第三十五話 黒鷲騎士団、襲来
翌朝。
精製設備工房の周囲には、異様な緊張感が漂っていた。
地下王国の巨大な坑道。
その奥に築かれた施設は、まるで一つの要塞だった。
分厚い石壁。
鉄製の扉。
外周を巡回する武装兵。
監視塔。
地下施設でありながら、侵入者を想定した防衛設備まで整えられている。
カルテルが、この場所をどれほど重要視しているのか。
一目で分かる。
その少し離れた場所。
岩陰に隠れた一行は、施設を見つめていた。
「……」
リリスは拳銃を確認する。
弾倉。
安全装置。
予備弾。
何度も確認している。
別に壊れているわけではない。
ただ。
緊張しているのだ。
隣ではドワーフたちも、工具や装備を確認している。
「坑道は予定通り三方向から掘る」
「施設地下へ向かう班はこっちだ」
「人質区画を狙う班は二手に分かれる」
「合流地点は?」
「ここだ」
声は小さい。
誰もが慎重だった。
人質がいる。
失敗すれば、彼らが殺される。
そして。
施設の中にはカルテルの武装兵が大量にいる。
普通なら。
緊張して当然だった。
そんな中。
「……」
所長だけが。
酒を飲んでいた。
「……所長」
リリスが振り返る。
「なんだ?」
「どうしてお酒を飲んでいるんですか?」
「朝飯だ」
「酒ですよ?」
「朝飯に酒を飲んじゃいけない法律でもあるのか?」
「そういう話ではありません」
所長は瓶を傾ける。
ゴクゴク。
「ふう」
満足そうに息を吐く。
そして。
周囲を見回した。
ドワーフたちが緊張している。
リリスも緊張している。
所長は首を傾げた。
「……」
「何ですか?」
「お前ら」
「はい?」
「緊張してるのか?」
「当たり前でしょう」
リリスが即答する。
「これから敵の要塞に突入するんですよ」
「そうか?」
「そうです」
「緊張することあるめぇよ」
「……」
所長は鷹揚に手を振った。
「なるようになる」
「そんな簡単な話では……」
「大丈夫だ」
「何を根拠に?」
「俺がいる」
「……」
リリスはしばらく所長を見る。
「本当に、この人は……」
小さく呟いた。
ドワーフの一人が苦笑する。
「まあ……頼もしいっちゃ頼もしいんだが」
「緊張感がないな」
「むしろ俺たちが緊張しているのが馬鹿らしくなってくる」
所長は酒を飲み終える。
「よし」
立ち上がった。
「行くか」
その手には。
巨大な鉄の柱があった。
長さ。
およそ二メートル。
太さも人間の腕よりはるかに太い。
完全な鉄製。
ドワーフの工房で購入した、ただの鉄柱だった。
「……」
リリスが固まる。
「所長」
「なんだ?」
「それは?」
「鉄の棒」
「見れば分かります」
「じゃあ聞くな」
「どうしてそれを持っているんですか?」
「武器」
「武器……」
リリスは頭を抱えた。
「拳銃は?」
「ある」
「ライフルは?」
「ある」
「鉈は?」
「ある」
「なのに?」
「これも使う」
「……」
ドワーフたちが鉄柱を見つめる。
「それ、うちの工房で買ったやつだよな?」
「ああ」
「本来は建築用だぞ」
「知ってる」
「武器じゃない」
「俺が使えば武器だ」
「……」
ドワーフは何も言えなくなった。
所長は鉄柱を肩に担ぐ。
「乗り込むか」
「え?」
リリスが目を見開く。
「もうですか?」
「ああ」
「まだ合図も……」
「今からだ」
所長は近くにいたドワーフを指差した。
「お前」
「俺?」
「叫べ」
「何を?」
所長はニヤリと笑った。
「黒鷲騎士団が来たぞ」
「……」
「大声で」
「……本当に?」
「本当に」
「俺が?」
「お前が」
ドワーフは困った顔をする。
だが。
すぐに腹を括った。
「……分かった」
大きく息を吸う。
そして。
「黒鷲騎士団が来たぞおおおおおおおっ!!」
地下坑道全体に。
ドワーフの大声が響き渡った。
「黒鷲騎士団だ!」
「敵襲!」
「黒鷲騎士団が出たぞ!」
施設周辺が一瞬で騒がしくなる。
巡回していたカルテル兵が振り返る。
警備兵たちが走り出す。
施設内部でも鐘が鳴った。
警報。
「敵襲だ!」
「黒鷲騎士団だと!?」
「どこから来た!」
「外周を確認しろ!」
「設備を守れ!」
混乱が始まった。
所長は。
「よし」
と呟く。
そして。
走り出した。
「え?」
リリスが目を見開く。
「ちょっと、所長!?」
ドドドドドドドドッ!!
巨大なオーガが。
二メートル近い鉄柱を担いだまま。
真正面から。
要塞へ向かって突っ込んでいく。
「な、なんだあいつ!?」
「敵だ!」
「撃て!」
銃声。
弾丸が飛ぶ。
所長は鉄柱を盾のように振り回した。
ガンッ!
