第七十六話 父親への紹介
しばらくして。
客間には、先ほどまで倒れていた宗綱の姿があった。
頭には大きな包帯。
頬には赤黒い痣。
それでも本人は何事もなかったかのように座っている。
ただし。
所長とは少し距離を取っていた。
「……」
所長は酒を飲みながら宗綱を見る。
「……」
宗綱も所長を見る。
しばらく。
二人の間に妙な沈黙が続いた。
やがて宗綱が口を開く。
「まったく……」
低い声。
「年寄りを少しはいたわれんのか、このクソガキ」
所長の眉が動く。
「だったら」
酒瓶を置く。
「でしゃばるなよ、クソジジイ」
「貴様……!」
「なんだ?」
二人の目がぶつかる。
空気が一気に険悪になる。
「……」
信綱が小さく息を吐いた。
「また始まるのかな」
リリスも困ったように二人を見る。
「所長……」
「あ?」
「お父様に、もう少し穏便に……」
「こいつが絡んでくるんだよ」
「誰が絡んでくるじゃ!」
宗綱が怒鳴る。
「貴様が家に帰ってきたと思えば、いきなり人の頭を石灯籠で――」
「親父が先に殴っただろ」
「それは――」
「それに」
所長が睨む。
「何度も言わせんな」
「……」
「俺に喧嘩売るなら、それなりの覚悟しろ」
「この……!」
宗綱が立ち上がろうとした。
その瞬間。
「宗綱さん」
千代の声が響いた。
「……」
宗綱の動きが止まる。
千代は微笑んでいた。
しかし。
その目だけは。
絶対零度だった。
「お客人の前ですよ」
「……」
「少しは、はしたない真似を控えていただけませんか?」
「……」
宗綱の顔から怒気が消えた。
「す、すまん」
あまりにも素直だった。
信綱が目を逸らす。
リリスは少し驚いた。
所長だけが。
「……」
満足そうに煙草を吸っている。
「母親には弱いんだな」
「国綱」
「はい」
「あなたもですよ」
「……はい」
所長も素直に黙った。
千代は満足そうに頷いた。
「では」
宗綱は咳払いをする。
そして。
改めてリリスへ向き直った。
先ほどまでの荒々しい態度とは打って変わり。
背筋を伸ばす。
「……失礼した」
「いえ」
「改めて挨拶をさせてもらおう」
宗綱はリリスを見る。
「鬼嶺宗綱だ」
低く落ち着いた声。
「国綱の父親をしている」
「はい」
リリスも姿勢を正す。
「初めまして。リリスと申します」
「うむ」
「アランスミシー探偵事務所で、所長の助手をしております」
宗綱が頷く。
「そうか。国綱の助手を――」
「あと俺の嫁だ」
「……」
あまりにも平然とした口調だった。
まるで天気の話でもするように。
所長は酒瓶を傾ける。
「……え?」
リリスが固まる。
信綱も固まった。
千代は目を瞬かせる。
宗綱だけが、しばらく何も言わなかった。
「……」
所長は気にしない。
そして空になりかけた酒瓶を眺める。
「お袋」
「なに?」
「茶はねえか?」
「お茶?」
「ああ」
所長は露骨に顔をしかめる。
「酒が不味くてしょうがねえ」
「……」
千代が少し呆れたように笑う。
「はいはい。今淹れます」
「頼む」
「国綱」
宗綱が低い声を出す。
「なんだ?」
「今、何と言った?」
「茶が欲しい」
「その前じゃ」
「酒が不味い」
「そのさらに前じゃ!!」
「ああ」
所長はようやく思い出したようにリリスを見る。
「嫁」
「所長!」
リリスの顔が一気に赤くなる。
「何ですか!?」
「何って」
「私は助手です!」
「知ってる」
「結婚なんてしてません!」
「まだな」
「まだ!?」
信綱が思わず吹き出した。
「兄さん、さすがにそれは……」
「何だ?」
「いや、なんでもない」
宗綱は頭を抱えた。
「……」
千代はそんな息子をじっと見つめる。
そして、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「まあ」
「母さん?」
「いいんじゃないかしら」
「よくありません!」
リリスが即座に反論する。
千代は楽しそうに笑った。
「そう?」
「はい!」
所長はそんなやり取りを横目に、煙草を咥える。
「とりあえず」
「何です?」
「茶」
「……」
「早くしてくれ」
「自分で頼んでください」
「お袋に頼んだ」
「私はあなたの母親ではありません」
「細かいな」
「細かくありません!」
信綱が笑いを堪える。
宗綱は頭を押さえる。
千代は静かに茶を淹れる。
そして。
鬼嶺家の客間は、先ほどまでとは別の意味で騒がしくなっていた。