俺の異能が中華ゲーだった ~34歳無職、ガチャで引いたキャラに変身して働きます~ 作:パラレル・ゲーマー
月曜日、午前十時。
昨日、ノア・ヴァレリウスからスマートフォンに送られてきたメッセージを確認する。
待ち合わせ時刻は午前十一時。
場所は、直哉が指定した上野駅の公園口近く。
ノアからのメッセージは、相変わらず極めて適当なものだった。
『場所はそっちに任せる』
『俺、ただの観光客だから東京の地理とか全然分かんねえし』
直哉は、そのメッセージを見ながら一人で毒づいていた。
(人に観光案内頼んどいて、待ち合わせ場所の選定から丸投げかよ。ふざけんな)
とはいえ、遠く離れた場所を指定されて迷子になられても面倒だ。直哉は都内で動きやすく、観光地へもアクセスしやすい上野を待ち合わせ場所に設定しておいた。
待ち合わせ時間の少し前。
直哉は、上野駅の近くまで三十四歳の男の姿で移動し、人目につかず監視カメラの死角となる路地裏へと入り込んだ。
視界の《因果集結クロニクル》の画面を開く。
今日のノアからの『追加条件』は、「一番最初に会った時の、雷を使うお姉さんの姿で来い」というものだった。
編成画面に、彼女がセットされていることを確認する。
『★★★★ 東雲セナ Lv.20』
直哉は、その名前を見つめて少しだけ目を細めた。
(そういや、セナの姿になるのも結構久しぶりだな……)
直近の仕事では、時間の停止できるエレノア、広域観測の千里、事象適応のレイジといった、新しい規格外のキャラクターばかりに頼っていた。
だが、この数日間の自分の能力者としての生活は、全てこのセナというキャラクターから始まったのだ。
初期からの相棒を使っていなかったことに、ほんの少しだけ申し訳なさと、そして懐かしさを感じた。
『【CHARACTER CHANGE】』
青白い光の粒子が、直哉の身体を包み込む。
視界の高さが少し下がり、164センチの小柄な身体へ。
身に纏っているのは、見慣れた濃紺の戦闘ジャケットと、腰に差した一振りの刀。
直哉の内心に、スッと心地よい感覚が広がった。
(おー……これこれ)
羽のように軽い身体。
爪先まで完全に制御できる、洗練された重心のバランス。
そして、体内に微かに流れている雷のエネルギーの感覚。
星5の新キャラがどれだけ増えようとも、やはり一番長く実戦で使ってきたこの形態の肉体感覚が、直哉にとっては一番しっくりと馴染んでいた。
(久々にセナだなー。やっぱりこの姿が一番落ち着くわ)
直哉は、軽く肩を回して路地裏を出た。
約束の十分前。
セナの姿で、上野駅公園口の待ち合わせ場所に立つ。
周囲を見渡すが、ノアの姿はまだない。
直哉は適当に壁際へと寄りかかり、通行人からはスマートフォンをいじっているように見せかけながら、視界の《因果集結クロニクル》の画面を開いた。
そこで。
(……あ)
直哉は、ふと思い出した。
昨日の日曜日、限定バナーの終了直前に起こした『五十連爆死』の悲劇。
その時、直哉は確かに、既存の★4キャラクターを複数回引き当てていたのだ。
記憶を辿る。昨日の五十連で、セナの重複が二回。
さらに以前、ノアと地下駐車場で死闘を繰り広げた際にも、緊急ガチャでセナの重複を二回引いていたはずだ。
つまり。
(セナの被り、合計で四回出てるよな……?)
