第四十話 魔界への道
魔界へ向かう街道を、一台の車が走っていた。
人間の国から魔族領へ向かう街道は、アストリア王国内の街道とは少し雰囲気が違う。
道幅は広く、舗装もよく整えられている。
魔族との和平が成立してからというもの、両国を行き来する商人も増え、街道沿いには宿場町や交易所がいくつも作られていた。
そんな道を。
珍しく、リリスが運転していた。
「……」
ハンドルを握るリリス。
その隣では。
「……うまいな」
所長が酒を飲んでいた。
「何がですか?」
「酒」
「そうではなく」
リリスは前を見たまま言う。
「なぜ私が運転しているんですか」
「お前の方が運転が丁寧だからだ」
「それはどうも」
「それに」
所長は酒瓶を傾ける。
「魔界まで俺が運転したら、到着する頃には酒がなくなる」
「今もかなりの勢いで飲んでいますが」
「運転してねえからな」
「……」
リリスは何も言わなかった。
しばらく車内にエンジン音だけが響く。
やがて。
「そういえば」
「ん?」
「所長は、私が貴族だったことをいつ頃から気づいていたんですか?」
「んー?」
所長は酒瓶を持ったまま、少し考えた。
「最初からじゃねえ」
「では?」
「しばらくしてからだな」
「何がきっかけです?」
「マナー」
「……」
「食事の仕方とか」
「……」
「言葉遣いとか」
「……」
「服の着こなしとか」
所長はリリスを見る。
「妙に綺麗だったからな」
「……」
「俺みてえな奴のところに拾われたガキにしては、妙に育ちが良かった」
「失礼ですね」
「事実だろ」
「……まあ」
リリスは少しだけ苦笑した。
「否定はしません」
「やっぱりな」
「ただ」
リリスは前を見ながら続ける。
「当時は貴族だと自分から言うつもりもありませんでした」
「だろうな」
「戦争で両親とはぐれてから、ずっと逃げていましたから」
「……」
「自分がどこの家の人間なのかなんて、誰かに話している余裕もありませんでした」
「そりゃそうだ」
所長は酒を一口飲む。
「それに、所長に拾われた時は」
「なんだ?」
「所長の方がよほど怪しかったので」
「ひでえな」
「軍服は泥だらけ」
「……」
「顔は傷だらけ」
「……」
「武器を持って逃げ回っていましたし」
「……」
「私は、目の前にいる大男が何者なのか分かりませんでした」
「俺もお前が何者か分からなかったぞ」
「お互い様ですね」
「そうだな」
二人の間に、少しだけ笑いが生まれる。
リリスは運転しながら、ふと横を見る。
「……不思議ですね」
「何が?」
「こうして魔界へ向かっていることです」
「そうか?」
「はい」
「俺は酒を飲んでるだけだが」
「それは分かっています」
リリスはため息を吐く。
「まさか、あの時拾われた私が」
「貴族の両親を探すために魔界へ向かうことになるとは思いませんでした」
「まだ両親と決まったわけじゃねえだろ」
「そうですね」
「親戚かもしれねえし」
「はい」
「全然関係ない奴かもしれねえ」
「はい」
「だから会ってみりゃいい」
「……そうですね」
リリスは前を向く。
やがて。
街道の先に大きな門が見えてきた。
「検問ですね」
「ああ」
魔界側の国境。
魔族兵が並び、入国者を一人ずつ確認している。
リリスは速度を落とし、検問所へ車を進める。
「止まれ!」
兵士が手を上げた。
車が停止する。
魔族兵が二人、近づいてくる。
「入国目的は?」
「魔界の貴族からの依頼です」
リリスが答える。
「依頼?」
「はい」
「証明できるか?」
「あります」
リリスは手紙を取り出そうとする。
その時。
隣から。
「……あ」
所長が声を漏らした。
「どうしました?」
「いや」
