俺の異能が中華ゲーだった ~34歳無職、ガチャで引いたキャラに変身して働きます~ 作:パラレル・ゲーマー
日曜日。
金曜日に玲蘭との買い物の付き添いを終え、翌日の土曜日は特に事件も八咫烏からの呼び出しもなく、直哉は久々に平和な休日を過ごしていた。
そして、日曜日。
直哉は昼過ぎから、実家の自室のベッドに腰掛けたまま、完全に落ち着かない様子で視界の《因果集結クロニクル》の画面を何度も開いたり閉じたりしていた。
彼が気にしているのは、限定キャラクターのバナーだ。
画面の隅には、赤字で『残り時間』が表示されている。
(……いよいよ、終わるのか)
直哉がこの《因クロ》の能力に目覚めてから、ずっと画面に居座り続けていたあの『白髪の青年』のピックアップバナー。
ついに今日、その期間が終了し、新しいガチャへと切り替わるのだ。
直哉は、現在の所持リソースを確認した。
『因果晶:8,000』
ちょうど、五十連分の石がある。
前回の三十連目で目当てだった★5の『白峰レイジ』を引き当てたため、確定天井のカウントはすでにリセットされている。
『★5キャラクター確定まで:80回以内』
そして、「ピックアップ対象確定」のシステム保証も消費済みだ。
つまり、今のこの残りの五十連を全て突っ込んだとしても、天井には届かない。
直哉は、終了間際のバナーのイラストをジッと見つめた。
(……五十連分、まだ石はあるんだよな)
ガチャゲーマーなら誰もが経験する、終了直前の『追いガチャ』への強烈な誘惑。
だが、直哉の頭は冷えていた。
(いや、ここで使う意味は薄いだろ)
すでに目当ての★5キャラクターは引いている。ここで石をすっからかんにして、被りを引いたり、あるいは何も出なかったりすれば完全に無駄玉になる。
ここは次の新しいバナーがどんな内容になるか、ラインナップを見てから決めるのが一番賢い。
今回は、直哉の理性がギャンブル欲に見事に勝利した。
だが、直哉には一つだけ、システムに対する大きな疑問があった。
(そもそも、この能力の限定バナーの更新って……どういう挙動になるんだ?)
普通のソシャゲであれば、メンテが明ければ新しいガチャが来ている。
だが、これは直哉の視界にだけ映る超常のシステムだ。
次の限定バナーは、時間終了と同時にすぐ来るのか?
それとも、しばらくは恒常ガチャだけになったりするのか?
そもそも、期間が終了した瞬間に画面はどうなるのか?
そして、一番気になるのが『天井の引継ぎ』だ。
(次のバナーでも確定天井が『80回以内』なら……天井のカウントが次のガチャへ引き継がれたのか、それとも更新時に80へリセットされたのかが判別できないんだよな)
もし今、天井カウントが『残り50回』などと中途半端な数字であれば、次のバナーでその数字が維持されているか確認できた。
だが、よりによって今は綺麗に『80回』の初期値のままだ。
(一番検証したい部分が検証できないのか……まあ、仕方ないな。とりあえず保留だ)
バナーの終了時刻まで、残り十数分。
直哉は、いつも遊んでいるPCのFPSゲームを起動してみたが、全く集中できなかった。
結局、ゲームを落としてPCから手を離し、ベッドの上に寝転がった。
視界に《因クロ》の画面を展開したまま、ただじっとその時を待つ。
(なんか、ソシャゲのメンテ明けをスマホ握りしめて全裸待機してる時みたいな気分になってきたな)
ただし、このゲームには運営の告知ツイートも、有志の攻略Wikiもない。
更新時刻になった瞬間、何が起きるのか。それは直哉自身の目で確かめるしかないのだ。
残り時間が、刻一刻と減っていく。
数分。
一分。
数十秒。
直哉は、息を呑んで画面を凝視した。
「…………」
そして。
最後のカウントダウンの数字がゼロになった瞬間。
『開催期間終了』
バナーのイラストが、フッと暗転した。
直哉は小さく声を漏らした。
「おお……」
そのまま、固唾を飲んで次の変化を待つ。
一秒。
二秒。
数秒が経過した。
だが、画面には何も出ない。新しいバナーも現れない。
「…………」
直哉の内心に、嫌な予感がよぎった。
(え?)
