アランスミシー探偵事務所の事件簿   作:山門門山

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case14 優雅な朝

第八話 朝一番の商談

 

 倉庫の扉が閉まった。

 

 重い鉄の音が響き、鍵が掛けられる。

 

 その音を聞いて、エルフたちは誰も言葉を発しなかった。

 

 所長がいなくなった。

 

 それだけなら、本来は安心できるはずだった。

 

 しかし、誰も安心できなかった。

 

 床には先ほどまで一緒にいた仲間が倒れている。

 

 身体のあちこちが痛む。

 

 口の中は乾き、喉が張り付くようだった。

 

 何時間も緊張した状態に置かれていたせいで、身体そのものが自分のものではないように重い。

 

「……」

 

 一人のエルフが壁へ背を預けた。

 

 座ろうとしただけだった。

 

 だが、膝に力が入らない。

 

 そのままずるずると壁を滑り、床へ腰を落とした。

 

「……はぁ」

 

 深く息を吐く。

 

 息を吐いた瞬間、自分が今まで息を止めていたことに気づいた。

 

 別のエルフも床へ座り込む。

 

「……終わった、のか?」

 

 誰も答えない。

 

 所長はもういない。

 

 それなのに、全員が入口を見ている。

 

 戻ってくるのではないか。

 

 また歌い始めるのではないか。

 

 また自分を指差すのではないか。

 

 そんな恐怖が頭から離れない。

 

「……もう、選ばれない」

 

 一人が呟いた。

 

「そうだ」

 

「今日は……もう……」

 

 言葉が続かない。

 

 疲れていた。

 

 肉体的にも。

 

 精神的にも。

 

 何時間もの間、いつ自分が選ばれるのか分からない状態に置かれていた。

 

 所長が歌い始めるだけで心臓が跳ねた。

 

 指が自分の方へ動くだけで、身体が勝手に震えた。

 

 そして選ばれれば、何をされるのか分からない。

 

 それを繰り返した。

 

 限界だった。

 

 壁に寄り掛かっていたエルフの頭が、ゆっくりと傾く。

 

「……眠い」

 

 誰かが答えた。

 

「寝ろ」

 

「でも……」

 

「もう、来ないだろ……」

 

 その言葉を最後に、声が途切れた。

 

 目を閉じる。

 

 数秒後には、規則正しい寝息が聞こえ始めた。

 

 別のエルフも横になる。

 

 床は硬い。

 

 冷たい。

 

 毛布もない。

 

 まともな寝床とは呼べなかった。

 

 それでも、今は関係なかった。

 

 身体が睡眠を求めていた。

 

 ある者は膝を抱えたまま。

 

 ある者は壁にもたれたまま。

 

 ある者は床に横になったまま。

 

 誰もまともな姿勢を取れない。

 

 それでも眠った。

 

 眠ったというより、意識を失った。

 

 恐怖と疲労で限界まで張り詰めていた精神が、ようやく糸を切ったのだ。

 

 倉庫の中は静かになった。

 

 誰も夢を見る余裕などない。

 

 ただ深く、泥のような眠りに落ちていった。

 

 ――そして翌朝。

 

 ガラガラガラッ。

 

 シャッターが開いた。

 

「おはよう!」

 

 朝日と共に所長が入ってきた。

 

 片手にはコーヒー。

 

 顔には満面の笑み。

 

「よく寝たか、お前ら」

 

 返事はない。

 

 所長はエルフたちを見回す。

 

「……まだ寝てるか」

 

 特に気にすることもなく時計を見る。

 

「まあいい」

 

 そして、何かを思い出したように笑った。

 

「そろそろ来る頃だな」

 

 事務所へ戻る。

 

 その数分後。

 

 扉を叩く音が響いた。

 

 コンコン。

 

「おう」

 

 所長が扉を開ける。

 

 昨日と同じマフィアの幹部と、その部下たちが立っていた。

 

「朝っぱらから呼び出して何の用だ?」

 

「商談だ」

 

「またか?」

 

「昨日の続きだ」

 

 所長は中へ招き入れた。

 

「座れ」

 

 幹部が椅子へ腰掛ける。

 

「それで?」

 

「エルフだ」

 

 所長は単刀直入に言った。

 

「買わねえか?」

 

 幹部が眉を上げた。

 

「……本当に売るのか」

 

「ああ」

 

「いくらだ?」

 

「一人三百ゴールド」

 

「高い」

 

 即答だった。

 

 所長が笑う。

 

「そうか?」

 

「昨日の設備を買ったばかりだぞ」

 

「それとこれは別だ」

 

「だとしても三百は高い」

 

「薬を作れる」

 

「それは分かってる」

 

「なら――」

 

「一人二百だ」

 

「二百八十」

 

「二百」

 

「二百七十」

 

「二百十」

 

「お前、値引きの仕方が雑だな」

 

 幹部が睨む。

 

「お前もだろ」

 

 所長は笑った。

 

「じゃあ二百五十」

 

「二百二十」

 

「二百四十」

 

「二百三十」

 

 しばらく睨み合う。

 

「……二百三十か」

 

「そうだ」

 

「一人につき?」

 

「ああ」

 

 所長は少し考える。

 

 そして肩を竦めた。

 

「まあいい」

 

「本当に?」

 

「俺としても、こいつらを抱えてるのは面倒なんだ」

 

 所長は倉庫の方を指差した。

 

「飯も食わせなきゃならねえ。見張らなきゃならねえ。逃げたら探さなきゃならねえ」

 

「……」

 

「金になるなら、さっさと持っていってくれた方がいい」

 

「じゃあ二百三十で」

 

「成立だ」

 

 幹部が頷く。

 

