CASE117 救助と自首
「さて」
所長が煙草を咥え直し、地面に座り込んだ誘拐犯たちを見下ろす。
「助けてやったんだ。誰の依頼で――」
「待って!」
リゼットが突然叫んだ。
所長が振り返る。
「……あ?」
リゼットは一人の男の前へ駆け寄っていた。
「血が止まってない!」
「おい、リゼット」
「大丈夫ですか!?」
男は頭から血を流していた。
車の衝突による傷はかなり酷い。
リゼットはその傷を見るなり、目に涙を浮かべた。
「血が……こんなに……」
「王女殿下!」
リリスが慌てて駆け寄る。
「治療魔法を使います!」
リゼットが両手を傷口へかざす。
淡い魔力が集まり、傷口を包み込んでいく。
それは、魔族の中でも使える者が非常に少ない、かなり希少な治療魔法だった。
「お願い……」
リゼットの声が震える。
「血が止まって……!」
魔力が傷口へ流れ込む。
やがて出血が少しずつ収まっていく。
「よかった……」
リゼットが安堵の息を吐いた。
所長はその様子を黙って見ていた。
さっきまで自分を誘拐しようとしていた連中。
本来なら、脅してでも依頼主を吐かせるところだった。
だが――。
目の前で涙目になりながら必死に治療している少女を見ていると、どうにも毒気が抜ける。
「…………」
所長は頭を掻いた。
「……リリス」
「はい」
「手伝ってやれ」
「分かりました」
リリスもすぐに治療へ加わる。
「こちらの方をお願いします」
「はい!」
二人は負傷者を一人ずつ治療していく。
その間、所長は――。
「俺は待ってるか」
近くの瓦礫へ腰を下ろす。
煙草を取り出し、火をつける。
そして持っていた酒を一口飲んだ。
「…………」
誘拐犯たちは、そんな所長を見ている。
「……なんなんだ、あのオーガ」
「俺たちを助けたのも、あいつなのか?」
「そうみたいだぞ……」
「でも、車をひっくり返して……」
「考えるな」
そんな会話が聞こえてくる。
所長は気にせず煙を吐いた。
「…………」
やがて。
「よし」
リゼットが最後の一人の傷を治療し終えた。
「これで……大丈夫」
息を切らしながら立ち上がる。
「皆さん、大丈夫ですか?」
一人一人に声をかけていく。
「痛いところはありませんか?」
「……あ、ああ」
「ちゃんと立てます?」
「たぶん……」
「無理しないでくださいね」
「…………」
誘拐犯たちは、何とも言えない顔でリゼットを見つめていた。
やがて。
「……かわいい」
「おい」
「いや……」
男の一人が鼻の下を伸ばす。
「こんな人に俺たち……」
「やめろ、相手は王女様だぞ」
「でも……」
リゼットが心配そうに覗き込む。
「本当に大丈夫ですか?」
「…………」
男たちは完全に負けた。
「はい!」
妙に元気よく返事をする。
「大丈夫です!」
「そうですか……よかった」
リゼットが安心したように笑う。
「…………」
その笑顔を見た誘拐犯たちの目が、さらに輝いた。
「俺、全部話します」
「お前!」
「もういいだろ!」
別の男も立ち上がる。
「俺も話す!」
「俺もだ!」
リリスが目を丸くする。
「……あの」
所長が煙草を咥えたまま振り返る。
「なんだ?」
「どうやら、脅す必要はなさそうです」
「…………」
所長は誘拐犯たちを見る。
「俺たちは今回、リゼット王女殿下を誘拐するよう依頼されました」
「誰に?」
「魔族の貴族です」
「名前は?」
「バルガス公爵です」
リリスの表情が険しくなる。
「バルガス……」
「魔王陛下の親族にあたる方です」
所長が煙草を止める。
「……あ?」
「カルテルとの癒着もある人物です」
所長はしばらく黙った。
「なるほどなぁ」
リゼットは驚いた顔をしている。
「親族が……私を?」
「はい」
誘拐犯の男は申し訳なさそうに頭を下げた。
「本当に申し訳ありませんでした」
「…………」
「ですが……」
男はリゼットを見る。
「助けてもらった命です」
そして、突然笑顔になった。
「俺たち、自首します!」
「え?」
リゼットが目を丸くする。
「ちゃんと罪を償います!」
「ちょっと待て」
所長が眉をひそめる。
「話が早すぎねぇか?」
「そして!」
男はリゼットの前へ歩み寄る。
「罪を償ったら――」
リゼットの手を両手で握る。
「魔王城に就職できるよう頑張ります!」
「…………」
「え?」
リゼットも困惑する。
「いや、ちょっと……」
「王女殿下に助けていただいた恩は一生忘れません!」
「俺も!」
「俺もだ!」
「俺、今まで真面目に生きようなんて思ったことなかったけど……今日から変わります!」
「俺も!」
「俺たち、絶対に罪を償います!」
全員がキラキラした目でリゼットを見つめる。
リゼットは困ったように笑った。
「えっと……頑張ってください?」
「はい!」
「必ず!」
「ありがとうございます!」
その光景を見ていた所長は――。
「…………」
酒を一口飲んだ。
「…………アホくさ」
煙草を灰皿代わりの携帯缶へ押し付ける。
「やってられんわ」
リリスが横を見る。
「所長?」
「もういい」
所長は立ち上がった。
「海行くぞ」
「え?」
「朝から海に行く予定だったんだ」
大きく伸びをする。
「なんで俺は誘拐犯の治療現場で人生相談みたいなもん聞いてんだ」
「……それは所長が車を撃ったからでは?」
「細けぇことはいい」
「細かくありません」
リリスは苦笑しながら携帯電話を取り出した。
「では、私は警察へ連絡します」
「ああ」
「事情を説明しておきます」
リリスは電話をかけながら車へ向かう。
リゼットもその後を追おうとした。
だが。
一度だけ振り返る。
「……皆さん、本当に大丈夫かしら」
「大丈夫です!」
「王女殿下!」
「お気をつけて!」
誘拐犯たちは地面に座り込んだまま、笑顔で手を振っている。
リゼットも小さく手を振り返した。
「……よかった」
そして車へ向かう。
所長はすでに運転席に座っていた。
「おーい、王女様」
「今行くわ!」
「海が逃げるぞ」
「海は逃げないでしょう」
「いいから乗れ」
「はいはい」
リゼットが乗り込む。
リリスも電話を終えて助手席へ座った。
エンジンがかかる。
車がゆっくりと動き出す。
その後ろでは――。
助けられた誘拐犯たちが、いつまでも笑顔で手を振っていた。
「頑張れー!」
「王女殿下ー!」
「また会いましょう!」
リゼットも窓から顔を出し、手を振る。
「皆さん、元気で!」
所長はバックミラーを一度だけ見た。
「…………」
そして小さく呟く。
「……なんなんだ、あいつら」
リリスが淡々と答えた。
「所長が一番理解できていない状況を作ったのは、所長自身だと思います」
「うるせぇ」
車はそのまま、青い海へ向かって走っていった。