(終わり? しばらく限定ガチャなしか?)
少しだけ不安になった、その直後だった。
視界の中央に、強烈な光のエフェクトが弾けた。
『【新規期間限定集結】』
派手な演出と共に、暗転していた画面がパッと切り替わる。
直哉は思わず身を乗り出した。
「来た!!」
そして、新しく更新されたピックアップのイラストが、直哉の目に飛び込んできた。
そのイラストを見た瞬間。
直哉の思考が、完全に停止した。
最初に目に飛び込んできたのは、艶のある、濡れたような美しい長い黒髪。
腰の近くまで流れるストレートヘアが、夜風に靡いている。
瞳は、吸い込まれるような深い赤紫色。
衣装は、白を基調としながらも、黒と深紅の差し色が入った和風の戦装束だった。
神社の巫女服を思わせるような意匠は各所に見られるが、決して普通の巫女の格好ではない。
長い袖。随所にあしらわれた赤い組紐と金属の装飾。
スカートの裾は戦闘の邪魔にならないように短く整えられ、足元は和装に現代的な黒い編み上げブーツを合わせている。
腰には、黒漆の鞘に収められた、身の丈ほどもある細身の太刀。
背景は、暗い夜の森。大きな満月と、古い苔生した鳥居。
彼女の周囲には、青白い狐火のような灯りがいくつも浮遊している。
その表情は静かで、派手な笑顔を作っているわけではない。
だが、一目見ただけで完全に心を奪われるほどに、凛として美しかった。
直哉の視線が、バナーの上部のテキストへと吸い込まれる。
『★★★★★ 九条紫苑(くじょう・しおん)』
その下に、小さなルビが振られている。
『《宵刃の巫女》』
直哉は、口を半開きにしたまま。
「…………」
五秒ほど、完全にフリーズした。
そして。
次の瞬間、実家のベッドの上で両手を握りしめ、天井に向かって叫んだ。
「うおおおおおおおおおおおおっ!!!」
直哉の脳内は、完全にバグっていた。
(黒髪ロング!!)
(和装!!)
(刀!!)
(美少女!!)
(欲しい!!! めちゃくちゃ欲しい!!!)
彼はまだ、このキャラクターの性能を何一つ知らない。
近接なのか、サポートなのか。《現地登録Tier》がいくつなのか。
そもそも、本当に戦闘キャラなのかどうかすら、取得してプロフィールを開いてみなければ分からないのだ。
だが。
(そんな細かい性能とかステータスなんて、後回しでいい!!)
完全に、男としての『見た目の好み』という一番危険な理由だけで、ガチャを引きに行こうとしていた。
だが、画面の下の数字が、直哉の理性をギリギリのところで繋ぎ止めた。
『因果晶:8,000』
『★5キャラクター確定まで:80回以内』
直哉の指が、空中でピタリと止まった。
「…………」
頭の中の、わずかに残った冷静な三十四歳の自分が囁きかける。
『おい、直哉。冷静に考えろ。手元にあるのは五十連分しかないぞ。天井までは八十連だ。あと三十連も足りないんだぞ。星5の排出率はたったの0.6%だ。しかも今回は、すり抜けなしの「ピックアップ確定」の保証もないんだぞ』
全くもって、正しい。
ここで五十連を突っ込んでも、出なければ完全に石をドブに捨てるだけだ。
(……いや待てよ)
(冷静に考えろ、俺)
直哉は、もう一度、バナーの紫苑のイラストを見た。
艶やかな黒髪。和風の戦装束。赤紫の瞳。
そして、あの太刀。
「…………」
直哉の脳内で、三秒後に理性が完全に敗北した。
(五十連あるんだぞ?)
