第三十四話 景気づけ
精製設備工房へ向かうことになったその日の夕方。
所長たちは、施設から少し離れた酒場に入った。
地下王国の南側。
鉱山労働者や坑道作業員が多く利用する酒場らしく、昼間だというのに店内はかなりの賑わいを見せている。
所長は店内を一通り見回すと、満足そうに頷いた。
「ここでいい」
「本当にここで作戦会議をするのか?」
同行しているドワーフ兵が尋ねる。
「ああ」
「もっと静かな場所の方がいいんじゃないか?」
「静かな場所だと酒がない」
「……」
ドワーフたちは互いに顔を見合わせた。
「まあ……いいか」
「そうだな」
早々に諦めた。
テーブルに地図が広げられる。
所長。
リリス。
そして、ドワーフ王族から同行を命じられた兵士と技術者たち。
全員が地図を囲んだ。
所長は煙草を咥えながら、施設の見取り図を指で叩く。
「作戦はシンプルだ」
「また嫌な予感がするな」
ドワーフ兵の一人が呟く。
「まず、適当な奴を一人捕まえる」
「……」
「そいつに言う」
所長はニヤリと笑った。
「黒鷲騎士団が出た」
リリスが眉をひそめる。
「また、その名前を使うんですか?」
「便利だからな」
「完全に架空の組織ですよね」
「だから便利なんだ」
「……」
リリスは諦めたようにため息をついた。
所長は地図の施設外周を指差す。
「カルテルは黒鷲騎士団が現れたと思う」
「実際には存在しないがな」
「ああ」
「それで?」
「多少は警備が動く」
所長は指を滑らせる。
「外側へ警備を回す」
「施設の警備は?」
「当然、厚くなる」
ドワーフの技術者が答えた。
「ここはカルテルにとって重要拠点だ。黒鷲騎士団なんて連中が出たと聞けば、設備を守るために警備兵を集中させるだろう」
「それでいい」
所長は即答した。
「設備の警備が厚くなる」
そして。
施設内部の別の区画を指す。
「だが、人質まで同じように守る余裕はねえ」
リリスが地図を見る。
「……人質救出が目的ですね」
「ああ」
所長は頷いた。
「俺が正面で騒ぐ」
「いつも通りですね」
「いつも通りだ」
「正面から?」
「正面から」
「要塞ですよ?」
「知ってる」
「警備も増えるんですよね?」
「そうだな」
「……」
リリスは頭を抱えた。
「本当に所長らしい作戦ですね」
「褒めてるのか?」
「褒めてません」
所長は気にせず話を続ける。
「俺が正面から突っ込む」
「……」
「向こうが俺を放っておけないくらい派手にやる」
「そうしている間に」
リリスが続ける。
「私たちが人質を探す」
「ああ」
所長は頷いた。
「人質がどこにいるかは正確には分からん」
「だから複数の場所を同時に探します」
リリスが言う。
「そのために坑道を使う」
ドワーフの技術者たちを見る。
「得意だろ?」
「もちろんだ」
一人が胸を張る。
「この国で坑道を掘ることに関して、俺たちより詳しい奴はそういない」
「なら任せる」
「人質がいそうな区画をいくつか想定して、複数方向から掘る」
技術者が地図を確認する。
「三本以上の坑道を同時に掘れば、内部の警備を避けて接近できる」
「そうだ」
所長は頷いた。
「リリス」
「はい」
「人質を見つけたら救出しろ」
「分かりました」
「無理に戦う必要はない」
「はい」
「逃げられるなら逃げろ」
リリスは少しだけ目を細めた。
「……所長は?」
「俺は正面にいる」
「それは分かっています」
「なら問題ない」
「そういう意味ではありません」
リリスは呆れたように言った。
「所長自身が、逃げることを考えているのかという話です」
「……」
所長は少し考えた。
「必要になったら逃げる」
「本当ですか?」
「ああ」
「……」
リリスはじっと所長を見る。
「信用できません」
「失礼だな」
「今までを考えれば当然です」
ドワーフたちが笑う。
所長は肩をすくめた。
「まあいい」
そして。
地図の中心。
巨大な精製設備が描かれた場所を指差す。
「で」
「はい」
「施設はどうやって壊す?」
技術者たちが顔を見合わせた。
「……」
「そこはお前らの仕事だろ?」
「簡単に言うな」
技術者の一人が唸る。
「この施設は元々、古い地下施設を改造して作られている」
「ほう」
「設備そのものもかなり頑丈だ」
「じゃあ壊せ」
「だから簡単に言うな!」
所長は平然としている。
「俺なら壊せる」
「お前の方法は参考にならん!」
「そうか?」
「お前の場合、施設だけじゃなく周囲まで壊れる!」
「失礼だな」
リリスが小さく頷く。
「私はその意見に賛成です」
「お前まで言うか」
所長は少し不満そうに煙草を吹かした。
「なら考えろ」
