アランスミシー探偵事務所の事件簿   作:山門門山

80 / 153
case79 親子喧嘩

第七十五話 久しぶりの実家

 

 鬼嶺家の屋敷。

 

 その玄関前では、いまだに親子喧嘩が続いていた。

 

「このクソジジイが!!」

 

「国綱ァ!!」

 

 ドォン!!

 

 所長と宗綱が、互いの胸倉を掴んだまま庭へ転がり出る。

 

 石畳が軋む。

 

 植木がなぎ倒される。

 

 庭に置かれていた石灯籠が、その勢いでぐらりと揺れた。

 

「貴様……!」

 

 宗綱が拳を振り上げる。

 

 所長はそれを避けた。

 

「いい加減にしろ!!」

 

「それはこっちの台詞じゃ!!」

 

 再び拳が飛ぶ。

 

 所長の頬を掠めた。

 

「……」

 

 所長の動きが止まった。

 

「……もういい」

 

「何?」

 

 所長がゆっくり振り返る。

 

 目に宿っていたのは、完全な怒りだった。

 

「本気で頭にきた」

 

「国綱、お前――」

 

 所長は横にあった石灯籠へ手を伸ばした。

 

 巨大な石灯籠。

 

 大人が数人がかりでも動かすのが難しいほどの重量だ。

 

 それを。

 

「……ふんッ!!」

 

 所長が持ち上げた。

 

「な――」

 

 宗綱の顔が引きつる。

 

「おい、国綱!」

 

 所長は答えない。

 

 そのまま。

 

「クソジジイ!!」

 

 ドゴォォン!!

 

 石灯籠が宗綱の頭部へ叩きつけられた。

 

 轟音。

 

 石灯籠が粉々に砕ける。

 

 周囲へ石片が飛び散った。

 

 宗綱の巨体が、ゆっくりと後ろへ倒れる。

 

 ドサッ。

 

「……」

 

 沈黙。

 

 所長は砕け散った石灯籠を見下ろした。

 

「……ざまあみろ」

 

 そして。

 

 何事もなかったかのように服についた埃を払った。

 

     *

 

「お父さん!?」

 

 客間まで聞こえた轟音に、千代が立ち上がる。

 

 信綱も慌てて襖へ駆け寄る。

 

「兄さん、まさか……」

 

 しかし。

 

 廊下の向こうから聞こえてきたのは。

 

 のっし、のっし。

 

 巨大な足音だった。

 

 壊れた玄関。

 

 荒れ果てた庭。

 

 散らばった石片。

 

 その中を。

 

 所長が何事もなかったかのように歩いてくる。

 

 服は汚れ。

 

 髪も乱れ。

 

 頬には殴られた跡。

 

 それでも本人は妙に堂々としていた。

 

 そして。

 

 なぜか手には酒瓶がある。

 

「……兄さん」

 

 信綱が呆然とする。

 

「どこから酒を?」

 

「炊事場」

 

「勝手に持ってきたの?」

 

「ああ」

 

 所長は当然のように答える。

 

「客に酒も出さねえ家なんざ知らねえ」

 

「自分の実家でしょう」

 

「だから勝手に取った」

 

「理屈になってないよ……」

 

 所長は気にしない。

 

 そのまま客間へ入り。

 

「おう」

 

 千代を見る。

 

「久しぶりだなお袋」

 

「……」

 

 千代はしばらく息子を見つめた。

 

「国綱」

 

「なんだ?」

 

「あなた」

 

 千代は庭の方を見る。

 

「お父さんをどうしたの?」

 

「気絶した」

 

「どうして?」

 

「殴った」

 

「何で?」

 

「腹が立った」

 

「……」

 

 千代は深いため息をついた。

 

 所長は空いている座布団へ。

 

 ドカッ!!