直哉の中に、ガチャゲーマーにありがちな『謎理論』が発生した。
(一回、二回じゃない。五十回もガチャを引くんだぞ?)
(さすがに、五十回も抽選の機会があれば、途中で一回くらいは星5がポロッと来るだろ?)
なんの根拠もない。数学的な確率論から言えば、五十連で0.6%を引ける確率は決して高くなく、全く安心できる数字ではない。
それでも、ガチャのボタンを前にすると、ゲーマーにはどこからともなく『絶対に出る』という謎の自信が湧いてくるのだ。
直哉は、誰もいない自室で、自分自身の理性の声に向かって反論した。
「何言ってんだ」
一拍置く。
「五十連も石があるんだ」
「引くに決まってんだろ!!!」
直哉の指が、光り輝く『10回集結』のボタンを、力強く叩き割るようにタップした。
第一十連目。
『因果晶1,600を消費します。実行しますか?』
『YES』
因果晶の残高が、8,000から6,400へと減少する。
ガチャの演出が開始された。
青。青。青。
★3の武装が並んでいく。
途中で、光が紫色に変わった。
十連保証の、★4以上のキャラクター確定枠だ。
直哉は身を乗り出して期待した。
だが、表示されたのは。
『★★★★ 東雲セナ《黎明の遊撃手》』
「セナかぁ……!」
当然、新規ではない。
『重複キャラクターを獲得しました』
『《因果共鳴》システムにより、キャラクターの限界突破素材へ変換されます』
結果画面。★5はなし。
直哉は、鼻で笑った。
「まあまあまあ。こんなもんだろ」
心にはまだ圧倒的な余裕があった。
(まだあと、四十連もあるんだからな)
第二十連目。
6,400から4,800へ。
再び、青い光が主体だ。
紫の光が一つ。
開いてみると。
『★★★★ 鳴海伊織《遠景の照準手》』
またしても既存の★4キャラクターの重複だった。
★5の気配はない。
直哉の顔から、少しだけ笑顔が消え、口元が硬くなった。
「…………」
(まあ……まだ三十連あるし)
第三十連目。
4,800から3,200へ。
またしても、紫の確定演出。
今度は、先日引いたばかりの『千里』の重複だった。
『★★★★ 御影千里《万里の観測官》』
直哉は思わず突っ込んだ。
「お前、ついこの前の水曜日に来たばっかりだろ! どんだけ俺のガチャに割り込んでくるんだよ!」
当然、千里が二人同時に顕現するわけではない。《因果共鳴》の素材へと変換されるだけだ。
そして。
この十連でも、★5は出なかった。
三十連が終了した時点での、ステータス画面。
『因果晶:3,200』
『★5キャラクター確定まで:50回以内』
直哉は、完全に無言になった。
「…………」
今、手元に残っている石は、たったの二十連分。
九条紫苑は、まだ出ていない。
(……いや)
(まだだ。まだ二十連ある)
ここまで石を突っ込んでしまうと、もはや「石を温存して撤退する」という発想は、ゲーマーの脳から完全に消え去っている。サンクコストの呪縛だ。
第四十連目。
3,200から1,600へ。
演出。
青。青。紫。
★4キャラクター。
『★★★★ 東雲セナ《黎明の遊撃手》』
また被り。
直哉は何も言わず、《因果共鳴》の表示を眺めた。
結果一覧画面。
★5は、なし。
直哉の顔が、能面のように虚無になった。
「…………」
残りの石。
『1,600』
次が、泣いても笑っても最後の十連だ。
直哉は、ガチャ画面を一度閉じて、バナーのトップ画面へと戻った。
九条紫苑のイラストが、こちらを静かに見つめている。
当然、ただの絵だ。
だが、直哉の頭の中には、ガチャをやる人間特有の、限界まで追い詰められた時に発動する『謎のオカルト思考』が巡っていた。
(……ここだろ)
(四十連、ここまで一切星5の気配が出なかった)
(確率が収束してるんだ。だから、次の最後の十連で、必ず大爆発して出る)
確率は、過去の結果に左右されるようなシステムではない。独立事象だ。
そんなことは頭では分かっている。だが、そう信じるしかなかった。
直哉は、震える声で祈るように呟いた。
「頼むぞ……!」
最後の十連ボタンを、押し込む。
『YES』
1,600から、0へ。
最後の十連。
直哉は、一枚ずつ、祈るように結果を見ていった。
一枚目。
青。★3武装。
二枚目。青。
三枚目。青。
四枚目。紫。
直哉が「……!」と息を呑むが、★4の既存武装だった。違う。
五枚目。青。
六枚目。青。
七枚目。青。
八枚目。青。
九枚目。青。
そして、最後の一枚。十枚目。
光が弾ける。
直哉は、文字通り息を止めた。
(来い!!)
