アランスミシー探偵事務所の事件簿   作:山門門山

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case89 龍神

第八十五話 龍神との対面

 

 鬼嶺国。

 

 その最奥。

 

 人の暮らす町からも、鬼嶺家の屋敷からも遠く離れた山中を、一人のオーガが歩いていた。

 

 国綱である。

 

「……ったく」

 

 煙草を咥えながら、国綱は不機嫌そうに歩いている。

 

「なんで俺がこんな山奥まで来なきゃならねぇんだよ」

 

 吐き捨てるように煙を吐く。

 

「クソトカゲ一匹殺すだけなのに、随分と遠いじゃねぇか」

 

 道の両脇には、古びた石灯籠や小さな祠が並んでいる。

 

 どれも長い年月を経たものらしく、苔が生え、ところどころには供物まで置かれていた。

 

 国綱はそれを見て眉をひそめる。

 

「……」

 

 一つの祠の前で足を止めた。

 

「これ全部、あのクソトカゲのためか?」

 

 祠を眺める。

 

 供えられた酒。

 

 米。

 

 果物。

 

 干した魚。

 

 さらには立派な反物まで置かれている。

 

「……」

 

 国綱の顔が露骨に嫌そうになる。

 

「疫病神の分際で」

 

 祠を蹴飛ばした。

 

 ゴンッ!

 

 石造りの祠が大きく揺れる。

 

「生意気にも贅沢しやがって」

 

 さらに歩く。

 

 また祠がある。

 

 蹴る。

 

 その隣にも祠。

 

 蹴る。

 

「こんなもん建てる金があるなら、もっとマシなことに使えよ」

 

 国綱はぶつぶつ文句を言いながら進んでいく。

 

 途中には、何本もの鳥居が立っていた。

 

 赤く塗られた柱。

 

 何十年、何百年と風雨に晒されながらも、丁寧に手入れされている。

 

 国綱はその一本の前で立ち止まった。

 

「……」

 

 鳥居を見上げる。

 

「これもあいつのためか?」

 

 返事などあるはずもない。

 

 国綱は鼻で笑った。

 

「くだらねぇ」

 

 そして。

 

 鳥居に唾を吐いた。

 

 ぺっ。

 

「……」

 

 そのまま歩き出す。

 

 咥えていた煙草を吸い終えると。

 

「邪魔だな」

 

 火のついた吸い殻を地面へ放り捨てる。

 

 靴底で踏み潰した。

 

「さて」

 

 国綱は煙草をもう一本取り出した。

 

 火をつける。

 

 煙を吐く。

 

「あとどれくらいだ?」

 

 山道はさらに険しくなっていく。

 

 木々が密集し。

 

 空も見えなくなっていく。

 

 鳥の声すら聞こえない。

 

 ただ。

 

 風が木々の間を通り抜ける音だけが響いている。

 

 国綱はそんな場所を。

 

 まるで近所の酒場へでも行くような顔で歩いていた。

 

「……」

 

 しばらく進むと。

 

 巨大な岩壁が姿を現した。

 

 その中央。

 

 ぽっかりと口を開けた洞窟がある。

 

 入口には巨大な注連縄。

 

 その両脇には、今までとは比べものにならないほど立派な石灯籠が並んでいる。

 

「ここか」

 

 国綱は煙草を咥えたまま、洞窟を見る。

 

「龍神様の住処ねぇ」

 

 鼻で笑う。

 

「随分と立派じゃねぇか」

 

 洞窟の中から。

 

 冷たい風が吹いてきた。

 

 それと同時に。

 

 何か巨大なものがこちらを睨んでいるような感覚が押し寄せる。

 

 普通の人間なら。

 

 その場に立っているだけで膝が震えるだろう。

 

 並の戦士でも。

 

 武器を構えることすらできない。

 

 国綱は。

 

「……」

 

 煙草を吸った。

 

「陰気くせぇ場所だな」

 

 そして。

 

 洞窟へ入っていった。

 

     *

 

 洞窟の奥。

 

 暗闇が広がっている。

 

 足音が響く。

 

 コツ。

 

 コツ。

 

 コツ。

 

 国綱は歩く。

 

 その度に。

 