弾丸が鉄柱に弾かれる。
「遅え!」
所長が吠える。
そのまま。
施設の門へ突っ込む。
「止めろ!」
「撃て!」
さらに銃弾が飛ぶ。
所長は鉄柱を横薙ぎに振った。
ゴォンッ!!
数人の兵士がまとめて吹き飛ぶ。
「うわあああっ!」
「なんだこいつ!?」
所長は止まらない。
鉄製の柱を振り回しながら。
そのまま鉄扉へ突っ込む。
ドォン!!
扉が大きくへこむ。
「もう一発!」
ドォン!!
さらにへこむ。
「三発!」
ドォォォン!!
鉄扉が歪み。
最後には。
根元から外れて倒れた。
「開いたぞ!」
所長が笑う。
「……」
その様子を遠くから見ていたリリスは。
呆然としていた。
「……あれ、本当に作戦なんですか?」
隣のドワーフが答える。
「俺にも分からん」
「でも」
「なんだ?」
「予定通りです」
「……」
リリスはため息をついた。
「行きましょう」
そして。
「私たちの仕事をします」
*
所長が施設正面で暴れ始めたことで。
カルテルの警備兵たちは完全にそちらへ集中した。
「正面に敵がいる!」
「援軍を回せ!」
「奴を止めろ!」
「黒鷲騎士団だ!」
「人数は!?」
「分からん!」
「とにかくあのオーガを止めろ!」
所長は。
鉄柱を振り回していた。
「来い!」
兵士を薙ぎ払う。
「まだいるのか!」
さらに別の兵士が現れる。
「面倒だな!」
鉄柱を床へ叩きつける。
ゴォンッ!!
石造りの床が震える。
「ひっ!」
「なんだこいつ!」
「化け物だ!」
「オーガだぞ!」
「そんなことは見れば分かる!」
所長は笑う。
「その通り!」
完全に。
敵の視線は所長に釘付けになっていた。
その頃。
別の場所。
リリスたちは、予定していた坑道へ入っていた。
「急いで」
リリスが指示する。
「ここから人質区画へ向かいます」
「了解」
「音を立てすぎるな」
「分かっている」
ドワーフたちは手際よく掘り進めていく。
岩盤を確認。
支柱を設置。
坑道を延ばす。
さすがに地下を知り尽くしたドワーフたち。
作業は驚くほど早い。
リリスも慎重に進む。
やがて。
「……」
一人が手を止めた。
「どうした?」
「向こうだ」
壁の向こう。
かすかな声が聞こえる。
「人の声だ」
リリスが近づく。
「間違いありません」
「人質か?」
「おそらく」
ドワーフが慎重に壁を崩す。
ガラッ。
小さな穴が開いた。
その向こうに。
何人もの人間がいた。
さらに。
ドワーフ。
エルフ。
様々な種族の技術者が拘束されている。
「……!」
リリスが目を見開いた。
「皆さん」
人質たちが振り返る。
「助けに来ました」
「……誰だ?」
「ドワーフ王国の依頼を受けた者です」
リリスは銃を見せる。
「静かに」
「外で何が……?」
遠くから。
轟音が響いた。
ドォン!!
「……」
人質たちが怯える。
リリスは。
「所長です」
とだけ言った。
「……」
「たぶん、まだ大丈夫です」
*
その頃。
施設の地下。
別の坑道。
ドワーフの技術者たちが必死に掘っていた。
「ここだ!」
「もっと下!」
「支柱を抜くな!」
「まだ早い!」
施設を支えている地盤。
そこへ向けて。
慎重に。
しかし急いで。
坑道が伸びていく。
「あと少し!」
「掘れ!」
「急げ!」
そして。
施設の真下。
「……着いた」
一人が呟く。
周囲を確認する。
「ここならいける」
「本当に崩れるのか?」
「崩れる」
「確実に?」
「この構造ならな」
技術者はニヤリと笑った。
「地面に支えさせているだけの施設だ」
「なら」
全員が作業を開始する。
支柱。
岩盤。
土砂。
地下構造。
計算された位置を少しずつ崩していく。
「まだだ」
「まだ!」
「もう少し!」
そして。
施設上部では。
所長が大暴れしていた。
「おらぁ!」
鉄柱が兵士を吹き飛ばす。
「次!」
また別の兵士。
「撃て!」
銃弾。
所長は鉄柱で防ぐ。
「効かねえな!」
笑う。
その瞬間。
施設の奥から。
「敵だ!」
重装備の兵士が現れた。
「ようやくマシなのが出てきたな」
所長は鉄柱を肩に担ぐ。
「来い」
重装兵が突っ込む。
所長も突っ込む。
激突。
ドォン!!
壁が揺れる。
所長は一歩下がる。
「……」
口元から血が少し垂れる。
「いいな」
笑う。
「やっぱり硬い奴は殴りがいがある」
鉄柱を振り上げる。
「だが」
振り下ろす。
ドォォォン!!