「全員か?」

 

「ああ」

 

 所長は人数を確認する。

 

「全員だ」

 

 マフィアの部下が金貨の入ったケースを机へ置いた。

 

 所長が蓋を開ける。

 

「……」

 

 一枚。

 

 二枚。

 

 三枚。

 

 手早く確認していく。

 

「よし」

 

 ケースを閉じる。

 

「商談成立だ」

 

 幹部は立ち上がった。

 

「じゃあ、エルフを――」

 

「その前に」

 

 所長が止める。

 

「倉庫の中身」

 

「……?」

 

「もう場所を移したか?」

 

 幹部が一瞬黙る。

 

「ああ」

 

「いつ?」

 

「昨夜だ」

 

「昨夜?」

 

「お前から連絡が来たあと、すぐに人を集めた」

 

 幹部は少し疲れた顔をしている。

 

「徹夜で移設した」

 

 所長が目を丸くする。

 

「ほう」

 

「お前が売った設備だ。あれだけの量を運ぶとなると、どうしても時間がかかる」

 

「ご苦労さん」

 

「誰のせいだと思ってる」

 

「俺だな」

 

 所長は笑った。

 

「まあ、ちゃんと移したならいい」

 

 幹部はそこで、ふと何かに気づいた。

 

「……待て」

 

「ん?」

 

「お前」

 

 幹部の目が細くなる。

 

「昨日の尋問で、何を聞いた?」

 

「……」

 

「お前、やけに詳しかったな」

 

 所長は何も答えない。

 

「製造場所のことを知っていた」

 

「そうか?」

 

「原料の仕入れ先も知っているような口ぶりだった」

 

「そうかもな」

 

「販売先についても」

 

 幹部が所長の胸元を見る。

 

「まさか……」

 

 所長は笑った。

 

「何だ?」

 

「お前、あいつらから情報を抜いたのか?」

 

「……」

 

「だから設備を先に移せと言ったのか?」

 

 所長は肩を竦めた。

 

「さあな」

 

「おい」

 

「情報は売らんぞ」

 

 幹部が黙る。

 

「……」

 

「そこは勘違いするな」

 

 所長は笑みを浮かべる。

 

「エルフを売ってるだけだ」

 

「……」

 

「情報は俺のもんだ」

 

 幹部は深くため息をついた。

 

「やっぱりか」

 

「何だ?」

 

「お前、見た目だけじゃなくて中身までろくでもないな」

 

「褒め言葉か?」

 

「違う」

 

「そうか」

 

 所長は気にしていない。

 

「じゃあ、エルフを持ってけ」

 

 倉庫へ向かう。

 

 扉を開ける。

 

「おい、お前ら」

 

 エルフたちが目を覚ます。

 

 寝起きの頭では、何が起きているのか理解できない。

 

「迎えだ」

 

「……」

 

 マフィアの男たちが入ってくる。

 

 エルフたちは身体を強張らせる。

 

 所長はその横で大きく欠伸をした。

 

「ほら」

 

 手を振る。

 

「さっさと持ってけ」

 

 幹部が苦笑する。

 

「本当に邪魔だったんだな」

 

「邪魔だよ」

 

 所長は即答した。

 

「俺の事務所にエルフが何人も転がってるんだぞ」

 

「……」

 

「仕事にならん」

 

 エルフたちが連れていかれる。

 

 所長はその様子を眺める。

 

「じゃあな」

 

 誰も返事をしない。

 

 扉が閉まる。

 

 倉庫が静かになった。

 

 所長は金貨のケースを持ち上げる。

 

「……二百三十か」

 

 少し考える。

 

「まあ、いい」

 

 満面の笑み。

 

「邪魔者も消えたし、金も入った」

 

 所長は上機嫌で事務所へ戻った。

 

 そして金貨のケースを机へ置く。

 

「祝杯でもあげるか」

 

 その瞬間。

 

 ポケットの中で電話が鳴った。

 

「ん?」

 

 画面を見る。

 

「リリスか」

 

 通話ボタンを押す。

 

「もしもし」

 

『所長』

 

「おう」

 

『今どこです?』

 

「事務所」

 

『分かっています』

 

「なら聞くなよ」

 

『……』

 

 電話の向こうで、リリスが深いため息をついた。

 

『警察署に来てください』

 

「警察署?」

 

『はい』

 

「何で?」

 

『昨日の件です』

 

「昨日?」

 

 所長は少し考える。

 

「……ああ」

 

 ようやく思い出した。

 

「お前ら、警察署に泊まったんだったな」

 

『泊まったわけではありません』

 

「そうだったか」

 

『とにかく、さっさと来てください』

 

「今から?」

 

『今すぐです』

 

「……」

 

 所長は金貨のケースを見る。

 

 そして電話に戻る。

 

「分かった」

 

『本当に来ますか?』

 

「行くよ」

 

 急に声が真面目になる。

 

「すまん」

 

『……』

 

「聞き込みが長くなった」

 

『聞き込み、ですか?』

 

「ああ」

 

 リリスはしばらく黙った。

 

『……分かりました』

 

「じゃあ、すぐ行く」

 

『待っています』

 

 通話が切れた。

 

 所長は電話をポケットへ戻す。

 

「祝杯は後だな」

 

 金貨をしまう。

 

 車の鍵を取る。

 

 事務所を出る。

 

 エンジンをかける。

 

「リリス、朝から機嫌悪かったな」

 

 所長は首を傾げた。

 

「何かあったのか?」

 

 当然のようにそう呟き、警察署へ向かって車を走らせる。

 

 その顔には、昨日の夜に何をしていたのかなど微塵も反省している様子はなかった。

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