アランスミシー探偵事務所の事件簿   作:山門門山

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case27 栄光ある黒鷲騎士団

第二十六話 黒鷲騎士団の仕業

 

 人間の国へ帰ってきた翌日。

 

 荒事専門探偵事務所には、いつもの朝が戻っていた。

 

 ――ただし。

 

「…………」

 

 事務所の机の上には、分厚い帳簿が一冊。

 

 その前に座っているリリスは、いつもの無表情をさらに一段階ほど冷たくした顔で、羽ペンを走らせていた。

 

 カリカリカリカリ。

 

 紙を擦る音だけが室内に響いている。

 

「…………」

 

 カリカリ。

 

「…………」

 

 カリカリカリ。

 

 そして。

 

 バサッ。

 

 リリスが一枚の帳簿をめくった。

 

「……所長」

 

「ん?」

 

 ソファに寝転がり、煙草を吸っていた所長が顔だけを向ける。

 

「これは何ですか?」

 

「帳簿」

 

「それは見れば分かります」

 

「じゃあ何だ?」

 

「この帳簿を書いた人間が何を考えていたのかを聞いているんです」

 

「俺だな」

 

「分かっています」

 

 リリスは帳簿を指で叩いた。

 

「まず、収入欄」

 

「うん」

 

「『依頼料、五ゴールド』」

 

「ああ」

 

「これは合っています」

 

「だろ?」

 

「問題はその下です」

 

 リリスが一行を読む。

 

「『その他、まあまあ』」

 

「……」

 

「何ですか、まあまあって」

 

「まあまあはまあまあだ」

 

「金額を書いてください」

 

「忘れた」

 

「忘れた?」

 

「正確には覚えてる」

 

「では書いてください」

 

「面倒くさい」

 

 リリスの眉がぴくりと動く。

 

「所長」

 

「はい」

 

「私はあなたの雑な記憶を帳簿にするために雇われているわけではありません」

 

「でもお前、こういうの得意だろ?」

 

「そういう問題ではありません」

 

 リリスは深々と息を吐く。

 

 そして。

 

「……百ゴールド」

 

「何が?」

 

「原材料の売却代金です」

 

「…………」

 

「帳簿にありません」

 

「…………」

 

「ありませんよね?」

 

「……まあ」

 

「まあ、じゃありません」

 

 リリスの声が少し低くなった。

 

「共和国を出る前に何をしました?」

 

「帰国した」

 

「その前です」

 

「観光した」

 

「してません」

 

「父親に挨拶した」

 

「それも違います」

 

「ミレイアの父親に挨拶した」

 

「それは合っています」

 

「じゃあ問題ないだろ」

 

「あります」

 

 リリスは帳簿を閉じた。

 

「原材料の売却代金」

 

「……」

 

「何ゴールドです?」

 

「……」

 

「所長」

 

「……百ゴールド」

 

「一箱?」

 

「一箱」

 

「本当に?」

 

「……」

 

「何箱です?」

 

「…………」

 

 沈黙。

 

 リリスがじっと見つめる。

 

 所長は煙草を灰皿に押しつけた。

 

「……数えてない」

 

「…………」

 

「でも一箱百ゴールドなのは間違いない」

 

「そうですか」

 

 リリスは再び帳簿を開く。

 

「では、まずそこから確認します」

 

「おう」

 

「それと」

 

「まだあるのか?」

 

「あります」

 

「……」

 

「密輸ルートの譲渡についても、何も書かれていません」

 

「……」

 

「所長」

 

「知らん」

 

「昨日の夜、何をしていたんです?」

 

「寝てた」

 

「嘘ですね」

 

「なぜ分かる?」

 

「所長が『寝てた』と言う時は、大抵ろくなことをしていません」

 

「ひどい偏見だ」

 

「これまでの実績です」

 

「……」

 

 所長は天井を見る。

 

「優秀だな、お前」

 

「褒めても誤魔化されません」

 

「そうか」

 

 そこへ。

 

 コンコン。

 

 事務所の扉が叩かれた。

 

「開いてるぞ」

 

 扉が開く。

 

「失礼するわ」

 

 入ってきたのは女刑事だった。

 

 その顔には、明らかに疲労が滲んでいる。

 

 手には小さな薬瓶。

 

「……」

 