直哉はハッとした。
(そういや俺、《因果共鳴》のシステムって、機能が解放されてから一回も触ってなかったな)
あの地下駐車場では、玲蘭の命がコンマ数秒の危機に晒されており、被りキャラが素材へと変換されたテキストを確認しただけで、それ以上の操作をしている余裕など一秒もなかった。
その後も、新キャラの能力測定や、八咫烏の仕事、オペレーター契約と怒涛の展開が続き、昨日も爆死の精神的ダメージが強すぎて、素材の詳細をチェックする気力すら湧かなかったのだ。
直哉は、システムのメニューから《育成》ではなく、《因果共鳴》の項目を開いた。
画面には、セナのステータスが表示されていた。
『★★★★ 東雲セナ《黎明の遊撃手》』
『現在因果共鳴段階:0』
『使用可能な専用因果共鳴素材:4』
直哉は頷いた。
「……うん。四つある」
当然だ。ガチャで四回被っているのだから。
念のためキャラクター一覧へ戻って他の素材も確認する。
『東雲セナ:4』
『鳴海伊織:3』
『御影千里:1』
「伊織、三つもあんのか……。千里も一つあるじゃん」
昨日の五十連だけで、伊織は二回、千里も一回重複していた。
さらに伊織は、以前の緊急ガチャでも一度被っている。
(こっちの凸効果も気になるけど……まあ、今はセナだな。ノアもそろそろ来るだろうし)
直哉は、再びセナの共鳴画面へ戻った。
その下のボタンが光っている。
『因果共鳴段階を解放しますか?』
一段階につき、素材を一つ消費する。現在、四段階まで一気に解放可能だ。
ここで、直哉はシステム上の一つの事実を確認した。
(あ、やっぱり《因果共鳴素材》って、レベル上限を解放するために必要な《昇格素材》とは完全に別枠の専用アイテムなんだな)
これで、以前から疑問に思っていたシステムの一部の未確定要素が一つ回収できた。
ガチャでキャラが重複した場合に得られる素材は、完全なる『凸(限界突破)専用』の素材なのだ。
同時に、別の疑問が浮かぶ。
(……じゃあ、Lv20の上限を突破するための《昇格素材》って、どこで手に入るんだ?)
能力に目覚めてから現在まで、それらしい素材を一つも手に入れた記憶がない。
(まあ、それは今度ちゃんと調べるか)
直哉は、光るボタンをタップした。
「とりあえず、やってみるか」
素材を一つ消費し、一段階目を解放する。
『因果共鳴・第一段階解放』
《雷装強化》
『最大HPが10%上昇する。』
極めてシンプルだ。
現在のセナ(Lv20)のステータスが更新される。
『HP:3,430 / 3,430』
↓
『HP:3,773 / 3,773』
直哉は感心した。
「おお」
派手な新能力が追加されるわけではないが、基礎的な生存能力が素直に上昇するのはありがたい。
続けて、二つ目の素材を投入する。
『因果共鳴・第二段階解放』
《瞬雷・改》
『《瞬雷》の再使用間隔(クールダウン)を20%短縮する。』
直哉の目が輝いた。
(機動力アップか!)
