アランスミシー探偵事務所の事件簿   作:山門門山

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case7 酔っ払いと売人

小話 酔っ払いと売人

 

 所長は、すでに完全に出来上がっていた。

 

「おい店員!」

 

「はい……」

 

「この店で一番強い酒を持ってこい!」

 

「もう十分飲んでますよね?」

 

「十分だから飲むんだ!」

 

「理屈になってませんよ」

 

 店員が困った顔でグラスを拭いている。

 

 その横で、女刑事は完全に呆れていた。

 

「……本当にこいつ、これで仕事になるのか?」

 

「いつも通りです」

 

 リリスは淡々と答える。

 

「これが?」

 

「多少、いつもより酷いですが」

 

「多少?」

 

 女刑事が所長を見る。

 

 巨大なオーガがカウンターに肘をつき、酒を浴びるように飲んでいる。

 

 笑い声は大きい。

 

 声も大きい。

 

 身振りも大きい。

 

 そして何より、先ほどから店員に絡み続けている。

 

「お前、名前なんていうんだ?」

 

「……トーマスです」

 

「トーマス!」

 

「はい」

 

「いい名前だな!」

 

「ありがとうございます」

 

「俺の名前は――」

 

 所長が胸を張る。

 

「所長だ!」

 

「……」

 

「覚えたか?」

 

「はい」

 

「よし!」

 

 所長は満足そうに頷いた。

 

 女刑事が頭を抱える。

 

「名前じゃねえだろ、それ」

 

「名前みたいなもんだ」

 

「どこがだ」

 

「所長は所長です」

 

 リリスが淡々と補足する。

 

「そういう問題じゃない」

 

 女刑事はため息をついた。

 

 その間にも、所長は酒を飲み続けている。

 

 やがて、懐へ手を入れた。

 

「……」

 

 リリスが目を細める。

 

「所長」

 

「ん?」

 

「何をしているんです?」

 

「酒を飲む準備だ」

 

「その袋は?」

 

「……」

 

 所長がニヤリと笑う。

 

「企業秘密だ」

 

「それ、私のポケットから盗ったでしょう」

 

「違う」

 

「ではどこから?」

 

「俺のポケットだ」

 

「ついさっきまで私のポケットに入っていました」

 

「細かいことは気にするな」

 

「返してください」

 

「嫌だ」

 

 所長は袋を握ったまま、カウンターへ向き直る。

 

「おい、トーマス!」

 

「はい?」

 

「これ、ここで使っていいか?」

 

「駄目です!」

 

「そうか!」

 

 所長は笑う。

 

「じゃあ隠れてやる!」

 

「だから駄目だって言ってるでしょう!」

 

 リリスが止めるより早かった。

 

 所長は袋の中身を使った。

 

「……」

 

 女刑事が固まる。

 

「……お前、本当に……」

 

 所長は満足そうに鼻を擦った。

 

「やっぱり上物だな!」

 

「張り込み中だぞ!」

 

「知ってる!」

 

「だったら何で!」

 

「気分がいいからだ!」

 

「理由になってねえ!」

 

 所長は大声で笑う。

 

「ははははは!」

 

 酒場中の客が振り返る。

 

 所長は気にしない。

 

 むしろ、客に向かって手を振った。

 

「飲め飲め!」

 

「お前の金じゃねえだろ!」

 

「細けえこと言うな!」

 

 女刑事が頭を抱える。

 

 リリスはそんな所長を見て、ため息をついた。

 

「……もう、完全に酔っていますね」

 

「薬の方もだろ」

 

「おそらく」

 

 所長はカウンターへ突っ伏しかける。

 

 だが、何とか持ち直した。

 

「まだだ……」

 

「何がです?」

 

「まだ俺は……」

 

 所長が拳を握る。

 

「全然飲めるぞ……!」

 

「なら、もう飲まないでください」

 

「なんでだ!」

 

「見苦しいからです」

 

「リリス、お前は冷たいなあ!」

 

 所長は笑いながらリリスの肩を叩こうとする。

 

 リリスは一歩避けた。

 

「触らないでください」

 

「避けたな!」

 

「当然です」

 

「ひでえ!」

 

 所長は大笑いする。

 

 そのままカウンターに置かれた酒を手に取った。

 

 一口。

 

 二口。

 

 そして――。

 

「……」

 

 所長の動きが止まった。

 

「所長?」

 

 リリスが声をかける。

 

 所長はじっと酒を見つめている。

 

