アランスミシー探偵事務所の事件簿   作:山門門山

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case56 my sweet Home

第六十四話 空っぽの事務所

 

 久しぶりに。

 

 所長は探偵事務所へ戻ってきた。

 

「……」

 

 扉を開ける。

 

 誰もいない。

 

 いつもなら。

 

『お帰りなさい、所長』

 

 そう言って出迎える声がある。

 

 だが。

 

 今日はない。

 

 所長は何も言わず、机へ向かった。

 

 椅子に座る。

 

 そして。

 

 酒瓶を取り出した。

 

 栓を抜く。

 

 グラスには注がない。

 

 そのまま飲む。

 

 ごく。

 

 ごく。

 

 ごく。

 

「……」

 

 また一本。

 

 そして、また一本。

 

 リリスのことを考えないために。

 

 何も考えないために。

 

 ただ酒を飲む。

 

 煙草にも火をつける。

 

 吸い終わる。

 

 また一本。

 

 酒を飲む。

 

 それを繰り返した。

 

 やがて。

 

「……」

 

 意識が途切れた。

 

     *

 

「……頭いてぇ」

 

 朝。

 

 所長は机に突っ伏したまま目を覚ました。

 

 頭が割れるように痛い。

 

「……」

 

 顔を上げる。

 

 視界に入ったのは。

 

 散らかった机。

 

 空になった酒瓶。

 

 灰皿。

 

 そして。

 

 誰もいない事務所。

 

「……」

 

 所長は無意識に口を開いた。

 

「リリス……」

 

 コーヒー。

 

 そう言おうとした。

 

 だが。

 

「……」

 

 そこで止まる。

 

 思い出す。

 

 昨日。

 

 自分で首にした。

 

「……そうだったな」

 

 所長は椅子に深く座り直した。

 

 しばらく天井を見る。

 

 そして。

 

「……飯でも食うか」

 

 誰も答えない。

 

     *

 

 それから。

 

 二日ほど。

 

 所長は似たような生活を続けた。

 

 適当に飯を食う。

 

 酒を飲む。

 

 煙草を吸う。

 

 寝る。

 

 起きる。

 

 また酒を飲む。

 

 仕事はしない。

 

 依頼も受けない。

 

 事務所の表には。

 

 ずっと。

 

 『CLOSE』

 

 の看板が掛けられたままだった。

 

 かつては。

 

 リリスが毎朝掃除していた床には、細かな灰が落ちている。

 

 机の上には書類が積み上がる。

 

 そして。

 

 床には空になった酒瓶が転がっていた。

 

 灰皿には。

 

 吸い殻が山のように積まれている。

 

 いつもの事務所とは。

 

 まるで別の場所だった。

 

     *

 

 三日目の朝。

 

「所長ォォォォッ!!」

 

 扉が勢いよく開いた。

 

「……」

 

 所長は机に突っ伏したまま。

 

「うるせぇ……」

 

 入ってきたのは。

 

 女刑事だった。

 

 いつものように遠慮など一切ない。

 

 ずかずかと事務所へ入り込む。

 

「魔族の国で何やらかした!?」

 

「……」

 

「爆発だの銃撃だの、こっちまで話が飛んできてんぞ!」

 

「……机」

 

「は?」

 

「そこにある」

 

 女刑事が机を見る。

 

「これか!?」

 

 積まれた書類をひっつかむ。

 

「ああ」

 

「……」

 

 女刑事が書類をめくる。

 

 だが。

 

 その途中で。

 

「……なんだよ、これ」

 

 彼女は周囲を見回した。

 

 床には酒瓶。

 

 机の上には書類の山。

 

 灰皿には、こんもりと積み上がった煙草の吸い殻。

 

 そして。

 

 いつもなら綺麗に整理されているはずの事務所は。

 

 見る影もなかった。

 

「……おい」

 

 女刑事が眉をひそめる。

 

「ここ、どうした?」

 

「何が?」

 

「何がじゃねぇよ」

 

 女刑事は酒瓶を指差す。

 

「酒だらけじゃねぇか」

 

「飲んだ」

 

「見りゃ分かる」

 

 続いて灰皿を見る。

 

「煙草も吸いすぎだろ」

 

「そうか?」

 

「そうだよ」

 

 そして。

 

 女刑事はようやく気付く。

 

「……リリスは?」

 

「いない」

 

「どこ行った?」

 

「首にした」

 

「……は?」

 

「使えねえからな」

 

「リリスが?」

 

「ああ」

 

 女刑事は所長の顔を見る。

 

「……お前、何言ってんだ?」

 

「そのままだ」

 

「リリスが使えねえ?」

 

「ああ」

 

「今までお前の仕事、ほとんどあいつが回してたじゃねえか」

 

「もう必要ねえ」

 

「……」

 

 女刑事はしばらく黙った。

 

 そして。

 

「お前、何かあっただろ」

 

「何もねえ」

 

「嘘つけ」

 

「嘘じゃねえ」

 

「じゃあ何でこんな有様なんだよ」

 

「酒がうまいからだ」

 

「意味分かんねえよ」

 

 所長は面倒そうに書類をまとめる。

 

「ほら」

 

 女刑事へ放り投げる。

 

「報告書だ」

 

「……」

 

「それと」

 

 別の書類も投げる。

 

「情報料もいらねえ」

 

「は?」

 

「今回はな」

 

「お前、何企んでる?」

 

「何も」

 

「怪しいな……」

 

「勝手にしろ」

 

 女刑事は書類を抱える。

 

「……これ、本当に全部報告書なんだろうな?」

 

「ああ」

 

「魔族の国で何やらかしたかも、これ読めば分かるのか?」

 

「だいたいな」

 

「だいたいかよ」

 

「細かいことは忘れた」

 

「お前な……」

 

 女刑事は深いため息をついた。

 

 所長は椅子に深く座る。

 

「人と会う気分じゃねえ」

 

「……」

 

「さっさと出てけ」

 

「所長」

 

「帰れ」

 

「おい」

 

「出てけって言ってんだ」

 

 女刑事はしばらく所長を見る。

 

 何か言いたそうだった。

 

 だが。

 

 結局、口を閉じた。

 

「……分かったよ」

 

 扉へ向かう。

 

 そして。

 

 一度だけ振り返った。

 

「報告書、確かに受け取ったからな」

 

「ああ」

 

「あと――」

 

 女刑事は少しだけ目を細める。

 

「リリスに何したかは知らねえけどよ」

 

「……」

 

「後で泣きついても知らねえぞ」

 

「……余計なこと言うな」

 

「へいへい」

 

 女刑事は扉を開ける。

 

「じゃあな」

 

 扉が閉まる。

 

「……」

 

 再び。

 

 事務所に静寂が戻る。

 

 所長は机の端に置かれた酒瓶を手に取る。

 

 栓を抜く。

 

「……」

 

 グラスには注がない。

 

 そのまま飲む。

 

 外では。

 

 『CLOSE』

 

 の看板が。

 

 今日も掛かったままだった。

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