第二十話 夜の訪問者
酒場を出た三人は、宿屋へ戻ることになった。
もっとも、まともに歩いているのは二人だけだった。
「……もう一歩も動けん」
所長が呟く。
「さっきまであれだけ飲んでおいて、よく言いますね」
リリスが呆れたように返す。
「酒が薄かったからな」
「関係ありません」
「大いにある」
所長は真顔で言った。
「強い酒なら、まだいけた」
「絶対に嘘です」
ミレイアも呆れながら所長の反対側を支える。
「ほら、宿はすぐそこだ」
「おう……」
数歩進んだところで、所長の足が止まった。
「……」
「所長?」
「……眠い」
「だから寝るのは宿に着いてからです」
「分かった」
返事だけは妙に素直だった。
そして、そのまま宿屋の前まで来た。
扉を開ける。
「いらっしゃ――」
宿屋の主人が三人を見る。
正確には、二人に抱えられた巨大なオーガを見る。
主人の顔が微妙に引きつった。
「……何部屋ですか?」
「二部屋」
リリスとミレイアが即答した。
「二部屋でお願いします」
「……はい」
主人は何も聞かずに鍵を二つ取り出した。
「二階です」
「ありがとうございます」
所長を二階へ運ぶ。
部屋に入った瞬間、リリスとミレイアは所長をベッドへ放り込んだ。
ドサッ。
「……」
所長は動かない。
「生きているか?」
ミレイアが聞く。
「呼吸はしています」
リリスが確認する。
「なら大丈夫だな」
「多分」
リリスが毛布を掛ける。
「おやすみなさい、所長」
「……」
返事はない。
二人が部屋を出る。
扉が閉まった直後だった。
「グォォォォォォォ……」
「……」
「……」
廊下にいびきが響き渡る。
ミレイアが目を閉じた。
「うるさいな」
「いつものことです」
「いつもあんななのか?」
「ここまでではありません」
「酒か」
「酒です」
リリスは自分の部屋へ向かう。
だが、ミレイアは足を止めた。
「……待て」
「どうしました?」
ミレイアは窓の外を見る。
先ほど酒場で感じた視線。
それがまだ頭に残っていた。
「さっきの女だ」
「先ほどの?」
「ああ」
ミレイアは静かに外を見回した。
「まだ近くにいる気がする」
「探しますか?」
「そうする」
二人は宿を出た。
夜の町は静かだった。
昼間と違い、通りを歩く人間も少ない。
ミレイアは軍人だった頃と同じように、周囲を注意深く観察する。
視線。
物音。
路地。
窓。
そして――。
「……いた」
ミレイアが小さく呟いた。
宿から少し離れた建物の陰。
先ほどのエルフの女が立っていた。
こちらを見ている。
ミレイアと目が合う。
女は逃げなかった。
代わりに、ゆっくりとフードを外した。
「ミレイアさん」
「……何者だ」
「あなたに話があります」
「カルテルについてか?」
女が驚いた。
「やはり……知っているんですね」
「こちらも調べている」
「なら、話は早いです」
女は周囲を確認する。
「ここでは話せません」
「分かった」
ミレイアは宿を見る。
「中で話す」
「ありがとうございます」
三人は宿へ戻った。
階段を上がる。
その途中――。
「グォォォォォォ……」
所長のいびきが響いた。
女が足を止める。
「……これは?」
「所長だ」
「寝ているんですか?」
「ああ」
「……大丈夫なんですか?」
「放っておけ」
ミレイアが即答する。
リリスも頷いた。
「所長は一度寝ると、なかなか起きません」
「そうですか……」
三人はリリスとミレイアの部屋へ入った。
扉を閉める。
隣の部屋からは、相変わらず大いびきが聞こえてくる。
「グォォォ……ゴォォォ……」
女は少し困った顔をした。
ミレイアが言う。
「気にするな。話を聞こう」
「はい」
女は椅子へ腰掛けた。
そして、しばらく黙っていた。
やがて意を決したように顔を上げる。
「私はセレナです」
「セレナ……」
ミレイアが繰り返す。
「セレネをご存じですよね?」
「ああ」
「私は、以前セレネと一緒に活動していました」
リリスが尋ねる。
「開国派ですか?」
「はい」
セレナは頷いた。
「私たちは、この国を変えようとしていました」
リュネリア共和国は閉鎖的な国だった。
外部との交流は少ない。
他種族との交易も限られている。
外からの文化や技術が入り込むことを、政府も民衆も警戒していた。
「セレネは、その状況を変えようとしていました」
「知っている」
ミレイアが答える。
「私も同じ考えだった」
セレナは少しだけ笑った。
「だから私たちは仲間でした」
