アランスミシー探偵事務所の事件簿   作:山門門山

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case96 祭の始まり

第九十五話 最後の贈り物

 

 鬼嶺の国は、朝から慌ただしかった。

 

 普段ならば、山々と竹林に囲まれた静かな国だ。

 

 石畳の道。

 

 瓦屋根の家々。

 

 道の脇に並ぶ石灯籠。

 

 山から流れてくる水の音。

 

 竹林を抜ける風の音。

 

 そうしたものが、この国の日常だった。

 

 だが。

 

 今日は違う。

 

 通りには色鮮やかな布が張られ、家々の軒先には提灯が吊るされている。

 

 竹を編んだ飾りが道の両側に並び、街の中央では大きな櫓が組まれていた。

 

 酒屋では樽が運び出され。

 

 料理屋では朝から大量の仕込みが始まっている。

 

 鍛冶屋では祭り用の金具や飾りが作られ、普段なら仕事場に籠もっている職人たちまで外へ出ていた。

 

「そっち持ってくれ!」

 

「分かってる!」

 

「提灯はもう少し上だ!」

 

「酒樽はあっち!」

 

「料理は昼まで出すなよ!」

 

「子供たちを走らせるな!」

 

 あちこちから声が飛び交う。

 

 子供たちは大人たちの間を走り回り。

 

 老人たちは家の縁側から、その様子を楽しそうに眺めている。

 

「今年は派手だな」

 

「龍神様への奉納だけじゃないからな」

 

「信綱様の婚姻もある」

 

「龍神様にも祝っていただくんだろ?」

 

「そうらしい」

 

「昔からこんな祭りだったか?」

 

「いや」

 

「じゃあ、随分変わったな」

 

 そんな会話が、街のあちこちで交わされていた。

 

 これまで龍神への奉納は。

 

 決められた供物を用意し。

 

 決められた場所へ運び。

 

 決められた作法で祈る。

 

 何百年、何千年と続いてきた儀式だった。

 

 それが。

 

 今年から変わろうとしている。

 

 奉納だけではない。

 

 龍神へ感謝を伝える。

 

 信綱と朔夜の婚姻を祝う。

 

 そして。

 

 国中の人間が一緒になって楽しむ。

 

 祭り。

 

 そういう形へ。

 

 古い習慣が、新しい形へ変わろうとしていた。

 

     *

 

「……随分と大掛かりになりましたね」

 

 屋敷の縁側から街を眺めながら、リリスが呟く。

 

 その隣には千代。

 

 少し離れたところには朔夜もいた。

 

「ええ」

 

 千代が笑う。

 

「最初はどうなることかと思ったけれど」

 

「国綱さんが言い出したことですからね」

 

「そうね」

 

 千代は苦笑する。

 

「昔から、あの子は思いついたら止まらないところがあるのよ」

 

「知っています」

 

 リリスが即答した。

 

「……」

 

 千代が少し驚いた顔をする。

 

 朔夜が小さく笑った。

 

「リリスさん、随分と国綱さんのことをよく分かっていらっしゃいますね」

 

「長く一緒にいますから」

 

「どれくらい?」

 

「かなり長いです」

 

「それだけで分かるもの?」

 

「分かります」

 

 リリスは眼鏡を押し上げる。

 

「国綱さんは、思いつきで行動しているように見えて、必要なところだけは妙に慎重です」

 

「……あら」

 

 千代が少し目を細める。

 

「そうなの?」

 

「はい」

 

「私には昔から、何も考えていないようにしか見えなかったわ」

 

「私も最初はそう思っていました」

 

「最初は?」

 

「ええ」

 

 リリスは街を見る。

 

「ただ、長く一緒にいると分かります」

 

「何が?」

 

「何も考えていない時と、考えた上で何も言わない時があります」

 

「……」

 

 千代は黙った。

 

「それは、随分と詳しいわね」

 

「仕事上、必要なので」

 

「仕事上?」

 

「はい」

 

 リリスは淡々としている。

 

「所長が何を考えているか分からないと、仕事になりませんから」

 

 千代は少し笑った。

 

「なるほどね」

 

 そして。

 

「でも」

 

 千代は街を眺めながら言う。

 

「国綱さんがあなたをここに残していったのは、仕事だけじゃないと思うわ」

 

「……?」

 

「国綱さんはね」

 

 千代は少し考える。

 

