アランスミシー探偵事務所の事件簿   作:山門門山

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case119 報告会

CASE122 旅行はまだ終わらない

 

「……私の親族だと?」

 

ヴァルガス・グラディウスの声が、低く響いた。

 

先ほどまで穏やかだった魔王の表情から、完全に笑みが消えている。

 

その目には、明らかな殺意が宿っていた。

 

エレノアも黙って夫を見つめている。

 

軍司令官に至っては、また胃の辺りを押さえていた。

 

「所長」

 

ヴァルガスが立ち上がる。

 

「その公爵の名は――」

 

「まあまあ」

 

所長が片手を上げた。

 

あまりにも気楽な仕草だった。

 

「落ち着けよ」

 

「…………」

 

「せっかくの楽しい旅行だぜ?」

 

ヴァルガスが所長を睨む。

 

「娘を誘拐しようとした者が、私の親族なのだぞ」

 

「ああ」

 

「しかも二度もだ」

 

「そうだな」

 

「ならば――」

 

「だから落ち着けって」

 

所長は横柄に手を振った。

 

「面倒事なんぞ旅行が終わってから考えりゃいいだろ」

 

「…………」

 

「今ここで怒ったって仕方ねぇ。リゼットはもう寝てるんだ。せっかく楽しく旅行してんのに、親父がずっと怖い顔してたら明日の朝に気まずいだろうが」

 

ヴァルガスは黙り込む。

 

やがて、ゆっくりと椅子へ腰を下ろした。

 

「……君は本当に、人を苛立たせるな」

 

「よく言われる」

 

所長は笑った。

 

「まあ、なんなら三日間の報告をしてやるよ」

 

「三日間の?」

 

エレノアが尋ねる。

 

「ああ。護衛依頼だからな」

 

所長は煙草を咥えた。

 

「何してたかくらい報告してやる」

 

「ぜひ聞かせてください」

 

エレノアが微笑む。

 

所長は指を一本立てた。

 

「まず一日目」

 

ホテルで魔王一家と顔を合わせ、依頼を受けたこと。

 

その後、リゼットとリリスにガイドブックを渡し、行きたい場所を探させたこと。

 

そして、目の前に広がっていた海へ向かったこと。

 

「海辺を歩いて、土産買って、買い食いして――」

 

所長はそこで少し笑う。

 

「その途中で車が突っ込んできた」

 

ヴァルガスの眉が動く。

 

「昨日の件か」

 

「ああ」

 

「それで?」

 

「車を海へ投げた」

 

「…………」

 

軍司令官が頭を抱える。

 

所長は気にせず続ける。

 

「昼飯食って、また買い食いして、ホテルに戻って、夜は飲みに行った」

 

「リゼットも?」

 

エレノアが尋ねる。

 

「少しだけな」

 

「そう……」

 

「で、飲み食いしてたらリゼットが寝ちまったから、リリスがおんぶしてホテルまで戻った」

 

エレノアは少し嬉しそうに笑った。

 

「楽しんでくれたのね」

 

「そりゃもう」

 

所長は頷いた。

 

「二日目」

 

指を二本立てる。

 

「朝は俺が二日酔い」

 

リリスが横から小さく息を吐く。

 

「……自業自得でした」

 

「うるせぇ」

 

所長は続ける。

 

「歩くのが面倒だったからホバーボードを借りて街を回った」

 

大聖堂。

 

展望台。

 

城塞跡。

 

街の観光地をいくつも巡り、買い食いをしながら歩いた。

 

「それで?」

 

ヴァルガスが聞く。

 

「また誘拐された」

 

「…………」

 

「車を蹴ったら壁に突っ込んだ」

 

「君の護衛報告は……」

 

ヴァルガスが頭を押さえる。

 

「本当にそれでいいのか?」

 

「事実だろ?」

 

「事実だが……」

 

「ならいい」

 

所長は平然としていた。

 

「で、そのあとも観光してホテルへ戻った」

 

「そして三日目が今日か」

 

「ああ」

 

所長は頷く。

 

「朝から海へ向かった」

 

車を飛ばす途中、また誘拐犯に追跡されたこと。

 

そして高速道路の出口付近で、所長が車を止めて待ち構えたこと。

 

「向こうが俺たちの前を通り過ぎて、急ブレーキ踏んだところを撃った」

 

「…………」

 

「車は壁に突っ込んだ」

 

所長は淡々と説明する。

 

「それで――」

 

そこで所長は、少しだけ表情を変えた。

 

「リゼットが飛び出していった」

 

エレノアが目を見開く。

 

「リゼットが?」

 

「ああ」

 

所長は煙草を灰皿へ置いた。

 

「燃えてる車に近づいていった」

 

「……なぜ?」

 

「俺もそう思った」

 

所長は苦笑する。

 

「俺はこいつらを助けるつもりなんぞなかった。誰の依頼か聞き出すつもりだったからな」

 

そして、当時の光景を思い出すように続ける。

 

「車は大破して、誘拐犯は中から出られねぇ。車体は燃え始めてる。本人たちは大慌てで逃げようとしてるのに、ボディが歪んで出られねぇ」

 

「それで?」

 

ヴァルガスが静かに聞く。

 

「リゼットがそこへ走っていった」

 

