CASE137 仕事は最後まで
「……さすがに疲れた」
ロビーでひと騒ぎ終えた所長は、そう呟いた。
腹には未だ大きな銃創が残っている。
そこから血が流れ続けている。
「所長、病院へ――」
「寝る」
「ですが――」
「寝りゃ治る」
「そんな理屈が――」
リリスが言い終える前に、所長は歩き出した。
廊下に血をぽたぽたと落としながら、自分の部屋へ戻っていく。
「所長!」
周囲の兵士やホテルマンまで心配そうに声をかける。
しかし所長は一切聞かない。
部屋へ入る。
ベッドへ倒れ込む。
「……寝る」
そして――。
数秒もしないうちに爆睡した。
「…………」
リリスはベッドの横で呆然とする。
「……本当に寝ましたね」
結局、誰が何を言っても所長は起きなかった。
***
夕方。
「……腹減った」
所長が目を覚ました。
むくりと起き上がる。
腹の傷からはまだ血が滲んでいる。
「リリス」
「はい」
「飯行くぞ」
「……はい」
二人は夕食会場へ向かった。
席につくなり、所長は料理を片っ端から口へ放り込んでいく。
「…………」
リリスは黙って見ていた。
いつもなら、
「はしたないですよ」
と言うところだった。
しかし今日は言わなかった。
自分たちを助けるために、所長がどれほど無茶をしたのか。
それを考えると、今日くらいは小言を言う気にはなれなかった。
「ゆっくり食べてください」
「ん」
所長は返事をしながらも、相変わらず凄まじい勢いで食べている。
酒も瓶のままラッパ飲みする。
一本。
二本。
三本。
次々と空になっていく。
「…………」
リリスはため息をつきかける。
しかし、代わりに所長の頭へ手を置いた。
「……ゆっくりでいいですからね」
そして優しく撫でる。
所長は一瞬だけ不思議そうな顔をした。
「何だ?」
「なんでもありません」
「そうか」
所長はまた食事に戻った。
やがて――。
魔王一行が夕食会場へやってきた。
「やあ」
ヴァルガスが声をかける。
所長は手を止めない。
「おう」
エレノア、リゼット、ヴァルガスが席につく。
しばらく食事をした後、ヴァルガスが口を開いた。
「所長」
「ん?」
「今回の報酬についてだが――」
その言葉を聞いた瞬間。
所長の手が止まった。
口の中に入っていた料理を、酒で一気に流し込む。
ごくり。
そして、所長は魔王を見る。
「……その前に」
「ん?」
「悪かったな」
ヴァルガスが目を瞬く。
所長は続けた。
「怖ぇ思いさせちまった」
リゼットを見る。
「お前もだ」
リゼットは驚いた顔をする。
所長は少しだけ目を伏せた。
「護衛だなんだと言って引き受けたのに、結局攫われちまった」
「俺が付いてたのにな」
「……申し訳ねぇ」
ロビーの時とは違う。
今度は素直な謝罪だった。
ヴァルガスはしばらく所長を見る。
そして――。
ゆっくり頭を下げた。
「いや」
「むしろ、こちらこそ申し訳ない」
「君を巻き込んでしまった」
「娘を守るどころか、君まで撃たれてしまった」
そして、深く頭を下げる。
「それでも」
「君じゃなければ、リゼットは助からなかった」
「本当にありがとう」
周囲が静かになる。
リゼットも目を丸くする。
リリスも少し驚いたように魔王を見る。
所長はそんなヴァルガスを見て――。
「…………」
数秒黙った。
そして。
「そうか」
「うん」
「じゃあ――」
所長は何事もなかったかのように食事へ戻る。
「報酬はもらおうか」
「…………」
ヴァルガスが固まる。
エレノアも固まる。
リゼットもきょとんとする。
リリスは思わず口元を押さえた。
所長はニヤニヤしながら料理を食べる。
「何がいいかなぁ」
「…………」
「金か?」
「…………」
「酒か?」
「…………」
「それとも魔石でも――」
リゼットが吹き出した。
「ふふっ……」
エレノアも堪えきれず笑う。
ヴァルガスも苦笑する。
リリスも穏やかに笑った。
「……しょうがないですね」
所長はそんな四人を見て、鼻を鳴らした。
「まぁいい」
「報酬は最終日に伝えるわ」
「……最終日?」
ヴァルガスが首を傾げる。
リゼットもきょとんとする。
所長は呆れたように言った。
「馬鹿」
「俺は滞在中の護衛だろうが」
「…………」
「なら最終日まで仕事するさ」
所長はテーブルのナイフを手に取った。
そして、それを魔王へ向ける。
「仕事はしっかりこなす」
「だから――」
ニヤリと笑う。
「報酬は期待してるぞ」
「……分かった」
ヴァルガスは苦笑しながら頷く。
所長はナイフを戻す。
そして今度はリゼットへ向けた。
「お前も」
「え?」
「明日何したいか考えとけよ」
リゼットが目を丸くする。
「明日?」
「そうだ」
「まだ旅行は終わってねぇ」
所長は何事もなかったようにナイフを置き、再び料理を頬張る。
「最後まで仕事だからな」
リゼットはしばらく所長を見つめていた。
そして、嬉しそうに笑った。
「うん!」
リリスもそんな二人を眺めながら、静かに微笑んだ。
「……本当に、しょうがない人ですね」
所長は聞こえているのかいないのか、また瓶を一本空にしていた。