アランスミシー探偵事務所の事件簿   作:山門門山

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case95 祭の準備

第九十四話 龍神と晩餐

 

 翌朝。

 

 鬼嶺家の客間。

 

「……」

 

 龍神は静かに目を閉じていた。

 

 昨夜は傷の手当てを受け、そのまま休んでいた。

 

 身体はまだ重い。

 

 全身が痛む。

 

 特に腹部。

 

 あのオーガに貫かれた傷は、龍神自身の治癒力をもってしても、完全には戻っていない。

 

「……まったく」

 

 龍神は小さく呟いた。

 

 数千年生きてきた。

 

 人間も。

 

 エルフも。

 

 ドワーフも。

 

 魔族も。

 

 数え切れないほど見てきた。

 

 その中でも。

 

 昨日の男ほど無礼な者は見たことがない。

 

 祠を蹴飛ばし。

 

 鳥居に唾を吐き。

 

 挙句の果てには、自分の洞窟を半壊させた。

 

「……本当に、腹立たしい男だ」

 

 その時。

 

 襖が勢いよく開いた。

 

「おい」

 

「……」

 

 龍神が目を開く。

 

 そこに立っていたのは。

 

 寝起きそのものの国綱だった。

 

 髪は乱れている。

 

 服も適当。

 

 煙草を咥えている。

 

「起きろ」

 

「……」

 

 龍神は眉をひそめた。

 

「貴様……」

 

「話がある」

 

「せめて声をかけるなら――」

 

「起きてんだろ」

 

「そういう問題ではない!」

 

 龍神が睨む。

 

 国綱は気にした様子もない。

 

「動けるか?」

 

「まだ少し痛む」

 

「そうか」

 

 国綱は龍神の肩を掴む。

 

「なら、座れ」

 

「自分で座れる!」

 

「そうか」

 

 国綱は手を離した。

 

 龍神は自分で身体を起こす。

 

「……」

 

「でな」

 

 国綱は近くの椅子に腰掛けた。

 

「昨日の話だ」

 

「昨日?」

 

「祭り」

 

「……」

 

 龍神の顔が険しくなる。

 

「私は祭りなど――」

 

「聞けって」

 

「貴様は本当に人の話を――」

 

「奉納を祭りにする」

 

「……」

 

 龍神が黙った。

 

「信綱と朔夜の婚姻を一緒に祝う」

 

「……」

 

「国中から人を集める」

 

「……」

 

「酒も飯も出す」

 

「……」

 

「お前にも参加してもらう」

 

 龍神は国綱を睨む。

 

「嫌だ」

 

「なんでだ?」

 

「貴様のような男に祝われるなど――」

 

「俺じゃねぇ」

 

 国綱は煙草を吹かす。

 

「国の連中が祝うんだ」

 

「……」

 

「お前が国を守ってきたことも、ちゃんと伝える」

 

「……」

 

「奉納もする」

 

「……」

 

「ただ」

 

 国綱は少しだけ考える。

 

「今までみたいに、堅苦しい儀式だけにしねぇ」

 

「……」

 

「祭りにする」

 

 龍神は黙っていた。

 

 国綱は続ける。

 

「お前が国を守ってきた」

 

「ああ」

 

「だから国民が感謝する」

 

「……」

 

「その日に信綱と朔夜が結婚する」

 

「……」

 

「なら、まとめて祝えばいい」

 

 龍神は目を伏せた。

 

「……」

 

 長い沈黙。

 

 やがて。

 

「私は……」

 

 龍神が静かに口を開く。

 

「この国を守ってきた」

 

「ああ」

 

「川が氾濫しないように」

 

「……」

 

「土地が枯れぬように」

 

「……」

 

「長い年月をかけて」

 

「分かってる」

 

 国綱が言った。

 

「だから」

 

 龍神は少しだけ顔を上げる。

 

「民が私へ感謝を示すというのなら……」

 

「おう」

 

「……拒む理由はない」

 