セナの生命線は、何と言ってもあの圧倒的な高速移動だ。
攻撃への踏み込みにも、敵の攻撃からの逃走にも使う『瞬雷』が、これまでよりも早く回転するようになる。これは実戦において、目に見えて強力で便利な強化だ。
そのままの勢いで、三つ目。
『因果共鳴・第三段階解放』
《白雷増幅》
『自身が与える雷属性ダメージが15%上昇する。』
直哉は笑った。
「分かりやすいなー」
完全な火力強化。変な搦め手や複雑な概念能力など追加されない。ひたすら『殴る威力が上がる』という、実に物理アタッカーらしい凸効果だ。
そして。
最後となる、四つ目の素材を投入する。
『因果共鳴・第四段階解放』
《黎明不倒》
直哉は、その説明文を読んで、少しだけ動きを止めた。
『戦闘中、一度だけ。自身のHPが0になる致死ダメージを受けた際、HPを1残して戦闘不能を回避する。』
『発動時、《瞬雷》のクールダウンが即座にリセットされ、使用可能となる。』
「…………」
直哉は、そのテキストを見つめた。
(これだけ、少し毛色が違うな。かなり強いぞ)
直哉の脳裏に、一週間前の地下駐車場での絶望的な記憶がよぎった。
ノアの強烈な回し蹴りを腹部に受け、セナのHPがゼロになった瞬間。
強制的に伊織へと切り替わり、成す術なくボコボコにされ、最後には生身の三十四歳の男へと戻されてしまった、あの死闘。
(……もしあの時、この四凸の効果が解放されてたら。あの一撃を食らっても、ギリギリで一回だけ耐えてたのか)
もちろん、残るHPはたったの『1』だ。無敵状態になるわけではない。そのまま追撃を受ければ、結局は終わる。
だが、このスキルの真価はその後半にある。
『発動時、《瞬雷》が即座に使用可能となる』。
致死的な攻撃を、HP1で耐える。
そして、即座にリセットされた《瞬雷》を発動し、敵の追撃範囲から超高速で一気に退避する。
(これなら……死なずに戦線から離脱して生還できる可能性が、めちゃくちゃ高くなるな)
直哉は、全ての四凸効果を頭の中で並べて評価した。
最大HPの上昇。
《瞬雷》の回転率上昇。
雷属性の火力上昇。
一度だけ致死ダメージを耐え、離脱のチャンスを得る。
直哉は、深く頷いた。
(なるほど。セナの基本性能と生存能力を、とにかく素直に真っ直ぐ伸ばすタイプの強化か)
直哉は、少しだけ嬉しそうに笑った。
(オーソドックスで、めちゃくちゃいいじゃん)
★4キャラクターらしい、非常に堅実で分かりやすい性能だ。
レイジの《既判適応》や、エレノアの『時間停止』のような、ルールそのものを書き換えるような理不尽な概念能力を追加するわけではない。
セナが元々得意としていた、
『速い。斬る。雷を纏う。避ける』。
その長所を、そのままシンプルに純粋強化するシステム。
直哉は、ホッと息を吐いた。
(昨日のあの五十連爆死……完全なゴミのハズレじゃなかったんだな……)
被ったセナの四枚が、今日こうして、確かな『戦力の底上げ』として直哉に還元された。
その事実だけで、少しだけ心が救われた気がした。
もっとも。
視界の右上の隅に表示されている数字。
『因果晶:0』
直哉の内心は、(……それでも、紫苑が出なかった傷は深いけどな)と、血の涙を流していた。
そこへ。
「やっほー」
聞き覚えのある、あの軽い少年の声が響いた。
直哉が顔を上げる。
色素の薄い髪。ラフなパーカー姿。
口元には、もちろん棒付きのキャンディ。
あのTier2の化け物暗殺者、ノア・ヴァレリウスだった。
今日の彼は、暗殺者らしい装備や殺気など、一切纏っていなかった。
肩からは小さなショルダーバッグを下げ、手にはスマートフォンを持っている。どこからどう見ても、ただの休日の十四歳の外国人少年にしか見えない。
ノアが、軽く手を上げて笑った。
「待った?」
直哉は、セナの口調フィルターを通して、明るい声で答えた。
「ううん。大丈夫。そんなに待ってないよ」
言葉に出してから、直哉の内心が激しくツッコミを入れた。
(俺が男の姿で言ったらただの普通の返事なのに、セナの姿と声になるだけで、一気に『待ち合わせのデート』っぽくなるな!?)