だが。
画面を覆ったのは、黄金色ではなく。
無慈悲な『紫色』の光だった。
「…………」
表示されたのは。
『★★★★ 鳴海伊織《遠景の照準手》』
既存の重複。
『重複キャラクターを獲得しました』
『《因果共鳴》システムにより、キャラクターの限界突破素材へ変換されます』
十連、終了。
結果一覧の画面。
★5の獲得数。
『0』
九条紫苑。
『未獲得』
そして、右上のリソース残高。
因果晶。
『0』
直哉は、画面を見つめたまま、完全に固まっていた。
「…………」
深い、深い静寂が自室に落ちた。
時計の針の音だけが、やけに大きく聞こえる。
数秒後。
直哉は、糸が切れたマリオネットのように、ベッドの上へ後ろ向きにバタリと倒れ込んだ。
視界に浮かぶバナーの文字が、直哉の敗北を残酷に告げている。
『★5キャラクター確定まで:30回以内』
五十連分、しっかりと回した。
だから、天井のカウントは80から30へと、正確に進んでいる。
直哉は、天井を仰ぎ見たまま、虚ろな声で呟いた。
「…………」
あと三十連。
必要因果晶は4,800。
でも、現在の手持ちの石は。
完全な、ゼロ。
直哉は、乾いた笑いを漏らしながら、精一杯の負け惜しみを口にした。
「……まあ」
一拍置く。
「分かってたよ。出ないだろうなって」
大嘘である。
ほんの数分前まで、「五十連あるんだから引くに決まってるだろ!!」と、自分から大見得を切ってボタンを押したのだ。
直哉は、自分で自分に虚しいツッコミを入れた。
(いや、星5の確率は0.6%だぞ。五十連ごときで出ないのなんて、別に珍しくもなんともない確率だろ)
(頭では分かってたんだ。ソシャゲを何年もやって、散々爆死してきてるんだから)
そして。
(じゃあ、なんで俺は……五十連回す前は、あんなに『絶対に引ける』っていう謎の自信に満ち溢れてたんだ……?)
ガチャの誘惑と魔力。
その恐ろしさを、直哉は現実世界で身をもって再確認していた。
とはいえ。
今回の五十連が、本当に完全な虚無だったわけでもない。
セナ。
伊織。
千里。
またセナ。
そして、もう一度伊織。
★4キャラクターの重複分は、それぞれ《因果共鳴》によって限界突破素材へ変換されている。
(まあ……被った分は素材になってるしな)
何にどこまで使えるのか、まだ直哉自身もきちんと確認してはいない。
以前Lv.20へ到達した時に表示された《昇格素材》と同じものなのか、それとも別の強化に使うものなのかも分からない。
だから、「爆死したけど全部有用だった」と胸を張れるほど前向きにはなれない。
(……慰めにはなる。ほんのちょっとだけ)
直哉の視線が、再び『因果晶:0』の数字へと向かう。
(昔の俺なら……普通のソシャゲなら、ここからクレカを切って課金して、天井まで回してたんだろうな……)
だが、《因クロ》のシステムには、いくら探しても『課金ボタン』が存在しない。
ショップの機能はあるが、現実の日本円の現金を使って、因果晶そのものを購入するシステムはどこにもないのだ。
つまり。
このゲームは、『金(リアルマネー)の力では解決できない』。
それは、元・廃課金ゲーマーだった直哉にとっては、ある意味で非常に健全であり、同時に極めて苦しい縛りでもあった。
しかし、直哉は以前ほど深い絶望のどん底にはいなかった。
(まあ……)
(また仕事して、石を稼げばいいだけだからな……!)