だが、その活動は長く続かなかった。
「ある日、報告が入ったんです」
セレナの表情が曇る。
「南部の農場が、人間に襲われたと」
「農場?」
「特殊な薬草を育てていた農場です」
リリスが身を乗り出す。
「特殊な薬草……」
「はい」
その薬草には特殊な成分が含まれていた。
当時は医薬品への利用が研究されていたという。
「私はセレネと共に、現地へ向かいました」
だが、そこで見たものは想像とは違った。
「人間たちが農場を占拠していました」
「カルテルの前身か?」
ミレイアが聞く。
「はい」
セレナは頷いた。
「当時はまだ、今のような巨大な組織ではありませんでした」
武装した人間たち。
農場を囲む兵士。
拘束された農民。
そして、畑を調べる男たち。
「彼らは薬草の価値を知っていました」
「そして?」
「私たちに協力を要求しました」
セレナは手を強く握る。
「断れば、農場の人間を殺すと言われました」
「……」
「一人ずつ殺していく、と」
部屋の空気が重くなる。
「私は……従うしかありませんでした」
彼らが欲しがったのは薬草そのものだけではなかった。
効率的な栽培方法。
収穫時期。
加工方法。
そして、その成分から薬物を精製する方法。
「最初は、本当に少量でした」
セレナは俯く。
「でも、少しずつ規模が大きくなっていった」
「あなたたちは原材料を作らされていた」
「はい」
「そして、精製にも?」
「……はい」
セレナは苦しそうに頷いた。
「私たちは薬物の製造に手を染めることになりました」
ミレイアの拳がわずかに震える。
「その後、魔族が現れた」
「そうです」
魔族の一団が組織へ加わった。
金。
武器。
人員。
密輸ルート。
それまで小さかった犯罪組織は、魔族によって急速に拡大していった。
「そして、今のカルテルになった」
「はい」
セレナは頷く。
「ですが、私たちへの扱いは変わりませんでした」
「人質か」
「……はい」
家族。
友人。
仲間。
農場で働いていた者たち。
そして開国派の関係者。
彼らを人質として押さえられた。
「逃げれば殺す」
「逆らえば殺す」
「協力しなければ殺す」
セレナは淡々と話した。
しかし、その声の奥には、長い年月の苦痛が滲んでいる。
「だから、今もカルテルの言う通りにしています」
「薬草を?」
「はい」
「それを作り続けている?」
「……はい」
セレナは唇を噛んだ。
「私たちはカルテルに協力したいわけじゃありません」
「分かっている」
ミレイアが答える。
「なら、なぜ今ここで私たちに接触した?」
「……」
セレナはしばらく黙っていた。
そして、ミレイアを見る。
「助けてほしいんです」
「……」
「私たちは、自分たちの意思でカルテルに協力しているわけじゃない」
セレナの目に涙が浮かぶ。
「でも、逃げれば家族が殺される」
「……」
「セレネも同じです」
ミレイアが目を伏せる。
「だから、あいつも動けないのか」
「はい」
セレナは小さく頷いた。
「セレネも、私たちも……ずっと人質に縛られています」
隣の部屋から、
「グォォォォォ……」
また所長のいびきが響いた。
三人とも一瞬だけそちらを見る。
そしてセレナは、少しだけ苦笑した。
「……あの方、本当に寝ているんですね」
「完全に寝ている」
ミレイアが答える。
そして再びセレナを見る。
「分かった」
その声は静かだった。
「話は聞いた」
セレナは顔を上げる。
「……信じてくれるんですか?」
「少なくとも、今の話を聞いてお前をカルテルの仲間だとは思わない」
ミレイアは立ち上がった。
「だが、これから先は簡単じゃない」
「はい」
「人質を助けなければ、誰も自由になれない」
「……はい」
「なら――」
ミレイアはセレナを見る。
「どうすれば人質を救えるのか。そこから考える」
セレナは何も言わなかった。
ただ、深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
その夜。
ミレイアたちは、カルテルの背後に隠されていた新たな事実を知った。
彼らが追っていたのは、単なる麻薬組織ではない。
人質を盾に、エルフたちを何年も縛り続けてきた巨大な犯罪組織だった。
そして、その鎖を断ち切るためには――。
まず、囚われている者たちの居場所を知らなければならない。
隣室では、そんなことなど何一つ知らない所長が、
「グォォォォォ……」
と、今日も盛大に眠り続けていた。