もちろん、相手は数日前に自分を殺しかけた十四歳の暗殺者である。
ノアは、目の前に立つセナの姿を、足元から頭の先までジロジロと眺めた。
「おー。ちゃんとあの時のお姉さんの姿で来てくれたじゃん」
セナが、少し呆れたように言う。
「自分でこの姿を指定したんでしょ」
「いやー、やっぱこっちの方がいいな」
直哉の内心が、(何がだよ)と怪訝に思う。
ノアはキャンディを舐めながら、楽しそうに言った。
「見た目が華やかでいいじゃん。おっさんと歩くよりずっとマシ」
セナはジト目で返した。
「中身は、昨日電話で話してた三十四歳のおじさんだけどね?」
「それはもう知ってるって。細かいこと気にすんなよ」
本当に、この少年は都合の良いところだけを切り取って解釈する天才だった。
ノアが、背伸びをするように腕を組んだ。
「じゃあ、行こうぜ」
「どこに?」
「とりあえず、そこら辺のカフェでも入ろうぜ」
セナは首を傾げた。
「カフェ?」
「おう。俺、今日どこ行くか、まだちゃんと予定決めてねえから」
直哉の内心が、爆発した。
(人に案内役を頼んどいて、完全なノープランかよ!!)
「決めてなかったの!?」とセナの口から驚きの声が漏れる。
ノアは悪びれもせず、「観光客なんだからしょうがねえだろ。ガイドはお前の仕事だろ?」と笑った。
上野駅周辺の、少し落ち着いた雰囲気のカフェに入った。
ノアはメニューを見るなり、目を輝かせた。
当然のように、イチゴがたっぷり乗った豪華なケーキと、チョコレートパフェの両方を注文した。
直哉は内心で呆れ果てていた。
(ほんと、死ぬほど甘党だなこいつ)
セナとしては、無難にアイスティーを注文する。
注文の品が運ばれてきてから、セナが改めて尋ねた。
「で? 今日は東京のどこに行きたいの?」
ノアは、ケーキを頬張りながら答えた。
「俺さ。一度、『浅草』ってとこに行ってみたかったんだよね」
直哉は、深く納得した。
「あー、なるほど」
セナが頷く。
「外国人って、本当に浅草好きだよね。東京観光の定番って感じがするし」
ノアは、パフェの上の生クリームを舐めながら言った。
「まーねー。やっぱ、コンパクトに『日本』を体験できるのはデカいんじゃねーの?」
寺があって、大きな門があって、和菓子が食べ歩きできて、着物を着た人がいて、昔っぽい下町の街並みが全部一箇所にまとまっている。
外国人観光客にとって、これほど分かりやすい『THE・日本』のテーマパークはない。
ノアが、急に十四歳の少年らしくテンションを上げて言った。
「俺、あのデカい提灯の雷門、生で見てみたいんだよ! 雷門見に行こうぜ!!」
カフェを出た二人は、そのまま電車を乗り継いで浅草へと向かった。
浅草駅を降りると、そこは圧倒的な人の波だった。
外国人観光客、修学旅行生の集団、家族連れ、和装で歩くカップルたち。
どこを見ても活気に溢れ、にぎやかな喧騒が響いている。
ノアは、その人混みの中で、ひときわ目を輝かせていた。
普段は、裏社会で血の匂いと死線を潜り抜ける暗殺者。
だが、その巨大な赤い提灯――雷門を実際に目にした瞬間。
「おおーっ!」
ノアはスマートフォンを取り出し、完全にただの観光客のテンションでパシャパシャと写真を撮り始めた。
「すげえ! でけえ!!」
直哉は、その後ろ姿を見て内心で突っ込んでいた。
(いや、めちゃくちゃ普通の観光客じゃん……)
ノアが、雷門を背景にしてセナの隣に並んだ。
「おいナオ、写真撮ろうぜ」
「二人で?」
「せっかく来たんだからさ。記念、記念」
ノアが周囲を見回し、近くを歩いていた優しそうな若い男性に声をかけた。
「すみませーん!」
極めて流暢で、自然なイントネーションの日本語。
「俺たち二人の写真、お願いしていいですか?」