 女刑事は事務所へ入るなり、瓶から頭痛薬を取り出した。

 

 水も飲まず、そのまま口へ放り込む。

 

「おい」

 

 所長が言う。

 

「水なしで飲んでいいのか?」

 

「誰のせいで頭が痛いと思ってるのよ」

 

「知らん」

 

「あなたよ」

 

「俺は何もしてない」

 

「その台詞、何回聞けばいいのかしら」

 

 女刑事は頭を押さえた。

 

「本当に……派手にやりすぎなのよ」

 

「何が?」

 

「リュネリア共和国」

 

「……」

 

「農場が壊滅」

 

「カルテルの拠点を一つ潰しただけだ」

 

「護衛部隊が全滅」

 

「自業自得だろ」

 

「輸送ルートが何度も襲撃され」

 

「黒鷲騎士団がやったらしいな」

 

「それから、各地でカルテルの原材料が消えてる」

 

「ほう」

 

「知らない?」

 

「知らん」

 

 女刑事は所長を睨んだ。

 

「……」

 

 リリスは黙々と帳簿を修正している。

 

「リリス」

 

「はい」

 

「この男、本当に何もしてないと思う?」

 

「いいえ」

 

 即答だった。

 

「おい」

 

「少なくとも帳簿に書かれていない取引があります」

 

「リリス!」

 

「事実です」

 

 女刑事が頭を抱える。

 

「ほら……」

 

「何だ?」

 

「あなたの助手の方がよっぽど話が早いじゃない」

 

「優秀だろ?」

 

「そこだけは否定しないわ」

 

 女刑事は机の前の椅子に座った。

 

「で」

 

 所長を見る。

 

「共和国で何があったの?」

 

「調査だ」

 

「それは知ってる」

 

「人質を救出した」

 

「それも知ってる」

 

「カルテルの情報を集めた」

 

「それも聞いてる」

 

「じゃあ十分だろ」

 

「十分じゃないのよ」

 

 女刑事は頭痛薬の瓶を机に置いた。

 

「あなたたちが帰ってきた後、共和国から入ってきた報告を見たわ」

 

「ほう」

 

「カルテルの農場が一つ完全に壊滅」

 

「うん」

 

「その後、輸送部隊が何度も襲われる」

 

「黒鷲騎士団だな」

 

「だから!」

 

 女刑事が机を叩いた。

 

「その黒鷲騎士団って何なのよ!」

 

「知らん」

 

「あなたが名乗ったんでしょう!」

 

「俺じゃない」

 

「じゃあ誰よ!」

 

「黒鷲騎士団」

 

「……」

 

 女刑事は目を閉じた。

 

 深呼吸。

 

 そして頭痛薬の瓶を手に取る。

 

「……もう一錠飲もうかしら」

 

「飲みすぎるなよ」

 

「誰のせいよ」

 

「知らん」

 

 リリスが静かに口を挟んだ。

 

「所長」

 

「なんだ?」

 

「その黒鷲騎士団という名前は、所長が現地で使ったものですよね?」

 

「……」

 

「違いますか?」

 

「知らん」

 

「所長」

 

「知らんものは知らん」

 

「……」

 

 リリスは無表情で所長を見る。

 

 そして。

 

「では、帳簿に『黒鷲騎士団からの収入』とでも書いておきます」

 

「待て」

 

「何です?」

 

「それはやめろ」

 

「では、どこからの収入です?」

 

「……」

 

 所長は少し考えた。

 

「臨時収入」

 

「却下します」

 

「じゃあ秘密収入」

 

「もっと駄目です」

 

「……」

 

 女刑事が呆れた顔で二人を見る。

 

「あなたたち、本当に何なの?」

 

「探偵事務所」

 

「違うでしょう」

 

「探偵事務所だ」

 

「絶対に違う」

 

 所長はソファに深く座り直した。

 

「まあ、細かいことはいいだろ」

 

「よくない」

 

「結果として人質は助かった」

 

「それは認めるわ」

 

「カルテルの情報も手に入った」

 

「それも認める」

 

「じゃあいいじゃないか」

 

「よくないのよ」

 

 女刑事はため息をついた。

 

「あなたたちが派手に動いたせいで、カルテル側も相当警戒している」

 

「そりゃ良かった」

 

「何がよ」

 

「こっちに気づいてくれたなら、次はもっと慎重になる」

 

