第二十一話 囮
セレナが話し終えたあとも、部屋にはしばらく沈黙が残っていた。
ミレイアは椅子に座ったまま、何も言わずに考え込んでいる。
リリスもまた、セレナの話を頭の中で整理していた。
隣の部屋からは相変わらず、
「グォォォォ……」
という所長のいびきが響いている。
あまりにも場違いな音だった。
ミレイアが一度だけ壁を見る。
「……あいつは本当に緊張感がないな」
「寝ている本人に言っても仕方ありませんよ」
リリスが答える。
ミレイアは小さく息を吐いた。
そして、セレナへ向き直る。
「分かった」
セレナが顔を上げた。
「私が協力する」
「……!」
「セレネと同じ開国派だったお前たちを、カルテルの言いなりにさせたままにはしない」
ミレイアの声は静かだった。
「人質も取り戻す」
「ミレイアさん……」
「昔の仲間を見捨てるほど、私は薄情じゃない」
セレナの目に涙が浮かんだ。
「ありがとうございます……」
その隣で、リリスも頷く。
「私も協力します」
ミレイアがリリスを見る。
「君の所長の意思は――」
そこまで言って、ミレイアは隣の部屋を見る。
「……別にいいか」
「はい」
リリスも即答した。
「所長なら、起きた時に説明すれば大丈夫です」
「随分と雑だな」
「所長ですから」
「それもそうか」
その夜。
三人は、今後の行動について話し合いを続けた。
そして――。
翌朝。
「……頭が痛いかも」
所長が呟いた。
「でしょうね」
リリスが答える。
「なんでだ?」
「昨日、あれだけ飲んだからです」
「酒が薄かったからだな」
「違います」
宿屋の朝食。
所長はテーブルに並べられた料理を眺めていた。
そして、眉をひそめる。
「少ない」
「朝食ですから」
「肉は?」
「ありません」
「なんでだ」
「朝食だからです」
「肉を食わないと力が出ない」
所長はパンを一つ手に取る。
少し食べる。
そして置いた。
「足りねえ」
ミレイアが呆れた顔をする。
「朝からどれだけ食うつもりなんだ」
「昨日酒しか飲んでねえからな」
「自業自得だ」
さらに所長の前に飲み物が置かれた。
「……なんだこれ」
「ハーブティーです」
「コーヒーは?」
「ありません」
「……」
所長が無言でカップを見る。
「コーヒーをくれ」
「ありません」
「リリス」
「はい」
「コーヒー」
「分かりました」
リリスは慣れた手つきでコーヒーを淹れ始める。
やがて所長の前に置かれた。
「どうぞ」
所長は一口飲む。
「……」
そして満足そうに頷いた。
「やっぱりリリスのコーヒーは最高だな」
「ありがとうございます」
ミレイアが呆れる。
「何なんだ、この差は」
「好みの問題です」
「絶対に違うだろ」
朝食を終えたところで、ようやく本題に入った。
ミレイアが昨夜の話を説明する。
セレナ。
セレネ。
薬草農場。
人質。
カルテル。
そして、エルフたちが自分たちの意思ではなく、脅迫によって薬物生産に関わっていること。
所長は煙草に火をつけながら黙って聞いていた。
「……なるほどな」
リリスが地図を広げる。
「問題は、農場からエルフたちをどう救出するかです」
「カルテルは農場を監視している」
ミレイアが指摘する。
「人質を取られている以上、強引に助ければこちらにも被害が出る」
「さらに、農場にはかなりの人数がいる可能性があります」
リリスも続ける。
「警備を引き離す必要がありますね」
「だが、どうやって?」
二人が地図を睨む。
所長は煙草を咥えたまま、しばらく黙っていた。
そして。
「簡単だよ」
「……簡単?」
ミレイアが顔を上げる。
「要は、あいつらを農場から離せばいいんだろ?」
「そんな簡単にいくか?」
「行くさ」
所長は地図を指で叩いた。
「連中が欲しがってるのは、薬草から作る薬物だ」
「そうですね」
「なら、それを使えばいい」
リリスが考える。
「……輸送ですか?」
「ああ」
所長はニヤリと笑った。
「俺が、精製前の原材料を奪う」
ミレイアの眉が動く。
「奪う?」
「輸送中の荷物をな」
「そう簡単に見つけられるか?」
「見つけるさ」
所長は地図上の街道を指でなぞる。
「農場から原材料を運ぶなら、ある程度決まった道を使う」
「そして、それを襲う」
「そういうことだ」
リリスが尋ねる。
「一度だけですか?」
「いや」
所長は煙草の煙を吐く。
「何度もだ」
「何度も……」
「一回奪われたくらいなら、連中も警備を増やすだけだ」
所長は笑った。
「二回、三回と続けばどうなる?」
「輸送経路を変える」
「それでも奪う」
「……」
「護衛を増やす」
「それでも?」
「奪う」
ミレイアが腕を組む。
「それでカルテルが痺れを切らすまで続けるのか」
「そういうことだ」
所長の笑みが深くなる。
「向こうは必死になる」
「原材料を失えば、生産が止まるからですね」
リリスが理解する。
「ああ」
所長は地図を指した。
「で、ある程度向こうが血眼になったところで――」
指が農場から少し離れた街道へ移る。
「また奪う」
「農場から離れた場所で?」
「そうだ」
所長は邪悪に笑った。
「そうすりゃ連中は、奪われた荷物を取り返すために、農場から人を引っ張り出してくる」
ミレイアが目を細める。
「なるほど」
「全員じゃなくてもいい」
所長は煙草を灰皿に押し付けた。
「警備の大半が出てくれば、それで十分だ」
リリスが地図を見る。
「その間に、農場へ入る」
「ああ」
「そして人質を救出する」
「そういうことだ」
ミレイアはしばらく地図を見つめていた。
やがて、小さく笑う。
「……相変わらず、荒っぽい作戦だな」
「褒め言葉か?」
「半分はな」
所長は立ち上がる。
「なら決まりだ」
そして二人を見る。
「俺が餌を撒く」
「私たちは?」
リリスが尋ねる。
「農場へ行け」
「分かりました」
ミレイアも頷く。
「任せろ」
所長は再び煙草に火をつける。
「連中が原材料を守ろうと必死になるほど、こっちには都合がいい」
その顔には、いつもの不敵な笑みが浮かんでいた。
「さて――」
所長は地図を見る。
「まずは、一回目の荷物を頂きに行くか」
こうして。
カルテルから見れば、ただの輸送襲撃が始まる。
しかし実際には――。
農場から人を引きずり出すための、所長による大掛かりな囮作戦の始まりだった。