第四十五話 それぞれの夜
「……まあ」
所長はグラスを置いた。
「それはともかくだ」
「ん?」
向かいに座る昔馴染みが顔を上げる。
「今晩は飲み明かそう」
「反省は?」
「した」
「何を?」
「昔のことを」
「……」
「だから飲む」
「どういう理屈だ」
「難しいこと考えるな」
所長は笑いながら、持ってきた荷物を漁った。
「ほら」
中から何本かの酒瓶を取り出す。
「王国で買った酒だ」
「ずいぶん持ってきたな」
「あと、こいつもある」
所長は別の袋を持ち上げる。
「吹き飛ばなかった酒だ」
「お前……」
「モーテルも車も吹き飛んだが」
所長は酒瓶を掲げる。
「酒は無事だった」
「そこが基準なのか」
「当然だ」
栓を抜く。
芳醇な香りが部屋に広がった。
「……いい酒だな」
「だろ?」
「じゃあ」
昔馴染みもグラスを差し出す。
「飲むか」
「おう」
グラスがぶつかる。
「乾杯」
「乾杯」
その夜。
二人は。
本当に飲み明かした。
所長は酒を飲み。
昔馴染みも酒を飲む。
昔の軍時代の話。
くだらない裏取引の話。
今では名前も聞かなくなった連中の話。
そして。
「そういやお前」
「ん?」
「昔、軍用車を一台丸ごと横流ししただろ」
「ああ」
「あれ俺のところに来たぞ」
「お前だったのか」
「知らなかったのかよ」
「知らん」
「お前なぁ……」
そんな話をしながら。
酒瓶が一本。
また一本と空いていく。
所長は完全に酔っ払っていた。
それでも。
楽しそうだった。
*
同じ頃。
伯爵家。
屋敷の一室では。
リリスが両親と談笑していた。
「それでね」
母親が嬉しそうに話す。
「あなたがどんな暮らしをしていたのか、もっと聞かせてちょうだい」
「はい」
リリスは微笑む。
戦争で離れ離れになってからのこと。
避難の途中ではぐれたこと。
命からがら逃げ回っていたこと。
そして。
軍事法廷から逃げ出した所長に拾われたこと。
これまでの人生を。
一つずつ話していく。
「そう……」
母親は目を細める。
「そんなことがあったのね」
「はい」
「苦労したのね」
「まあ」
リリスは少し笑った。
「所長が拾ってくれましたから」
父親も静かに頷く。
「その所長という人物が、あなたをここまで育ててくれたのか」
「育てたというほどではありません」
リリスは苦笑する。
「仕事を教えて、好き勝手に使っていただけです」
「それでも」
母親は優しく微笑んだ。
「あなたが今ここにいるのは、その人のおかげなのでしょう?」
「……はい」
リリスが頷いた。
その時。
「失礼いたします」
扉が開いた。
執事が入ってくる。
いつもの落ち着いた表情とは違い、少しばかり険しい顔をしていた。
「旦那様」
「どうした?」
執事は父親の耳元へ顔を寄せる。
小声で何かを伝えた。
「……何?」
リリスが尋ねる。
父親は一瞬、言葉を濁した。
「いや」
しかし。
リリスは執事の表情を見ていた。
「何かあったんですか?」
「……」
父親は小さく息を吐く。
「先ほど、魔界国内の宿泊施設で爆発事件があったそうだ」
「爆発……?」
「それだけなら珍しい話ではない」
父親は続ける。
「だが、その後に宿泊客の車両まで爆破されたらしい」
「……」
リリスの表情が変わった。
「まさか」
父親は答えない。
執事も黙っている。
だが。
報告された特徴。
二メートルを優に超えるオーガ。
魔界へ入国したばかり。
伯爵家の依頼状を持っていた人物。
そして。
その後、宿泊施設へ入ったこと。
「……所長」
リリスは立ち上がった。
「電話します」
「待ちなさい」
父親が制する。
「本人がどこにいるかは分からないのだろう?」
「それでもです」
リリスは携帯を取り出した。
番号を呼び出す。
数回の呼び出し音。
しかし。
出ない。
「……」
もう一度かける。
今度は。
繋がった。
『……おう』
「所長!?」
『なんだ……』
「大丈夫なんですか!?」
『大丈夫だ』
「今、どこにいるんです?」
『ん?』
所長の声が。
妙に間延びしている。
「……酔ってます?」
『酔ってない』
「その声で?」
『酔ってない』
「……」
リリスは頭を抱える。
「何をしているんです?」
『今、昔馴染みと飲んでる』
「……」
『再会祝いだ』
「そうですか」
『酒がある』
「はい」
『だから飲み明かす』
「……」
リリスはため息をついた。
「ところで、何か大変なことに巻き込まれていませんか?」
『大変?』
「魔界で爆発事件があったそうです」
『……』
一瞬。
所長が黙った。
そして。
『ああ』
「やっぱり!」
『まあ、ちょっと吹っ飛んだ』
「ちょっと!?」
『モーテルがな』
「……」
『あと車も』
「車も!?」
『なくなった』
「所長!」
『大丈夫だ』
「本当に?」
『ああ』
「怪我は?」
『ない』
「……」
リリスは深く息を吐いた。
安心した。
少なくとも。
生きている。
「それなら――」
『それより』
「はい?」
『しばらく飲んでるから』
「……」
『お前は実家に里帰りしてろ』
「所長、私は――」
『親御さんと話でもしてろ』
「でも」
『じゃあな』
「ちょっと――」
――ブツッ。
電話が切れた。
「……」
リリスは携帯を見つめる。
父親と母親も。
何とも言えない顔でリリスを見る。
しばらく沈黙。
そして。
母親が小さく笑った。
「ずいぶん……」
「はい」
リリスは深いため息をつく。
「所長らしい人です」
父親も苦笑する。
「しかし」
「はい?」
「爆発に巻き込まれた直後だというのに」
「……」
「酒を飲んでいるのか」
「そうみたいです」
リリスは呆れながらも。
ほんの少しだけ笑った。
「まあ……」
父親がグラスを手に取る。
「無事ならよしとしよう」
「そうですね」
リリスも頷く。
「それでは」
母親が微笑んだ。
「続きを聞かせてちょうだい」
「はい」
リリスは両親へ向き直った。
一方。
魔界の片隅では。
「おい」
「なんだ?」
「もう一本あるぞ」
「飲むか?」
「飲む」
酒瓶がまた一本。
空になった。
二人の宴会は。
まだまだ終わりそうになかった。