第四十八話 司令官との取引
魔族軍南東方面管理区。
地区統括司令部の正門前。
所長は、数十人の兵士に銃を向けられていた。
しかし本人は。
まるで気にしていなかった。
煙草を一本、口に咥える。
「……」
懐を探る。
右のポケット。
左のポケット。
外套の内側。
ズボンのポケット。
「……」
所長の手が止まった。
「ライターがねえ」
周囲の兵士たちがざわつく。
所長は煙草を咥えたまま、近くにいた兵士を見る。
「おい」
「……な、なんだ」
「火を貸せ」
「は?」
「ライター持ってねえか?」
「……」
兵士は銃を構えたまま、戸惑う。
「なぜ私が……」
「いいから貸せ」
「いや、その……」
「早くしろ」
「ひっ……」
兵士の顔が引きつる。
周囲の仲間たちも助けてくれそうにない。
なにしろ目の前にいるのは、かつて魔族の捕虜を利用して軍事基地を吹き飛ばしたと噂される男だ。
しかも。
現在は魔族軍の司令部に、堂々と乗り込んできている。
「……ライターは持っていません」
「そうか」
所長は煙草を咥えたまま考える。
「じゃあ火は?」
「火?」
「お前ら魔族だろ」
「……」
「魔法くらい使えるんじゃねえのか?」
「私は戦闘魔術師では――」
「火くらい出せる奴いるだろ」
兵士たちは顔を見合わせる。
やがて。
「……私なら」
後ろから一人の兵士が手を上げた。
「できるのか?」
「簡単な火炎魔法なら」
「じゃあやってくれ」
「……」
兵士は恐る恐る手を伸ばした。
指先に小さな炎が灯る。
所長は煙草をその炎へ近づけた。
煙草の先が赤く染まる。
「おお」
所長の目が輝いた。
「便利だな」
「……ありがとうございます?」
「それどうやるんだ?」
「え?」
「今の魔法」
「……」
兵士が固まる。
所長は一歩近づいた。
「教えろ」
「い、今ですか?」
「ああ」
「あなたは現在、我々に包囲されている状況なのですが……」
「だから何だ?」
「いや……」
所長は兵士の手を見る。
「指先に火を出すだけだろ?」
「簡単に言えばそうですが」
「俺にもできるか?」
「魔力の扱いを覚えれば――」
「どうやる?」
「まず魔力を――」
「もっと簡単に」
「……」
兵士は困り果てた。
「訓練が必要です」
「どれくらい?」
「人によります」
「面倒だな」
「そうですね」
「じゃあやめた」
「……」
兵士は心底ほっとした。
その直後。
「ところで、酒瓶に火をつける時も同じようにできるのか?」
「できます」
「便利だな」
所長は感心した。
周囲の兵士たちは、もはや銃を向けたまま呆然としている。
指名手配犯。
元人間軍人。
魔族の捕虜を爆弾にした男。
その男が。
魔族軍の司令部正門で。
魔法の使い方を聞いている。
緊迫感が完全に消えていた。
「……何をしている!」
突然。
司令部の奥から怒鳴り声が響いた。
兵士たちが一斉に振り返る。
「司令官!」
現れたのは、軍服を着た大柄な魔族だった。
その後ろには数名の副官。
司令官は所長を見るなり、目を見開いた。
「……本当に来たのか」
「よお」
「なぜここにいる!」
「話がある」
「ここでか!」
「別にいいぞ」
所長は周囲を見渡す。
「こいつらが銃を向けてくるだけで、俺は気にしねえ」
「私は気にする!」
司令官は頭を抱えた。
「とにかく、別室へ連れていけ!」
兵士たちが恐る恐る近づく。
「武器は?」
「持ってねえよ」
「本当に?」
「今はな」
「今は、とはどういう意味だ!」
「後で昔馴染みが届けてくれる」
「余計なことを言うな!」
司令官が怒鳴った。
所長は笑う。
「冗談だ」
「お前の冗談は笑えん!」
結局。
所長は両手に手錠をかけられた。
ただし。
「これ、外せねえのか?」
「外すつもりはない」
「窮屈だな」
「文句を言うな」
司令官自らが見張る中。
所長は司令部の奥にある会議室へ連れていかれた。
*
重い扉が閉じる。
部屋には司令官。
副官が二人。
そして所長。
所長は椅子に座る。
手錠を机の上に置いた。
「さて」
司令官が向かいに座る。
「まず確認したい」
「ああ」
「なぜここへ来た?」
「カルテルについて聞きたい」
「……」
司令官の表情が険しくなる。
「カルテルの何を?」
「この辺りに連中がいるだろ」
「知らん」
「そうか?」
「知らん」
「土地を貸してる軍人がいる」
司令官の目が細くなる。
「……誰から聞いた?」
「情報屋」
「それだけか?」
「まあな」
「嘘だな」
「そうか?」
所長は煙草を取り出した。
だが。
「火は?」
司令官が無言で指先に小さな炎を灯した。
所長が煙草を近づける。
「便利だな」
「話を逸らすな」
「逸らしてねえよ」
煙を吐く。
「カルテルの連中は、この辺りに土地を持ってる」
「正確には、軍の管理下にある土地を不正に使用している連中がいる」
「同じようなもんだ」
「違う」
「まあいい」
所長は椅子に深く座る。
「そこに、俺を恨んでる魔族がいるらしい」
「……」
「昔、俺が魔族の捕虜を使って基地を吹き飛ばした件だ」
副官の一人が露骨に顔をしかめた。
司令官も黙り込む。
「その件まで知っているのか」
「ああ」
「なら分かっているだろう」
「何を?」
「その事件を理由に、お前を殺したいと思っている魔族は少なくない」
「だろうな」
所長は平然としていた。
「だから聞きに来た」
「何をだ」
「そいつらがどこにいるのか」
「……」
「誰が土地を貸しているのか」
「……」
「そして」
所長は煙草の灰を落とす。
「カルテルが何を企んでいるのか」
司令官はしばらく黙っていた。
やがて。
「お前は何をするつもりだ?」
「まだ決めてねえ」
「決めていない?」
「ああ」
「ならなぜ来た」
所長はニヤリと笑った。
「話を聞いてから決める」
「……」
「俺だって、いきなり暴れるほど馬鹿じゃねえ」
司令官と副官たちは。
同時に思った。
――いや。
十分に馬鹿だ。
しかし。
司令官はようやく口を開いた。
「……分かった」
「お?」
「こちらが知っている範囲で話そう」
「助かる」
「ただし条件がある」
「何だ?」
「この施設内では絶対に暴れるな」
所長は少し考え。
「分かった」
「本当だな?」
「ああ」
「約束できるか?」
「司令官が話してる間はな」
「……」
司令官は頭を抱えた。
「お前は本当に昔から変わらんな」
「俺のこと知ってるのか?」
「戦争中、お前の噂は嫌でも耳に入った」
「そうか」
「最悪の意味でな」
「褒め言葉か?」
「違う」
「そうか」
所長は笑った。
「じゃあ、話を聞こう」
こうして。
魔族軍司令部で。
かつて敵だった軍の司令官と。
かつて敵だった魔族を利用して基地を吹き飛ばした男による。
奇妙な情報交換が始まった。