アランスミシー探偵事務所の事件簿   作:山門門山

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case80 修羅場

第七十八話 婚約者、来訪

 

「父さん」

 

 信綱が、今にも再び立ち上がりそうな宗綱を見た。

 

「そんなに怒ってばかりいると、お医者様に怒られるよ」

 

「……」

 

 宗綱の動きが止まる。

 

「……そうだったな」

 

「うん」

 

 信綱は苦笑する。

 

「この前も血圧が上がってたでしょう?」

 

「む……」

 

 宗綱は渋々座り直した。

 

「まったく……」

 

 深いため息を吐く。

 

「お前たちは、年寄りを何だと思っている」

 

 所長は茶を啜りながら鼻で笑った。

 

「年寄りは大人しく寝てろ」

 

「……」

 

 宗綱の額に青筋が浮かぶ。

 

「国綱」

 

「ん?」

 

「今、何と言った?」

 

「年寄りは寝てろって」

 

「貴様……!」

 

「ほら、また血圧上がるぞ」

 

「誰のせいじゃ!!」

 

「自分だろ」

 

「お前じゃ!!」

 

 信綱が頭を抱える。

 

「兄さんも、少し黙ってよ」

 

「なんで俺が」

 

「父さんも」

 

「……」

 

 宗綱は大きく息を吐いた。

 

 そして。

 

 しばらく黙ってから、頭を抱える。

 

「……しかし」

 

「どうしたの?」

 

 千代が尋ねる。

 

「婚約相手には、何と言えばいいんだ」

 

 所長の動きが止まった。

 

「……」

 

 宗綱は苦々しい顔をする。

 

「国綱が帰ってきたと思えば、勝手に嫁を連れてきたなど……」

 

「嫁じゃねえ」

 

 所長が訂正する。

 

「まだな」

 

「まだじゃないです!」

 

 リリスが即座に否定する。

 

 宗綱は頭を抱えた。

 

「それに……」

 

 宗綱は所長を睨む。

 

「お前が連絡もしないせいで、その婚約者は何年無駄にしたと思っている!」

 

 声が大きくなる。

 

「何年も待たせておいて、いきなり帰ってきたと思ったら、別の女を嫁にするだと?」

 

「勝手に決めたのはテメェだろ!」

 

 所長も怒鳴り返す。

 

「俺の知らねえところで勝手に婚約させて、何年待ったとか知るか!」

 

「貴様ァ!!」

 

「こっちは頼んでもいねえんだよ!」

 

「クソガキ!!」

 

 宗綱が拳を握った。

 

 信綱が「あ」と声を漏らす。

 

「父さん、待って――」

 

 遅かった。

 

 ドゴォン!!

 

「うおっ!?」

 

 宗綱の拳が所長の顔面を捉えた。

 

 巨体が後方へ吹き飛ぶ。

 

 襖を突き破る。

 

 そのまま廊下を抜け。

 

 縁側から庭へ。

 

 ドサァッ!!

 

「……」

 

 客間が静まり返る。

 

 信綱が目を閉じた。

 

「……また庭か」

 

 千代はため息を吐いた。

 

「庭、直したばかりなのに」

 

「兄さん……」

 

 庭から怒鳴り声が聞こえる。

 

「クソジジイ!!」

 

「黙れ国綱!!」

 

 ドォン!!

 

 また何かが壊れる。

 

 信綱は肩を落とした。

 

「……もう好きにして」

 

 千代も特に慌てる様子はない。

 

「そうねえ」

 

 湯呑みを置く。

 

「確かに」

 

 リリスが振り返る。

 

「お義母様?」

 

「婚約相手の方には、国綱本人から説明させるのが一番ね」

 

「……」

 

 信綱が少し驚く。

 

「母さん、まさか」

 

「ええ」

 

 千代は立ち上がった。

 

 そして。

 

 まるで夕食の献立でも決めるような気軽さで、電話へ向かった。

 

「ちょっと待って」

 

 受話器を取る。

 

「もしもし?」

 

 リリスは目を丸くする。

 

「……」

 

 千代は穏やかな声で話し始めた。

 

「突然ごめんなさいね」

 

「ええ」

 

「国綱が今日、こちらへ戻ってきたの」

 

「はい」

 

「それで……」

 

 千代は庭を見る。

 

 そこでは相変わらず二人のオーガが殴り合っている。

 

「少しお話ししたいことがあるの」

 

「ええ、できれば今日」

 

「そうね……」

 

 千代は少し考える。

 

「家まで来てもらえるかしら?」

 

 電話の向こうから返事があった。

 

「ありがとう」

 

「待っているわ」

 

 受話器を置く。

 

 信綱が尋ねる。

 

「来てくれるの?」

 

「ええ」

 

「どれくらいで?」

 

「近くなら、三十分くらいかしら」

 

「……」

 

 リリスが固まる。

 

「三十分……」

 

 千代は頷いた。

 

「それくらいでしょうね」

 

「お義母様……」

 

「大丈夫よ」

 

 千代は微笑む。

 

「国綱に、自分で説明させましょう」

 

 庭から。

 

「クソジジイ!!」

 

「国綱!!」

 

 再び怒鳴り声。

 

 信綱は遠い目をした。

 

「……間に合うかな」

 

「何が?」

 

「婚約者が来るまでに、兄さんたちが屋敷を壊しきらないか」

 

「……」

 

 千代は少し考えた。

 

「大丈夫でしょう」

 

「根拠は?」

 

「二人とも、昔から丈夫だから」

 

「そういう問題かな……」

 

 そして。

 

 約束から、三十分ほどが経った。

 

 鬼嶺家の玄関。

 

 静かな足音が近づいてくる。

 

 コン、コン。

 

 扉が叩かれた。

 

 千代が立ち上がる。

 

「いらっしゃったみたいね」

 

 信綱が玄関へ向かう。

 

 リリスもその後ろからついていく。

 

 扉が開く。

 

 そこに。

 

 一人の女性が立っていた。

 

「……」

 

 彼女は鬼嶺家を見上げる。

 

 そして。

 

 静かに頭を下げた。

 

「お久しぶりです」

 

 こうして。

 

 所長が顔も名前も知らなかった婚約者が。

 

 ついに鬼嶺家へ姿を現した。

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