アランスミシー探偵事務所の事件簿   作:山門門山

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case78 近況報告

第七十四話 鬼嶺家の次男

 

 客間。

 

 襖の向こうから、相変わらず騒がしい音が響いていた。

 

 ドンッ!!

 

「クソジジイ!!」

 

「国綱ァ!!」

 

 また何かが倒れたらしい。

 

 ガシャーン、と派手な音が続く。

 

 それでも。

 

 客間にいる千代は、まるで気にしていなかった。

 

 静かに急須を傾け、リリスの湯呑みにお茶を注ぐ。

 

「どうぞ」

 

「ありがとうございます」

 

 リリスも両手で湯呑みを受け取る。

 

 外からはまだ、宗綱と所長の怒鳴り声が聞こえていた。

 

「貴様、昔からそういうところが――!」

 

「うるせえ!!」

 

「少しは人の話を――!」

 

「聞きたくねえ!!」

 

「……」

 

 リリスは襖を見る。

 

「……止めなくて大丈夫なんでしょうか」

 

「大丈夫よ」

 

 千代は即答した。

 

「本当に?」

 

「ええ」

 

 千代は微笑む。

 

「あの二人は、あれで大丈夫なの」

 

「……」

 

 リリスはどうしても納得しきれない。

 

 だが、千代があまりにも平然としているので、それ以上は言わなかった。

 

「それより」

 

 千代がリリスを見る。

 

「国綱のことを、もう少し聞かせてくれないかしら」

 

「所長のことですか?」

 

「ええ」

 

 千代は穏やかに微笑んだ。

 

「私たちは、あの子が軍を辞めてからどうしていたのか、何も知らないの」

 

「……」

 

「手紙もほとんど寄越さなかったし」

 

「そうですね……」

 

 リリスは少し考える。

 

「今は、探偵事務所をやっています」

 

「探偵?」

 

「はい」

 

「どんな仕事なの?」

 

「普通の探偵とは少し違います」

 

「というと?」

 

 リリスは苦笑した。

 

「荒事専門です」

 

「……荒事」

 

「護衛や捜索、それから揉め事の処理などです」

 

「なるほど」

 

 千代は頷いた。

 

「国綱らしいわね」

 

「はい」

 

 リリスも否定できなかった。

 

「銃も持ち歩いていますし、仕事によってはかなり危険な場所へ行きます」

 

「銃を?」

 

「はい」

 

 千代の表情が少し曇る。

 

「怪我は?」

 

「よくします」

 

「……」

 

「ただ、所長はかなり頑丈なので」

 

「そうでしょうね」

 

 千代が苦笑する。

 

「昔から、怪我をしても平気な顔をしていましたから」

 

「今でも同じです」

 

「そう」

 

 千代は少し安心したように笑った。

 

「それで、生活はどうなの?」

 

「生活……ですか?」

 

「ええ」

 

 千代は少し首を傾げる。

 

「ちゃんと食べている?」

 

「……」

 

 リリスは少し黙った。

 

「一応」

 

「一応?」

 

「お酒が多いです」

 

「あら」

 

「煙草もかなり吸います」

 

「……」

 

 千代が目を細める。

 

「昔から?」

 

「昔からだと思います」

 

 リリスは考えながら続ける。

 

「ただ、最近は特にひどくて」

 

「何かあったの?」

 

「……」

 

 リリスは一瞬、言葉に詰まった。

 

「色々ありまして」

 

 その時。

 

 ドンッ!!

 

「だからお前は昔から――!」

 

「うるせえ!!」

 

 再び怒鳴り声。

 

 リリスが思わず肩を揺らす。

 

 千代は小さく息を吐いた。

 

「本当に、何歳になっても変わらないわね」

 

「……そうですね」

 

 リリスは小さく笑った。

 

「でも」

 

 千代がリリスを見る。

 

「国綱は、あなたにはかなり助けられているのでしょう?」

 

「……はい」

 

 リリスは少しだけ目を伏せる。

 

「私も、所長に拾ってもらいましたから」

 

「そう」

 

「だから、今度は私が所長を支えたいと思っています」

 

 千代はしばらくリリスを見つめていた。

 

 そして。

 

「ありがとう」

 

「……?」

 

「あの子のそばにいてくれて」

 

「いえ」

 

 リリスは首を振る。

 

