CASE138 最終日
旅行最終日。
高級ホテルのロビーでは、所長がソファにふんぞり返っていた。
手には酒瓶。
「いやぁ……」
ぐびっ。
「小言を言われねぇってのは素晴らしいなぁ!」
ガハハハハ、と大笑いする。
もう一口。
「最高だな、旅行ってのは!」
「…………」
その横で、リリスのこめかみに青筋が浮かんでいた。
「……そうですか」
「おう」
「小言を言われないのが、そんなに素晴らしいですか」
「素晴らしい」
「そうですか」
リリスはにっこり笑う。
「では――」
所長の手から酒瓶をひったくった。
「お望み通り、今日からまた小言を言わせてもらいます」
「おい!」
「飲み過ぎです」
「まだ一本目だぞ!」
「その前に何本空けたと思っているんですか」
「知らん」
「知ってください」
リリスは酒瓶を自分の後ろへ隠す。
「今日は最終日なのですから、朝からそんなに飲まないでください」
「ちぇっ」
所長が不満そうに頬杖をつく。
その時。
ホテルの奥から、リゼットがやってきた。
「お待たせ――」
そして、所長を見る。
「……所長」
「ん?」
「傷、大丈夫なの?」
少し心配そうな顔だった。
「傷?」
「お腹の……」
所長は「ああ」と思い出したように自分の腹を見る。
そして――。
「ん?」
服を捲り上げる。
「…………」
そこには、以前銃撃を受けたとは思えないほど綺麗になった腹があった。
大きな銃創は完全に塞がっている。
残っているのは、薄い古傷だけ。
「…………」
リゼットが目を丸くする。
リリスは知っていた。
所長の異常な回復力も、これまで何度も見ている。
それでも改めて見ると呆れるしかない。
「……化け物じみた回復力ですね」
「褒め言葉か?」
「褒めてません」
リゼットは傷跡を見つめる。
そして、ほっとしたように目尻へ涙を浮かべた。
「……良かった」
所長はそんなリゼットを見て、ニヤリと笑う。
「もしかしたら――」
「王女閣下のキスが効いたのかもな」
「――っ!」
リゼットの顔が一瞬で真っ赤になる。
「な、何言ってるの!」
ポコッ。
「痛ぇ!」
ポコッ。
「ちょ、おい!」
ポコポコと所長の腹を叩く。
「もう!」
「冗談だ、冗談!」
「知らない!」
「おいおい」
リリスはそんな二人を眺めながら、呆れたように眼鏡を押し上げた。
「朝から元気ですね」
「誰のせいだと思ってんだ!」
「知りません」
やがてリゼットも笑い始める。
最終日。
旅行の終わりが近づいているというのに、三人の雰囲気は不思議なほど明るかった。
所長は酒瓶をリリスに取り上げられたまま、立ち上がる。
「さて」
「今日はどうする?」
リゼットは少し考える。
そして――。
「初日と同じところに行きたい」
「海か?」
「うん」
「街も歩きたい」
「…………」
所長は少し意外そうな顔をした。
「また?」
「うん」
リゼットは笑った。
「最初の日、すごく楽しかったから」
リリスも微笑む。
「私も賛成です」
「そうか」
所長は肩を回した。
「じゃあ決まりだ」
「今日は最終日だしな」
三人はホテルを出る。
初日に歩いた街並み。
土産物屋。
海へ続く道。
見慣れた景色を、三人でゆっくり歩いていく。
リゼットは店先を覗き込みながら、時折リリスの手を引く。
「これ、初日に見たよね」
「ええ」
「こっちのお店も!」
「本当に初日と同じですね」
少し歩けば海が見えてくる。
青い海。
穏やかな波。
初日に三人で歩いた砂浜。
リゼットは海を眺めながら、嬉しそうに笑った。
「……やっぱり、ここ好き」
所長はその横で煙草を咥える。
「そうか」
「うん」
リリスも海を眺める。
「最初はどうなることかと思いましたが……」
「なんだ?」
「今となっては、随分楽しい旅行でしたね」
所長は鼻で笑う。
「だろ?」
「所長が余計なことをしなければ、もっと平和だったと思いますが」
「余計なことってなんだ」
「……全部です」
「ひでぇな」
リゼットが笑う。
三人はそのまま、初日と同じように海辺を歩いていった。
旅行最終日。
最後くらいは――。
何事も起きない、穏やかな一日になりそうだった。