アランスミシー探偵事務所の事件簿   作:山門門山

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case55 別れ

第六十三話 決断

 

 昔馴染みの家を出てから。

 

 所長は、車の助手席に座っていた。

 

 向かう先は、リリスの実家がある屋敷、その近くの酒場。

 

 運転する昔馴染みは、妙に口数が少ない所長をちらちらと見る。

 

「……なあ」

 

「なんだ?」

 

「お前、今日どうした?」

 

「何が?」

 

「いや」

 

 昔馴染みは少し考える。

 

「妙に静かだろ」

 

「そうか?」

 

「ああ」

 

「酒が残ってるんだ」

 

「……」

 

「頭が痛え」

 

「二日酔いか?」

 

「たぶんな」

 

「ふーん」

 

 昔馴染みは、それ以上聞かなかった。

 

 しばらくして。

 

 目的地に着く。

 

「この辺でいいか?」

 

「ああ」

 

 所長が車を降りる。

 

「助かった」

 

「帰りは?」

 

「適当にする」

 

「そうか」

 

 昔馴染みは所長を見る。

 

「……本当に大丈夫か?」

 

「何が?」

 

「いや」

 

 昔馴染みは首を振った。

 

「何でもない」

 

「じゃあな」

 

「ああ」

 

 車が走り去っていく。

 

 所長は、その後ろ姿をしばらく見送った。

 

「……」

 

 そして。

 

 酒場へ入った。

 

     *

 

「いらっしゃい」

 

 店員の声が聞こえる。

 

 所長はカウンター席に座った。

 

「酒」

 

「何にします?」

 

「一番強いやつ」

 

 店員は少し驚いた顔をしたが、酒を一杯出した。

 

 所長はグラスを前に置いたまま。

 

 すぐには飲まなかった。

 

「……」

 

 考えている。

 

 リリスのことを。

 

 拾った当初。

 

 あの頃のリリスには、行く場所がなかった。

 

 一人で生きていく力もなかった。

 

 だから所長が拾った。

 

 助手にした。

 

 仕事を教えた。

 

 危険な場所にも連れていった。

 

 いつの間にか。

 

 リリスが自分の隣にいることが、当たり前になっていた。

 

 だが。

 

 今は違う。

 

 リリスは優秀だ。

 

 頭の回転も速い。

 

 知識も豊富だ。

 

 仕事だって、所長がいなくても十分にこなせる。

 

 そして何より。

 

「……」

 

 所長は自分の手を見る。

 

「俺なら」

 

 銃弾が当たっても、そう簡単には死なない。

 

 オーガの身体。

 

 分厚い筋肉。

 

 頑丈な骨。

 

 多少の銃撃なら耐えられる。

 

 だが。

 

 リリスは違う。

 

 弾が当たれば死ぬ。

 

 爆発に巻き込まれれば死ぬ。

 

 魔導鎧に襲われれば、まともに戦えるはずもない。

 

 今回のような戦場に。

 

 リリスがいたら。

 

「……死んでたかもしれねえな」

 

 その言葉が。

 

 胸に重く落ちた。

 

「……」

 

 所長は目を伏せる。

 

「もう、俺が守らなきゃ生きていけない女じゃねぇな」

 

 そうだった。

 

 昔とは違う。

 

 今のリリスなら。

 

 自分がいなくても生きていける。

 

 仕事もできる。

 

 知識もある。

 

 人との繋がりだってある。

 

「……」

 

 所長は苦笑する。

 

「いつまで執着してんだ、俺は」

 

 自分でも。

 

 少し女々しいと思った。

 

 リリスが自分の隣にいることを。

 

 当たり前だと思いすぎていた。

 

 だから。

 

 ここで切る。

 

「……」

 

 所長はグラスを持ち上げる。

 

 そして。

 

 一気に飲み干した。

 

「……っ」

 

 喉が焼ける。

 

 胃が熱くなる。

 

 頭が少しだけ軽くなる。

 

 ほんの少し。

 

 勇気が出た。

 

 所長は懐から通信機を取り出した。

 

 番号を入力する。

 

 呼び出し音。

 

 一回。

 

 二回。

 

 三回。

 

 やがて。

 

『……所長?』

 

 リリスの声。

 

 だが。

 

