アランスミシー探偵事務所の事件簿   作:山門門山

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case45不味いコーヒー

第四十七話 昔馴染みと、魔族軍

 

 翌朝。

 

 薄暗い部屋に、酒の臭いが充満していた。

 

 床には空になった酒瓶。

 

 机の上にも酒瓶。

 

 窓際にも酒瓶。

 

 そしてベッドの上には、巨大なオーガが一人。

 

「……うぅ……」

 

 所長が呻いた。

 

 頭が重い。

 

 喉が渇いている。

 

 胃の中が妙に熱い。

 

 そして何より。

 

「……酒が足りねえ……」

 

「起きて第一声がそれか」

 

 向かいのベッドから、昔馴染みが呆れた声を上げた。

 

「お前も飲んでただろ」

 

「お前が勝手に注ぎ続けたんだろうが」

 

「そうだったか?」

 

「そうだよ」

 

 所長はゆっくり上体を起こした。

 

 頭を押さえる。

 

「……頭痛え」

 

「二日酔いだな」

 

「知ってる」

 

「知ってて昨日あれだけ飲んだのか」

 

「酒は飲んでる時が一番うまい」

 

「二日酔いのたびに聞いてるぞ、それ」

 

 昔馴染みはベッドから降りると、部屋の隅に置かれた小さな机へ向かった。

 

 そこには、宿の備え付けらしい簡素なコーヒーメーカーがある。

 

「コーヒー飲むか?」

 

「頼む」

 

「砂糖は?」

 

「いらん」

 

「ミルクは?」

 

「いらん」

 

「じゃあそのままだな」

 

「ああ」

 

 しばらくして。

 

 カップに黒い液体が注がれた。

 

 昔馴染みが所長へ渡す。

 

 所長は一口飲んだ。

 

「……まずい」

 

「宿のコーヒーだからな」

 

「昨日の酒よりまずい」

 

「それは酒に失礼だろ」

 

 所長は顔をしかめながら、もう一口飲む。

 

「……だが、目は覚める」

 

「それならいいだろ」

 

「まずいがな」

 

「二回言うな」

 

 そんなやり取りをしながら、二人はしばらく黙ってコーヒーを飲んだ。

 

 やがて所長が、昨日のことを思い出す。

 

「そういや」

 

「なんだ?」

 

「昨日、モーテルが吹き飛んだな」

 

「吹き飛んだな」

 

「車も吹き飛んだ」

 

「吹き飛んだ」

 

「酒は?」

 

「お前が心配するのはそこか?」

 

「吹き飛ばなかった酒は残ってる」

 

「……本当に酒好きだな」

 

 所長は満足そうに頷いた。

 

「それで?」

 

「何が?」

 

「俺を狙ってる連中だ」

 

 昔馴染みは少しだけ表情を変えた。

 

「その話か」

 

「ああ」

 

「情報屋から聞いた話だがな」

 

 昔馴染みはコーヒーを置いた。

 

「お前が魔界に入った時点で、もう尾行がついていた」

 

「検問からか?」

 

「そうだ」

 

「なるほど」

 

 所長は煙草を取り出す。

 

「モーテルまでついてきて、部屋を吹っ飛ばした」

 

「おそらくな」

 

「車も?」

 

「そうだろう」

 

「随分と執念深いな」

 

「お前が何をしたのか考えろ」

 

 昔馴染みが呆れたように言う。

 

「魔族側じゃ、お前の名前を聞くだけで顔をしかめる奴もいるぞ」

 

「俺、そんなに有名か?」

 

「悪い意味でな」

 

「そうか」

 

 所長は煙草に火をつけた。

 

「で、何をやったって?」

 

「忘れたとは言わせんぞ」

 

「昔のことだからな」

 

「お前が人間軍にいた頃の話だ」

 

 昔馴染みはため息をついた。

 

「魔族との戦争で、お前は人間軍の軍属だった」

 

「ああ」

 

「その頃、お前は魔族の捕虜を使った」

 

 所長は黙って煙草を吸う。

 

「捕虜の身体から内臓を抜き出して、そこへ爆薬を仕込んだ」

 

「……」

 

「そして、それを魔族軍の基地へ送り込んだ」

 

 昔馴染みの声は淡々としていた。

 

「基地は吹き飛んだ」

 

「そうだったな」

 

「魔族側からすれば、ただの戦死者じゃない」

 

「捕虜を利用された」

 

「ああ」

 

「しかも、あんな方法で」

 

「だからだ」

 

 昔馴染みは所長を見る。

 

「お前が魔界で恨まれてるのは、単純に魔族を殺したからじゃない」

 