「じゃあ決まりだな」

 

「ただし!」

 

 龍神が慌てて声を上げる。

 

「貴様が私を祝うなどという意味ではないからな!」

 

「はいはい」

 

「私は貴様など認めていない!」

 

「分かった分かった」

 

「本当に分かっているのか?」

 

「分かってる」

 

 国綱は立ち上がる。

 

「じゃあ、祭りよろしくな」

 

「……」

 

 龍神はしばらく国綱の背中を睨んでいた。

 

 そして。

 

「……悪くはない」

 

 小さく呟く。

 

「国の者たちが笑えるのなら……」

 

 ほんの少し。

 

 口元が緩んだ。

 

「……それくらいなら、付き合ってやってもいい」

 

     *

 

 昼過ぎ。

 

 屋敷では祭りの話が正式に決まり始めていた。

 

 宗綱は各方面への連絡を始め。

 

 信綱と朔夜は両家との調整を進めている。

 

 そして。

 

 夕方。

 

「できたわよ」

 

 千代が食卓へ料理を並べた。

 

「こちらも完成しました」

 

 リリスも料理を運ぶ。

 

 朔夜も手伝っている。

 

 大きな食卓には。

 

 肉料理。

 

 魚料理。

 

 煮物。

 

 野菜。

 

 米。

 

 汁物。

 

 そして酒。

 

 龍神の分まで用意されていた。

 

「……」

 

 龍神は少し困惑していた。

 

「私まで食事を?」

 

 千代が笑う。

 

「当然でしょう」

 

「しかし私は――」

 

「昨日は大変だったでしょう?」

 

「……」

 

「今日はゆっくり食べてください」

 

「……そうか」

 

 龍神は少し照れたように顔を逸らした。

 

「では……いただこう」

 

「はい」

 

 全員が食卓につく。

 

「いただきます」

 

 信綱が手を合わせる。

 

 その瞬間。

 

「うめぇ!」

 

 国綱が肉を頬張った。

 

「……」

 

 信綱が呆れる。

 

「兄さん」

 

「ん?」

 

「まだ皆、食べ始めたばかりですよ」

 

「だから何だ?」

 

「せめてもう少し落ち着いてください」

 

「飯は熱いうちに食うもんだ」

 

「そういう問題では……」

 

 宗綱も負けじと箸を動かす。

 

「国綱」

 

「あ?」

 

「その肉を取るな」

 

「早い者勝ちだ」

 

「お前は昔からそれだな」

 

「親父こそ遅ぇんだよ」

 

「何だと?」

 

 二人の箸が皿の上でぶつかる。

 

「……」

 

 信綱はため息をついた。

 

「父上も兄さんも……」

 

「何だ?」

 

「食事くらい普通にできないんですか?」

 

「できる」

 

「できていません」

 

 リリスが淡々と指摘する。

 

「所長は三杯目です」

 

「うまいからな」

 

「宗綱様も三杯目です」

 

「負けられん」

 

「何の勝負ですか」

 

「男の勝負だ」

 

「知りません」

 

 リリスは呆れながら自分の食事を続ける。

 

 朔夜は笑いを堪えている。

 

 千代も苦笑していた。

 

 龍神は。

 

「……」

 

 そんな光景を眺めていた。

 

 そして。

 

 ふっと。

 

 笑った。

 

「……楽しそうだな」

 

 信綱が龍神を見る。

 

「はい」

 

「このような食事も」

 

「いいものですよ」

 

 信綱は丁寧に箸を進める。

 

 食べ方も綺麗だ。

 

 国綱や宗綱とは正反対だった。

 

「信綱」

 

「はい?」

 

「お前は随分と行儀がいいな」

 

「昔からこうなんです」

 

「兄さんたちとは違う」

 

「……」

 

 信綱は苦笑する。

 

「兄さんと父上は、昔からああです」

 

「そうか」

 

 龍神は国綱を見る。

 

 国綱は四杯目の飯を食べている。

 