「人に任せるのが嫌いなのよ」

 

「そうですね」

 

「自分でやった方が早いと思ったら、何でも自分でやる」

 

「はい」

 

「それなのに」

 

 千代はリリスを見る。

 

「自分がいない間のことを、あなたに任せた」

 

「……」

 

「それだけ、あなたを信頼しているんでしょうね」

 

 リリスは少しだけ目を見開いた。

 

「所長が……」

 

「ええ」

 

「本人は、そんなこと一度も言いません」

 

「言わないでしょうね」

 

 千代は笑う。

 

「あの子は昔から、そういうところは本当に不器用だから」

 

「……そうかもしれません」

 

 リリスは小さく笑った。

 

「だから」

 

 千代が続ける。

 

「私もあなたを頼っていいのかなと思っているの」

 

「もちろんです」

 

 リリスはすぐに答えた。

 

「私にできることでしたら」

 

「ありがとう」

 

 千代は嬉しそうに笑う。

 

「じゃあ、祭りの準備が終わるまで、少し付き合ってもらえるかしら?」

 

「はい」

 

「料理もお願いしていい?」

 

「もちろんです」

 

「助かるわ」

 

「私も料理は嫌いではありません」

 

「それなら安心ね」

 

 千代とリリスは立ち上がった。

 

「朔夜さんもどうする?」

 

「私も手伝います」

 

「ありがとう」

 

 三人は屋敷の中へ戻っていった。

 

     *

 

 その頃。

 

 国綱は屋敷の前にいた。

 

「俺、一回事務所に戻るわ」

 

 リリスが振り向く。

 

「……準備から逃げるんですか?」

 

「違ぇよ」

 

「では?」

 

「買い物だ」

 

「何を?」

 

「色々だ」

 

 リリスは目を細めた。

 

「嫌な予感しかしません」

 

「気のせいだ」

 

「所長の『気のせい』は信用できません」

 

「そうか?」

 

「はい」

 

 国綱は煙草を咥える。

 

「リリス」

 

「はい」

 

「お袋を手伝ってやれ」

 

「分かりました」

 

「頼む」

 

「はい」

 

 国綱はそれだけ言って歩き出した。

 

 振り返ることもなく。

 

 リリスはその背中を見送る。

 

「……」

 

 千代が隣へ来る。

 

「本当に行っちゃったわね」

 

「ええ」

 

「昔からああなのよ」

 

「知っています」

 

「でも」

 

 千代は少し笑う。

 

「戻ってくるわよ」

 

「はい」

 

     *

 

 鬼嶺国から人間の国へ。

 

 そして。

 

 事務所へ。

 

 国綱はそこで結婚祝いの金を用意し、大量の酒を買い込んだ。

 

 鬼嶺国との往復だけでも時間がかかる。

 

 そのため。

 

 国綱が再び鬼嶺国へ戻ってきたのは、五日ほど後だった。

 

     *

 

 五日後。

 

 鬼嶺国の入口。

 

 一台の車が止まった。

 

 ドアが開く。

 

 国綱が降りる。

 

 車には大量の酒が積まれている。

 

 さらに。

 

 金貨の入った革袋まであった。

 

「国綱!」

 

 街の人間が声を上げる。

 

「遅ぇぞ!」

 

「どこ行ってたんだ!」

 

「祭りの準備はほとんど終わってるぞ!」

 

「五日もいなくなる奴があるか!」

 

 国綱は酒の箱を降ろしながら、面倒そうに手を振る。

 

「うるせぇな」

 

「うるせぇじゃねぇ!」

 

「ちゃんと戻ってきただろ」

 

「そういう問題じゃねぇ!」

 

「まあまあ」

 

 国綱は鷹揚に手を振る。

 

「酒買ってきたぞ」

 

「……」

 

 男たちが酒を見る。

 

「……許す」

 

「現金だな、お前ら」

 

「祭りだからな!」

 

 別の男も笑う。

 

「酒があるなら文句ねぇ!」

 

 国綱は呆れたように笑った。

 

「調子いい奴らだな」

 

     *

 

 国綱が街を見回す。

 

 通りには提灯。

 

 竹の飾り。

 

 屋台。

 

 櫓。

 

 石灯籠。

 

 普段の鬼嶺とは、まるで違う景色になっていた。

 

「……」

 

 国綱はしばらく眺める。

 

「随分変わったな」

 