「捕虜を爆弾にしたからか」

 

「そうだ」

 

 所長は煙を吐いた。

 

「……まあ、恨まれて当然か」

 

「珍しく殊勝だな」

 

「昔の話だ」

 

「そうやって笑って済ませるから余計に怖いんだよ」

 

「そうか?」

 

「ああ」

 

 昔馴染みは肩をすくめる。

 

「ともかく、お前を狙ってる連中には、その件を恨んでる奴が混じっている」

 

「カルテルに?」

 

「そうだ」

 

「なるほどな」

 

 所長は灰皿に灰を落とした。

 

「復讐するためにカルテルに入った魔族がいるって話だったな」

 

「ああ」

 

「そいつらはどこにいる?」

 

 昔馴染みは少し黙った。

 

「軍の管理区域だ」

 

「……軍?」

 

「正確には、魔族軍が管理している土地の一角だ」

 

「カルテルが使ってるのか?」

 

「そうらしい」

 

「軍が貸してるのか?」

 

「一部の腐敗した軍人がな」

 

 所長の眉が上がった。

 

「カルテルに土地を?」

 

「ああ」

 

「軍の管理区域を?」

 

「そうだ」

 

「随分と景気のいい話だな」

 

「腐敗してるってことだよ」

 

「なるほど」

 

 所長は少し考えた。

 

「場所は?」

 

「古い採掘場の跡地だ」

 

 昔馴染みが地図を取り出した。

 

「ここだ」

 

 地図の一点を指差す。

 

「この辺りは軍の管理区域になっている」

 

「その中にカルテルの連中が?」

 

「そうだ」

 

「復讐目的の魔族も?」

 

「いるらしい」

 

「何人くらいだ?」

 

「正確な人数までは分からん」

 

「ふむ」

 

 所長は地図を覗き込む。

 

 そして。

 

「行くか」

 

「やっぱり行くのか」

 

「せっかく情報をもらったんだ」

 

「普通はもう少し慎重になる」

 

「慎重に行くぞ」

 

「どうやって?」

 

「酒を飲んでから考える」

 

「それは慎重とは言わない」

 

 昔馴染みは頭を抱えた。

 

 しかし所長は気にしない。

 

 やがて二人は宿を出た。

 

     *

 

 車は荒れた街道を進んでいた。

 

 運転しているのは昔馴染み。

 

 助手席には所長。

 

 しばらくして、所長が自分の腰を見た。

 

「……そういや」

 

「今度はなんだ?」

 

「武器がねえな」

 

「昨日からずっと丸腰だろ」

 

「ああ」

 

「今気づいたのか?」

 

「酒飲んでたからな」

 

「関係あるか?」

 

「ある」

 

「ない」

 

 所長は懐から財布を取り出した。

 

「これで用意してくれ」

 

「何を?」

 

「俺好みで」

 

「……」

 

 昔馴染みが嫌な顔をする。

 

「お前の『俺好み』はろくでもないんだよな」

 

「大きくて頑丈なやつ」

 

「それだけ?」

 

「弾が多い」

 

「まだあるか?」

 

「多少乱暴に扱っても壊れない」

 

「お前が言うと、だいたい武器が可哀想になる」

 

「頼んだぞ」

 

「分かったよ」

 

 やがて車は軍の管理区域手前まで到着した。

 

「俺はここで別れる」

 

「そうか」

 

「軍の連中に俺の顔まで知られると面倒だからな」

 

「だな」

 

 所長が車から降りる。

 

「武器は後で届ける」

 

「ああ」

 

「死ぬなよ」

 

「俺が?」

 

「そうだ」

 

 所長は笑った。

 

「俺は滅多に死なねえよ」

 

「その自信が一番信用できない」

 

 昔馴染みと別れ。

 

 所長は一人、軍の管理区域へ向かって歩き始めた。

 

     *

 

 魔族軍南東方面管理区。

 

 その中心には、地区統括司令部があった。

 

 巨大な石造りの建物。

 

 高い城壁。

 

 監視塔。

 

 武装した兵士。

 

 軍用車両。

 

 明らかに、この地域の軍事拠点だった。

 

 そこへ。

 

 一人の巨大なオーガが歩いてくる。

 

「止まれ!」

 

 門番が叫んだ。

 

 所長は止まった。

 

「ここは軍の管理区域だ」

 

「ああ」

 

「何の用だ?」

 

「司令官に会いたい」

 

「面会許可は?」

 

「ない」

 

「なら帰れ」

 

「そうか」

 

 所長は頷いた。

 

 そして。

 

 そのまま門へ向かって歩き始めた。

 

