アランスミシー探偵事務所の事件簿   作:山門門山

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case83 悪巧み

第八十二話 親父と二人で片をつける

 

 昼を少し過ぎた頃。

 

 鬼嶺家の屋敷は、妙に穏やかな空気に包まれていた。

 

 客間からは、楽しそうな声が聞こえてくる。

 

「それで?」

 

 千代の声だった。

 

「信綱は、朔夜さんのどこが好きなの?」

 

「母さん……」

 

 信綱は困ったように顔を赤くしている。

 

「いいじゃない。聞かせてちょうだい」

 

「私も少し興味があります」

 

 リリスまで加わった。

 

「リリスさんまで!?」

 

「参考になるかもしれません」

 

「何の参考!?」

 

「恋愛の」

 

「……」

 

 信綱は完全に逃げ場を失っていた。

 

 その声を聞きながら、国綱は廊下を歩いていた。

 

「……」

 

 ずいぶん楽しそうだ。

 

 自分がいない方が、この家は平和らしい。

 

 国綱はそう思いながら、庭へ向かおうとしていた宗綱に声をかけた。

 

「親父」

 

「なんだ?」

 

「ちょっと来い」

 

「また喧嘩をする気か?」

 

「今日はしねぇよ」

 

「信用できんな」

 

「いいから来い」

 

 国綱はそのまま庭へ出た。

 

 宗綱も渋々あとを追う。

 

     *

 

 庭には、先ほどまで二人が殴り合っていた痕跡が残っている。

 

 折れた木。

 

 砕けた石。

 

 荒れた土。

 

 そして。

 

 見事に粉々になった石灯籠。

 

 宗綱はそれを見て、眉間に皺を寄せた。

 

「……修繕費はお前が払えよ」

 

「知らん」

 

「お前が壊したんだろうが」

 

「親父も殴って壊しただろ」

 

「……」

 

 宗綱は深いため息を吐いた。

 

 国綱は懐から煙草を取り出す。

 

「吸うか?」

 

「もらおう」

 

 二人は並んで煙草に火をつけた。

 

 白い煙が、静かな庭へ流れていく。

 

 しばらく。

 

 二人とも何も言わなかった。

 

 やがて国綱が口を開く。

 

「……親父」

 

「なんだ」

 

「俺を勘当しろ」

 

「……」

 

 宗綱の手が止まった。

 

「突然、何を言っている」

 

「突然じゃねぇ」

 

 国綱は庭を眺めたまま答える。

 

「俺は鬼嶺家の当主なんて柄じゃねぇ」

 

「まだお前が当主になると決まったわけではない」

 

「だが長男だ」

 

「そうだ」

 

「だから面倒なんだよ」

 

 国綱は煙草を咥え直した。

 

「俺がいる限り、家督の話がまとわりつく」

 

「……」

 

「俺は好きに生きたい」

 

 煙を吐く。

 

「探偵やって、酒飲んで、面白そうな仕事があれば首突っ込んで……」

 

「それを聞く限り、確かに当主には向いていないな」

 

「だろ?」

 

 国綱は笑った。

 

「だから信綱に継がせろ」

 

「……」

 

「俺を勘当してくれ」

 

 宗綱はしばらく黙っていた。

 

「本気か?」

 

「ああ」

 

「お前が家を捨てるということだぞ」

 

「別に今まで家にいた覚えもねぇ」

 

「国綱」

 

「なんだ?」

 

「お前は……」

 

 宗綱は言葉を探す。

 

 幼い頃から。

 

 この息子は自由だった。

 

 家に縛られることを嫌い。

 

 軍へ行き。

 

 そして軍からも追われる身になった。

 

 その後、長い間消息を絶った。

 

 ようやく戻ってきたと思えば。

 

 探偵事務所の所長だ。

 

 しかも、魔族の娘を助手として連れている。

 

「……本当に変わらんな」

 

「何が?」

 

「昔から、お前は自分の好きなようにしか生きん」

 

「褒めてんのか?」

 

「呆れている」

 

「そうか」

 

 国綱は煙草を吸う。

 

「それでいい」

 

     *

 

「それに」

 

 国綱は続けた。

 

「朔夜の実家だって、家督を継ぐ人間との結婚なら文句は言わんだろ」

 

 宗綱が国綱を見る。

 

「……なるほど」

 

「信綱なら問題ねぇ」

 

「確かに」

 

「信綱は真面目だし、頭もいい」

 

「お前とは正反対だな」

 

「うるせぇ」

 

 国綱は鼻で笑った。

 

「俺なんかより、よっぽどあいつの方が家を継ぐのに向いてる」

 

「……」

 

