴァルガスが吹き出した。

 

「ははは。相変わらずだな、君は」

 

「そうか?」

 

「そうだとも」

 

ヴァルガスは笑いながらエレノアを見る。

 

「心配するな。彼なら大丈夫だ」

 

エレノアも微笑んだ。

 

「……はい」

 

するとヴァルガスが、思い出したように言う。

 

「そうそう」

 

「ん?」

 

「依頼料の件だ」

 

所長の目が少しだけ輝く。

 

「黒き血か?」

 

「ああ」

 

「どうする?」

 

「国から贈らせよう」

 

「おお」

 

所長が嬉しそうに笑った。

 

「太っ腹だな」

 

「それからホテルの代金もこちらで持とう」

 

「おお!」

 

「…………」

 

ヴァルガスは呆れたように笑う。

 

「まったく、君はケチくさいな」

 

「商売だぞ」

 

所長は堂々と答えた。

 

「俺は休暇を潰して仕事するんだからな」

 

「それは分かっている」

 

ヴァルガスは苦笑する。

 

「だからこそ、黒き血もホテル代もこちらで負担する」

 

「いやぁ、話が分かる魔王で助かるぜ」

 

「褒めているのか?」

 

「もちろん」

 

所長はニヤリと笑った。

 

「黒き血が楽しみだ」

 

「そこなのか」

 

ヴァルガスは笑った。

 

「昨日からそればかりだな」

 

「俺にとっちゃ重要だ」

 

「分かった分かった」

 

ヴァルガスは肩をすくめた。

 

その横で。

 

リゼットが静かに所長を見ていた。

 

昨日とは少し違う目だった。

 

昨日は、突然現れた巨大なオーガに対する好奇心と、平民だという認識から来る傲慢さが混じっていた。

 

しかし今は。

 

自分の旅行に同行する人物として見る必要がある。

 

所長はそんなリゼットの視線に気づいた。

 

「ん?」

 

リゼットと目が合う。

 

「お前、今日から俺たちと一緒に回るんだろ?」

 

「……そう聞いています」

 

リゼットは少しだけ顎を上げた。

 

「よろしくお願いします」

 

所長は笑った。

 

「おう」

 

それだけだった。

 

リリスがリゼットに向き直る。

 

「王女殿下」

 

「何でしょう?」

 

「今回の旅行で、どちらへ行きたいですか?」

 

リゼットは少し考えた。

 

「……まだ決めていません」

 

「行ってみたい場所などは?」

 

「海岸を見て回りたいです」

 

リゼットは窓の外を見る。

 

青い海が広がっている。

 

「それから、街も歩いてみたいです」

 

「分かりました」

 

リリスは頷いた。

 

「では、本日の予定を考えましょう」

 

「はい」

 

その会話を聞いていた所長が、肉を口に入れながら言った。

 

「行きたいところ全部言っていいぞ」

 

リゼットが所長を見る。

 

「本当に?」

 

「ああ」

 

「護衛の方々は?」

 

リゼットが後ろを見る。

 

大量の護衛。

 

昨日までの自分なら、それが当然だった。

 

どこへ行くにも付いてくる。

 

周囲を警戒する。

 

人混みでは自由に歩けない。

 

「俺がいる」

 

所長は簡単に言った。

 

「だから今日は好きに歩けばいい」

 

リゼットは少し驚いたように所長を見る。

 

「……あなた一人で?」

 

「ああ」

 

「私を守れるの?」

 

「守れる」

 

あまりにも即答だった。

 

リゼットは少しだけ目を細める。

 

「……分かったわ」

 

「おう」

 

所長はまた料理を食べ始めた。

 

そのやり取りを見ていたエレノアが、静かに微笑んだ。

 

「リリスさん」

 

「はい」

 

「娘をよろしくお願いします」

 

「お任せください」

 

リリスは丁寧に頭を下げる。

 

「所長もおりますので、安全については私もできる限り配慮いたします」

 

「ありがとう」

 

エレノアは安心したように頷いた。

 

ヴァルガスも笑う。

 

「それでは、今日は娘を頼む」

 

「はい」

 

リリスが答える。

 

所長は朝食の皿を眺めながら。

 

「……なあ」

 

「何でしょう、所長」

 

「朝飯食ったらすぐ行くのか?」

 

「はい」

 

「じゃあもう少し食う」

 

「……どうぞ」

 

リゼットが少しだけ呆れた顔をする。

 

「……随分食べるのね」

 

「オーガだからな」

 

「それで足りるの?」

 

「全然足りねぇ」

 

「…………」

 

リゼットは思わず笑った。

 

昨日までなら、こんなふうに笑うことはなかったかもしれない。

 

だが。

 

「では、私も準備してきます」

 

エレノアが言った。

 

「楽しんできなさい、リゼット」

 

「はい、お母様」

 

リゼットは立ち上がった。

 

その顔には、昨日までより少しだけ明るい表情が浮かんでいる。

 

やがて魔王一家は朝食会場を後にする。

 

そして。

 

しばらくして。

 

所長とリリス、そしてリゼットの三人がホテルの玄関へ出てきた。

 

リリスは荷物を確認する。

 

「日傘、飲み物、財布、地図……」

 

「準備いいな」

 

「当然です」

 

「俺は?」

 

「所長はそのままで結構です」

 

「そうか」

 

所長はアロハシャツに短パン、サングラスという昨日から変わらない格好だった。

 

一方のリリスは夏らしいサマーシャツにスカート。

 

そしてリゼットも、王族としての堅苦しい服装ではなく、旅行用の服に着替えていた。

 

所長が二人を見る。

 

「よし」

 

「何がです?」

 

「旅行だ」

 

リリスが小さく笑う。

 

「はい」

 

リゼットも海の方を見る。

 

「……楽しみ」

 

その呟きを聞いたリリスは、微笑んだ。

 

所長もそれを見て。

 

「じゃあ行くぞ」

 

三人は歩き始めた。

 

護衛の姿はない。

 

正確には、遠巻きに別の護衛が配置されている。

 

しかしリゼットのすぐそばにはいない。

 

昨日までとは違う。

 

王女としてではなく。

 

一人の旅行者として歩く。

 

その先頭を、巨大なオーガの所長が歩いていた。

 

そしてその隣には、秘書として所長を支えるリリス。

 

夏のリヴァリア共和国。

 

三人の奇妙な旅行が、ようやく始まった。

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