アランスミシー探偵事務所の事件簿   作:山門門山

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case22 使えない所長

第十九話 酒場の騒動

 

 聞き込みは、予想以上に順調だった。

 

 リリスとミレイアは、店内の客から少しずつ情報を集めていた。

 

 南側。

 

 川沿い。

 

 古い街道。

 

 そこからさらに奥へ入った場所に、ここ数年で急激に規模を広げた農地がある。

 

 普通の農場なら不自然なほど警備が厳しく、夜中にも荷車が出入りしているという。

 

 さらに、近隣の農民の話では、その土地を所有している者の姿をほとんど見たことがないらしい。

 

「かなり絞れましたね」

 

 リリスが小声で言った。

 

「ああ」

 

 ミレイアも頷く。

 

「地図上でも条件が一致している。次に向かう場所は決まったな」

 

「はい」

 

 二人は自然と、カウンターへ視線を向けた。

 

 そこには――。

 

「薄い!」

 

 所長がいた。

 

「こんな薄い酒をよく客に出せるな!」

 

 店員が困り果てている。

 

「ですから、うちではこれが普通なんです!」

 

「普通じゃねぇ!」

 

「普通です!」

 

「酒ってのはなぁ!」

 

 所長はカウンターを拳で叩いた。

 

「飲んだ瞬間に胃袋が『おっ』ってなるくらいじゃなきゃ酒じゃねぇんだよ!」

 

 店内の客が一斉に振り返る。

 

 リリスは無表情。

 

 ミレイアは頭を抱えた。

 

「……完全に酔っているな」

 

「はい」

 

「止めた方がいいか?」

 

「たぶん、もう遅いです」

 

 その言葉を証明するように、所長は立ち上がった。

 

「もっと強い酒はないのか!」

 

「ありますけど……」

 

 店員が棚の方を指差す。

 

 そこにはエルフたちが好む酒が並んでいた。

 

 人間の酒に比べれば度数が高いものも多い。

 

 所長の目が輝いた。

 

「それだ!」

 

「お待ちください!」

 

 店員が止めるより早く、所長は棚へ手を伸ばした。

 

「これ!」

 

 一本。

 

「これも!」

 

 二本。

 

「これもだ!」

 

 三本。

 

「ちょっと!」

 

 所長は片っ端から酒瓶をカウンターへ並べた。

 

「全部くれ」

 

「全部ですか!?」

 

「全部だ」

 

「無理です!」

 

「なら――」

 

 所長は一本を掴んだ。

 

 栓を開ける。

 

「こうする」

 

「え?」

 

 そのまま。

 

 ラッパ飲み。

 

「ごくっ……ごくっ……」

 

「ちょっと待ってください!」

 

 店員の制止など聞こえていない。

 

 一本目が空になる。

 

「……ふぅ」

 

 所長は瓶を置く。

 

「まだ薄い」

 

 店内が静まり返った。

 

 誰かが小さく呟く。

 

「嘘だろ……」

 

 所長は二本目を掴む。

 

「これならどうだ」

 

 またラッパ飲み。

 

「ごくっ、ごくっ、ごくっ……」

 

 リリスが立ち上がる。

 

「所長」

 

「ん?」

 

「もうやめた方がいいと思います」

 

「まだいける」

 

「顔が赤いです」

 

「酒のせいだ」

 

「当たり前です」

 

「だから大丈夫だ」

 

 所長は三本目を手に取る。

 

 ミレイアが呆れた顔をする。

 

「おい」

 

「何だ?」

 

「お前、明日の朝どうするつもりだ」

 

「朝?」

 

「捜査だ」

 

「……」

 

 所長は少し考えた。

 

「明日の俺に任せる」

 

「最低だな」

 

 そして三本目。

 

 ラッパ飲み。

 

 さらに四本目。

 

 さすがに周囲の客たちもざわめき始める。

 

「オーガってあんなに飲めるのか?」

 

「知らない」

 

「軍人らしいぞ」

 

「だからか……?」

 

 所長は瓶を片手に、店内を見回した。

 

「お前ら!」

 

「はい?」

 

 近くの客が怯えながら返事をする。

 

「ここの酒はいいな!」

 

「さっき薄いって……」

 

「強い酒はな!」

 

 所長は笑った。

 

「強ければ強いほどいい!」

 

 そしてまた飲む。

 

 さすがにリリスが所長の腕を掴んだ。

 

「もう終わりです」

 

「まだだ」

 

「終わりです」

 

「リリス、俺はまだ――」

 

「終わりです」

 

「……はい」

 

 所長が珍しく素直に止まった。

 

 ミレイアは少し驚く。

 

「……お前、リリスには弱いんだな」

 

