翌朝。
アルヴェリア王国軍、その中でも一部の人間しか存在を知らされていない機密訓練施設へ向かう山道を、一台の車が進んでいた。
運転席には所長。
助手席にはリリスが座っている。
普段なら朝から軽口の一つや二つ飛ばしている所長だったが、今日は妙に静かだった。
「所長」
「ん?」
「緊張していますか?」
「してない」
「そうですか」
「……まあ、少しはな」
リリスは横目で所長を見る。
「ミレイアさんに会うのが?」
「ああ」
「以前からかなり警戒されているようですが」
「警戒っていうか……」
所長は少し考えた。
「怒ってる」
「何に対してです?」
「昔の俺に対して」
「何をしたんですか?」
「会えば分かる」
「教えていただけないのですね」
「その方が面白いだろ」
「私は面白くありません」
「そうか?」
「はい」
所長は笑った。
やがて山道の先に、高い鉄柵と監視塔が見えてくる。
通常の軍事施設とは明らかに違う。
外周には武装兵。
監視塔には警戒兵。
入口には複数の検問所。
一般人なら近づくことすら難しい場所だった。
だが、所長は特に緊張する様子もなく車を進める。
「止まれ!」
兵士が手を上げる。
所長は車を止めた。
「身分証を」
所長は身分証を差し出す。
「退役軍人」
「はい」
「所長」
兵士は身分証を見る。
そして、特に驚くこともなく「ああ」と頷いた。
「聞いてるよ」
「なら早くしろ」
「……」
兵士が顔を上げる。
所長は腕を組んでいる。
「何だ?」
「いや……」
「司令から話が来てるんだろ?」
「ああ」
「だったら確認終わってるじゃねぇか」
「まあ、そうですが」
「分かってんなら早くしろ」
「……随分偉そうですね」
「退役軍人だからな」
「関係あります?」
「ない」
「でしょうね」
兵士は呆れながらも、所長の身分証を返した。
「司令から通せと言われています」
「ほらな」
「ただし、規則は規則です」
「分かってるよ」
兵士はリリスへ視線を移した。
「そちらは?」
「助手」
「身分証を」
リリスが提示する。
兵士は確認する。
そして――。
「……」
リリスの胸元を見る。
「これは?」
「防弾チョッキです」
「見れば分かります」
「そうですか」
「なぜ着ているんです?」
兵士が所長を見る。
「念のため」
「何の?」
「いろいろ」
「……」
兵士は困った顔をした。
「今日の面会相手って、ミレイア・アルヴェンですよね?」
「ああ」
「それと防弾チョッキに何の関係が?」
「ある」
「……」
所長は何でもないように言った。
「昔の仲間だからな」
「?」
「まあ、気にするな」
「気になりますよ」
兵士は頭を掻いた。
「とにかく、身体検査をお願いします」
「どうぞ」
検査が始まる。
所長は慣れた様子で両手を広げる。
リリスも指示に従う。
所持品、衣服、靴。
すべて確認される。
最後まで兵士の視線はリリスの防弾チョッキに向いていた。
「……本当にこれ必要なんですか?」
「所長が着ろと」
リリスが答える。
「所長さん」
兵士が呆れた顔をする。
「何です?」
「何か心当たりでも?」
「ない」
「本当に?」
「まあ、たぶん大丈夫だ」
「たぶん?」
兵士は深いため息をついた。
「……もういいです」
「だろ?」
「何が『だろ?』なんですか」
兵士は検査結果を確認した。
「問題ありません。通ってください」
「最初からそう言えばいいのに」
「規則です」
「軍は面倒だな」
「退役して何年経ってるんですか」
「結構」
「なのに軍の文句は言うんですね」
「元軍人の特権だ」
「そんな特権ありません」
「今作った」
「……」
兵士は完全に呆れた顔をした。
所長とリリスは、そのまま施設内部へ入っていった。
しばらく歩く。
長い廊下。
壁には歴代の特殊部隊員の写真。
訓練場からは銃声が響いている。
所長はその音を聞くと、ほんの少しだけ目を細めた。
「懐かしいですか?」
リリスが聞く。
「ああ」
「ここにいたんですか?」
「何度もな」
「軍人時代の?」
「そう」
所長は壁に並ぶ写真を眺める。
「俺たちが若い頃は、毎日のようにここで訓練してた」
「ミレイアさんも?」
「ああ」
「仲が良かったんですね」
「……まあな」
所長は少しだけ笑った。
「仲が良かったからこそ、今は面倒なんだ」
「なるほど」
やがて案内役の兵士が一つの扉の前で止まった。
