アランスミシー探偵事務所の事件簿   作:山門門山

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case75 使いの者

第七十一話 迎えに来た男

 

 一週間後。

 

 アランスミシー探偵事務所。

 

 午後の事務所には、いつも通り煙草の煙が漂っていた。

 

 所長は机に足を乗せ、新聞を広げている。

 

 その横では、リリスが書類を整理していた。

 

 鬼嶺国から届いた巻物は、先日の一件以来、机の端に置かれたままだった。

 

「所長」

 

「ん?」

 

「鬼嶺国からの返事は、まだしないんですか?」

 

「しない」

 

「もう一週間経っています」

 

「だから何だ?」

 

「ご家族が心配するのでは?」

 

「知らん」

 

「婚約者の方も?」

 

「知らん」

 

「……」

 

 リリスは眼鏡を押し上げる。

 

「本当に行く気がないんですね」

 

「ああ」

 

「徹底していますね」

 

「面倒だからな」

 

 所長は新聞をめくる。

 

「わざわざ故郷まで帰って、昔の連中に囲まれて、説教されて、知らん女と顔合わせしてこいってんだろ?」

 

「そうですね」

 

「行く理由がない」

 

「私は少し行ってみたいですが」

 

「お前は他人事だからな」

 

「他人事ではありません」

 

「なんでだよ」

 

「所長の故郷ですから」

 

「……」

 

 所長は少しだけリリスを見る。

 

「変なところに興味持つな」

 

「面白そうじゃないですか」

 

「何が?」

 

「所長が育った国が」

 

「……」

 

 所長は何も答えなかった。

 

 その時だった。

 

 コンコン。

 

 事務所の扉が叩かれた。

 

「はい」

 

 リリスが立ち上がる。

 

 扉を開けた瞬間。

 

「……」

 

 リリスの動きが止まった。

 

 そこに立っていたのは、一人のオーガだった。

 

 大きい。

 

 所長ほどではない。

 

 しかし、人間の兵士なら見上げるほどの巨体。

 

 そして何より目を引くのが、その身体だった。

 

 顔。

 

 首。

 

 両腕。

 

 露出した部分には、無数の古傷が走っている。

 

 刃物によるもの。

 

 銃弾の痕。

 

 焼けたような傷。

 

 どれも古い。

 

 長い年月、戦場を生き抜いてきた人間――いや、オーガの身体だった。

 

 服装も質素だ。

 

 だが、立っているだけで周囲を威圧するような空気をまとっている。

 

 リリスは思わず半歩だけ後ろへ下がった。

 

「……何かご用でしょうか」

 

 オーガはリリスを見下ろす。

 

「ここがアランスミシー探偵事務所か」

 

「はい」

 

「若はいるか?」

 

「……若?」

 

 リリスが首を傾げる。

 

「ああ」

 

 オーガは事務所の奥を覗き込む。

 

「所長だ」

 

「……」

 

 リリスは振り返る。

 

 机の向こう。

 

 新聞を広げていた所長が、ようやく顔を上げた。

 

「……」

 

「……」

 

 二人のオーガの目が合う。

 

 長い沈黙。

 

 所長の顔から、僅かに血の気が引いた。

 

「……お前かよ」

 

 オーガは深く息を吐いた。

 

「若」

 

「その呼び方やめろ」

 

「若」

 

「やめろって言ってんだろ」

 

「若」

 

「三回言うな」

 

 リリスは二人を交互に見る。

 

「お知り合いですか?」

 

「知り合いも何もない」

 

 所長が嫌そうに答える。

 

「昔の家の人間だ」

 

「……なるほど」

 

 オーガはリリスへ頭を下げた。

 

「突然の訪問、申し訳ない」

 

「いえ」

 

「私は鬼嶺国より参った」

 

「そうでしたか」

 

「若を迎えに来た」

 

「……」

 

 所長が新聞を机へ放り投げる。

 