「違う」

 

 所長は真顔で答えた。

 

「こいつは怒ると怖い」

 

「それは同感だ」

 

 リリスは無表情のまま会計を済ませた。

 

 店員は空になった酒瓶の山を見て、深いため息をついた。

 

「……本当に全部飲んだ」

 

「すみません」

 

 リリスが頭を下げる。

 

「所長に代わって謝ります」

 

「いや……まあ……」

 

 店員は困った顔で所長を見る。

 

「オーガってすごいですね」

 

「褒められた」

 

 所長が笑う。

 

「褒めてません」

 

「そうか」

 

 店を出る。

 

 外の冷たい空気が所長の顔を撫でた。

 

「……」

 

 一歩。

 

 二歩。

 

 三歩。

 

「所長?」

 

 リリスが声をかける。

 

「大丈夫だ」

 

「本当ですか?」

 

「問題ない」

 

 さらに一歩。

 

 所長の足が止まった。

 

「……」

 

「所長?」

 

「今日は……」

 

 所長が呟く。

 

「宿……取るぞ……」

 

「はい」

 

「もう……動けん」

 

 その瞬間。

 

 巨体がぐらりと傾いた。

 

「所長!」

 

 ドサッ。

 

 所長は宿屋の前の地面へ倒れ込んだ。

 

「……寝る」

 

 それだけ言って、完全に動かなくなった。

 

 ミレイアは呆然とする。

 

「……寝たのか?」

 

「はい」

 

「ここで?」

 

「はい」

 

「どうするんだ?」

 

「運びます」

 

 リリスが所長の腕を持ち上げようとする。

 

「……重い」

 

「オーガだからな」

 

「分かっています」

 

 ミレイアも反対側へ回る。

 

「仕方ない。宿まで運ぶぞ」

 

 二人が所長を引きずるようにして宿屋へ向かう。

 

 その時だった。

 

 ミレイアが足を止めた。

 

「……待て」

 

「どうしました?」

 

 ミレイアは振り返らない。

 

「見られている」

 

 リリスも周囲を見る。

 

「どこですか?」

 

「分からない」

 

 ミレイアの視線が、酒場の向かいにある建物へ向く。

 

 人影。

 

 一瞬だけ、窓の陰から女の顔が覗いた。

 

 エルフ。

 

 若い女だった。

 

 こちらを見ている。

 

 ミレイアと目が合った瞬間――。

 

 女はすぐに姿を隠した。

 

「……」

 

 ミレイアの表情が変わる。

 

「今の女性ですね」

 

「ああ」

 

「知り合いですか?」

 

「分からない」

 

 だが、ミレイアは軍人だった。

 

 視線。

 

 距離。

 

 隠れ方。

 

 こちらを観察していた時間。

 

 そして、目が合った瞬間の反応。

 

 ただの通行人ではない。

 

「私たちを監視していた可能性が高い」

 

「敵でしょうか?」

 

「分からない」

 

 ミレイアは慎重に周囲を確認する。

 

 別の人影はない。

 

 武器を構えている様子もない。

 

 むしろ――。

 

「……接触しようとしている?」

 

「接触?」

 

「敵なら、もっと隠れる」

 

 ミレイアはそう呟いた。

 

「わざわざ姿を見せて、私と目を合わせた」

 

 リリスも考える。

 

「こちらに気づいてほしかった?」

 

「その可能性がある」

 

 ミレイアは先ほどの女が消えた建物を見る。

 

「ただの監視ではないかもしれない」

 

 リリスが所長を見る。

 

「どうしましょう」

 

「今は所長を宿へ」

 

「はい」

 

「そのあと、もう一度周囲を確認する」

 

 ミレイアは頷いた。

 

 だが、その時。

 

「……ん?」

 

 地面に倒れていた所長が突然呟いた。

 

 二人が振り返る。

 

「所長、起きていたんですか?」

 

「……酒」

 

「はい?」

 

「もう一本……」

 

 ミレイアは無言で所長の頭を軽く蹴った。

 

「寝ていろ」

 

「……はい」

 

 再び沈黙。

 

 リリスは小さくため息をついた。

 

「行きましょう」

 

「ああ」

 

 二人は所長を宿へ運んでいく。

 

 その背後。

 

 先ほどの建物の窓から、再び女が顔を覗かせていた。

 

 彼女は三人の姿を確認すると、静かに窓を閉じる。

 

 その表情には敵意よりも――。

 

 迷いと決意が浮かんでいた。

 

 彼女が何者なのか。

 

 なぜミレイアを見ていたのか。

 

 そして、何を伝えようとしているのか。

 

 それを知るのは、まだ少し先のことだった。

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