「何です?」
「俺」
所長は検問所の兵士を見る。
兵士も所長を見る。
そして。
目が合う。
所長の顔が。
ほんの少し固まった。
「……そういや俺、魔族側で指名手配されてたな」
「…………」
リリスがゆっくり所長を見る。
「今、思い出したんですか?」
「ああ」
「忘れていたんですか?」
「完全に」
「……」
次の瞬間。
「武器を捨てろ!」
魔族兵が一斉に銃を構えた。
ガチャリ。
銃口が車へ向く。
「両手を見せろ!」
「おいおい」
所長は両手を上げる。
「穏やかじゃねえな」
「黙れ!」
「俺はただの旅行者だぞ」
「貴様が言うな!」
「そうか?」
魔族兵の一人が怒鳴る。
「捕虜を爆弾代わりに敵陣へ送り込んだ男!」
「……」
「軍事法廷から逃亡した重犯罪者!」
「……」
「魔族領内で多数の兵士を負傷させた危険人物!」
「……」
所長は少し考える。
「結構有名なんだな、俺」
「感心している場合ですか!」
リリスが珍しく声を荒げる。
「どう見ても状況は最悪ですよ!」
「まあ、銃を向けられてるからな」
「原因はあなたです!」
「そうだったな」
魔族兵が銃を構え直す。
「車から降りろ!」
「待ってください!」
リリスが慌てて手紙を取り出す。
「こちらをご確認ください!」
「何だ?」
「魔界の貴族からの正式な依頼状です」
兵士が手紙を受け取る。
封蝋。
貴族家の紋章。
そして依頼人の家名。
兵士の表情が変わった。
「……これは」
「その依頼を受けて、この者と共に入国する必要があります」
「……」
兵士は手紙を何度も確認する。
そして所長を見る。
「本当にこの男が?」
「はい」
「この男を?」
「はい」
「……」
兵士は頭を抱えたくなるような顔をした。
「よりによって……」
別の兵士も手紙を確認する。
「正式な依頼状に間違いありません」
「だが、こいつは指名手配犯だぞ」
「依頼人の許可がある以上、入国そのものを拒否することは難しい」
「……」
しばらく二人で相談した後。
最初の兵士が所長を見る。
「条件付きで入国を許可する」
「おう」
「ただし」
兵士が銃口を少し上げる。
「魔界で問題を起こせば」
その目が鋭くなる。
「その場で撃ち殺す」
「……」
リリスが緊張した表情になる。
だが。
所長は。
ニヤリと笑った。
「そりゃ怖えな」
「……」
「じゃあ問題を起こさねえようにするか」
「本当に分かっているのか?」
「分かってる分かってる」
所長は両手を上げたまま。
わざとらしく頷く。
「大人しくするよ」
「……」
「たぶんな」
「最後の一言は何だ!」
兵士が怒鳴る。
リリスが額を押さえた。
「……所長」
「なんだ?」
「本当に問題を起こさないでください」
「分かってるって」
「絶対ですよ」
「善処する」
「それは約束ではありません」
「じゃあ努力する」
「もっと駄目です」
兵士たちは呆れた顔をしながらも、ようやく銃を下ろした。
「通れ」
「どうも」
リリスが車を発進させる。
検問所を抜ける。
しばらく走ったところで。
「……」
「……」
車内が静かになる。
そして。
「所長」
「ん?」
「魔界で指名手配されていたこと」
「忘れてたな」
「……」
「完全に」
「……」
「まあ、入れたんだからいいだろ」
リリスは深いため息を吐く。
「先が思いやられます」
「大丈夫だ」
「何がです?」
所長は酒瓶を傾ける。
「俺たちは旅行者だ」
「依頼を受けて来た探偵でしょう」
「それもそうだな」
所長は笑った。
こうして。
魔界への入国は。
なんとか成功した。
もっとも。
二人が魔界へ足を踏み入れた時点で。
所長が過去に残した因縁もまた。
静かに動き始めていた。