「この先が射撃訓練場です」
「分かった」
「ミレイア・アルヴェンは中にいます」
「ありがとう」
兵士が離れていく。
所長は扉を見る。
「所長」
「何だ?」
「本当に大丈夫ですか?」
「何が?」
「ミレイアさんです」
「……」
所長は少し考えた。
「まあ」
「まあ?」
「撃たれるくらいは覚悟してる」
「先ほどからそれを心配して防弾チョッキを着せたのでは?」
「お前にだ」
「私は?」
「俺が撃たれるから、お前まで巻き込まれたら困る」
「……」
リリスが少しだけ目を見開いた。
所長は何でもないように扉へ手をかける。
「行くぞ」
「はい」
扉が開いた。
広い射撃訓練場。
その中央に、一人のエルフが立っていた。
長い銀髪。
鋭い目。
軍用装備。
手にはエルフ用に改造された散弾銃。
ミレイア・アルヴェン。
彼女は所長を見た。
そして――。
迷いなく銃を構えた。
「所長?」
リリスが声を上げる。
轟音。
散弾が所長の腹部へ叩き込まれた。
「ぐっ……!」
巨体が大きく揺れる。
口元から少量の血が漏れた。
「所長!」
リリスが駆け寄る。
だが所長は片手を上げた。
「大丈夫だ」
「ですが!」
「平気だ」
オーガの巨体が踏みとどまる。
ミレイアは銃を下ろした。
「……よく顔を出せたな」
静かな声だった。
「久しぶりだな、ミレイア」
「何年ぶりだと思っている」
「かなり経ったな」
「そうだ」
ミレイアの目は冷たい。
「私は、お前を許していない」
「だろうな」
「分かっていたのか」
「ああ」
「なら、なぜ来た」
「仕事だ」
「仕事?」
「麻薬カルテルを追ってる」
ミレイアの表情が変わる。
「……そうか」
「セレネ・リュミエールについて聞きたい」
その名前を聞いた瞬間。
ミレイアの目が細くなった。
「……セレネ」
「ああ」
「どこでその名前を?」
「仕事で掴んだ」
「そうか」
ミレイアは散弾銃を机に置いた。
「お前がその名前を追っているのか」
「そういうことだ」
「相変わらず、面倒な事件に首を突っ込む」
「昔からだろ」
「昔のお前は、もっと酷かった」
ミレイアの声が冷たくなる。
「捕虜を使った爆弾作戦」
リリスが黙る。
「敵基地を吹き飛ばした」
「味方の被害はゼロだった」
所長が言う。
「分かっている」
「なら――」
「それでも許されることではない」
ミレイアが遮った。
「軍人として越えてはいけない線だった」
所長は黙った。
「そして、それだけではない」
ミレイアは所長を睨む。
「お前は魔族とも違法な取引をしていた」
「……」
「軍の物資や情報を横流しして、金とコネを手に入れていた」
「必要だった」
「何が?」
「金と人脈」
所長はあっさり答えた。
「軍にいるだけじゃ手に入らないものがあった」
「だから違法取引をした?」
「ああ」
「それで軍人裁判から逃げた」
「そうだ」
「何も言わずに消えた」
「……ああ」
ミレイアは長く息を吐いた。
「私は、お前がいつか戻ってくると思っていた」
「そうか」
「だが、こんな形で戻ってくるとは思わなかった」
所長は苦笑した。
「俺もだ」
「昔から変わらないな」
「お前もな」
「私は変わった」
「どこが?」
「少しは我慢できるようになった」
「さっき撃っただろ」
「我慢した」
「これで?」
「昔なら二発撃っていた」
所長は腹を押さえながら笑った。
「相変わらずだな」
ミレイアは呆れたように首を振った。
そしてリリスを見る。
「……それで、その魔族は?」
「俺の助手だ」
「そうか」
「リリスです」
「ミレイア・アルヴェンだ」
「よろしくお願いします」
ミレイアは所長を見る。
「なぜ彼女に防弾チョッキを着せた?」
「お前が撃つと思ったから」
「私が撃ったのはお前だ」
「だから正解だっただろ」
「……」
ミレイアは呆れた。
「本当に変わらないな」
「よく言われる」
ミレイアは椅子に腰を下ろした。
「セレネについて話そう」
所長も椅子へ座る。
「助かる」
「ただし」
「何だ?」
「私が知っていることを全部話せるとは限らない」
「それで十分だ」
ミレイアは資料を手に取った。
「まず、セレネが何者なのか」
静かに口を開く。
「そこから話そう」
最悪の再会だった。
だが、所長にとっては十分だった。
撃たれた腹をさすりながら、所長は笑っていた。
ようやく。
エルフ社会の内側へ繋がる、一本の糸を掴んだのだから。