「私の方こそ、所長にはたくさん助けてもらいましたから」

 

 その時。

 

 スッ……。

 

 襖が静かに開いた。

 

「母さん」

 

 二人が振り向く。

 

 そこに立っていたのは、一人の若いオーガだった。

 

 所長と同じく大柄。

 

 顔立ちにも、どこか所長と似たところがある。

 

 鋭さのある目。

 

 しっかりした鼻筋。

 

 整った輪郭。

 

 だが。

 

 所長とはまるで雰囲気が違った。

 

 服装はきちんとしている。

 

 髪も整えられている。

 

 立ち姿にも無駄がなく、育ちの良さが一目で分かる。

 

 そして何より。

 

 千代によく似た柔らかな顔立ちと、爽やかな笑顔。

 

「信綱」

 

 千代が声をかける。

 

「どうしたの?」

 

「母さん」

 

 信綱は少し困ったように笑った。

 

「あの二人、なんとかならない?」

 

 廊下の方へ目を向ける。

 

「さっきからずっとやってるけど」

 

「そのうち疲れるわ」

 

「そうかな……」

 

 信綱は襖の向こうから聞こえる怒鳴り声に耳を澄ませる。

 

「クソジジイ!!」

 

「国綱ァ!!」

 

「……」

 

 信綱は苦笑した。

 

「兄さん、帰ってきて早々これか」

 

 そして改めて、客間へ目を向ける。

 

 そこで初めてリリスの存在に気づいた。

 

「……あれ?」

 

 爽やかな笑顔が少しだけ驚きに変わる。

 

「母さん、この人は?」

 

「あら」

 

 千代がリリスを見る。

 

「そういえば、まだ紹介していなかったわね」

 

「はい」

 

 信綱が軽く頭を下げる。

 

 リリスも慌てて立ち上がった。

 

「初めまして」

 

「初めまして」

 

 信綱は穏やかに微笑む。

 

「僕は信綱。国綱の弟です」

 

「リリスです」

 

「兄がお世話になっています」

 

「いえ、こちらこそ」

 

 リリスは信綱を改めて見る。

 

 確かに所長と似ている。

 

 目元や骨格には兄弟らしさがある。

 

 けれど。

 

 兄とは正反対と言っていいほど、清潔感があり、穏やかで、爽やかだった。

 

「……」

 

 リリスは思わず思う。

 

 ――本当に兄弟なんですね。

 

 信綱はそんなリリスの視線に気づいたのか、少し苦笑した。

 

「よく言われます」

 

「え?」

 

「兄さんとは似ているけど、全然違うって」

 

「あ……」

 

 リリスが少し困ったように笑う。

 

「すみません」

 

「いえ」

 

 信綱は笑った。

 

「僕もそう思いますから」

 

 その時。

 

「国綱ァァ!!」

 

「クソジジイィィ!!」

 

 ドォン!!

 

 また屋敷が揺れた。

 

 信綱は天井を見上げる。

 

「……」

 

「……」

 

「……兄さんたち、本当に止めなくていいの?」

 

 信綱が千代へ尋ねる。

 

「いいのよ」

 

「でも家が壊れるよ?」

 

「壊れたら直せばいいでしょう」

 

「そういう問題かな……」

 

 信綱は苦笑する。

 

 そしてリリスを見る。

 

「すみません。いつもこんな家じゃないんですよ」

 

「……」

 

 リリスは少し考える。

 

「今日だけでは?」

 

「たぶん」

 

「ですよね」

 

「まあ、兄さんが帰ってきたから」

 

 信綱は楽しそうに笑った。

 

「これくらいは仕方ないかな」

 

 リリスも小さく笑った。

 

 その頃。

 

 玄関では。

 

「クソジジイ!!」

 

「国綱!!」

 

「まだ殴るか!!」

 

「貴様が先に殴ったんじゃ!!」

 

「最初に殴ったのは親父だろ!!」

 

「親に口答えするな!!」

 

「知るか!!」

 

 再び、鈍い衝撃音。

 

 信綱は頭を抱えた。

 

「……やっぱり、止めた方がいいかな」

 

 千代はお茶を飲みながら、穏やかに答える。

 

「放っておきなさい」

 

「……分かった」

 

 鬼嶺家の次男、信綱。

 

 こうして。

 

 リリスと所長の家族との、もう一つの出会いが始まった。

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