因果晶は、現実世界において、自分の介入によって結果を変えた時に発生することがある。
もちろん、「仕事を受ければ必ず石が出る」という単純なシステムではない。それは施設警備の仕事で嫌というほど学んだ。
それでも、ただベッドで寝転がっているよりは、八咫烏の仕事をして現場に出ている方が、石を獲得できる機会が増える。
新しいバナーの期間は始まったばかりだ。
あと4,800石。
「……仕事、するか」
十一ヶ月間、無職で引きこもっていた男の口から。
自発的に、しかもめちゃくちゃ前向きなトーンで「労働への意欲」が出力された。
能力に目覚めたばかりの頃の直哉からすれば、とても信じられないような台詞だった。
その直後だった。
『ブルルルッ』
直哉のスマートフォンが、短い振動と共に通知を知らせた。
直哉は飛び起きた。
「!」
(八咫烏からか!? さっそく仕事の依頼か!?)
直哉は、爆速でスマホを手に取り、画面を見た。
しかし。
表示されていたのは、求人の案件通知ではなかった。
『森川さん。業務外の件で、一点確認がございます』
霧島からの、直接のメッセージだった。
直哉は首を傾げながら、メッセージの続きを読む。
『先ほど、ノア・ヴァレリウス氏より、森川さんの連絡先を教えてほしいとの申し出がありました』
直哉の思考が、完全に停止した。
「…………」
予想外すぎる。
なぜ、暗殺者から連絡が来るのだ。
霧島のメッセージは、極めて事務的に続いていた。
『当然ながら、八咫烏として、ご本人の事前の許可なく個人の連絡先を外部へ開示することは絶対にできません』
『先方へ、森川さんの連絡先を共有してもよろしいでしょうか?』
ここで直哉は、八咫烏という組織の情報管理の徹底ぶりに少し感心した。
金曜日に、『能力で情報が漏れるかもしれない』という話を玲蘭としたばかりだ。こうして通常の個人情報保護のルールがしっかりしているのは、非常にありがたい。
だが、問題はそこではない。
(なんで、ノアが俺の連絡先を知りたがるんだ?)
直哉は考えた。
水曜日のオークション。
あの時は、完全に利害が一致して、一緒にノクターンを追って走り回った。普通に会話もしたし、最後にはお互いに名前で呼び合うような、妙な『知り合い』状態になって別れた。
しかし。
(……そういや俺たち、あの時、連絡先の交換とか一切してなかったな)
どうやら、ノアの側もそれに後から気づき、八咫烏を通して連絡してこようとしたらしい。
直哉は、少しだけ迷った。
だが、金曜日に霧島から聞いた情報でも、ヴァレリウス側が今回の玲蘭に関する案件から手を引いたという話は、複数の情報筋で一致している。
加えて、水曜日にノア本人も、もう玲蘭を狙うつもりはないと明言していた。
少なくとも現時点で、ノアは直哉にとって、命を狙ってくる『敵』ではない。
直哉は、短く返信を打った。
『構いません。教えて大丈夫です』
送信。
数十秒後、霧島から返信が来た。
『承知しました。先方へ共有いたします』
それだけだ。
八咫烏は、あくまで双方の間に立って、本人確認と同意を取っただけだった。
それから、一時間ほどが経過した。
直哉は再びPCのゲームに戻っていたが、さっきの五十連爆死のショックが完全に尾を引いており、エイムがブレブレで全くゲームに集中できなかった。
ふと、キーボードから手を離し、視界の《因クロ》の画面を見る。
黒髪の和風美少女。
そして、『因果晶:0』の絶望的な数字。
(…………紫苑)
未練たらたらである。
その時だった。
『着信』