男性は快く応じてくれた。
「あ、いいですよ。はい、チーズ」
ノアがセナの隣で、無邪気にピースサインを作る。
直哉は、(俺、中身三十四歳のおっさんなんだけどな……)という激しい葛藤を抱えながらも、セナの顔で完璧で自然な笑顔を作った。
カシャッ、と何枚かシャッターが切られる。
ノアがスマートフォンを返してもらう。
「ありがとう、お兄さん!」
男性が笑って答えた。
「いやいや。ていうか君、日本語めちゃくちゃ上手いね。発音も完璧だし」
ノアは、いかにも外国からの留学生のような、爽やかな笑顔を浮かべて答えた。
「ハハハ、日本が好きで、めちゃくちゃ勉強したんで!」
男性と別れた後。
直哉は、無言でノアの横顔を見ていた。
「…………」
セナが、少し不思議そうに口を開いた。
「そういえばさ」
ノアがスマホの画面を確認しながら振り向く。
「ん?」
「ノアって、日本語ほんとに上手いよね」
水曜日のオークションの時も、昨日電話で話した時も。
彼の会話は完全にネイティブレベルだった。発音にも、文法にも、外国人特有の違和感がほぼ全くない。
ノアは、「ああ」と、何でもないことのように言った。
「これのおかげ」
彼は、自分の耳元を指さした。
そこには、小さな銀色のイヤーカフのようなアクセサリーがつけられていた。
一見すると、ただのオシャレなピアスにしか見えない。
ノアが説明した。
「言語の翻訳能力が、永続的に刻み込まれた『呪物』だよ」
直哉は、目を丸くした。
「呪物?」
ここで、直哉にとって新しい世界観の情報がもたらされた。
ノアが歩きながら解説を始めた。
「能力者がさ、全く同じ道具を長いこと使い込んでると。たまに、その能力の性質そのものが、道具の方に物理的に刻み込まれて定着することがあるんだよ」
完全に能力者本人と同じ威力の能力が、コピーされるわけではない。
あくまで能力の一部。残響。性質の破片。
そういうものが、物質に定着する。
それが、この世界において俗に『呪物』と呼ばれるアイテムの正体なのだという。
「翻訳系の呪物は、こっち側の界隈じゃ結構メジャーだぜ?」
ノアはイヤーカフを軽く弾いた。
「実用性がめちゃくちゃ高いからな」
海外へ飛んで暗殺を行う能力者。国際的な特異事案。言語の通じない人外社会との交渉。
能力者の裏社会では、多種多様な言語圏への適応能力が、常に極めて高い需要を持っている。
だからこそ、翻訳や通訳系の能力者が長期間使い込んで生み出された『翻訳の呪物』は、能力者界隈のブラックマーケットで高値で広く流通しているのだという。
セナは感心したように尋ねた。
「じゃあ、それつけてれば何語でも完璧に分かるの?」
「いや? そんな万能じゃねえよ」
ノアは首を振った。
あくまで日常の『会話』を中心とした翻訳機能であり、複雑な専門用語の書き言葉の翻訳までは精度が落ちる。古い言語や、特殊な魔術言語の翻訳は不可能。
そもそも、呪物側に登録されていない未知の言語体系であれば、全く機能しない。
「でもまあ、現代の普通の日本語くらいなら、これで余裕でいける」
「口調までこんな感じになるの?」
直哉が尋ねると、ノアは笑った。
「ある程度はな。俺が雑に喋れば雑な感じに訳すし、丁寧に喋れば丁寧に訳す。言葉だけ一対一で置き換えてるわけじゃねえんだよ」
「へー」
「まあ、細かいニュアンスとか方言まで何でも完璧ってわけじゃねえけど」
直哉は感心した。
「便利だなー」
これまで。
オークションで競売にかけられる『特異物品』や、八咫烏が管理する危険な『怪異素材』などは見てきた。
だが、「能力者が日常的に使い込むことで自然発生的に生まれる、便利な日用品としての呪物」というジャンルの存在は、直哉にとって初めて知る概念だった。
