所長は大型拳銃を下ろすと、煙草を口に咥え直した。
「……さて」
そして、壁にめり込んだ車を見る。
「おい、二人とも」
「はい?」
「ついてきな」
所長はそう言って、クラッシュした車へ向かって歩き出した。
リリスとリゼットも後を追う。
近づいてみると、先ほどまでの余裕は消えた。
「…………!」
リリスが息を呑む。
車は前輪を失い、車体を大きく歪ませながら壁に突っ込んでいる。
そして車内には――。
誘拐犯たちがいた。
全員、かなりの負傷を負っている。
一人は額から血を流し、一人は腕を押さえ、別の男はシートに身体を挟まれていた。
「くそっ……!」
「出ろ! 早く!」
「無理だ! ドアが開かねぇ!」
「こっちもだ!」
「車が燃えてるぞ!」
車体の一部から、白い煙が上がり始めている。
やがて小さな炎が見えた。
「まずい!」
「逃げろ!」
誘拐犯たちは必死に脱出しようとする。
だが、衝突によって車体そのものが歪んでいる。
ドアは開かない。
窓も割れているが、身体を抜けるほどの隙間がない。
「くそっ!」
「誰か助けろ!」
「こんなところで死んでたまるか!」
その様子を、所長は腕を組んで眺めていた。
「…………」
「所長」
リリスが声をかける。
「どうします?」
所長は燃え始めた車を見る。
「もうちょっと待つ」
「え?」
「こいつら、誰に頼まれたのか聞かなきゃならんからな」
所長は淡々としていた。
「逃げられねぇなら、ちょうどいい」
「…………」
リゼットはその言葉を聞いて、車へ目を向けた。
誘拐犯たちは必死だった。
恐怖に顔を歪め、助けを求めている。
「…………」
リゼットの表情が変わった。
そして。
「助けなきゃ」
「おい」
リゼットが車へ向かって走り出す。
「王女殿下!」
リリスが慌てて叫ぶ。
所長も一瞬遅れて気づいた。
「待て!」
だがリゼットは止まらない。
昨日から何度も命を狙われた。
今日だって、自分を攫おうとしてきた連中だ。
それでも。
目の前で死にかけている人間を見捨てることはできなかった。
「助けるわ!」
その瞬間。
所長が追いついた。
「まてまてまて!」
大きな手がリゼットの襟首を掴む。
「きゃっ!」
身体が止まる。
「ちょっと!」
「お前、何するつもりだ!」
所長は呆れたような顔をする。
「こいつらはお前を誘拐しようとしてたんだぞ!」
「分かってるわ」
「だったらなんで助けに行く!」
リゼットは所長を見る。
その顔には、怒りも憎しみもなかった。
ただ真っ直ぐだった。
「王族の前に――」
一度、息を吸う。
「私は魔族です」
所長の眉が動く。
「他人を助けるのに、理由はいりません」
「…………」
「それに」
リゼットは燃え始めた車を見る。
「助けた後に事情を聞けばいいのですから」
「…………」
「死んでしまったら、何も聞けないでしょう?」
リリスも言葉を失っていた。
所長はしばらくリゼットを見つめる。
「…………」
そして、大きくため息を吐いた。
「お前なぁ……」
襟首から手を離す。
「そういうところは、本当に王族らしくねぇな」
「褒めているの?」
「知らん」
所長は車へ歩いていく。
「だが――」
巨大な手を車体へ掛ける。
「まあ、助けるってんなら手伝ってやる」
「所長!」
リリスが目を見開く。
所長は車体の屋根を掴んだ。
「邪魔だな」
「え?」
「こんなもん」
――メリメリメリッ!!
金属がひしゃげる。
所長の腕に力が入る。
歪んだ車体の天井が、まるで薄い鉄板のように引き剥がされていく。
「うおおおおっ……!」
「な、なんだこいつ!」
「オーガだ!」
「屋根を素手で……!」
所長は車体の屋根を完全に引き剥がした。
「よし」
「な、何を――」
「出ろ」
所長は車体へ手を掛ける。
「今からひっくり返す」
「は?」
誘拐犯たちが固まった。
「ちょっと待て!」
「おい!」
「俺たち怪我してるんだぞ!」
「知るか」
所長は車体を持ち上げた。
「うわぁぁぁぁっ!」
「何だこいつ!」
巨大なオーガの腕力によって、車体が持ち上がる。
そして――。
ぐるり。
車が上下逆さまになった。
「うわっ!」
「ぎゃあ!」
シートに残っていた誘拐犯たちが、重力に従って地面へ落ちる。
ドサッ。
「痛ぇ!」
「う……!」
「おい、生きてるか!」
所長は三人を見下ろした。
「全員いるな」
「何が……」
「助けてやったぞ」
「…………」
誘拐犯たちは呆然としている。
所長は逆さまになった車を掴む。
「じゃあ、こいつは邪魔だからどかすか」
「待て!」
所長は何のためらいもなく車を持ち上げる。
「ま、まさか……!」
「そりゃ」
ぶんっ!!
車体が宙を舞う。
そして――。
ドォォォォン!!
道路脇へ落下した瞬間、燃え広がっていた燃料に引火した。
轟音と共に炎が大きく上がる。
「…………」
リゼットが呆然と炎を見る。
リリスも額を押さえた。
「……所長」
「なんだ?」
「救助した直後に車を爆発させる人がどこにいるんですか」
「ここにいる」
「そういう意味ではありません」
所長は肩を竦める。
「まあいいだろ」
そして地面に転がった誘拐犯たちを見下ろした。
「さて」
口元に笑みを浮かべる。
「助けてやったんだ」
「…………」
「誰の依頼でお前らが動いてるのか――」
所長は煙草を咥え直した。
「ゆっくり聞かせてもらおうか」