「朔夜も信綱のことが好きそうだ」

 

「それは……そうだな」

 

「なら話は早い」

 

 国綱は煙草の灰を落とす。

 

「俺がいなくなれば、全部丸く収まる」

 

「お前は」

 

 宗綱が静かに聞く。

 

「それでいいのか?」

 

「何が?」

 

「家族と縁を切って」

 

 国綱は少し黙った。

 

「……別に」

 

「本当に?」

 

「……」

 

 国綱は空を見上げた。

 

「俺には、今の生活がある」

 

 少し間を置く。

 

「事務所もある」

 

 そして。

 

「リリスもいる」

 

 宗綱は黙って聞いていた。

 

「俺は、もう昔の国綱じゃねぇんだよ」

 

 国綱は煙草を指で弄ぶ。

 

「鬼嶺家の長男として生きるつもりもない」

 

「そうか」

 

「ああ」

 

 宗綱はしばらく息子を見ていた。

 

「……分かった」

 

「本当に?」

 

「お前の覚悟が本物ならな」

 

「なら決まりだ」

 

「ただし」

 

「なんだ?」

 

「勘当する前に、母さんを説得しろ」

 

「……」

 

 国綱の顔が露骨に嫌そうになる。

 

「それが一番面倒なんだよ」

 

「だろうな」

 

 宗綱が苦笑した。

 

「お前が家を出た時も、母さんはずっと心配していた」

 

「……」

 

「お前が生きていると分かった時、一番喜んだのも母さんだ」

 

「……そうかよ」

 

 国綱は顔を逸らす。

 

「だからこそ」

 

 宗綱は言った。

 

「お前自身の口で話せ」

 

「分かった」

 

     *

 

 一方。

 

 客間では。

 

「それで?」

 

 千代が楽しそうに身を乗り出していた。

 

「信綱は、朔夜さんのどこが好きなの?」

 

「母さん……」

 

 信綱は顔を真っ赤にしている。

 

「急にそんなこと聞かれても……」

 

「いいじゃない」

 

 リリスも興味深そうに二人を見ている。

 

「私も聞きたいです」

 

「リリスさんまで!?」

 

「参考になるかもしれません」

 

「何の参考!?」

 

「恋愛の」

 

「……」

 

 信綱は完全に逃げ場を失った。

 

 朔夜も顔を赤くして俯いている。

 

「……僕は」

 

 信綱は少し考えた。

 

「朔夜さんは、真面目で」

 

「はい」

 

「優しくて」

 

「……」

 

「芯が強くて」

 

 朔夜の耳が赤くなる。

 

「それに……」

 

「それに?」

 

 千代が聞く。

 

「……昔から、僕のところへ来てくれると嬉しかったから」

 

「まあ」

 

 千代が笑った。

 

 リリスも少し目を細める。

 

「それはもう、かなり昔から好きだったのでは?」

 

「……」

 

 信綱は否定できなかった。

 

「そう……かもしれません」

 

 朔夜は俯いたまま、小さく笑った。

 

「朔夜さんは?」

 

「私ですか?」

 

「ええ」

 

 千代が楽しそうに聞く。

 

「信綱のどこが好きなの?」

 

「……」

 

 朔夜はしばらく黙っていた。

 

「信綱さんの、優しいところです」

 

「はい」

 

「それから……」

 

 朔夜は少し恥ずかしそうに続ける。

 

「私が鬼嶺家へ来ると、いつも話し相手になってくれたところ」

 

「……」

 

「私が帰る時、いつも見送ってくれたところ」

 

 信綱の顔が赤くなる。

 

「それから」

 

 朔夜は信綱を見る。

 

「私の話を、いつもちゃんと聞いてくれたところです」

 

「……」

 

 信綱は完全に黙り込んだ。

 

 千代は満面の笑み。

 

 リリスも珍しく微笑んでいた。

 

「これは……」

 

 千代が嬉しそうに呟く。

 

「完全に両想いね」

 

「……!」

 

 二人が同時に赤くなった。

 

     *

 

 しばらくして。

 

 国綱が客間へ戻ってきた。

 

「戻ったぞ」

 

「あら、お帰りなさい」

 

 千代が笑顔で迎える。

 

「……」

 

 国綱は客間を見渡す。

 

 信綱と朔夜は、相変わらずどこか気まずそうに向かい合っている。

 

 リリスはそんな二人を眺めていた。

 

「何だ、お前ら」

 

「兄さん」

 

 信綱が顔を上げる。

 

「さっきまで母さんたちと話してたんだ」

 

「そうか」

 

「兄さんは?」

 

「親父と煙草吸ってただけだ」

 

「そう?」

 