(能力者社会って、俺の知らない便利な裏アイテムがまだまだいっぱいあるんだな……)
その後。
二人は浅草の仲見世通りを、完全にただの観光客として練り歩いた。
人形焼の甘い匂い。焼きたての団子。サクサクの揚げまんじゅう。
ノアは、目に入る甘いもの次々と片っ端から買い食いしていった。
セナが呆れて言う。
「ちょっと、さっきカフェで巨大なパフェとケーキ食べたよね?」
ノアは、人形焼を頬張りながらドヤ顔で答えた。
「甘いものは別腹」
「十四歳の胃袋、便利すぎだろ」
「成長期だから」
「この前からそればっかりだな!」
そんな軽口を叩きながら、お土産物屋を見て回る。
ノアは、安い和柄の扇子や、小さな赤い提灯のキーホルダー、和風のストラップなどを手に取り、意外にも真剣な顔で迷っていた。
「おい、ナオ。これどう思う?」
セナが冷たく突っ込む。
「外国人観光客感が凄すぎるでしょ、それ」
「だから、俺は観光客だって言ってんだろ」
浅草寺の周辺。
大きな香炉から立ち上る煙を、ノアが見よう見まねで頭に浴びせている。
本堂でお参りをするノアの後ろ姿を見ながら、直哉はふと疑問を口にした。
「暗殺者が、神様に何をお願いするの?」
ノアは振り返り、悪びれもせず答えた。
「次の仕事が、めちゃくちゃ楽で簡単な暗殺でありますように、って?」
「絶対に神様に頼むような内容じゃないでしょ、それ」
「じゃあ、この休暇が少しでも長く延長されますように」
「そっちにしときな」
二人は並んで、浅草の賑わう境内を歩いた。
歩きながら、直哉はふと、自分自身の記憶を辿っていた。
「そういえば私、地味に浅草ってちゃんと来たことなかったかも」
ノアが驚いたようにこちらを見た。
「東京住みなのに?」
「いや……学生の時に、何かの行事で一回来たっけな?」
直哉は内心で、(俺、修学旅行とかで浅草来たっけ? どうだったっけな)と考えていた。
三十四年間、ずっと東京近郊で生きてきたが、意外と近場の定番観光地というのは、大人になるとわざわざ行かないものなのだ。
「なんか、学校の行事で来たような……来てないような……」
ノアが、少し不思議そうに言葉を拾った。
「シュウガクリョコウってやつ?」
「そう、そういうの。まあ、それが修学旅行だったかは覚えてないけどさ」
少しの、間。
ノアは、前を向いて歩きながら、いつもの軽い口調で呟いた。
「……修学旅行かぁ」
その声には、ほんの少しだけ、いつもとは違う響きが混ざっていた。
そして。
「俺もさ」
「そういう、『普通の学生』っていうか……普通の生活に、憧れたことはあったぜ?」
セナは、少し驚いて隣のノアを見た。
「普通の生活?」
「うん」
ノアは、空を見上げながら淡々と語った。
「普通に学校に行って。普通に授業受けて。終わったら、友達とどっか遊びに行くとかさ」
「そういう、どこの国にでもある普通のやつ」
ノアの語り口は、あくまで軽く、どこまでもドライだった。
そこに、過剰な悲壮感や、「自分は不幸だ」という重苦しい空気は一切ない。
「まあ、俺んちはそういう家じゃねえからな。生まれた時から、そんな普通の選択肢はなかったけど」
直哉も、彼のそのトーンを察して、無理に「可哀想に」と同情して重く受け止めるようなことはしなかった。
ただ、事実として受け止めた。
セナが、何気なく尋ねた。
「じゃあ、ノアって……友達とか、いないの?」
ノアは、間髪入れずに即答した。
「いねえよ」
直哉は、思わず素で驚いた。
「えっ、マジで一人もいないの?」
「当たり前だろ。俺、暗殺者だぜ?」
能力者社会の中に、知り合いはたくさんいる。
同業者の暗殺者。情報屋。家族。取引相手。海外の能力者たち。
