第十六話 里帰り
「まず、セレネが何者なのか」
ミレイアはそう言って、机の上に置かれた資料へ目を落とした。
「セレネ・リュミエールは、元々カルテルの人間じゃない」
「ほう」
所長が腕を組む。
「むしろ逆だ」
ミレイアは一枚の紙を指で叩いた。
「彼女は昔から、エルフの国を外へ開こうとしていた側の人間だ」
「開国派?」
「ああ」
リリスが興味深そうに身を乗り出す。
「エルフの国は、外部との交流がかなり制限されていますよね」
「そうだ」
ミレイアは頷いた。
「交易も限定的。人間や魔族との往来も厳しく管理されている。セレネはそれを変えようとしていた」
「ずいぶん立派な人じゃねぇか」
「昔はな」
ミレイアの声に、わずかな苦味が混じった。
「セレネは開国派の中でも中心人物だった。政治家というわけではないが、各地のエルフをまとめる役割をしていた」
「それが、今じゃ麻薬カルテルの生産管理者か」
「そう見えるだろうな」
「違うのか?」
「本人の意思ではない」
所長の眉が上がる。
「……どういうことだ?」
「カルテルがセレネの周囲にいる者たちを人質に取った」
リリスが息を呑む。
「家族?」
「家族だけじゃない」
ミレイアは首を振る。
「セレネがまとめていた開国派の仲間たち。彼女を支えていた者たち。身近な人間を次々に拘束した」
「それで言うことを聞かせた」
「ああ」
「脅されて?」
「そうだ」
ミレイアは淡々と話す。
「最初は抵抗したらしい。だが、カルテルは本気だった。セレネが逆らえば、その周囲の人間が一人ずつ消される」
「……」
「結局、セレネは従うしかなかった」
所長は椅子に深く腰掛けた。
「なるほどな」
「彼女は今でもカルテルに忠誠を誓っているわけじゃない」
「じゃあ、俺たちが見た生産体制は?」
「生き延びるためだ」
ミレイアは答えた。
「エルフ側の生産をまとめ、カルテルの要求通りに原材料を作る。それを拒めば、人質が死ぬ」
リリスが小さく呟く。
「……酷いですね」
「そうだ」
所長はしばらく黙っていた。
やがて机を指で軽く叩く。
「じゃあ、話は簡単だ」
「何が?」
「セレネ本人を捕まえて聞くんじゃない」
所長は資料を指差した。
「人質をどうにかすればいい」
「そう簡単じゃない」
「分かってる」
所長は笑う。
「だからエルフの国に入る」
ミレイアの表情が固まった。
「……お前」
「何だ?」
「本気か?」
「本気だ」
「エルフの国に?」
「ああ」
「どうやって?」
「そこを今考えてる」
「考えるまでもない」
ミレイアは即答した。
「エルフ以外だけで入国することはできない」
「エルフ以外だけ、か」
所長はその言葉を繰り返した。
そして、ゆっくりとミレイアを指差す。
「お前がいるな」
「……」
「お前はエルフだ」
「そうだが」
「じゃあ問題ない」
ミレイアは呆れた顔をした。
「確かに私が同行すれば、他種族も入国できる」
「そういうことだ」
リリスが頷く。
「では私も同行できますね」
「ああ」
所長は答える。
「俺とリリスだけじゃ無理だが、ミレイアが一緒なら入れる」
「なるほど」
リリスが胸元の防弾チョッキを軽く触る。
「では、これは脱いだ方が?」
「いや、そのままでいい」
「まだ必要ですか?」
「ミレイアがまた撃ってくるかもしれん」
「聞こえているぞ」
ミレイアが冷たい声を飛ばす。
「冗談だ」
「さっき本当に撃っただろう」
「だから念のためだ」
所長はリリスを見る。
「お前自身を守るためというより、跳弾で怪我されたら困るんだよ」
「私をですか?」
「ああ」
「……承知しました」
リリスは素直に頷いた。
ミレイアはそれ以上何も言わなかった。
所長は通信機を取り出す。
「じゃあ、司令に話をつけるか」
「今から行くつもりなのか?」
「いや」
所長は通信機を操作しながら答える。
「明日だ」
「明日?」
「ああ」
「今日は?」
「準備する」
「珍しいな」
「俺だって準備くらいする」
所長は通信機の番号を入力した。
やがて通信が繋がる。
『……誰だ』
「俺」
『久しぶりだな』
「おう、久しぶり」
『こんなところに連絡してくるなんて珍しいな。何の用だ?』
「ミレイアを一日借りたい」
『理由は?』
「エルフの国へ行く」
『……』
短い沈黙。
『詳しく話せ』
所長はこれまでの調査内容を簡単に説明した。
セレネ・リュミエール。
カルテル。
人質。
エルフ側の生産拠点。
そして、エルフの国へ入る必要があること。
『なるほどな』
司令官の声が低くなる。
『ミレイア本人は?』
「ここにいる」
所長が通信機をミレイアへ渡す。
「司令」
『久しぶりだな、ミレイア』
「はい」
『所長から聞いた』
「そうですか」
『明日、迎えに来るそうだ』
「承知しました」
『無茶をするなよ』
ミレイアが少しだけ笑う。
「誰に言っているんです?」
『お前に言っている』
「……そうですか」
『それと、所長を見張っておけ』
ミレイアが所長を見る。
「それは難しいかもしれません」
「おい」
所長が口を挟む。
『相変わらずだな』
「司令もな」
『お前は変わらないな』
「褒め言葉か?」
『違う』
通信が切れた。
所長は通信機をしまう。
「よし」
「明日ですね」
リリスが確認する。
「ああ」
ミレイアも頷く。
「明日、基地の正門で待っている」
「迎えに行く」
「遅れるなよ」
「分かってる」
所長は立ち上がった。
「じゃあ、俺たちは帰るぞ」
「準備ですか?」
「ああ」
「何を持っていくんです?」
「食料」
「……」
「あと着替え」
「捜査道具は?」
「もちろん持っていく」
「武器は?」
「必要なものだけだ」
ミレイアが呆れた顔をする。
「本当に観光旅行みたいだな」
「エルフの国なんて久しぶりだろ?」
「私は里帰りだ」
「俺たちは仕事だ」
「そう言いながら、絶対に余計なことをするだろう」
「失礼だな」
リリスが静かに口を挟む。
「所長は確かに余計なことをよくします」
「お前まで言うか」
「事実です」
「助手が上司の悪口を言うな」
「悪口ではありません。事実確認です」
ミレイアが小さく笑った。
「いい助手を持ったな」
「そこは否定しない」
所長も笑う。
こうして三人は、いったん基地を後にした。
エルフの国へ向かうのは明日。
それまでに必要な準備を整える。
所長とリリスは事務所へ戻り、ミレイアは基地に残る。
かつて戦場で共に戦った三人ではない。
今は、オーガの探偵。
その助手である魔族。
そして軍に残ったエルフの狙撃手。
奇妙な組み合わせだった。
しかし――。
カルテルの核心へ踏み込むには、その三人でなければならない。
エルフの国へ入るための条件。
そしてセレネを救うための唯一の手掛かり。
その鍵を握っているのは、かつて所長と同じ戦場に立っていたミレイアだった。