スマホが、見知らぬ番号からの着信を告げて震え出した。
直哉は、マウスから手を離し、画面を見つめた。
(来たか)
通話ボタンをスワイプする。
現在の直哉は、当然ながら三十四歳の男の姿だ。変身はしていない。
「もしもし?」
直哉が低い声で出ると。
電話の向こうから、聞き覚えのある、あの生意気で軽い少年の声が響いた。
『もしもしー。メイド長?』
直哉は、ため息をついて返した。
「なんだよ、ノア」
少しの、沈黙。
電話の向こうで、ノアが少しだけ驚いたような声を出した。
『ああ、素なんだ』
直哉は眉をひそめた。
「何が?」
『声。普通におっさんじゃん』
直哉はカチンときて言い返した。
「悪かったな! これが俺の本来の声だ!」
ノアが、楽しそうに笑う声が聞こえた。
『まあ、そうだよな。ずっとあの姿で変身してるわけねえか。ああいう変身系の能力なら、変身時間に制限があったり、一日の使用回数とか、何かしらキツい制約があるだろうしな』
直哉の内心が、(いや、時間制限も回数制限も全くねぇけど?)と突っ込みかけた。
だが、直哉は金曜日に玲蘭から言われた忠告を、しっかりと覚えていた。
『必要のない秘密まで、わざわざ自分から喋らないこと』。
直哉は、冷静に考えた。
(……まあ、ここでわざわざ「制限なんてないよ」って訂正して、相手に情報を与える必要はないな。勘違いさせとけばいい)
直哉は、ノアの推測を適当に流すことにした。
「まあ、そんなところだよ」
ノアは『ふーん』とだけ言って、それ以上深くは追求してこなかった。
直哉も、余計な情報を自分から付け足すことはしなかった。
だが、直哉の機嫌が悪いことには変わりない。
「それで、何の用だよ」
『……なんか、声のトーン低くね? 機嫌悪いの?』
「悪いよ。最悪だね」
『なんで?』
直哉は、心底恨めしそうに吐き捨てた。
「今さっき、ガチャで五十連爆死したばっかりだから」
電話の向こうに、一瞬だけ理解の追いつかない沈黙が落ちた。
『……何だよそれ』
「ガチャだよ! 十連ガチャを五回連続で回して、全部外れたんだよ!」
『お前、ソシャゲしてんの?』
「してたよ! 悪いか!」
ノアが、呆れたように言った。
『何? モンストシューター?』
直哉は、以前遊んでいたソシャゲの名前を出されて、少しだけ毒気を抜かれた。
「……それもやってるけど、そっちのガチャじゃない」
『他にもやってんの?』
「まあな」
さらに、直哉はどうでもいいマウントを取りに行った。
「ちなみに、モンストシューターの方なら、俺は昔かなり廃課金して上位のランカーだったからな」
ノアが聞き返す。
『廃課金?』
「そこはどうでもいいだろ!」
直哉は、ガチャ爆死直後で情緒が不安定なため、いつも以上にノアに対する対応が雑になっていた。
「で、結局何の用なんだよ? わざわざ八咫烏にまで俺の番号聞いてきたんだから、なんかあるんだろ」
ノアは、『ああ』と軽い声で答えた。
『前回、オークションの時にさ。別れ際、連絡先交換してなかったことに気づいてさぁ』
直哉は、無言になった。
「…………」
「それだけ?」
『それもある』
「他にもあるのかよ」
『あるある』
直哉が促す。
「何?」
ノアが本題に入る前に、直哉はどうしても気になっていたことを聞いた。
「ていうかさ、お前、まだ日本にいるの?」
ノアは当たり前のように答えた。
『いるよ』
「国に帰ってないの?」
『うん。次の仕事の依頼が入るまで、こっちで待機』
直哉は首を傾げた。
「待機?」
ノアの声から、キャンディを舐める音が聞こえた。