「……」

 

「捜査する側としては、その方が楽だろ?」

 

「あなたの場合、慎重になるの意味が違うのよ」

 

「そうか?」

 

「あなたが『慎重にやる』って言った翌日に、何かしら爆発してるもの」

 

「失礼だな」

 

「事実よ」

 

 リリスが帳簿をめくる。

 

「事実ですね」

 

「お前まで言うか」

 

「事実なので」

 

「……」

 

 所長は煙草を取り出した。

 

 火をつける。

 

 煙を吐く。

 

「まあ」

 

「何?」

 

「黒鷲騎士団が勝手にやったことだ」

 

「…………」

 

 女刑事が所長を見る。

 

「まだそれで通すつもり?」

 

「ああ」

 

「あなた以外にそんな組織、存在するの?」

 

「俺は知らん」

 

「じゃあ、その黒鷲騎士団の正体は?」

 

「知らん」

 

「どこにいるの?」

 

「知らん」

 

「何人いるの?」

 

「知らん」

 

「何を目的にしてるの?」

 

「知らん」

 

「…………」

 

 女刑事は額を押さえた。

 

「頭痛がひどくなってきた」

 

「薬飲め」

 

「あなたのせいで飲んでるのよ!」

 

 女刑事の怒鳴り声が事務所に響く。

 

 その横で。

 

 リリスは黙々と帳簿を修正していた。

 

「……」

 

 ペンが止まる。

 

「所長」

 

「ん?」

 

「百ゴールドの売却代金」

 

「……」

 

「どこに入れました?」

 

「……」

 

「所長?」

 

「金庫」

 

「では確認します」

 

「いや」

 

「なぜです?」

 

「俺が確認する」

 

「どうして?」

 

「……」

 

「所長」

 

「なんだ」

 

「まさか、まだ何か隠してませんよね?」

 

「…………」

 

 女刑事も怪訝そうに所長を見る。

 

「何?」

 

「いや」

 

 所長は煙草を咥えたまま。

 

「ちょっとした臨時収入だ」

 

「その『ちょっとした』が信用できないのよ」

 

 女刑事が吐き捨てる。

 

 リリスは無表情のまま帳簿を閉じた。

 

「帰ってきて早々、仕事が増えましたね」

 

「そうだな」

 

「誰のせいでしょう」

 

「黒鷲騎士団」

 

「……」

 

 女刑事が頭痛薬の瓶を握りしめる。

 

「もういい」

 

「諦めたか?」

 

「違う」

 

 女刑事は立ち上がった。

 

「今度、黒鷲騎士団の話を聞かれたら、私は何も知らないと言うことにするわ」

 

「賢いな」

 

「あなたに関わると頭痛が増えるからよ」

 

「薬代くらいなら経費にしていいぞ」

 

「あなたが払って」

 

「嫌だ」

 

「……」

 

 女刑事は無言で扉へ向かった。

 

 しかし。

 

 扉の前で一度だけ振り返る。

 

「でも」

 

「ん?」

 

「人質を助けたことについては……感謝してる」

 

 所長は少しだけ目を細めた。

 

「そうか」

 

「ええ」

 

「なら依頼料を――」

 

「調子に乗るな」

 

「……はい」

 

 女刑事は呆れたように笑い、事務所を出ていった。

 

 扉が閉まる。

 

 静寂。

 

 所長は煙草を吸う。

 

 リリスは帳簿を見る。

 

「……所長」

 

「なんだ?」

 

「まだ修正が終わっていません」

 

「頑張れ」

 

「誰の帳簿ですか?」

 

「事務所の」

 

「誰が書いたんです?」

 

「俺」

 

「では」

 

 リリスはにっこりと笑った。

 

 ただし。

 

 目はまったく笑っていない。

 

「最後まで責任を持って手伝ってください」

 

「……」

 

 所長は煙草を灰皿に置いた。

 

「黒鷲騎士団に任せよう」

 

「所長」

 

「はい」

 

「座ってください」

 

「……はい」

 

 こうして。

 

 黒鷲騎士団の活躍は、また一つ。

 

 帳簿の修正作業という形で、事務所の日常に爪痕を残すことになった。




黒鷲騎士団一体何者なのか
所長は黒でもないし鷲でもなければ騎士でもない
あげく個人のため団でもない
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