所長は呆れたように笑った。

 

「俺が襟首掴んで止めたよ」

 

「…………」

 

「『待て待て待て。こいつら誘拐しようとしてたんだぞ。助けるつもりか?』ってな」

 

エレノアが小さく息を呑む。

 

所長は肩を竦めた。

 

「そしたら、あいつ何て言ったと思う?」

 

誰も答えない。

 

「『王族の前に、私は魔族です。他人を助けるのに理由はいりません。それに、助けた後で事情を聞けばいいのですから』だと」

 

「…………」

 

ロビーが静まり返った。

 

「なんだあの無防備なお人好し」

 

所長は呆れたように笑う。

 

「自分を誘拐しようとした連中が燃えてる車の中にいるんだぞ? 普通なら逃げるか、少なくとも警戒するだろ」

 

「…………」

 

「なのにあいつ、目の前の怪我人しか見えてねぇ」

 

所長は首を振った。

 

「意味が分からん」

 

リリスも小さく頷く。

 

「私も止めようとしましたが……」

 

「止まらなかっただろ?」

 

「はい」

 

「だろうな」

 

所長は苦笑する。

 

「結局、俺が車の天井を剥がして、ひっくり返して連中を地面に落とした」

 

「そして?」

 

「リゼットが治療を始めた」

 

「治療を?」

 

「しかも、かなり珍しい治療魔法を惜しげもなく使いやがった」

 

所長は呆れたように続ける。

 

「血が止まってないって涙目で大慌てだ」

 

「…………」

 

「俺まで毒気を抜かれてな」

 

所長は肩を竦めた。

 

「リリス、手伝ってやれって言って、俺は煙草吸いながら酒飲んでた」

 

「所長は本当に……」

 

リリスが呆れる。

 

「で、一通り治療が終わったら、あいつ一人一人に『大丈夫ですか?』って聞いて回るんだよ」

 

「…………」

 

「誘拐犯どもも最初は呆然としてたがな」

 

所長は笑った。

 

「そのうち、全員鼻の下伸ばし始めやがった」

 

軍司令官が思わず顔をしかめる。

 

「何をしているんだ……」

 

「俺もそう思った」

 

所長は即答した。

 

「結局、連中は全部しゃべった」

 

「誰の指示だったの?」

 

エレノアが尋ねる。

 

「バルガスという公爵だ」

 

ヴァルガスの目が細くなる。

 

「……やはりか」

 

「それで連中は自首するとまで言い出した」

 

「自首?」

 

「ああ」

 

所長は笑う。

 

「『罪を償ったら魔王城に就職できるよう頑張ります』だとよ」

 

「…………」

 

「しかもリゼットの手を両手で握って、キラキラした目で言いやがった」

 

所長は頭を掻く。

 

「アホくさ。やってられんわ」

 

リリスが思わず吹き出す。

 

ヴァルガスも呆然としていた。

 

「……私の娘は」

 

「お人好しなんだろうな」

 

所長が言う。

 

「まあ、悪いことじゃねぇけどよ」

 

「それで、海へ行ったのか」

 

「ああ」

 

所長は頷く。

 

「警察にはリリスが連絡して、俺たちは海へ行った」

 

そこから先は、三人で海を存分に楽しんだ。

 

エメラルドグリーンの海。

 

穏やかな波。

 

誰もいない砂浜。

 

水泳の練習をして、魚を捕まえて焼いて、最後には体力を使い果たしたリゼットが車の中で眠ってしまった。

 

「……なるほど」

 

ヴァルガスは長く息を吐いた。

 

「三日間で、それだけのことを?」

 

「まあな」

 

所長は立ち上がった。

 

「で、旅行はいつまでだ?」

 

「あと二週間だ」

 

「二週間か」

 

所長は少し考えた。

 

「長ぇな」

 

「娘が楽しみにしていたからな」

 

「なら」

 

所長はヴァルガスを見る。

 

「少しは娘のために時間つくってやんな」

 

「…………」

 

「護衛だの公務だの、そういう面倒なのは俺がいるんだからよ」

 

横柄に手を振る。

 

「旅行中くらい親子で遊んでろ」

 

ヴァルガスはしばらく黙っていた。

 

やがて、小さく笑う。

 

「……そうだな」

 

「それでいい」

 

所長は満足そうに頷いた。

 

「じゃ、俺は風呂行ってくる」

 

「今からか?」

 

「海で泳いで汗かいたんだよ」

 

「君は今日、娘と遊んでいただけだろう」

 

「だから汗かいたんだって」

 

所長はそのまま歩き出す。

 

「リリス、行くぞ」

 

「はい」

 

二人がロビーを去っていく。

 

その背中を見送りながら、ヴァルガスは静かに呟いた。

 

「……不思議な男だな」

 

エレノアが微笑む。

 

「ええ。でも――」

 

彼女は娘の眠っている部屋へ目を向ける。

 

「リゼットがあんなに楽しそうなのは、久しぶりですもの」

 

ヴァルガスもそちらを見る。

 

「……あと二週間か」

 

「ええ」

 

魔王は小さく笑った。

 

「なら、私も少しくらい父親らしくするとしよう」

 

旅行は、まだ始まったばかりだった。

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