ただ。
「『知り合い』と『友達』は違うだろ」
セナは頷いた。
「まあ、それはそうだけど」
「仕事で会って、殺し合いや取引をした奴に向かって、終わった後に『よし、俺たち友達になろうぜ』とか、普通言わねえだろ」
確かに、ごもっともである。
暗殺者という職業柄、相手は全て仕事のターゲットか、利用するだけの関係者だ。そこに『友情』という概念が入り込む余地はないのだろう。
直哉は、本当に、何気ない気持ちで口にした。
「じゃあ……私が、ノアの初めての友達ってこと?」
ノアの足が、ピタリと止まった。
「…………」
ノアは、歩みを止めたまま、目を丸くしてセナの顔を見た。
「え?」
直哉も、一緒に足を止めて首を傾げた。
「何?」
「私たち、もう友達じゃないの?」
直哉本人としては、そこに特別な深い意味や計算があったわけではない。
数日前に殺し合った。でも水曜日は一緒に怪盗を追った。電話番号も交換した。
そして今、一緒に下町を観光して、笑いながら人形焼を食べている。
(……これ、普通の友達じゃなかったら、一体何なんだよ?)という、三十四歳の男としての純粋な疑問だった。
ノアは、少しの間、完全に押し黙った。
いつもの、人を食ったようなニヤニヤした余裕の表情が、一瞬だけ完全に消え去り。
ただの、十四歳の少年の顔になっていた。
セナの顔を、じっと見つめる。
「友達……」
その単語を、口の中で確かめるように小さく繰り返した。
数秒後。
ノアは、フッと口元を緩め、少しだけ照れくさそうに笑った。
「……まあ」
一拍置く。
「いいかもな」
そして、ノアはいつもの調子に戻って、からかうように言った。
「でもさ。俺の人生初めての友達が、中身が三十四歳のおっさんが変身した美少女剣士っていうのは、さすがにちょっと意味分かんねえけど」
セナが、ムッとしてツッコミを入れた。
「その余計な一言いらないから!」
ノアが声を上げて笑う。
笑った後。
ノアは、少しだけ真面目な顔になって、セナに向かって言った。
「でも、まあ」
「よろしくな。友達」
セナも、笑って頷いた。
「うん。よろしく」
直哉の内心は、非常にシュールな事実を噛み締めていた。
(……プロの暗殺者の、人生初めての友達になっちゃったよ、俺)
一週間前。
この少年に内臓を破壊され、本気で殺されかけていたのだ。
人生、本当に何があるか分からない。
だが、二人の間に湿っぽい空気は似合わない。
すぐにノアが、ニヤニヤしながら言った。
「じゃあ、俺たち友達なんだから、次の団子はお前が奢って」
セナが目を剥いた。
「なんでそうなるの!?」
「だって、日本は年上が年下に奢る文化なんだろ? お前、三十四歳なんだからさ」
「お前、都合のいい日本の文化だけ覚えるなよ!!」
いつもの、テンポの良い軽口の応酬に戻る。
二人にとっては、これくらいが一番自然で心地よかった。
その後も、二人は浅草の観光をさらに堪能した。
写真を撮り合い。
食べ歩きをし。
怪しげな土産物屋を覗き込む。
ノアは、本当に普通の外国人観光客として、この平和な日本の下町を全力で楽しんでいた。
直哉も、仕事や能力のことを忘れ、(なんだかんだ、普通に楽しい休日だな)とリフレッシュできていた。
事件は何も起きない。
ただの、平和な観光。
だが。
しばらく歩いた後。
人混みの中で、ノアが突然、立ち止まった。
「あ」
セナが振り返る。
「どうしたの?」
ノアは、少しだけしまったというような顔をして言った。
「忘れるところだった」
「何を?」
「俺、今日ただ観光しに来たんじゃなかったわ」
セナは、半ば呆れて無言になった。
「…………」
直哉の内心が、激しくツッコミを入れる。
(お前、自分の目的を自分で忘れてたんかい!!)