「帰れ」

 

「若」

 

「帰れ」

 

「話だけでも」

 

「帰れ」

 

「……頼む」

 

「嫌だ」

 

 即答だった。

 

 オーガはしばらく黙った。

 

 そして。

 

 ゆっくりと頭を下げた。

 

「頼むから、国に帰ってきてくれ」

 

「……」

 

 所長の眉が僅かに動いた。

 

「俺が帰らないと何か困るのか?」

 

「困る」

 

「何が?」

 

「親族一同が困っている」

 

「勝手に困らせておけ」

 

「ご当主もお待ちだ」

 

「親父が?」

 

「ああ」

 

「……」

 

 所長は煙草を咥えた。

 

「だから?」

 

「若に直接会って話したいと」

 

「面倒だ」

 

「婚約の件もある」

 

「もっと面倒だ」

 

 オーガは頭を下げたまま言った。

 

「どうか」

 

「……」

 

「一度だけでもいい」

 

「嫌だ」

 

「若」

 

「しつこいぞ」

 

「頼む」

 

「……」

 

 所長は深くため息をついた。

 

 その様子を見ていたリリスが口を開く。

 

「……所長」

 

「なんだ」

 

「ここまで頼まれているのですから」

 

「お前まで言うのか?」

 

「せっかくですし」

 

 リリスは少しだけ笑った。

 

「鬼嶺国へ行ってみたいです」

 

「……」

 

 所長がリリスを見る。

 

「お前、本気か?」

 

「はい」

 

「俺の故郷だぞ?」

 

「だからです」

 

「面白くないぞ」

 

「行ってみなければ分かりません」

 

「飯も酒もまずいぞ」

 

「先ほどから酒の話ばかりですね」

 

「重要だからな」

 

「では、私が味を確認します」

 

「……」

 

 所長は頭を抱えた。

 

「お前なぁ……」

 

 そして。

 

 迎えに来たオーガを見る。

 

 オーガは深々と頭を下げたままだ。

 

「……」

 

「若」

 

「分かった」

 

 オーガが顔を上げる。

 

「本当か?」

 

「一回だけだ」

 

「ありがとうございます!」

 

「ただし」

 

 所長は指を立てる。

 

「面倒なことになったらすぐ帰る」

 

「承知した」

 

「親族の説教も短くしろ」

 

「努力する」

 

「婚約者との顔合わせも最低限だ」

 

「それは……」

 

「なんだ?」

 

「皆、楽しみにしています」

 

「……」

 

 所長の顔が露骨に嫌そうになる。

 

「最悪だ」

 

 リリスが小さく笑った。

 

「楽しみですね」

 

「お前だけだろ」

 

「はい」

 

「……」

 

 所長は煙草に火をつける。

 

 深く吸い込み。

 

 ゆっくりと煙を吐き出した。

 

「分かったよ」

 

 そして。

 

「鬼嶺国に行く」

 

「ありがとうございます!」

 

 オーガは深々と頭を下げた。

 

 リリスは嬉しそうに巻物を手に取る。

 

「では、準備を――」

 

「待て」

 

「はい?」

 

「俺は今、死ぬほど後悔してる」

 

「まだ行っていませんよ」

 

「行くって言った時点で後悔した」

 

「そうですか」

 

「……」

 

 所長は新聞を拾い上げた。

 

「まあいい」

 

「はい」

 

「せっかく帰るなら――」

 

 所長は少しだけ笑った。

 

「酒くらいは飲ませてもらうぞ」

 

 リリスは微笑む。

 

「それなら、私も楽しみです」

 

「お前まで酒飲む気か?」

 

「鬼嶺国の酒を確認します」

 

「……」

 

 所長は呆れたように煙草を吹かした。

 

「やっぱり連れていくんじゃなかったな」

 

「もう遅いですよ」

 

 リリスの返事に。

 

 所長は、ほんの少しだけ笑った。

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