 

 と腰を下ろす。

 

 酒瓶の栓を抜く。

 

「ぷはっ」

 

 そのまま酒を飲み始めた。

 

「兄さん……」

 

 信綱が頭を抱える。

 

「何だよ」

 

「何だよじゃないよ」

 

「親父が先に殴った」

 

「だからって石灯籠で殴る?」

 

「殴った」

 

「数トンあるんだよ?」

 

「知るか」

 

「父さん、気絶してるんだけど」

 

「寝てるだけだ」

 

「それを世間では気絶っていうんだよ」

 

「細かいな」

 

 信綱はため息をついた。

 

 千代も静かに口を開く。

 

「国綱」

 

「ん?」

 

「あなた、昔から何も変わっていないのね」

 

「そうか?」

 

「ええ」

 

「ならいいだろ」

 

「よくありません」

 

「……」

 

 所長は酒を飲む。

 

「軍を辞めてから一体何をしていたの?」

 

「仕事」

 

「探偵事務所?」

 

「ああ」

 

「どうしてそんな仕事を?」

 

「儲かるから」

 

「それだけ?」

 

「それだけ」

 

「……」

 

 千代が困ったように眉を下げる。

 

「お父さんも、あなたが心配だったのよ」

 

「殴るほどか?」

 

「あなたが何年も帰ってこなかったからでしょう」

 

「だからって殴るな」

 

「あなたも殴り返さないの」

 

「無理だ」

 

「どうして?」

 

「ムカつくから」

 

「国綱……」

 

 所長は面倒そうに手を振った。

 

「もういいだろ、その話」

 

「よくないよ」

 

 信綱が口を挟む。

 

「兄さんは何年も連絡を寄越さなかったんだよ?」

 

「忙しかった」

 

「手紙くらい書けるでしょう」

 

「書くのが面倒だった」

 

「電話は?」

 

「もっと面倒」

 

「……」

 

 信綱は言葉を失った。

 

 千代はそんな二人を見て、少しだけ笑った。

 

「昔からそういうところだけは変わらないわね」

 

 所長は酒瓶を傾ける。

 

 そして。

 

 客間の隅にいるリリスを見る。

 

「なあ」

 

「はい?」

 

「言っただろ?」

 

「何をです?」

 

「嫌な実家だって」

 

「……」

 

 所長は親指で自分の実家を指す。

 

「どうだ?」

 

「どう、とは?」

 

「やっぱり嫌な実家だろ?」

 

 リリスは少し困った。

 

 千代と信綱を見る。

 

 そして、玄関の方を見る。

 

 そこには。

 

 頭を抱えて倒れている宗綱。

 

 粉々になった石灯籠。

 

 荒れ果てた庭。

 

 壊れた玄関。

 

「……」

 

 リリスは少し考えた。

 

「……否定はしません」

 

「だろ?」

 

 所長は満足そうに笑った。

 

「やっぱりな」

 

「ですが」

 

「ん?」

 

「所長も、その原因の一人ですよね」

 

「……」

 

 所長は黙った。

 

 信綱が吹き出す。

 

「ははっ」

 

「笑うな、信綱」

 

「だって兄さん、昔からそうだよ」

 

「うるせえ」

 

 所長は再び酒を飲む。

 

 そして。

 

「……なんだこれ」

 

「え?」

 

 酒瓶を眺める。

 

「薄い」

 

「え?」

 

「この酒」

 

 もう一口飲む。

 

「クソまずい」

 

 所長は露骨に顔をしかめた。

 

「なんだこれ。鬼嶺の酒ってこんな薄かったか?」

 

「それ、お父さんが大事にしていた酒だよ」

 

「だから?」

 

「……」

 

 信綱は遠い目をした。

 

「兄さん、本当に何も変わってないね」

 

「褒め言葉か?」

 

「全然違う」

 

「そうか」

 

 所長は酒瓶を置く。

 

 そして煙草を取り出した。

 

「火」

 

「ここで吸うの?」

 

「実家だぞ」

 

「実家だから駄目なんだよ」

 

「細けえな」

 

 リリスはそんな三人を眺めながら。

 

 思わず小さく笑った。

 

 最初は、とんでもない家だと思った。

 

 けれど。

 

 所長が何故ああいう人間になったのか。

 

 少しだけ分かった気がした。

 

 そして客間の外から。

 

「……う……」

 

 宗綱の呻き声が聞こえた。

 

 信綱が振り返る。

 

「父さん、生きてる」

 

「ほらな」

 

 所長は満足そうに煙草へ火をつけた。

 

「丈夫だろ?」

 

「兄さんが言うことじゃないよ……」

 

 鬼嶺家の里帰りは。

 

 まだ始まったばかりだった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。