第十二話 情報の値段
昼を少し過ぎた頃。
探偵事務所の扉が、乱暴に開かれた。
「いるか!」
聞き慣れた声だった。
所長は机の向こうから顔を上げる。
「おう」
入ってきたのは、馴染みの女刑事だった。
その後ろには、もう一人。
先日の倉庫の取引で顔を合わせたマフィアの幹部が、いかにも不機嫌そうな顔で立っている。
女刑事もマフィアも、互いの姿を確認した瞬間に露骨に顔をしかめた。
「……なんでこいつがいる」
女刑事が言う。
「それはこっちの台詞だ」
マフィアが返す。
「俺は所長に呼ばれたんだ」
「私だって呼ばれたんだよ」
「なら、二人とも座れ」
所長が面倒臭そうに言った。
「今日はまとめて話をする」
「まとめて?」
女刑事が眉をひそめる。
「そうだ」
所長は応接用の長机を指差した。
「どうせ話すことは同じだ」
「……嫌な予感しかしない」
「奇遇だな。俺もだ」
マフィアがぼやく。
二人は互いに距離を取りながら席についた。
リリスはその横で、いつものように帳簿を手にしている。
所長は三人が座ったのを確認すると、机の上に一冊の帳簿を置いた。
「じゃあ、まずはマフィアの兄さんからだ」
「俺から?」
「ああ」
マフィアの幹部が警戒する。
「先日の依頼料の話だ」
「……」
「依頼料?」
女刑事が聞き返す。
「そう。俺たちはこいつから正式に依頼を受けて動いた」
所長はマフィアを指差した。
「だから仕事代をもらう」
「いくらだ?」
「五ゴールド」
「……五?」
マフィアの幹部が拍子抜けした顔をする。
「それだけか?」
「ああ」
「本当に?」
「五ゴールドでいい」
マフィアは少し考えた。
「……分かった」
懐から金貨を取り出し、机の上へ置く。
所長はそれを確認した。
「五ゴールド、確かに」
そして――。
何のためらいもなく、それを隣に座っていたリリスへ差し出した。
「ほら」
リリスが五ゴールドを見る。
「……私に?」
「ああ」
「これは?」
「臨時ボーナス」
「臨時……」
「今回、お前かなり働いただろ」
所長は当然のように言った。
「俺からだ。受け取れ」
リリスは少しだけ所長を見る。
それから五ゴールドを受け取った。
「ありがとうございます」
「大事に使えよ」
「はい」
その様子を見ていた女刑事が、思わず声を漏らした。
「……お前、太っ腹だな」
「何が?」
「五ゴールドを丸々渡すのか?」
「ああ」
「リリスに?」
「ああ」
「臨時ボーナスで?」
「そうだ」
女刑事は所長をまじまじと見る。
「普段のお前なら、絶対に自分の懐に入れると思ってた」
「俺を何だと思ってるんだ」
「金にうるさい変人」
「ひどいな」
マフィアの幹部まで苦笑する。
「俺も驚いたぞ」
「何がだ?」
「お前が部下にそんな気前よく金を渡すとは思わなかった」
「リリスは俺の助手だ」
所長は胸を張る。
「働いた分は払う」
「……」
リリスは五ゴールドをしまいながら、静かに頭を下げた。
「改めて、ありがとうございます」
「おう」
女刑事は呆れたように笑った。
「まあ、リリスが頑張ったのは事実だからな」
「そういうことだ」
所長は満足そうに頷いた。
そして――。
帳簿を閉じる。
「さて」
所長の表情が変わった。
「ここからが本題だ」
女刑事とマフィアの幹部が同時に所長を見る。
「情報料だ」
「……」
「……」
二人とも嫌な予感を覚えたようだった。
所長はにっこり笑った。
「一人百ゴールド」
「は?」
女刑事が固まる。
「百ゴールド?」
「ああ」
「ちょっと待て」
「何だ?」
「さっき五ゴールドだっただろ」
「あれは依頼料だ」
「情報料は別?」
「当然だ」
「……」
女刑事が額を押さえる。
「高すぎる」
「情報には価値がある」
「百ゴールドなんて警察の予算じゃ出せない」
「そうか」
「そうだ」
マフィアの幹部も腕を組んだ。
「俺もこれ以上は出せん」
「お前もか」
「当たり前だ」
所長は二人を交互に見る。
「つまり、百ゴールドは無理」
「ああ」
「出せない」
「無理だ」
「なるほど」
所長は腕を組んで考え込んだ。