「……」
「いい案があるなら、それでやる」
「……」
「なければ」
所長は施設の正面を指差す。
「俺が暴れる」
「……」
「正面から」
「……」
「設備ごと」
技術者たちの顔が引きつる。
「待て」
「考える」
「ちゃんと考えるから待ってくれ」
「そうしてくれ」
技術者たちは慌てて地図を囲んだ。
「この施設の下は?」
「古い坑道がある」
「なら……」
「いや、それだけでは足りない」
「なら複数の場所から掘って……」
「待て」
一人の技術者が地図をじっと見つめる。
「……これなら」
「何か思いついたか?」
「ああ」
技術者は地下部分を指差した。
「施設そのものを直接壊す必要はない」
「ほう」
「この施設は地下構造に支えられている」
「それで?」
「周囲から坑道を掘る」
「人質救出用とは別に?」
「ああ」
技術者は頷いた。
「施設の下へ掘り進める」
「……」
「複数方向から地下を掘って、地盤を意図的に緩ませる」
「地盤を?」
「そうだ」
「支えがなくなれば?」
「施設そのものの重量に耐えられなくなる」
技術者は拳を握る。
「地下部分が崩落すれば、設備も一緒に沈む」
「……」
「施設全体を直接破壊するより確実だ」
所長はしばらく黙って地図を眺めた。
「面白い」
「やれるか?」
「お前ら次第だ」
「やる」
技術者たちが頷く。
「それなら俺たちの得意分野だ」
「地下構造なら任せろ」
「必要な坑道を掘ってみせる」
所長は満足そうに頷いた。
「よし」
そして。
「第一案はそれだ」
「第一案?」
リリスが聞く。
「ああ」
所長は笑う。
「地盤を緩ませて施設を崩す」
「第二案は?」
「俺が暴れる」
「……」
「第一案が間に合わなかったら、俺が正面から施設を壊す」
リリスは深いため息をついた。
「結局それですか」
「保険だ」
「保険が物理的すぎます」
ドワーフたちも苦笑する。
しかし。
作戦の形は決まった。
第一。
黒鷲騎士団の噂を流し、カルテルの警備を撹乱する。
第二。
所長が正面から派手に暴れ、施設の警備を引き付ける。
第三。
ドワーフたちが複数の坑道を掘り、人質区画へ侵入する。
第四。
技術者たちは別の坑道から施設の地下へ入り、地盤を崩して精製設備を破壊する。
第五。
もしそれが間に合わなければ。
所長が全部ぶっ壊す。
「……これでいいな」
所長が言った。
「はい」
リリスが頷く。
「異論はない」
ドワーフたちも頷いた。
「よし」
所長は椅子から立ち上がった。
「じゃあ」
店主へ声をかける。
「酒!」
「……」
リリスが嫌な顔をする。
「所長」
「なんだ?」
「今から作戦です」
「分かってる」
「それなのに?」
「だからだ」
所長はジョッキを受け取った。
「景気づけだ」
「……」
「一杯だけだ」
「本当ですか?」
「ああ」
所長は豪快に飲み始める。
ゴクゴクゴクゴク。
一気に飲み干した。
「ふう」
ジョッキを置く。
「うまい」
「一杯でしたね」
「ああ」
所長は店主を見る。
「もう一杯」
「……」
リリスが無言で所長を見る。
「一杯だけって言いましたよね?」
「今の一杯は景気づけの一杯だ」
「はい」
「次は本番前の一杯だ」
「……」
「意味が違う」
「同じです」
所長は聞こえないふりをする。
「もう一杯!」
「おう!」
店主が笑いながら酒を注ぐ。
ドワーフたちも呆れながら笑った。
「お前、本当に飲むな!」
「明日、正面から突っ込むんだろ?」
「ああ」
「なら飲みすぎるなよ!」
「大丈夫だ」
所長は酒を飲みながら答える。
「俺は酔っても強い」
「そういう問題じゃねえ!」
酒場に笑い声が響く。
その横では。
リリスとドワーフたちが、明日の作戦を何度も確認していた。
坑道の位置。
人質区画への侵入経路。
施設地下の構造。
崩落させる地点。
撤退経路。
そして。
所長が正面でどれだけ派手に騒ぐか。
すべてが決まっていく。
リリスは最後に地図を畳んだ。
「これで準備は整いました」
「ああ」
所長は煙草を咥える。
「明日だ」
「はい」
「人質を全員助ける」
その声だけは。
酒場で騒いでいた時とは違った。
元軍人としての。
冷たい決意が滲んでいる。
「そして」
所長は施設の地図を指で叩いた。
「カルテルの精製工房を消す」
リリスが頷く。
「はい」
所長はニヤリと笑った。
「……さて」
「?」
「景気づけにもう一杯」
「まだ飲むんですか!」
「明日の景気づけだ」
「さっきも同じことを言ってました!」
「細かいことは気にするな」
「気にします!」
こうして。
明日の作戦を前に。
酒場で最後まで騒いでいたのは。
結局、所長一人だった。