「みんな頑張ったからな」

 

「そうか」

 

 国綱は煙草を吸う。

 

 そして。

 

 ふと。

 

「鳥居が小せぇな」

 

「普通の大きさです」

 

「祭りだろ」

 

「はい」

 

「もっとデカくしろ」

 

「……」

 

 国綱は周囲を見る。

 

 そして。

 

 近くにあった巨大な岩を指差した。

 

「あれ」

 

「……?」

 

「使う」

 

「何に?」

 

「鳥居」

 

「…………」

 

 周囲の人間が固まった。

 

 高さ。

 

 十メートル近い。

 

 山から転がってきたらしい巨大な岩。

 

 普通なら。

 

 どうやって運ぶかを考えるところだ。

 

 だが。

 

 国綱は。

 

「よっ」

 

 岩へ手をかけ。

 

 そのまま持ち上げた。

 

「…………」

 

 全員の口が開く。

 

「……相変わらずの馬鹿力だな」

 

「十メートル近い岩だぞ……」

 

「知ってる」

 

「それを持ち上げてるんだぞ」

 

「見れば分かる」

 

 国綱は別の岩も持ち上げた。

 

 ドン。

 

 二本の柱を適当に立てる。

 

 そして。

 

 三つ目の岩を持ち上げる。

 

 ドンッ。

 

 その上に横向きに置いた。

 

 地面が揺れ。

 

 砂埃が舞う。

 

「よし」

 

 国綱は満足そうに頷く。

 

「……」

 

「鳥居……なのか?」

 

「鳥居だろ」

 

「岩三つだぞ」

 

「本人が鳥居って言ってるんだから鳥居だ」

 

 国綱は煙草を咥える。

 

「削って形整えとけ」

 

「誰が?」

 

「お前ら」

 

「……」

 

「祭りなんだから、ちゃんとしろ」

 

「いや、作ったの国綱だろ!」

 

「だから仕上げろ」

 

「滅茶苦茶だな……」

 

 それでも。

 

 街の人間たちは工具を持ち出した。

 

 岩を削り。

 

 角を落とし。

 

 表面を整える。

 

 精巧なものではない。

 

 だが。

 

 十メートル級の巨岩を三つ組み合わせた、巨大な石の鳥居が出来上がっていった。

 

 誰もが呆れていた。

 

 それでも。

 

 どこか楽しそうだった。

 

     *

 

 夕方。

 

 国綱は屋敷へ戻った。

 

「ただいま」

 

「お帰りなさい」

 

 千代が迎える。

 

「リリスは?」

 

「台所よ」

 

「そうか」

 

「五日もどこへ行っていたの?」

 

「事務所」

 

「……」

 

 千代は呆れたように笑う。

 

「相変わらずね」

 

「悪かったな」

 

「別に」

 

「そうか」

 

 国綱は靴を脱ぐ。

 

「朔夜は?」

 

「客室にいるわ」

 

「呼んでくれ」

 

「何をするの?」

 

「ちょっとな」

 

     *

 

 しばらくして。

 

 朔夜が客室へ入ってきた。

 

「国綱さん」

 

「ああ」

 

「お呼びですか?」

 

「これ」

 

 国綱は革袋を机へ置く。

 

 ズシン。

 

 重い音が響く。

 

「……?」

 

「開けてみろ」

 

 朔夜が袋を開く。

 

「……!」

 

 中には大量の金貨が入っていた。

 

「これ……」

 

「四千ゴールド」

 

「四千……」

 

 朔夜が息を呑む。

 

「こんな大金……」

 

「結婚祝いだ」

 

「……」

 

「それと」

 

 国綱は少しだけ目を逸らした。

 

「慰謝料」

 

「慰謝料……?」

 

「ああ」

 

「でも……」

 

 朔夜が戸惑う。

 

「もう婚約は……」

 

「俺が破棄した」

 

「はい」

 

「面倒だったからな」

 

「……」

 

「それに」

 

 国綱は朔夜を見る。

 

「俺は、そんな約束があったこと自体知らなかった」

 

「……はい」

 

「だが」

 

 国綱は少し間を置いた。

 

「お前の時間を無駄にした」

 

 そして。

 

 頭を下げる。

 

「すまなかった」

 

「……!」

 

 朔夜が目を見開いた。

 

 国綱が。

 

 頭を下げている。

 

「国綱さん……」

 