 信綱は少し不思議そうだったが、それ以上は聞かなかった。

 

 国綱は朔夜を見る。

 

「……」

 

 朔夜も国綱を見る。

 

 国綱は少しだけ笑った。

 

「まあ、仲良くやれや」

 

「……はい」

 

 朔夜が恥ずかしそうに答える。

 

「兄さん」

 

 信綱が少し笑う。

 

「からかわないでよ」

 

「面白ぇんだから仕方ねぇだろ」

 

「もう……」

 

 国綱は煙草を取り出す。

 

「外で吸ってくる」

 

「所長、ここでは吸わないでくださいね」

 

「分かってる」

 

 リリスが少し安心したように頷く。

 

 国綱はそのまま庭へ出た。

 

 そこには、先ほど話をしていた宗綱がまだ立っていた。

 

「なんだ、話忘れがあったか?」

 

 宗綱が尋ねる。

 

「いや」

 

 国綱は煙草に火をつける。

 

「ちょっと思いついた」

 

「何をだ?」

 

 国綱は屋敷の方をちらりと見る。

 

 客間からは、まだ千代たちの楽しそうな声が聞こえている。

 

「……面倒くせぇからよ」

 

「?」

 

「今からこそっと行っちまおうぜ」

 

「どこへ?」

 

「朔夜の実家」

 

「……」

 

 宗綱が目を細める。

 

「今からか?」

 

「ああ」

 

 国綱は煙を吐く。

 

「このまま話を引き延ばしたら、お袋にもバレるだろ」

 

「それはそうだが……」

 

「そしたら、俺の勘当の話をする前に説教が始まる」

 

「……確かにな」

 

「だったら」

 

 国綱は肩をすくめる。

 

「今のうちに、朔夜の婚約の件を片付けちまおう」

 

「お前が婚約を断る話か?」

 

「ああ」

 

「信綱と朔夜の話も?」

 

「そっちも一緒に話す」

 

 国綱は面倒そうに煙草を咥え直す。

 

「俺が頭下げて、信綱に家督継がせる話までまとめりゃいい」

 

「随分と一気に進めるな」

 

「ちまちまやるのが一番嫌いなんだよ」

 

 宗綱は呆れたように息を吐く。

 

「……本当にお前らしいな」

 

「褒めんな」

 

「褒めていない」

 

「そうか」

 

 国綱は屋敷の方をもう一度見る。

 

「じゃ、行くぞ」

 

「待て」

 

「なんだ?」

 

「母さんには?」

 

「言わねぇ」

 

「信綱には?」

 

「言わねぇ」

 

「リリスにも?」

 

「……」

 

 国綱は少し考えた。

 

「まあ、帰ってきてからでいいだろ」

 

「お前……」

 

「何だよ」

 

「本当に全部勝手に進めるな」

 

「親父に言われたくねぇよ」

 

 宗綱はため息を吐く。

 

「分かった。行くぞ」

 

「話が早くて助かる」

 

 二人は屋敷の裏手へ回った。

 

 客間には、まだ誰も気づいていない。

 

 千代も。

 

 信綱も。

 

 朔夜も。

 

 そしてリリスも。

 

 まさか。

 

 庭で煙草を吸っていた二人が、そのまま朔夜の実家へ乗り込んで、婚約の話と家督の話を一気に片付けようとしているなど。

 

 知る由もなかった。

 

 鬼嶺家の長男・国綱と、その父・宗綱。

 

 二人は並んで、竹林の向こうへ歩き出した。

 

「なあ、親父」

 

「なんだ」

 

「朔夜の実家って、どんな奴らだ?」

 

「今さら聞くのか」

 

「知らねぇよ」

 

「お前、本当に婚約者のことを何も知らなかったんだな」

 

「だから言ってんだろ」

 

 宗綱は呆れながら説明を始める。

 

 国綱は面倒そうに聞いていた。

 

「……まあ」

 

 最後に国綱は煙を吐く。

 

「信綱が気に入られてるなら、俺が頭下げりゃ済む話だ」

 

「それで済めばいいがな」

 

「済ませるんだよ」

 

 国綱はニヤリと笑った。

 

「俺は自分の婚約すら知らなかった男だぞ」

 

「威張ることではない」

 

「細かいことはいい」

 

 二人は並んで歩いていく。

 

 その頃、屋敷の中では。

 

「信綱さん、顔が赤いですよ」

 

「リリスさん……!」

 

 何も知らない三人と一人が、まだ楽しそうに笑っていた。

 

 そして。

 

 国綱と宗綱だけが知っている。

 

 この帰省が。

 

 ただの里帰りでは終わらないことを。

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