「……酒って」

 

「はい?」

 

「こんなに美味かったか?」

 

「知りません」

 

「そうか……」

 

 所長は感動したように頷いた。

 

「いいな……酒……」

 

 そして、そのままカウンターに突っ伏した。

 

「……」

 

「……」

 

 女刑事が所長を見る。

 

「寝た?」

 

 リリスが覗き込む。

 

「寝ましたね」

 

「完全に?」

 

「はい」

 

「よし」

 

 リリスは即座に表情を切り替えた。

 

 先ほどまで所長に付き合っていた女の顔ではない。

 

 冷静な秘書の顔だった。

 

「では、続きをしましょう」

 

「お前、切り替え早いな……」

 

「仕事ですから」

 

 リリスはカウンターへ向かった。

 

「トーマスさん」

 

「はい」

 

「先ほどの話ですが」

 

 店員が少し緊張した様子でリリスを見る。

 

「薬のことですか?」

 

「はい」

 

「……」

 

「私の連れが欲しがっている、あの薬」

 

 リリスは所長を指差した。

 

 カウンターに突っ伏して寝ている巨大なオーガ。

 

「……あれです」

 

「……本当に欲しがってるんですか?」

 

「ええ」

 

 リリスは即答した。

 

 もちろん、これも半分は嘘だ。

 

「ただ、私自身は詳しくありません」

 

「そうでしょうね」

 

「だから、詳しい人を知っているなら教えていただきたいんです」

 

 店員は黙った。

 

 リリスは急かさない。

 

 ただ静かに待つ。

 

 やがて店員が小声で言った。

 

「……あの男なら」

 

「灰色の帽子の?」

 

「はい」

 

「やはり」

 

 リリスは店の奥を見る。

 

 男はまだ席に座っていた。

 

 こちらを気にしている様子はない。

 

「彼が売人ですか?」

 

「……俺からは何とも」

 

「では、何をしている人なんです?」

 

「時々、客を連れてくるんです」

 

「客?」

 

「薬を欲しがる客を」

 

 リリスは頷く。

 

「では、あの人に私の連れが薬を欲しがっていると伝えてもらえませんか?」

 

「……」

 

「もちろん、あなたに迷惑をかけるつもりはありません」

 

 店員はしばらく迷った。

 

 そして、小さく頷いた。

 

「分かりました」

 

「ありがとうございます」

 

 店員はカウンターの下から先ほどの手紙を取り出した。

 

 開く。

 

 そこには短い文章が書かれていた。

 

 店員はそれを読み、裏返す。

 

「……今夜、ここへ来るそうです」

 

「その人が?」

 

「はい」

 

「売人本人ですか?」

 

「たぶん」

 

 リリスは紙を見る。

 

「何時です?」

 

「日が落ちてから」

 

「では、待ちましょう」

 

 リリスは席へ戻る。

 

 女刑事が尋ねた。

 

「どうだった?」

 

「今夜、売人が来ます」

 

「本当か?」

 

「はい」

 

「よくそこまで聞き出したな」

 

「簡単でした」

 

 リリスは所長を見る。

 

 カウンターに突っ伏して、巨大な身体を丸めている。

 

「所長があれだけ騒いでくれましたから」

 

「……」

 

「薬を欲しがる客がいると思わせるには、これ以上ない演技でした」

 

 女刑事は所長を見る。

 

「演技ねえ……」

 

「はい」

 

「本人は完全に素だと思うぞ」

 

「そうかもしれません」

 

 リリスは眼鏡を直した。

 

「ですが、結果としては十分です」

 

 その時。

 

 所長が寝言を呟いた。

 

「……酒……もう一杯……」

 

「まだ飲む気か、こいつ」

 

 女刑事が呆れる。

 

 リリスは所長のポケットを探り、先ほどの小袋を取り出した。

 

「これは私が預かります」

 

「それがいい」

 

「それと――」

 

 リリスは所長の顔を見た。

 

 鼻の周りには、まだ白い粉が少し残っている。

 

「顔も拭いておきましょう」

 

「そこまで面倒を見るのか?」

 

「放っておくと目立ちますから」

 

「……秘書って大変だな」

 

「ええ」

 

 リリスはハンカチで所長の顔を拭った。

 

 酒場の外では、夕暮れが近づいていた。

 

 そして今夜。

 

 この酒場に、本物の売人がやって来る。

 

 リリスはその時を静かに待つことにした。

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