CASE139 最後の夜
海からホテルへ戻る道。
三人は、初日とは比べものにならないほど街に馴染んでいた。
通りを歩けば、店先から声が飛んでくる。
「おう、また来たな!」
「今日は海かい?」
「明日には帰っちまうんだろ? また来いよ!」
「そっちの嬢ちゃん、楽しんでるかい!」
リゼットは笑顔で手を振り返す。
「はい!」
リリスも軽く会釈を返す。
所長はというと、片手を上げるだけだった。
「おう」
初日に比べれば、すっかり街の人間にも顔を覚えられていた。
それは、所長が乱暴な男だからというだけではない。
店では景気よく金を払い、気に入った店には何度も顔を出し、酒を飲んでは豪快に笑う。
いつの間にか、この街ではすっかり馴染みの客になっていた。
しばらく歩いたところで、リゼットが所長の隣へ寄る。
「ねえ、所長」
「ん?」
「最後にお願いがあるんだけど……」
「なんだ?」
リゼットは少しだけ考えるようにしてから、笑った。
「初日に行った飲み屋さん、また連れてってほしい」
所長は一瞬ぽかんとした。
それから、ニヤリと笑う。
「マセガキめ」
「いいでしょ?」
所長はリゼットの頭へ手を置く。
「よしよし」
「ちょっと!」
そのまま髪をぐしゃぐしゃにする。
「やめてよ、髪が!」
「うるせぇ」
リゼットは笑いながら髪を直す。
その横でリリスも穏やかに微笑んでいた。
「いいですよ」
「リリスも?」
「ええ」
そしてリゼットの頭を優しく撫でる。
「ただし、あまり飲み過ぎてはいけませんよ」
「分かってる」
「本当ですか?」
「……たぶん」
「信用できませんね」
「ひどい!」
そんなやり取りをしながら、三人は初日に訪れた飲み屋へ向かった。
***
店に入ると、店員がすぐに気づいた。
「おお! また来たのか!」
「おう」
所長が手を上げる。
「こないだと同じ席でいいか?」
「もちろん!」
すっかり馴染んだ三人は、もう注文にも戸惑わない。
リゼットとリリスはメニューを見ながら料理を選び、所長は酒を注文する。
「酒」
「またそれだけ?」
リリスが呆れる。
「あと肉」
「……結局そうなるんですね」
「腹減ってんだよ」
料理が運ばれてくる。
三人で酒を飲み、料理を食べる。
初日に来た時とは、まるで違う。
リゼットはもう、恐る恐る酒を口にすることもない。
少しずつ飲みながら、楽しそうに笑っている。
「最初は、こんなところでお酒を飲むなんて思ってなかったな」
「俺もだ」
所長が笑う。
「そもそも旅行初日に誘拐されかけるとは思ってなかっただろ」
「それはもう忘れたい……」
「二回目もあったな」
「それも忘れたい!」
「三回目は――」
「所長!」
リリスが止める。
「せっかくの最後の夜なんですから、怖い話はやめましょう」
「はいはい」
所長は酒を飲む。
三人はそれから、今回の旅行を振り返った。
海へ行ったこと。
街を歩いたこと。
ホバーボードに乗ったこと。
バーベキューをしたこと。
泳いだこと。
そして――。
何度も起きた騒動。
リゼットはそれらを思い出しながら、笑った。
「……本当に色々あったね」
「ありすぎです」
リリスも苦笑する。
所長は楽しそうに酒を飲んでいた。
やがて。
リゼットの頬が少し赤くなる。
少し酔いが回ってきたらしい。
「ねえ……」
「ん?」
リゼットが所長とリリスを見る。
少しだけ躊躇ってから、口を開いた。
「最後に……もう一つだけお願いしてもいい?」
「なんだ?」
「…………」
リゼットの目に、うっすらと涙が浮かんだ。
「また……」
「いつか、護衛をお願いしてもいい?」
所長が黙る。
リリスもリゼットを見る。
「また旅行するときとか……」
「その時も、所長とリリスに一緒に来てほしい」
「……お願い」
リゼットは涙をこらえながら笑う。
リリスの表情が柔らかくなる。
「もちろんですよ」
リリスはリゼットを優しく抱きしめた。
「え……」
「そんなことをお願いされて、断るわけがないでしょう」
リリスの声も少し震えていた。
目尻には、うっすらと涙が浮かんでいる。
「また一緒に行きましょう」
「……うん」
リゼットもリリスを抱きしめ返す。
そして――。
所長は二人を眺めながら、少しだけ考える。
「まあ……」
リゼットが顔を上げる。
「依頼料次第で受けてやるよ」
「え?」
所長は懐から名刺を取り出した。
それは初日に王妃へ渡したものと同じものだった。
だが今回は――。
それをリゼットへ差し出す。
「次はこっちに連絡してこい」
リゼットは両手で名刺を受け取った。
「……いいの?」
「当たり前だろ」
所長は笑う。
「ただし」
リゼットを見る。
「次はお前の金で依頼してこいよ」
「えぇ……」
「自分の旅行なんだから、自分で払え」
「分かった……」
所長はリゼットの頭へ手を置く。
「まあ、ちゃんと金持ちになっとけ」
ぐしゃぐしゃ。
「わっ、また!」
「ガハハハ!」
「もう!」
リゼットは髪を乱されながら笑う。
リリスも、その光景を見て穏やかに笑っていた。
「……本当に、しょうがない人ですね」
「お前も笑ってんじゃねぇか」
「ええ」
リリスは素直に答える。
「今夜くらいは、いいでしょう?」
所長は少しだけ目を細めた。
「……そうだな」
店の外では、夜の街が静かに賑わっている。
明日には、この街を離れる。
けれど今だけは。
三人は何も考えず、酒を飲み、料理を食べ、笑っていた。
楽しい旅行の最後の夜は――。
ゆっくりと、静かに更けていった。