「受け取ってくれ」

 

「でも、こんなに……」

 

「いい」

 

「……」

 

「俺の弟と結婚するんだろ?」

 

「はい」

 

「なら」

 

 国綱は頭を上げる。

 

「幸せになれ」

 

 朔夜はしばらく黙っていた。

 

 やがて。

 

「……ありがとうございます」

 

「ああ」

 

「大切に使います」

 

「そうしてくれ」

 

「本当に……ありがとうございます」

 

「礼はいい」

 

 朔夜は深く頭を下げた。

 

「はい」

 

     *

 

 その様子を。

 

 襖の隙間から千代が見ていた。

 

「……」

 

 自分から頭を下げる。

 

 相手の時間を無駄にしたことを認める。

 

 弟の結婚を祝う。

 

 そして。

 

 四千ゴールドという大金を渡す。

 

 千代は。

 

 幼い頃の国綱を思い出していた。

 

 何を言っても反発する。

 

 悪いことをしても謝らない。

 

 叱られれば。

 

「知らねぇ」

 

「うるせぇ」

 

 そればかり。

 

 そんな息子が。

 

 今。

 

 自分から頭を下げた。

 

「……」

 

 千代の目に涙が浮かぶ。

 

「大きくなったわね……」

 

 小さく呟く。

 

「本当に……」

 

 涙を拭う。

 

「大きくなったわ」

 

     *

 

 その夜。

 

 鬼嶺の国に太鼓の音が響いた。

 

 ドン。

 

 ドン。

 

 ドン。

 

 街の明かりが一つずつ灯っていく。

 

 古い石灯籠。

 

 軒先の提灯。

 

 魔石灯。

 

 竹林の間を縫うように。

 

 明かりが続いていく。

 

 屋台には料理が並び。

 

 肉を焼く香ばしい匂いが漂う。

 

 煮物から湯気が立ち。

 

 甘い菓子が並ぶ。

 

 そして。

 

 大量の酒。

 

 子供たちは走り。

 

 若者たちは笑い。

 

 老人たちは酒を片手に昔話をする。

 

 普段は静かな鬼嶺の街が。

 

 その夜だけは。

 

 まるで別の国のように賑わっていた。

 

 祭りの入口には。

 

 昼間、国綱が勝手に積み上げた。

 

 巨大な石の鳥居がある。

 

 十メートル近い巨岩を三つ。

 

 乱暴に組み合わせただけのもの。

 

 それでも。

 

 提灯に照らされると。

 

 妙な迫力があった。

 

「……」

 

 リリスが見上げる。

 

「本当に大きいですね」

 

「そうだな」

 

 千代が笑う。

 

「国綱さんらしいでしょう?」

 

「はい」

 

 リリスも少し笑った。

 

「所長らしいです」

 

「ふふ」

 

 千代が笑う。

 

「やっぱり、あなたは国綱さんのことをよく分かっているわね」

 

「長い付き合いですから」

 

「そうね」

 

 少し離れたところでは。

 

 信綱と朔夜が並んでいる。

 

 信綱は穏やかな表情で祭りを眺め。

 

 朔夜は隣で静かに笑っていた。

 

 そして。

 

 龍神も。

 

 少し離れた場所から街を眺めている。

 

 人々は龍神を恐れている。

 

 だが。

 

 それだけではない。

 

 感謝。

 

 敬意。

 

 祝い。

 

 長い間、捧げ物をすることでしか伝えられなかったものが。

 

 今日は。

 

 言葉と笑顔になっている。

 

「……」

 

 龍神は黙って祭りを眺めていた。

 

「どうだ?」

 

 国綱が隣から声をかける。

 

「……悪くない」

 

「だろ?」

 

「貴様に言ったわけではない」

 

「はいはい」

 

 龍神はそっぽを向く。

 

 だが。

 

 その表情は。

 

 以前より少しだけ柔らかかった。

 

 古い儀式は。

 

 祭りへ変わった。

 

 恐れだけで結ばれていた人と龍の関係も。

 

 少しずつ変わろうとしている。

 

 そして。

 

 信綱と朔夜の婚姻も。

 

 その変化の中で祝われる。

 

 竹林に囲まれた古い国。

 

 鬼嶺。

 

 その夜。

 

 街はいつもより明るく。

 

 いつもより騒がしく。

 

 そして。

 

 いつもより温かかった。

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