「……」

 

「何だ?」

 

「いや」

 

 龍神は目を逸らした。

 

「少しだけ……面白いと思っただけだ」

 

「そうか」

 

 国綱は気にせず食べ続けた。

 

     *

 

 翌日。

 

 鬼嶺家の屋敷。

 

 正式な話し合いが行われた。

 

 朔夜の両親も屋敷を訪れ。

 

 宗綱、千代、信綱、朔夜が同席する。

 

 国綱も一応そこにはいた。

 

 ただし。

 

 少し離れた場所で煙草を吸っている。

 

「では」

 

 宗綱が口を開く。

 

「改めて確認しましょう」

 

 朔夜の両親が頷く。

 

「国綱との婚約については、すでに破棄となっております」

 

「はい」

 

「そして」

 

 宗綱は信綱を見る。

 

「信綱と朔夜の婚姻について」

 

「異存ありません」

 

 朔夜の父親が答えた。

 

「こちらも異存ありません」

 

 母親も頷く。

 

 信綱は少し緊張した様子だった。

 

 朔夜も。

 

 隣で小さく頭を下げる。

 

「よろしくお願いいたします」

 

「こちらこそ」

 

 話は滞りなく進んだ。

 

 両家の了承。

 

 婚姻の準備。

 

 そして。

 

 龍神への奉納。

 

 最後に。

 

「祭りについてですが」

 

 宗綱が説明する。

 

「奉納と婚姻を兼ねた祝祭として、国全体で行うことになりました」

 

「まあ」

 

 朔夜の母親が驚く。

 

「ずいぶん大きな話になりましたね」

 

「国綱が言い出したことです」

 

「……」

 

 全員が国綱を見る。

 

「何だよ」

 

 国綱は煙草を吸いながら言った。

 

「悪くねぇだろ」

 

 朔夜の父親は少し考える。

 

 そして。

 

「確かに」

 

 頷いた。

 

「祝い事ならば、国民にとっても良いものになるでしょう」

 

「龍神様も了承されています」

 

 信綱が続ける。

 

「それならば」

 

 朔夜の父親は笑った。

 

「ぜひ、盛大にやりましょう」

 

 信綱と朔夜が顔を見合わせる。

 

「はい」

 

     *

 

 その日の午後。

 

 国中へ向けて知らせが出された。

 

 龍神への奉納。

 

 信綱と朔夜の婚姻。

 

 そして。

 

 それを祝う祭り。

 

 各地へ知らせが走る。

 

 役所が動き。

 

 商人が動き。

 

 酒造所が動き。

 

 料理人が動く。

 

 祭具を用意する者。

 

 屋台を作る者。

 

 飾り付けをする者。

 

 それぞれが一斉に準備を始めた。

 

「忙しくなりますね」

 

 リリスが言う。

 

「ああ」

 

 信綱が答える。

 

「でも」

 

 少しだけ笑う。

 

「楽しみでもあります」

 

「そうですね」

 

 朔夜も笑った。

 

 その少し離れたところ。

 

 国綱は煙草を吸っていた。

 

「……」

 

 祭りの準備を眺める。

 

「悪くねぇな」

 

 隣に龍神が立つ。

 

「貴様が始めたことだろう」

 

「ああ」

 

「責任は取れ」

 

「面倒くせぇな」

 

「……」

 

 龍神が睨む。

 

「だが」

 

 国綱は少しだけ笑った。

 

「まあ」

 

 煙を吐く。

 

「弟の結婚祝いだ」

 

 そして。

 

「派手にやるくらいがちょうどいい」

 

 龍神も。

 

 ほんの少しだけ口元を緩めた。

 

「……そうだな」

 

 こうして。

 

 鬼嶺の国では。

 

 かつてないほど大きな祭りの準備が始まった。

 

 龍神への奉納と。

 

 二人の若者の婚姻。

 

 そして。

 

 国綱が残していく。

 

 最後の大仕事のために。

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