 少し怒っている。

 

『やっと連絡しましたね』

 

「……ああ」

 

『何日連絡がなかったと思っているんですか?』

 

「……」

 

『爆発の音がしたという話も聞きました』

 

『銃撃があったという話も』

 

『軍の施設で何かあったとも聞いています』

 

『何度も連絡しました』

 

『何度電話しても出ないから――』

 

「リリス」

 

『はい?』

 

「お前、首だ」

 

『…………え?』

 

「今日付けでな」

 

『ちょっと待ってください』

 

「もう決めた」

 

『所長、何を言って――』

 

「今回の件で分かった」

 

 所長の声が冷たくなる。

 

「俺の助手はもう不要だ」

 

『……』

 

「それだけだ」

 

『でも――』

 

 所長はそこで通信を切った。

 

「…………」

 

 しばらく。

 

 通信機を握ったまま動かなかった。

 

 やがて。

 

「……これでいい」

 

 小さく呟く。

 

 そして店員を見る。

 

「一番強い酒」

 

「はい?」

 

「ボトルでくれ」

 

「……ボトルですか?」

 

「ああ」

 

 出された酒瓶を。

 

 所長はそのまま持ち上げた。

 

 そして。

 

 ラッパ飲みする。

 

 ごく。

 

 ごく。

 

 ごく。

 

 一気に喉へ流し込む。

 

 ボトルを机へ置く。

 

「……」

 

 何も言わない。

 

 ただ。

 

 しばらく俯いていた。

 

     *

 

 夜。

 

 所長は酒場を出た。

 

 自分で運転する気にはならなかった。

 

「タクシー」

 

 通りを走っていた車を止める。

 

「どちらまで?」

 

「アルヴェリア王国まで」

 

「……え?」

 

 運転手が振り返る。

 

「国境を越えるんですか?」

 

「ああ」

 

「お客さん……かなり距離がありますけど」

 

「構わん」

 

「それから?」

 

「王国に入ったら、事務所まで」

 

「事務所……?」

 

「ああ」

 

 運転手は少し困惑した顔をする。

 

「かなりの距離になりますよ」

 

「金ならある」

 

「そういう問題じゃ……」

 

「いいから走れ」

 

「はい……」

 

 タクシーが走り出す。

 

     *

 

 国境。

 

 魔族側の検問所。

 

 タクシーが止まる。

 

 兵士が車内を確認する。

 

 所長の顔を見た瞬間。

 

「ああ」

 

 兵士は頷いた。

 

「司令から事前に連絡を受けています」

 

「そうか」

 

「では、通ってください」

 

「ああ」

 

 タクシーが国境を抜ける。

 

 アルヴェリア王国へ。

 

 運転手が恐る恐る尋ねる。

 

「本当に、ここから王国の事務所までですか?」

 

「ああ」

 

「……随分遠いですね」

 

「だから何だ?」

 

「いえ……」

 

 運転手は肩をすくめた。

 

「分かりました」

 

 そのまま。

 

 長い道のりを走る。

 

 やがて。

 

 所長の探偵事務所が見えてきた。

 

「ここですか?」

 

「ああ」

 

 タクシーが止まる。

 

 運転手が料金を確認する。

 

「ええと……かなりの距離でしたので――」

 

 所長は財布を取り出した。

 

 そして。

 

 運転手へ大量の金を渡す。

 

「これで足りるだろ」

 

「……え?」

 

 運転手が目を丸くする。

 

「いや、こんなには――」

 

「余ったら酒でも飲め」

 

「いやいや、これは多すぎますよ!」

 

「いい」

 

 所長はドアを開ける。

 

「釣りはいらねえ」

 

「……ありがとうございます」

 

 所長はそれ以上何も言わず。

 

 事務所へ向かって歩き出した。

 

 その背中は。

 

 いつものように大きかった。

 

 だが。

 

 いつもより少しだけ。

 

 寂しそうだった。

 

 タクシーが走り去る。

 

 所長は一人。

 

 事務所の前で立ち止まる。

 

「……」

 

 煙草を取り出す。

 

 火をつける。

 

 煙を吐く。

 

「……俺の助手は、もう不要だ」

 

 自分に言い聞かせるように。

 

 もう一度。

 

 そう呟いた。

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