CASE110 海辺の昼食
海辺を歩き始めてから、しばらく。
三人は海岸沿いの遊歩道をゆっくりと歩いていた。
午前中の騒ぎが嘘のように、辺りは穏やかだった。
潮風が吹き、海面が陽光を反射している。
リゼットはすっかり旅行を楽しんでいる様子で、リリスにあれは何か、あの店は何を売っているのかと次々に尋ねていた。
「リリス、あれは何?」
「あちらは土産物屋ですね」
「じゃあ、あれは?」
「恐らく海産物を使った料理を出している店だと思います」
「食べられるの?」
「もちろんです」
「じゃあ、あとで――」
「おい」
後ろから所長の声が飛んできた。
「腹減った」
「……そうですね」
リリスが時計を見る。
いつの間にか昼時になっていた。
所長は周囲を見回す。
そして少し先にある店を指差した。
「……あそこ」
海岸沿いに小さな店が出ていた。
簡素な屋台に近い造りだが、客はかなり多い。
焼いた肉の香ばしい匂い。
魚介を焼く音。
香辛料の効いた匂い。
パンの焼ける匂い。
海風に乗って、それらが三人のところまで流れてくる。
「うまそうだな」
所長の目が少し輝いた。
「行くぞ」
「はい」
三人は店へ向かった。
店の前には簡単なメニューが掲げられていた。
リゼットが立ち止まる。
「…………」
「どうしました?」
リリスが尋ねる。
「……読めないわけではないのだけれど」
リゼットはメニューを見つめる。
そこには、この地方独特の料理名が並んでいる。
焼き魚を香草と一緒にパンへ挟んだもの。
魚介を煮込んだもの。
薄い生地に肉や野菜を包んだもの。
名前だけでは、どんな料理なのか想像しづらい。
「これは……何?」
「どれですか?」
「これ」
「……私も食べたことはありませんね」
リゼットが驚く。
「リリスでも知らないの?」
「この地方の料理ですから」
二人でメニューを覗き込む。
「こちらは魚料理のようです」
「魚?」
「はい」
「焼いてあるのかしら」
「説明を見る限り、香草と一緒に焼いているようです」
「こっちは?」
「……肉ですね」
「じゃあこっちは?」
「分かりません」
「…………」
二人は顔を見合わせる。
そして。
「あーでもない」
「こういう料理かもしれません」
「でも、こっちの説明を見ると違うんじゃない?」
「確かに……」
二人でメニューを指差しながら悩み始めた。
「これは二人で分ける?」
「そうですね」
「じゃあ、こっちも」
「それならこちらも試してみたいです」
「じゃあ三つ?」
「食べ切れますか?」
「……分からない」
「では二つにしましょう」
「うん」
まるで普通の少女同士の昼食選びだった。
その横では。
「一番でかいのくれ」
店員が所長を見上げる。
「……一番大きいものですか?」
「ああ」
「こちらになりますが……かなり量がありますよ?」
「それでいい」
「サイズは?」
「一番でかいやつ」
「…………」
店員が少し困った顔をする。
「こちらを三つほど?」
「五つ」
「五つ……?」
「肉のやつ三つ」
所長は指を立てる。
「魚のやつ二つ」
「…………」
「あと、あれも」
店員が振り返る。
「そちらの煮込み料理ですか?」
「それ」
「一つでよろしいですか?」
「三つ」
「……三つ」
店員が注文を書き込む。
「飲み物は?」
「酒」
「……」
店員が一瞬黙る。
「お昼ですが」
「旅行だぞ」
所長は当然のように答えた。
「酒くらい飲むだろ」
「……では、こちらを」
店員が地元の酒を指す。
「それ」
所長は即答した。
注文を終える。
所長は二人の方を見る。
「お前らまだ決まってねぇのか?」
リゼットがメニューを持ったまま答える。
「だって、どんな料理なのか分からないんだもの」
「食えば分かるだろ」
「そういう問題ではありません」
リリスも苦笑する。
「せっかくの旅行ですから、選ぶところから楽しみたいのです」
「ふーん」
所長は興味なさそうに頷いた。
「じゃあ俺は先に食ってるぞ」
「え?」
「腹減った」
「まだ料理が来ていませんが」
「すぐ来るだろ」
そう言った直後。
「お待たせしました!」
店員が巨大な皿を運んできた。
所長の注文だった。
「早ぇな」
「お客様の分です」
大きな皿。
その上に山のように積まれた料理。
焼いた肉。
魚を挟んだパン。
香草を使った料理。
さらに煮込み料理。
とても一人前とは思えない量だった。
リゼットが目を丸くする。
「…………」
リリスも言葉を失う。
「所長」
「なんだ?」
「これ……全部食べるのですか?」
「そのつもりだが」
「…………」
所長は椅子に座る。
酒を一口飲む。
そして。
「いただきます」
次の瞬間。
豪快に肉へかぶりついた。
「うめぇ」
「…………」
「これもうめぇ」
二つ目。
「お、魚もうまいな」
三つ目。
所長は止まらない。
リゼットとリリスがまだ注文を決めている横で、すでに食事を始めている。
「……所長」
「ん?」
「私たちの注文がまだです」
「知ってる」
「待っていただけないのですか?」
「腹減ってるからな」
「…………」
リゼットが思わず笑った。
「本当にすごい食欲ね」
「オーガだからな」
所長は肉を頬張りながら答える。
「腹減ってる時に飯を待つなんざ、拷問だろ」
「それは分かるけど……」
リゼットは少し考えた。
そして、リリスを見る。
「私たちも早く決めましょう」
「そうですね」
二人は再びメニューへ視線を戻す。
「私はこれにする」
「では私はこれを」
「それ、辛くない?」
「……少し辛いようですね」
「じゃあ私もそっちにする」
「王女殿下?」
「だって気になるもの」
二人は顔を見合わせる。
そして笑った。
ようやく注文が決まった。
「すみません」
リリスが店員を呼ぶ。
「こちらとこちらをお願いします」
「かしこまりました」
注文を受けた店員が厨房へ戻っていく。
その間にも。
「うめぇな、これ」
所長は一人で黙々と食べ続けている。
リゼットがその姿を見ながら言った。
「……あの人、食べることになると本当に遠慮がないわね」
「いつものことです」
「いつも?」
「はい」
「……秘書って大変なのね」
「慣れています」
リリスはそう答えた。
けれど、その表情は少し楽しそうだった。
やがて二人の料理も運ばれてくる。
「わぁ……」
リゼットの目が輝く。
「これがこの地方の料理……」
「美味しそうですね」
「いただきます」
二人は料理を一口食べる。
「……美味しい」
「ええ」
リゼットは嬉しそうに笑った。
その横では。
「これ、追加できるか?」
所長が店員に尋ねていた。
「…………」
リリスがゆっくりと所長を見る。
「所長」
「なんだ?」
「まだ食べるのですか?」
「うまいからな」
「……そうですか」
リゼットは笑いをこらえながら、もう一度料理を口に運んだ。
海の風が吹く。
波の音がする。
目の前には青い海。
そして、知らない土地の料理。
昨日までなら想像もしなかったような組み合わせだった。
王女と秘書と、巨大なオーガ。
三人の奇妙な旅行は。
こうして、実に平和な昼食から始まっていた。