『今、日本で休暇中って感じ』
直哉は呆れた。
「暗殺者にも、休暇なんてあんの?」
『あるだろ、普通に。俺たちだって人間なんだから、仕事と仕事の間には休みくらいもらうよ』
「お前らのその血生臭い『普通』を、俺の常識に求めるなよ」
ノアが、電話の向こうで声を上げて笑った。
『ひでえな。結構ホワイトな家系なんだぜ、うちは』
ノアが、少しだけ声を弾ませて言った。
『次の仕事が決まるまで暇だし、せっかく日本まで来てんだからさ』
『ちょっと、観光したいんだよね』
直哉は、目を点にして復唱した。
「観光」
つい数日前。
自分を殺しかけ、玲蘭の首を絞め、地下駐車場で死闘を繰り広げた、Tier2の暗殺者。
その少年が、今。
『観光客』として、日本を満喫しようとしている。
(落差がおかしいだろ……)
ノアが付け加えた。
『あと、ちょっとした調査もしたいし』
直哉の警戒センサーが少しだけ反応した。
「調査?」
『うん。大したことじゃねえよ。観光のついで』
直哉は、眉をひそめた。
「その『調査』って、俺が後で八咫烏に怒られるようなやつじゃないだろうな?」
電話の向こうで、ノアが笑った。
『違う違う。お前に犯罪の手伝いさせようって話じゃねえよ』
「本当だろうな?」
『心配性だな、おっさん』
「お前相手なら普通だよ!」
ノアは結局、何を調べるつもりなのかまでは詳しく語らなかった。
直哉も、そこで完全に警戒を解いたわけではない。
(……まあ、何を調べるのかは、会ってからちゃんと聞けばいいか)
少なくとも、電話口で聞いた限りでは、今すぐ八咫烏へ通報しなければならないような話ではなさそうだった。
ノアが、極めて軽いノリで提案してきた。
『だからさ、付き合ってよ』
直哉は、耳を疑った。
「…………俺が?」
『うん』
「なんで俺なんだよ」
『だって、お前日本人だろ? 案内してよ』
直哉は即座に突っ込んだ。
「理由が雑すぎるだろ!」
だが、直哉は一瞬だけ考えた。
水曜日のオークションでは、ノアと完全に利害が一致し、背中を任せて一緒に動いた。
玲蘭への暗殺依頼についても、手を引いたという情報は複数筋で一致している。
そして今は、八咫烏を経由し、直哉本人の同意を取った上で連絡先を交換した相手でもある。
さらに直哉自身も、五十連爆死して完全にふて腐れており、特に予定が詰まっているわけではない。
何より。
暗殺者が普通の観光をするとどうなるのか、少しだけ興味があった。
「……まあ、いいよ?」
ノアが、パッと明るい声を出した。
『マジ? やった』
だが、そこでノアから、とんでもない『追加条件』が提示された。
『あ、でも一つ頼みがある』
「何だよ」
『待ち合わせの時は、最初に会った時の、あの雷使うお姉さんの姿で来て』
直哉の脳裏に、東雲セナの姿が浮かんだ。
「…………」
「なんで?」
ノアは、あっさりと答えた。
『観光するなら、おっさんと並んで歩くより、可愛い美少女と歩く方がテンション上がるだろ』
直哉の怒りのツッコミが炸裂した。
「中身、俺なんだけど!!」
『知ってるよ』
「じゃあ意味ねえだろ!」
『意味あるだろ』
「どこに!?」
ノアは、堂々と言い切った。
『見た目は重要だろ?』
直哉は頭を抱えた。
「誰の需要だよ!」
『俺の』
「お前なあ!!」
ノアは、電話の向こうで完全に腹を抱えて楽しんでいるようだった。
少し笑いが収まった後、ノアが真面目なトーンで付け加えた。
『それに、あの子の姿が、一番普通に街を歩けそうじゃん』
直哉は、その理由には納得せざるを得なかった。