昨日、電話で確かに言っていた。
『あと、ちょっとした調査もしたいし』と。
ノアは、周囲の観光客の波を警戒するように見回し、セナに顔を近づけて少し声を落とした。
「浅草にさ」
「本物の『呪物』を扱ってる裏の店があるらしいんだよ」
直哉は、少し驚いた。
「呪物屋?」
さっき、翻訳のイヤーカフの話を聞いたばかりだ。ここで綺麗に情報が繋がった。
「土産物屋にある『呪いのお守り』とか、そういうインチキなやつじゃねえぞ?」
ノアが目を細める。
「能力者とか、人外とか、こっち側の裏社会の連中相手に、本物の呪物だけを裏で売ってる店だ」
「ただし、普通の人間には絶対に見つからないように隠されてるらしい」
セナが尋ねた。
「住所は分かってるの?」
ノアは即答した。
「知らね」
「じゃあ、店の名前は?」
「知らね」
「…………」
セナは、冷ややかな目を向けた。
ノアは悪びれもせず言った。
「地元の、こっち側の連中しか出入りしてない秘密の店らしくてさ。詳しい情報までは拾えなかったんだよ」
直哉は頭を抱えた。
「事前情報が雑すぎない!?」
完全なノーヒントでは探しようがない。
ノアが持っている手がかりは、ごく僅かだった。
「俺が聞いた噂だと、浅草周辺の路地裏にある。古い店舗。表向きは全く別の商売をしてる。看板に、能力者にしか分からない『特定の印』がある」
「……それだけ?」
「それだけ」
セナは、根本的な疑問を口にした。
「なんで、その店に行きたいの? 何か呪物を買いたいの?」
ノアは頷いた。
「それもある」
セナが聞き返す。
「それも?」
ノアは、ニヤリと笑った。
「ちょっと、個人的に『確認したいこと』があってさ」
それ以上、具体的には言わなかった。
直哉は内心で納得した。
(昨日電話で言ってた『調査』って、このことか)
少なくとも。
店を襲撃する。呪物を盗む。誰かを殺す。というような血生臭い話ではないようだ。
普通に、裏社会の客としてその店を訪れ、買い物をしつつ何かを調べたいだけらしい。
直哉は、(まあ、ただの店探しくらいなら、別に付き合ってやってもいいか)と判断した。
ノアが、完全に宝探しを楽しむ少年の顔になって宣言した。
「というわけで!」
ニッと笑う。
「地元の能力者しか知らない、秘密の呪物屋!」
「今から二人で探そうぜ!」
十四歳。完全に、裏路地の冒険気分のスイッチが入っていた。
直哉は、セナの顔で盛大にため息をついた。
「いや、急に観光のジャンルが変わりすぎでしょ!」
「浅草の裏観光だよ」
「そんな観光ジャンル、旅行ガイドのどこにも載ってないよ!」
ただ。
直哉自身も、少しだけ興味を惹かれていたのは事実だった。
本物の呪物屋。
能力者だけが知る、秘密の裏の店舗。
(……ちょっと、見てみたいな)
直哉は、浅草の雑踏を改めて見回した。
土産物屋。飲食店。溢れる観光客。
その、平和な日常の景色のどこかに。
普通の人間には全く知られていない、能力者社会の店が、ひっそりと紛れ込んでいるのだ。
セナは、仕方ないというように少し笑った。
「……まあ」
「探すだけなら、付き合ってあげるよ」
ノアが、満面の笑みで拳を突き上げた。
「よっしゃ! さすが友達!」
「その言葉、もう早速便利に使ってない!?」
二人は、笑い合いながら、浅草のディープな裏路地へと続く人波の中へ、歩き出していった。
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