床が震える。
重装兵が崩れ落ちる。
「俺の方が硬い」
*
その頃。
人質救出班。
「全員出られますか?」
リリスが尋ねる。
「……全員ではない」
一人のエルフが答えた。
「まだ奥にいる」
「何人?」
「十人ほど」
「案内してください」
「危険だ!」
「大丈夫です」
リリスは拳銃を構える。
「所長が正面で騒いでいるうちに、できるだけ救出します」
人質たちは頷いた。
さらに奥へ。
別の部屋。
そこにも人質がいた。
「こっちだ!」
「急いで!」
リリスは次々と拘束を解いていく。
ドワーフ兵が護衛につく。
やがて。
「これで全員です!」
「撤退!」
人質たちを連れて。
坑道へ戻る。
*
そして。
施設地下。
「……」
技術者が最後の支柱を確認する。
「これでいい」
「本当にやるのか?」
「ああ」
「人質は?」
「救出されたはずだ」
「確認は?」
「上から連絡が来ている」
「なら」
技術者は頷く。
「やれ」
支柱が外される。
その瞬間。
地下から。
小さな音が響いた。
ミシッ。
「……」
次。
メキメキメキッ。
地盤が沈む。
「始まった!」
「離れろ!」
施設の地下で。
大地そのものが崩れ始めた。
*
「……ん?」
所長が振り返る。
床が揺れている。
「お?」
天井から砂が落ちる。
兵士たちも騒ぎ始めた。
「な、なんだ!?」
「地震か!?」
「違う!」
「施設が……!」
ゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!
地下全体が震える。
壁に亀裂が走る。
「まずい!」
「施設が崩れるぞ!」
カルテル兵たちが逃げ始める。
所長は。
ニヤリ。
「成功したか」
鉄柱を肩に担ぐ。
「よし」
そして。
「俺も逃げるか」
走り出した。
「待て!」
ドワーフ兵が叫ぶ。
「お前も逃げるんだな!?」
「ああ!」
「意外だ!」
「死ぬのは嫌だからな!」
施設の崩壊が加速する。
巨大な精製設備が傾く。
鉄骨が折れる。
石壁が崩れる。
地下の巨大空間が。
ゆっくりと。
しかし確実に。
地面へ沈んでいく。
「走れ!」
リリスが叫ぶ。
「全員、坑道へ!」
人質たちを誘導する。
「急いで!」
背後から。
轟音。
施設が崩壊する。
ゴォォォォォォン!!
巨大な土煙が地下坑道へ流れ込んでくる。
「急いで!」
「もう少し!」
「走れ!」
最後の人質が坑道へ入った。
リリスも入る。
そして。
所長が最後尾から飛び込んできた。
「所長!」
「おう!」
「早く!」
「分かってる!」
その瞬間。
背後の施設が。
完全に崩れた。
ドォォォォォォォォン!!
轟音。
地面が大きく揺れる。
そして。
静かになった。
「……」
「……」
「……」
全員が息を切らしている。
リリスが振り返る。
「……終わった?」
ドワーフの技術者が。
ゆっくり頷いた。
「崩れた」
「完全に?」
「ああ」
「精製設備は?」
「地下だ」
「もう使えない?」
「二度と使えない」
リリスは大きく息を吐いた。
「……成功ですね」
所長は。
鉄柱を肩に担いだまま。
「だな」
そして。
「酒飲みたい」
「……」
リリスは思わず笑った。
「朝から飲んでいたでしょう」
「あれは作戦前だ」
「今度は?」
「作戦完了後だ」
「結局飲むんですね」
「当然だ」
人質たちは。
そんな二人を見つめていた。
中には。
何が起きたのか理解できず。
ただ呆然としている者もいる。
だが。
もう。
誰も拘束されていない。
カルテルの精製設備も。
地下深くへ崩れ落ちた。
ドワーフ王国を脅かしていた拠点は。
一日で消滅した。
ドワーフの技術者が。
所長を見る。
「……お前」
「なんだ?」
「本当に、最後まで暴れる必要なかったな」
「ああ」
「今回は俺たちの案で終わった」
「そうだな」
所長は頷く。
「お前ら、いい仕事した」
ドワーフたちは少し照れ臭そうに笑う。
「……お前に褒められるとはな」
「ありがたく思え」
「なんで上からなんだよ!」
笑い声が起きる。
リリスも。
珍しく少しだけ口元を緩めた。
そして。
所長の横に立つ。
「帰りましょうか」
「ああ」
「王族への報告もあります」
「面倒だな」
「依頼ですから」
「分かってる」
所長は鉄柱を担ぎ直した。
「……ところで」
「はい?」
「これ」
巨大な鉄柱を見る。
「持って帰るか」
「持って帰るんですか?」
「せっかく買ったし」
「……」
リリスは呆れた。
「本当に最後まで所長ですね」
「褒め言葉か?」
「いいえ」
こうして。
ドワーフ王国を揺るがしたカルテルの精製設備工房は。
一日で完全に機能を失った。
人質は全員救出。
精製設備は崩壊。
カルテルの拠点は壊滅。
そして。
その中心で暴れていたオーガは。
何事もなかったかのように。
「帰ったら酒だな」
などと言いながら。
リリスたちと共に。
崩壊した施設を後にした。