「おい!」

 

「止まれ!」

 

 兵士が慌てて銃を構える。

 

「聞こえなかったのか!」

 

「聞こえてる」

 

「なら止まれ!」

 

「司令官に会いたいんだ」

 

「許可がない!」

 

「だから今から取りに行く」

 

「意味が分からん!」

 

 所長は門を抜けようとする。

 

 兵士たちが一斉に銃を向けた。

 

「止まれ!」

 

 ガチャリ。

 

 安全装置が外される。

 

 所長は。

 

 止まらなかった。

 

 ズン。

 

 一歩。

 

 ズン。

 

 もう一歩。

 

「……おい」

 

 兵士の一人が、所長の顔を凝視した。

 

「どうした?」

 

「あいつ……」

 

 兵士の顔が青ざめる。

 

「まさか……」

 

「何だ?」

 

「指名手配中の……あいつじゃないか?」

 

「……」

 

 周囲がざわつく。

 

「指名手配?」

 

「ああ。人間軍にいたオーガだ」

 

「まさか……」

 

「魔族の捕虜を爆弾にしたっていう?」

 

「……!」

 

「魔族軍の基地を吹き飛ばした、あの事件の?」

 

 兵士たちの顔が引きつった。

 

 所長は。

 

 その会話が聞こえているのかいないのか。

 

 そのままズンズン進む。

 

「待て!」

 

 兵士が銃を突きつける。

 

「それ以上進めば撃つ!」

 

 所長はようやく足を止めた。

 

「撃つのか?」

 

「そうだ!」

 

「そうか」

 

 所長は兵士を見る。

 

「じゃあ司令官に伝えてくれ」

 

「何を!」

 

「指名手配中のあいつが来たって」

 

「……!」

 

 兵士たちの顔が引きつる。

 

 所長は軽く笑った。

 

「会いたいそうだ、ってな」

 

「ふざけるな!」

 

 兵士が怒鳴る。

 

「別にふざけてねえよ」

 

「お前は指名手配犯だぞ!」

 

「知ってる」

 

「ならなぜ来た!」

 

「聞きたいことがある」

 

「何を!」

 

「この辺りの土地を」

 

 所長は司令部の奥を見る。

 

「カルテルに貸してる奴についてだ」

 

 空気が変わった。

 

 兵士たちの表情が一瞬だけ固まる。

 

 所長はそれを見逃さなかった。

 

「……なるほど」

 

「何がだ」

 

「いや」

 

 所長がニヤリとする。

 

「やっぱり知ってるんだな」

 

「知らん!」

 

「そうか?」

 

「ああ!」

 

「じゃあ司令官に聞こう」

 

「だから通すわけには――」

 

 その時だった。

 

 奥から一人の士官が走ってきた。

 

「何事だ!」

 

「司令部の入口に侵入者が!」

 

「侵入者?」

 

 士官が所長を見る。

 

 そして。

 

「……!」

 

 絶句した。

 

「お前……」

 

 所長は軽く手を上げる。

 

「よお」

 

「なぜ……」

 

「司令官に会いに来た」

 

「貴様は指名手配中だぞ!」

 

「知ってる」

 

「ここがどこか分かっているのか!」

 

「軍の司令部だろ?」

 

「なら――」

 

「だから来たんだ」

 

 所長は一歩前に出る。

 

 周囲の兵士が一斉に銃を構える。

 

 だが。

 

 所長はまるで気にしない。

 

「土地を貸してる奴について聞きたい」

 

「……」

 

「カルテルに」

 

「……」

 

「それと」

 

 所長は煙草を取り出した。

 

「その土地にいる、俺を殺したがってる連中についてもな」

 

 士官の顔から血の気が引いた。

 

「……何を知っている?」

 

「さあな」

 

 所長は煙草に火をつける。

 

「だから聞きに来た」

 

「お前……」

 

「話し合おうぜ」

 

 煙を吐きながら。

 

 所長は笑った。

 

「俺もできるだけ穏便に済ませたいんだ」

 

 周囲の兵士たちは。

 

 誰一人として、その言葉を信じていなかった。

 

 そして。

 

 司令部の奥から。

 

 さらに多くの兵士が駆けつけてくる。

 

 所長はそれを見ながら。

 

「……結構いるな」

 

 少しだけ嬉しそうに呟いた。

 

「司令官はまだか?」

 

 魔族軍の管理区域に。

 

 かつて魔族の捕虜を爆弾に変え、軍事基地を吹き飛ばした男が現れた。

 

 その噂は。

 

 瞬く間に司令部全体へ広がっていった。

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