 空気が重くなる。

 

 肌に圧力がかかる。

 

 肺へ入る空気すら重く感じるほどの、凄まじい威圧感。

 

 だが。

 

「……」

 

 国綱は何も感じていないように歩く。

 

 煙草の煙だけが、ゆっくりと暗闇へ漂っていく。

 

 やがて。

 

「止まれ」

 

 声が響いた。

 

 低い。

 

 しかし、女の声だった。

 

 洞窟そのものが震えるような声。

 

 国綱は足を止める。

 

「……」

 

 暗闇を見る。

 

「誰だ?」

 

「貴様……」

 

 声に怒気が混じる。

 

「この数千年」

 

 暗闇の奥で。

 

 何かが動いた。

 

「我が住処へこれほど無礼な態度で踏み込んできた者は、初めてだ」

 

「そうかよ」

 

 国綱は煙草を吸う。

 

「じゃあ俺が一番ってことだな」

 

「……」

 

 暗闇から。

 

 ゆっくりと人影が現れた。

 

 白い肌。

 

 長い髪。

 

 美しい顔立ち。

 

 そして。

 

 着物。

 

 人間の女性とほとんど変わらない姿だった。

 

 だが。

 

 頭部には二対。

 

 四本の角が生えている。

 

 その瞳には。

 

 人ならざる光が宿っていた。

 

 そして何より。

 

 彼女が纏っているだけで。

 

 周囲の空気そのものが支配されている。

 

 鬼嶺国の人々が。

 

 何百年にもわたって恐れ。

 

 敬い。

 

 供物を捧げてきた存在。

 

 龍神。

 

 その化身だった。

 

「……」

 

 龍神は国綱を睨みつける。

 

「貴様」

 

「なんだ?」

 

「名を名乗れ」

 

「国綱」

 

「国綱……」

 

 龍神の目が細くなる。

 

「鬼嶺家の者か」

 

「ああ」

 

「ならば、なぜ我を侮辱する」

 

「お前が疫病神だからだ」

 

「……」

 

 空気が凍った。

 

「何?」

 

「聞こえなかったか?」

 

 国綱は煙草を吸う。

 

「疫病神の分際で調子に乗るなって言ってんだよ」

 

「……」

 

 龍神の周囲で。

 

 空気が渦を巻き始める。

 

「我はこの国を幾千年も見守ってきた」

 

「ああ」

 

「川を与え」

 

「ふん」

 

「雨を与え」

 

「……」

 

「この地を守ってきた」

 

「だったら」

 

 国綱は煙を吐いた。

 

「勝手にやってろ」

 

「……」

 

「いちいち人間から供物を巻き上げるな」

 

「貴様……」

 

「それに」

 

 国綱は龍神を上から下まで眺める。

 

「何千年も生きてる割には、陰険そうなメスばばぁだな」

 

「…………」

 

 龍神の眉が僅かに動く。

 

「……今」

 

「なんだ?」

 

「我を何と呼んだ?」

 

「メスばばぁ」

 

「……」

 

「聞こえたろ?」

 

 龍神の顔から。

 

 表情が消えた。

 

 その瞬間。

 

 洞窟の奥から。

 

 凄まじい殺気が吹き荒れた。

 

 大地が震える。

 

 壁から小石が落ちてくる。

 

 国綱の衣服が風圧で大きく揺れた。

 

 普通の人間なら。

 

 立っていることすらできない。

 

 だが。

 

 国綱は。

 

「……」

 

 煙草を吸った。

 

 そして。

 

 煙を吐く。

 

「その程度か?」

 

「……貴様」

 

 龍神の声が低くなる。

 

「この数千年で」

 

 その姿が一瞬で消えた。

 

「最も無礼な男だ」

 

 次の瞬間。

 

 国綱の目の前に龍神が現れた。

 

 着物の袖が翻る。

 

 その右腕が。

 

 人間ではあり得ない速度で突き出される。

 

 指先を揃えた。

 

 鋭い貫手。

 

「すぐに殺してやる」

 

 狙いは。

 

 国綱の腹部。

 

「――死ね」

 

 龍神の腕が。

 

 国綱の腹へ向かって突き進んだ。

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