確かにそうだ。
エレノアの、あのクラシカルなメイド服。
レイジの、188センチの豪奢な法服。
千里の、特殊部隊のような観測官の制服。
伊織の、軍人チックな射撃班の装備。
それに比べれば、セナの和洋折衷の軽装は、コスプレの多い都内の街中であれば、まだ比較的『馴染ませやすい』部類に入る。
直哉はため息をついた。
「……まあ、それはそうかもしれないけどさ」
ノアが、満足そうに言った。
『じゃ、そういうことで。よろしくー』
直哉が慌てる。
「おい、まだ場所も日時も決めて――」
『あとでメッセージ送るわ。じゃあねー』
「勝手だな!」
『ツーツー……』
通話が切れた。
直哉は、スマホの画面を見つめたまま、呆然としていた。
「…………」
ほんの数日前。
こいつと、血みどろで殺し合っていた。
水曜日。
怪盗を一緒に追跡した。
そして、日曜日。
一緒に観光に行く約束をした。
(なんで、こうなった……?)
直哉の人生の人間関係のルートが、完全に迷子になっていた。
すぐに、ノアからメッセージが届いた。
『明日か明後日、空いてる方教えて。場所はそっちで適当に決めていいよ』
直哉は、来週には千里のオペレーターの初勤務も控えていることを思い出し、スケジュールを確認して返信を打った。
スマホをベッドに放り投げ。
直哉の視界には、まだあの新限定バナーが映り込んでいる。
『★★★★★ 九条紫苑《宵刃の巫女》』
黒髪。和装。太刀。
『因果晶:0』
『★5キャラクター確定まで:30回以内』
直哉は、大きなため息をついた。
「…………」
(ノアと観光、ねえ……)
(まあ、暇だし、気分転換にはいいか)
だが、直哉の視線は、どうしてもバナーの紫苑のイラストから離れなかった。
(それより……)
あと三十連。
必要な因果晶は、4,800石。
直哉の口から、ポツリと呟きが漏れた。
「……仕事、ねえかな」
自分で言ってから、直哉は少しだけ動きを止めた。
ほんの二週間ほど前まで、十一ヶ月間も無職で実家に引きこもり、「もう二度と働きたくない」と本気で思っていた男だ。
それが今。
ガチャ石を稼ぐために、自発的に労働を欲している。
(俺、変わったな……)
いや。
(これ、人間として『成長』してるって言っていいのか……?)
直哉は、自分で自分にツッコミを入れずにはいられなかった。
直哉は、最後にもう一度だけ紫苑のイラストを見つめた。
つい先ほど、五十連爆死したばかりだ。
次の★5までは、あと三十連。
ただし、次の★5が必ず紫苑である保証はない。50%のピックアップ確率をすり抜けて、既存の恒常キャラが出る可能性も十分にある。
直哉も、ゲーマーとして当然そのリスクは分かっている。
それでも。
(あと三十連なら……まあ、次こそはいけるだろ)
ガチャの魔力に憑りつかれた男は、全く懲りていなかった。
直哉はバナーを見つめながら、強い決意を込めて言った。
「待ってろよ、紫苑」
一拍置く。
「あと三十連で、必ずお迎えに行くからな」
数十分前、「五十連あるんだから引けるだろ!!」と豪語して爆死したばかりだ。
直哉の心の片隅で、冷静な三十四歳の自分がツッコミを入れていた。
(……いや、五十連で爆死した直後に、何でそんな謎の自信に満ち溢れてんだよ、俺)
それでも最後には。
(まあ、次は絶対に出るだろ)
という、完全なフラグしか立たないオカルト思考に帰結してしまうのが、悲しきガチャゲーマーの性であった。
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