しばらく沈黙したあと、指を鳴らす。
「じゃあ金じゃなくていい」
女刑事が顔を上げる。
「……何?」
「コネでもいい」
「コネ?」
「ああ」
「具体的には?」
「お前らが俺に出せるものを出してくれ」
所長は女刑事を見る。
「まず、警察」
「……」
「金が出せないなら、別のものを出せ」
女刑事は渋い顔をした。
「警察として提供できるものには限界がある」
「分かってる」
「……」
「だから、その範囲でいい」
女刑事はしばらく考え込んだ。
やがて、諦めたように息を吐く。
「分かった」
「おう」
「捜査協力」
所長が頷く。
「それと、提供できる範囲で情報提供」
「悪くない」
「それから……」
女刑事が少し言葉を濁す。
「犯罪行為について、私が見逃せるものは見逃す」
所長の目が輝いた。
「本当か?」
「ただし、何でもじゃない」
「分かってる」
「重大な犯罪まで私の一存で揉み消すわけにはいかない」
「そこまで期待してない」
「……本当だろうな?」
「もちろん」
所長は嬉しそうに笑った。
「それでいい」
「本当に?」
「ああ」
「じゃあ、条件成立だ」
「よし」
所長は満足そうに頷く。
「警察からはそれでいい」
女刑事は小さく息を吐いた。
「……本当に金なしで済ませるとはな」
「俺も悪くない条件だと思ってる」
「お前にとってはな」
次に所長はマフィアへ顔を向けた。
「で、お前は?」
マフィアの幹部は腕を組んだまま考えている。
「……三十ゴールド」
「ほう」
「これ以上は出さん」
「三十か」
「ああ」
「それだけ?」
「それ以上は無理だ」
所長は少し考えた。
「じゃあ、もう一つ」
「何だ?」
「コネ」
「……」
「武器商人へのコネが欲しい」
マフィアの幹部が目を細めた。
「武器商人?」
「ああ」
「何に使う?」
「必要になったら使う」
「お前、本当に武器好きだな」
「必要なものだからな」
「……」
幹部はしばらく考えた。
「紹介くらいならできる」
「本当か?」
「ああ」
「じゃあそれでいい」
所長の顔が一気に明るくなった。
「三十ゴールドと、武器商人へのコネ」
「ああ」
「それで情報を売る」
「……」
マフィアは少し意外そうな顔をした。
「本当にそれでいいのか?」
「十分だ」
「百ゴールドを要求してたのに?」
「金よりコネの方が使えることもある」
所長は笑った。
「むしろありがたいくらいだ」
マフィアは懐から三十ゴールドを取り出し、机の上に置いた。
「これでいいな」
「確かに」
所長は金を受け取る。
「武器商人への紹介は忘れるなよ」
「分かってる」
「よし」
所長は椅子に深く腰を下ろした。
先ほどまでの交渉が嘘のように上機嫌だった。
「いやぁ」
所長は満足そうに笑う。
「いい商談になったな」
女刑事が呆れたように言った。
「お前、本当に現金だけが欲しいわけじゃないんだな」
「当然だ」
「警察からは捜査協力と情報提供」
「ああ」
「それに、ある程度の犯罪行為は見逃す」
「ああ」
「マフィアからは三十ゴールドと武器商人へのコネ」
「ああ」
「……」
女刑事はため息をついた。
「なんだかんだで、全部お前の思い通りじゃないか」
「商売ってのはそういうもんだ」
「お前が言うと腹が立つな」
所長は笑った。
そして、隣のリリスを見る。
「帳簿」
「はい」
「今の全部、書いといてくれ」
「すでに書いています」
「仕事が早いな」
「所長が話している間に記録していましたので」
「さすが俺の助手」
所長は満足そうに頷いた。
リリスは五ゴールドを懐にしまったまま、淡々と帳簿を閉じる。
「では、情報をお願いします」
「ああ」
所長は改めて二人を見る。
「それじゃあ――」
今度こそ本題だ。
所長は椅子に座り直し、机の上で指を組んだ。
「先日の倉庫について、俺たちが何を掴んだのか」
女刑事が身を乗り出す。
マフィアの幹部も真剣な顔になる。
「それから、あの薬がどこから来たのか」
所長はゆっくりと口を開いた。
「順番に話してやるよ」
こうして、奇妙な三者による情報取引が始まった。